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2話 ファーストコンタクト

 


「ソフィー、早く!  出口はあっちよ!」




 公演が終わり、観客が拍手と笑い声を残して席を立つ中、レティシア・ジラールはソフィー・ルノワールの手を引っ張って立ち上がった。


 ふわふわの金髪が勢いよく揺れ、淡い水色のドレスが翻る。彼女のエメラルドグリーンの瞳は、舞台の興奮が冷めやらぬまま輝き続けていた。



「ちょっと、レティ!  落ち着いてよ!」



 ソフィーが眼鏡を押し上げ慌ててついてくるが、レティシアの足は止まらない。

 彼女の頭の中は、アルベール・サロートの姿――ふくよかな体型に糸目、少し赤みがかった茶髪が汗で乱れ、不器用に仲間を庇うあの瞬間――でいっぱいだった。



「私の英雄に会いに行くのよ!」と息巻く彼女に、ソフィーは呆れたように、でも微笑んで呟く。

「本当に、あなたって人は……。一回決めたら真っ直ぐなんだから」





 ─── ───







 劇場の出口付近は人でごった返していた。レティシアは人波をかき分け、俳優たちが出てくる裏口へと突進する。貴族令嬢らしからぬ勢いで楽屋口にたどり着くと、そこには汗を拭いながら談笑する劇団員たちの姿があった。


 そして――いた。アルベールだ。

 がっしりした肩幅と丸い顔、汗に濡れた茶髪が照明に照らされ、糸目が細く閉じている。



 談笑の輪からは少し離れた場所にいるアルベール。それがレティシアには孤高の戦士のようにも見えて、その胸が再び高鳴る。


 ああどうしよう、なんて声をかけるかも考えてこなかったなんて頭の片隅で思いながらも、レティシアの足はとまらない。



 素晴らしい俳優に、愛しい人に、はやくこの思いを告げたくて仕方がない!






「アルベール様! 本当に素晴らしい演技だったわ!」




 レティシアは我慢できず、アルベールに駆け寄ってまくし立てた。


「あの立ち上がる姿、まさに『吼え猛る鉄騎』のローラン様そのものだったわ! 」


 突然の乱入者に驚いたアルベールは汗だくの顔を上げ、糸目をさらに細めて彼女を見る。






「……誰だ、あんた?」





 その言葉に、レティシアの顔が思わずかっと熱くなる。高揚のままに押しかけてしまったが、おかげで伯爵令嬢としての常識も全部憧れの人の前でかなぐり捨ててしまったことにようやく気がついたのだ。





「あ……失礼しました。私は、レティシア・ジラールと申します」




 彼女は軽く膝を曲げ、ドレスの裾を広げてカーテシーをする。貴族らしい優雅な仕草で頭を下げ、すぐに顔を上げてアルベールを見つめた。

 茶髪が汗に濡れて、丁寧にテンパリングされたチョコレートのようにツヤツヤと輝きを放っているように、彼女の目にはうつった。




「伯爵ジラール家の末娘です。あなたのあの頑張り、健気で、舞台で目を引く魅力でした。


 急に押しかけてごめんなさい。でもどうしても今回の公演の感想をあなたに伝えたかったの。倒れた燭台から仲間をとっさのアドリブで庇うシーン。本当にかっこよかったから! 本当にローラン様が現実に顕現したのかと思ったの!」 




「ローラン様……? なんだそりゃ。貴族のお嬢様がこんなとこまで、わざわざ三下役の俺をからかいになんてご苦労なこって」






 その声には、平民として貴族に笑われてきた苛立ちが滲んでいた。レティシアはソフィーが「アルベールはだいたい敵の部下役だ」と言っていたことを思い出す。アルベールの言う三下役は、普段のそうした役柄のことを指しているのだろう。


