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灰猫Cake

作者: Mymt



 今日も今日とて、甘味屋「アマトー」は大繁盛だ。

 通りに面したカウンターには若い女性客がずらりと並び、都市一番と評判の甘味を口の中へ想像しながら、自分の順番を待つ。

 

 ニオもまた、その列に居た。

 長いローブに全身を隠して目深にフードを被り、賑やかな雑踏を背にして、ワクワクと胸を弾ませる。

 もうすぐ自分の順番だ。

 朝早くから並んだ甲斐があったというもの。

 今日こそは買って帰ることが出来ると、その口元は早くも綻びかけていた。


「——はい、次の方どうぞー」


 愛想の良いイケメン店員に呼ばれ、カウンターの前に進み出る。

 ミッション達成の喜びに胸を弾ませて——。


「——この、新作のケーキ三つくださいニャ!」


「——ニャ?」


 店員の顔から営業スマイルが消えた。

 ニオはしまったと言わんばかりに口元を押さえる。


「ちょ、ちょっと噛んじゃっただけニャよ、ケーキ三つ、ね?」


 口元に愛想笑いを貼り付けるニオに、イケメン店員がカウンターから素早く身を乗り出し、片手を伸ばして彼女のフードを払い除けた。


「あっ——!」


 ニオは慌ててフードを押さえようとする——が、遅い。

 フードの下からボリュームのある灰色の髪が溢れ出し、同じ色の毛に覆われた大きな獣耳がピョコンと立ち上がった。

 待機列の娘たちがざわめき、イケメン店員が正体見たりと鼻を鳴らす。


「——人猫の混じり者かよ、困るねぇ」


 その指先がカウンター端の立板を示す。

 そこにははっきりと「亜人お断り」の一文が刻まれていた。


 店員は、たじろぐニオの大きな獣耳に目を止めて、更に表情を険しくする。


「あっ! お前! 野良か!」


 ニオの細い肩がビクッと跳ねた。

 耳に耳標の無い亜人は、飼い主を持たない亜人。

 飼われていない亜人には街を歩く権利すら無い。

 それは「野良」と呼ばれる取り締まりの対象であり、それと同時にどんな扱いをしても——極端な話、殺してしまっても罪に問われない、そんな存在だ。


 ——後退るニオ。

 間の悪い事に、その背後の通りを二人組の衛士が通り掛かった所だった。


「衛士さん! 野良です!」


 列の中からそんな声が上がり、衛士が足を止めニオに目を向ける。

 身を翻し、脱兎の如く駆け出すニオ。

 猟犬の如く追う衛士たち。


 半人猫の娘の足と、鍛え上げられた衛士の足との差はさほど無く、ニオは彼らを振り切る事が出来ないまま路地へと逃げ込んで行った。


 野良半人猫の背を追って路地を走る衛士たち——その片方が口角を上げて隣の相棒に声を掛ける。


「——混じりもんにしちゃ良い女っぽかったぜ? ちょっと味見してみよっかなあ?」


「うわ、変態かよ!」


 そう言って笑い合う。

 目の前の脇道から一人が回れば挟み撃ちに出来る、それを知った上での余裕の会話だった。

 目配せと手の動きで二手に分かれる意思を確認し合う。


 ——その脇道から人影が歩き出て来たのは、その時だった。


「——っ! どけーッ!」


 衛士の怒声に黒髪の青年が立ち止まりこちらを見た。

 衛士たちが走る速度を落とさないままそれを躱そうとする——それと同じ方へと青年も身を躱そうとして——派手にぶつかり、衛士が二人とも地面に転がった。

 

「——ああ、これはすまない」


 一人転ばずに済んだ青年が困ったように首の後ろを掻く。

 その首周りに彫られた黒い紋様の刺青は、まるで首輪の様だった。


「貴様ぁ!」


 衛士の一人が立ち上がりながら腰の剣に手をかける。

 それをもう一人が止めた。

 その目は首輪の刺青の青年の、その背にかけられた巨大な剣鉈へと向けられていた。


 舌打ちと共に衛士が柄から手を放す。


「気をつけろよ!」


「ああ、すまんね」


 青年のまるで心の籠らない謝罪に、衛士はもう一度舌打ちをして、半人猫の逃げ去った先へと目を向ける。

 目標の姿は既に無く、今さら挟み撃ちも間に合わない。

 そう判断した衛士たちは、青年に毒を吐きながら来た道を引き返して行く。

 青年はそれを見送り、小さく息をついて、路地の奥へと足を向けた。



 ——————



 路地の奥を曲がった先で、ニオは青年を待ち受けていた。


「——余計な事すんなニャ、あんなヤツら、自分で撒けたニャし」


「ああ——それは悪かったな」


 青年が肩を竦める。

 青年の名はドラグ、ニオと同じ主人に仕える——先輩であり、不倶戴天の敵でもあった。

 尤も、それはニオからの一方的な敵愾心なのだが。


「——やっぱり俺が並んで買って来ようか?」


 何度目かも知れない提案に、ニオは眉間に皺を寄せる。

 そりゃ、見た目は人族の姿をしているドラグであれば、人気の新作ケーキなど簡単に買える事だろう。

 でも——。


「——うっせえニャ、クソ犬は引っ込んでろニャ、姫さまに喜んでもらうのはこのニオニャ!」


「いや、そんなの別に、お前が買った事にして渡せばいいだろう」


「ナメんニャクソ犬! オマエのお情けなんかいらんニャ! ニオが自分の力でやるニャー!」


 景気良く言い捨ててダッシュで去って行く。

 その背を見送って、ドラグは小さくため息を吐いた。



 ——————



 人猫奴隷の女を、飼い主である人族の男が戯れに孕ませ、そうして産まれた娘がニオだった。

 人族と人猫の混じり者——顔は人族でありながら、獣の耳と尻尾を持ち、手足と背中は獣毛に覆われ、胴体の前と臀部は人の肌。

 指は長いが内側には肉球を持ち、鋭い爪を出し入れ可能。

 人と亜人が交わると言う悍ましい出生の事情もあり、人族からも亜人からも気色が悪いと疎まれる存在、それが混じり者だ。

 当然ニオも疎まれた。

 父親にも、母親にさえも、名前すら付けて貰えないほどに。

 産まれた時から奴隷として売られる運命が定められ、売値を上げるためだけに読み書き計算を覚えさせられた。


 十才になり、体つきに女性らしさの兆候が出始めた頃に売りに出された。

 相手はそういう猟奇趣味の変態中年。

 その移送中に脱走した。

 耳に付けられた耳標は逃亡中に引きちぎった。

 その時に裂けた耳は今もそのままだ。

 その後、何とか逃げ延びてスラムへと身を隠し、生き延びるために盗みを覚えた。

 顔は人族のそれなので、長いローブで尻尾を隠し、フードや帽子で獣耳を隠し、長いブーツと手袋で体毛を隠せば、人族のフリをして彷徨く事も一応出来た。

 怪しまれて当然の格好なので、衛士の立ち寄る様な場所には行けなかったが——。


 そんなニオの暮らしを一変させたのが「姫さま」との出会いだった。

 森の奥の巨大な屋敷へと忍び込み、盗みを働いて捕まって——その屋敷の主が「姫さま」だった。


 絹の様な白い髪と宝石の様な青い瞳を持つ、絶世の美貌の少女。

 十才かそこらの少女は、ニオの相貌を一目見るなり、その大きな瞳を輝かせ、興奮も顕に愛らしい雄叫びを上げた。


「ネコ耳美少女キター! うわ、めっちゃ可愛いー! よし! そなたは余に仕えよ! はい決定じゃのー!」


 その見かけによらないハイテンションぶりとその歓迎ぶりにニオは言葉を失った。

 ニオを捕らえたクソ犬は、反対するでもなく、ただため息を吐いていた。