 普段浴びることの無い自虐と毒舌に一瞬驚くが、これは推し語りのチャンスだとすぐに目を輝かせる。




「ローラン様は『吼え猛る鉄騎』の騎兵団長で、部下を守る英雄なの。あなたのあの瞬間が――」

「『吼え猛る鉄騎』は知ってる」




 アルベールが遮る。




「劇団員ならそのくらい読んだことあるさ。でも、俺はそんな立派な英雄じゃない。貴族の気まぐれでからかうなら、帰れ」




 彼の言葉に毒が混じるが、レティシアはその鋭さに心を奪われる。




「その言い方……、最高じゃない!」

「……は?」

「はいはい、ストーップ!」





 そんな二人の間に、明るい声が飛び込んできた。あとから追いついてきて所在なげだったソフィーが、目を見開いて感激にそっと口元を抑える。




「お嬢さん、こいつほんま愛想なくてごめんな〜。ファンとか言ってくれる子はじめてやから緊張してるんや、な?」




 少し訛りを残した言葉が、穏やかな声にのって耳にすっと馴染む。今日の主演、ニコラ・ルルーだ。




「ニコラさん……。べ、別に、そんなことは……」

「はは、ほらこの感じや。あー、でもな、あんまり楽屋に来られても俺達もちょーっと困るかもしれん。劇場のルール教えたるから、それに合わせてくれると俺らも助かるんやけど、どう?」




 ニコラはまたあの人懐っこい笑顔を浮かべた。さすがはこの王都劇場の二番人気俳優である。しかしこれには、猪突猛進なレティシアも恥じ入るばかりだ。



「あら、ごめんなさい。劇場に来るのも初めてで……。ぜひ教えていただける?」

「もちろん。アル、お前もついといで」




 彼はレティシアをそっと外に連れ出し、「ここでやったら出待ちしててええよ。もちろん、アルが嫌がらん程度にっていうのは前提やけど……。守ってくれるな? 手紙なら劇団に送ってくれたら届くからな」と、出入り口近くの待機場所を教えてくれた。ソフィーが「ニコラ様、素敵……」と呟きつつ、レティシアに「ほら、ちゃんとルール守ってね」と苦笑する。





「ルールとしてはそれくらいや、何か質問ある?」

「いえ、教えてくださって助かったわ。本当にありがとう。毎日でも公演を見に来るわ!」

「アルにも熱心なファンがついたもんやなぁ」





 そうそう、ファンと言えば。そう言って、ニコラの温かなダークブラウンの瞳がソフィーをとらえる。




「君。ときどき劇場見に来てくれる子よね?」

「えっ……! 覚えててくださったんですか……?」

「もちろん。一回だけのお客さんは難しいけど、何回も来てくれる人の顔は覚えとるよ」




 いつも応援ありがとうねぇと言いつつ、彼はソフィーに向かってパチンとウインクして楽屋へ戻って行った。その後ろをアルベールがついていこうとする。




「待って!」




 しかし、レティシアのその呼びかけに、彼は素直に足を止めてこちらを見やる。





「……これからも応援するわ、アルベール様!」





 レティシアは勢いよく手を振る。ふわふわの金髪が揺れ、エメラルドグリーンの瞳が輝く。彼女の声は、劇場の喧騒を抜けてアルベールに届く。




「貴族の気まぐれだろ」




 アルベールは低い声で呟き、踵を返す。だが、もう一度だけ立ち止まり、肩越しに彼女を振り返る。






「……好きにしたらいい」






 その言葉に、冷たさとほのかな戸惑いが混じる。彼の糸目が一瞬開きかけたように見えたが、すぐに目を細めてニコラの後を追うように楽屋へ消えた。



 レティシアは胸を押さえ、その場に立ち尽くす。目と目が合った瞬間、心臓が跳ね上がり、震えが止まらない。貴族令嬢として社交界で無数の視線を受けてきたはずなのに、この歓喜は初めてだった。


「好きにしたらいい」――その一言が、彼女の戦記オタクの魂に火をつけた。「認められたんだわ!」と心の中で叫び、ソフィーに目を向ける。





「レティ、顔が真っ赤よ。大丈夫?」


 ソフィーが心配そうに近づき、眼鏡の奥の灰色の瞳で彼女を見つめる。レティシアは頬を押さえ、「大丈夫よ、ソフィー。むしろ最高だわ」と笑う。ソフィーは呆れ顔で、「本当に、あなたって人は……。でも、ニコラ様の気遣いのおかげで助かったわね」と呟く。彼女の手には、さっきの絵姿が大事に握られている。




「そうね、彼に感謝しなくちゃ。ルールを守って、ちゃんと応援するわ」




 レティシアはドレスの裾を整え、貴族らしい姿勢を取り直す。だが、心の中は既に次の計画で溢れていた。





「アルベール様に、私の気持ちを届け続けるんだから!」




 その決意が、彼女の瞳に新たな輝きを灯した。




 

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