 それから姫さまに仕える日々が始まった。

 姫さまはニオにたくさんのものをくれた。

 名前の無かったニオにこの名を与えたのも姫さまなら、まるで人族の貴族の様な暮らしと、家族の様な温もり、生きる幸せというものを与えてくれたのも姫さまだった。

 屋敷周辺を護る様に暮らすエルフたちとも仲良くなって、友達と言う存在を生まれて初めて得ることが出来た。

 何より、姫さまの元では誰一人として混じり者のニオを疎みも蔑みもしなかった。

 もちろん、内心どう思っているかはわかったものではないが——。

 だが、表立って差別を受けないと言う、ただそれだけの事が何より嬉しくて幸せで——それをくれた姫さまの為ならなんでもやろうと心に決めた。

 尤も——混じり者は種を超えた愛の証、なんて言う姫さまの言葉だけは、陵辱の末の子としては、全く同意出来なかったが……。


 そんな姫さまが「ケーキ食べたい」と、他でもないこのニオに告げたのだ。

 何がなんでも手に入れて帰る以外の選択肢は無かった。

 喜ぶ姫さまの愛くるしい笑顔を想像するだけで、勇気と元気がいくらでも湧いてくるのだ。


 ——とは言うものの……と、ニオは深く首を捻る。

 正面から買う事が封じられた今、どうすればケーキを手に入れられるのか、と。



 ——————



「え? ケーキのレシピ、ですか?」


 予想だにしない質問に、思わず聞き返す。


「——ここ、探索者組合ですけど?」


「わかってる……」


 気まずそうに首の後ろを掻く顔馴染みの青年の姿に、受付嬢レセナは思わず吹き出してしまっていた。


「まさかドラグ君が作るんですか?」


「——ああ、まあ……俺でも出来そうな簡単な物……知らないか?」


「まあ……本格的なもので無ければ……?」


「本格的なのは——たぶん、無理だ」


 ——でしょうねえ、とレセナはドラグの顔をまじまじと見つめる。

 どう頑張っても、この青年が料理をしている姿が想像出来ない。

 ケーキ作りなんて、似合わないにもほどがあるけど……たぶんそれを訊ける相手が自分しか居なかったのだろうなあ、と、そこは何となく合点が行った。

 友達少なそうだし。


「——わかりました」


 と、頷いて見せたレセナに、ドラグが少し表情を明るくする。

 普段からこういう顔を見せてくれると可愛いんだけど——などと思いながら、レセナは言葉を続けた。


「ですが今は業務中ですので——夜、仕事が終わってから、隣の酒場で落ち合いましょう」


「ああ、恩に着る」


 ドラグが軽く頭を下げ、踵を返してカウンターを離れて行く。


 その姿が外へ消えるまで見送ってから、レセナは事務処理で忙しい同僚達へと声を掛けた。


「——すみません、誰か、美味しいケーキの簡単な作り方知ってる人いませんか?」


 引き受けておいて何だが、レセナにケーキ作りの経験など無い——それどころかまともに料理もしなかった。



 ——————



 半人猫で良かった事の最たるものは姫さまに仕えられた事。

 次点が夜目の効く事だ。


 その目を生かし、人目を避けて夜の闇の中を行く。

 森のお屋敷までは二時間程の距離で、帰ろうと思えば帰れないと言う事は無いのだが、姫さまの望むケーキをどうにかするまでは、おめおめと帰るわけにはいかないと心に決めていた。


 辿り着いたのはスラム街にある小さな橋の下。

 幼い頃から何度となく世話になった寝床だ。

 柔らかい草の上へと身体を丸めて横になる。

 尻尾を隠す為の長いローブは、野宿するにも役に立った。


 ドラグ——あのクソ犬は今頃お屋敷に帰っていて——何時もの様に姫さまの抱き枕になっているのだろうな、と、その姿を想像して腹が立つ。

 彼を嫌う理由の一つは、姫さまの抱き枕係に選ばれていると言う事へのやっかみだった。

 姫さまも姫さまで無防備が過ぎると言うか……もしもあのロリコンクソ犬がとち狂った行動に出やがったら一体どうするおつもりなのかと、もう、不安しかない。

 

 ——それはさておいて、今はクソ犬に腹を立ててる場合では無かった。

 ケーキを姫さまにお届けする、その任務について考えなければならない。


 ニオは、どうしたもんかニャア、と悩みながらローブの中で身動ぎし——その内にすやすやと寝息を立て始めていた。



 ——————



 ニオは朝日の訪れと共に目を覚ます。

 夜中に彼女の眠る橋の上でドタバタとケンカが起きて、そのせいで一度は眠りを妨げられたが、それ以外は概ね平和な夜だった。


 目の前の小川で顔を洗って眠気を飛ばし、軽く頬を叩いて気合いを入れ直す。


「——よし、ニャ」



 ——————



 路地に身を隠して、甘味処「アマトー」の様子を伺う。

 まだ開店前にも関わらず、既に乙女たちの行列が出来始めていた。


 他にもケーキを売る店は存在するのだが、亜人避けの番犬を置いていない店はここだけなのだ。

 初日は来るのが遅くて既に閉店。

 二日目は並ぶのが遅くて順番を待つ間に売り切れ。

 三日目の昨日はすんでのところで正体がバレてしまって買い損ねた。

 四日目の今日は——どうしようか。

 悩んでいる間にも、通りの向こうではどんどん行列が長くなって行く。

 今からでも並べば間に合いそうではあるが、もう顔がバレてしまっている。

 まともに買う事は不可能だ。


 もう盗むしか……。

 その考えに辿り着いたニオの、その背後から突然声が掛けられた。


「なあ、ねーちゃん」


 ビクッと肩を跳ねさせて振り返ると、そこに立っていたのはボロを着た少年。


「な、なんニャ……なにかな?」


「えーと、なんだっけ——」

 

 少年は少しの間虚空に視線をさまよわせてから、折り畳んだ紙切れをニオへと突きつけた。


「えーと……『昨日のお店での騒動を見てたって女の人から預かってきました』……だっけ——はい、受け取って」

 

「——え? お手紙?」


 問いかけながら受け取るニオには答えず、少年は「まいどー」と言い残して路地奥へと走り去った。


「——なんなのニャ——?」


 ニオは小首を傾げながら紙切れを開いてみて——大きな目を更に大きく見開いた。


 そこに書かれていたのは、ケーキのレシピ。

 女性らしい綺麗な文字で、必要な材料から作業の手順までが事細かに記されていた。


「猫神さまのお導きニャア……!」


 レシピを持つ手を震わせながら、ニオは行列の乙女たちへと目を向ける。

 昔のニオならば人族の好意など一切信じなかっただろう。

 しかし姫さまと出会ったおかげで、そんな奇跡の様な人族の存在を、少しは信じる事が出来るようになっていた。


 ——どの人族女かわかんにゃいけど、感謝するニャ!


 逸る気持ちのままに、レシピを握り締めて駆け出す。

 記されていた材料には知らない物も多かったけど、何とかの実って書いてるからには何らかの植物の実なのだろう。

 森の植物の事ならエルフに聞けば知っているはず。

 早く戻って相談ニャ、と、西の郊外へ向かって疾走した。



 ——————



 ニオは通常二時間かかる道程を僅か一時間で走破し、お屋敷外周の森に暮らすエルフたちの中でも、一番気安いエルフの少女へとレシピを見せて相談した。

 そのエルフ、ルルィエは姫さまに献上するのだと言うと喜んで協力してくれた。

 お屋敷の厨房にある食材と照らし合わせてみると、小麦粉などの基本的な材料はあったものの、いくつか足りない果物があった。

 ルルィエは他のエルフたちにも相談してくれて——彼らの食料庫にある素材を融通して貰えたが、それでも一つだけ足りない物があった。

「シロプーの実」と言うそれは、ルルィエの見立てによると、スライスしたスポンジの間に挟み入れる事で、ケーキをより甘くジューシーにする目的でレシピに記されているらしかった。

 

 幸いにもシロプーの木の生えている場所を知るエルフが居てくれて、場所と木の実の特徴を詳しく教わったニオは、カゴを手に一人、意気揚々と出発した。


 それを見送るエルフたちの後ろから、黒髪の青年が姿を現す。

 それに気付いたエルフたちが口々に「黒狼殿!」「ドラグ殿!」と、大歓迎する面持ちで彼を取り囲んだ。

 ドラグは気恥ずかしそうに首の後ろを掻き、一同へと問いかける。


「アレは何処へ向かったんだ?」


 ああ、とエルフ一同がお察しする。

 この面倒見の良い黒狼殿は、妹分の気侭な半人猫を放置しておけないのだ。

 

 ドラグは、エルフたちがニオに教えた行先とルートを聞いて、表情を強ばらせた。


「黒狼殿、何か?」


「いや——」


 ドラグはエルフたちに道を開けさせ、足早にニオの後を追う。

 昨日、探索者組合に行った折、ついでに眺めた情報掲示板で目にした——トロールの活動区域の変動情報にあった地域が、ニオの通るであろうルートと被っていたのだった。



 ——————



 ずっと街の影に潜んで盗みで生きてきたニオにとって、得意分野は潜伏と諜報——逃げ足の速さにも自信があった。

 反面、荒事は苦手で、ドラグと組んで仕事をする時には情報収集が主な役割で、荒事はドラグの担当だった。

 そんな自分を良く理解っているニオは、魔獣の跋扈するこの森を侮ったりはしない。

 そう、侮っているわけでは無いが——エルフから教わった目印を辿るうちに、脳内でショートカット可能なルートを構築し、自信満々で正規ルートを外れた。


「近道ニャ!」

 

 意気揚々と籠を振り回し、鼻歌交じりに森を往く。

 街育ちの半人猫は、目印を無視して森を歩くと言うその無謀さに、気付いてすらいなかった。



 ——————



 ドラグは風の様に木々の間を駆け抜け、ニオのルートを先回りして——徘徊するトロールを発見、即座に殲滅に掛かる。

 トロールの丸太の様な太く長い腕を掻い潜り、大剣鉈を叩き付け——どうにか一体を屠る間に騒ぎを聞きつけた他の個体が駆け付けて——。

 いつしか、ドラグの周りを五体のトロールが取り囲んでいた。

 身長二メートルを軽く超える、でっぷりと太った獣毛の怪物たち。

 その太ましい肉体は全て岩の如き筋肉の塊であり、その膂力は容易く人間を引き千切る。

 五体のトロールは同胞の屍に猛り、それを成した目の前の餌への食欲も同時に発現させて、それぞれに黄ばんだ牙を剥いて野太い雄叫びを上げた。

 

 ドラグは木の幹を背に大剣鉈を肩に構えて、周囲の敵へと目を配る。

 ジリジリと緊張した空気が流れ——それを破ったのはドラグの背後に立つトロールだった。

 咆哮と共に一息に距離を詰め、大きく腕を振って、木の幹ごとドラグの身体を薙ぎ払う。

 咄嗟に転がって難を逃れたドラグの頬を、砕けた木の破片が傷付けた。

 大きな音と共に木が倒れ、一体のトロールがその下敷きになりかけてそれを受け止める。

 直後、そのトロールの太ましい脇腹を大剣鉈が一閃し、悲鳴を上げたトロールはそのまま倒木の下敷きになって倒れた。

 脱出しようと藻掻くトロールを無視し、ドラグが横っ飛びに転がる。

 直後、ドラグの居た場所に別なトロールの剛腕が叩き付けられた。

 ドラグはそのまま距離を取り、トロールたちを正面に対峙する。

 とりあえず包囲を破れた事に小さく息を吐き——もう一度深呼吸すると、その黒い瞳が禍々しい血の色へと変化した。

 ザワザワとその肌を黒い獣毛が覆い始め、同時に身体が膨れ上がり墨色のローブの中を筋肉で満たす。

 顔は骨格を変え、耳は大きな獣耳へと形を変え——ローブの裾から太い尻尾がフサリと揺れる。

 ものの数秒。

 ドラグは漆黒の毛皮を持つ禍々しい人狼へと姿を変えた。

 その不吉な気配に、焦ったトロールの一体が躍りかかる。

 黒狼が一瞬身を屈め、矢の如くその身を放った。

 身体ごとぶつかる様に回転させて大剣鉈を片手で軽々と一閃。

 トロールが血煙を上げて腹から真っ二つにその身を分割させ、木々の間へと轟音を立てて転がった。

 それを背に、黒狼の血の色の瞳が残りのトロールに向けられる。

 身構えるトロールたちの目に、ありありと怯えの色が浮かんだ。



 ——————



 大樹の陰に身を隠した黒狼は、訝しげに周囲を伺う。

 もう日が暮れようというのに、ニオが目的地に現れない。


 ——いくら何でも遅すぎる。

 

 剣も身体も数多の魔獣の血に塗れて、その禍々しさに磨きをかけた黒狼姿で、ドラグはゴクリと唾を飲んだ。


 まさか迷った?

 こんなわかりやすいルートで?



 ——————



 行けども行けども、目印の大岩が見えて来ない——。

 宵闇の迫る森の奥深くで、ニオはようやく気がついた。


「あれ——もしかして——迷ったニャ?」


 背の高そうな大木を選んで爪を立てて木登りし、周囲の景色を眺める。

 高低差のある地形を緑が覆い隠す、見渡す限りの大森林。

 眼下に見えるのは生い茂った枝葉のみ。

 西の山の向こうに太陽が姿を隠し、東の空から夜の帳が降りて来ていた。

 

「あー、コレ、やばいニャし……」


 ニオは木から降りて、ウニャニャと悩む。

 森で迷ったら——どうしろって言ってたかニャア——?

 以前にエルフから教わった知識を思い出そうと頭をひねる。


「——そうニャ、木の目印を探すニャよ」


 彼らの間だけでの暗号があると教わった。

 それは彼らの活動範囲内である事を示し、帰り道を導く道標でもある。

 それは下から二番目の枝の付け根に刻まれる決まりで——。


 木の枝をチェックしながら森を彷徨う。

 なかなか目印は見つからず、そのうちにとっぷりと日は暮れて——。

 夜鳥の声を遠く聞き、草むらの動く音に一々身を竦めて、魔獣に見つからぬよう、なるべく音を立てぬように息を潜めて、エルフの目印を探し歩く。


 もしかしたら、エルフの活動範囲を外れてしまっているのかも知れないと、不安がどんどん膨らんで行った。

 

 でも、人猫の血を引いていて良かった、夜目が効くし、耳も良く聞こえる。

 尤も、それは人族はその辺が不便だという知識しかなく、夜目が効かない感覚なんて想像もつかなかったが。

 そんな事でも考えて、どうにか恐怖に竦む心を盛り上げようと必死だった。


 だいたい、クソ犬は何をやってるニャし——。


 内心で毒づく。


 こういう時こそ、何時ものお節介を発揮して、颯爽と姿を見せるべきだろう。

 まったく、要らない時ばかり付き纏って余計なお世話を働いて——肝心な時に居ないとか、姫さまの言葉を借りるなら、ほんと、駄犬もいいとこニャよ。


 そんな理不尽な罵倒の末に、生真面目な黒狼の少し困った様な顔が浮かんで、口角が少し上がった。


 ——まあ、クソ犬の助けなんていらんニャけどニャ!


 パシ、と両手で頬を打ち、肘にかけた籠から道中に採取した果物を取り出して大きく齧る。


 不安を勇気が抑えつけ、踏み出す足にも少し力が宿った、そんな気がした。

 景気付けに足元の小石を蹴り飛ばし、ニオは胸を張って大きく腕を振りながら、鼻歌交じりに月の方へと進路を取った。



 ——————



 ニオの蹴飛ばした小石は木々の間を縫って遠く飛んで枝の上の木鼠を驚かせ、慌てた木鼠は枝から地面へと飛び降りる。

 その木鼠を狙って夜鳥が襲いかかり、その夜鳥を狙った森狐が横から飛びかかる。

 寸での所で夜鳥が森狐を躱し、森狐は勢い余って斜面を転がる。

 森狐は地面を掻いて転落を止め、その足の蹴った石が代わりに斜面を転がり落ちる。

 木の根に当たって大きく跳ねた石は月の光を浴びながら弧を描いて飛び、呑気に草を食んでいた一角鹿の尻へと命中。

 一角鹿が驚き一足飛びにその場を離れる、その瞬間、その足スレスレへと巨大な顎が飛びかかり、獰猛に並んだ牙が虚空を噛んだ。

 

 硬い鱗に覆われた強靭な前足の、その大きな爪で地面を掴んで制動をかけ、大顎竜は口惜しそうな眼差しで、逃げ去る一角鹿を見送った。


 またしても獲物を逃がしてしまった苛立ちに低い唸り声を洩らす。

 空腹により研ぎ澄まされた感覚が、斜面の上をゆっくりと移動する獲物の気配を感じ取る。

 それとは別に、こちらへ近付きつつある巨大な気配も感じたが——とりあえず直近の獲物で腹拵えをする事を選択した。

 大顎竜はその巨体を低く屈めながら、ゆっくりと静かに斜面を上る。

 さほど経たずに獲物を視界に捉えた。

 二足歩行だがトロールとは違う、細くて弱々しいその獲物の姿に、大顎竜は晩飯の確保を確信して、並んだ牙の間からヨダレを垂らした。



 ——————



 ニオがミシッと木の軋む音を聞いて、斜面の下へと目を向ける。

 その目に映ったのは、木の幹を掴む巨大な爪。

 次の瞬間、その木を発射台にして大きく開いた巨大な顎が迫る。

 口の中に並ぶ大きな牙、真っ赤な分厚い舌、その奥の深淵——全てがはっきりと見えて——だがニオの身体は強張り、足は竦み、何の反応も出来なくて——。

 強い衝撃、力強く身体を包まれる感覚、浮遊感、再びの衝撃と——自分のものではない、苦悶の声——。

 もんどり打って草の上を転がり、張り出した木の根にぶつかって止まる。

 足元にはニオと同じく転がった黒い人狼の姿。


「——クソ犬——!?」

 

 目を上げると、向こうで大顎竜がその名の通りの巨大な顎を上げて、何かを咀嚼し、喉を上下させて呑み込んだ。

 

 ニオは再び視線をドラグへ戻す。

 黒狼状態の狼の顔だと表情が分かりにくいが、その長いマズルには深く皺が寄り、苦しげに目を細めていて、息が乱れていて——その左足を見てヒュッと息を呑んだ。

 彼の太ももから先が、無くなっていた。


「クソ犬! しっかりするニャ!」


 慌ててドラグへと這い寄り、その上体を抱き起こす。

 身体の痛みも何も気にならなかった。

 ドラグの食いちぎられた先からだくだくと血が流れ血溜まりを広げていく。

 彼の足がさぞかし美味かったのだろう、大顎竜が満足げに目を細めながら、その瞳をこちらへ向けた。

 血のついた口元を分厚い舌がべロリと舐める。


「逃げろ——」


 ドラグが声を絞り出してニオの腕を振りほどき、その胸元を突き飛ばす。

 ニオは押された勢いでたたらを踏みながら立ち上がり、大顎竜とドラグとの間に視線を往復させた。


 大顎竜の目は倒れたままのドラグにだけ向けられ、悠々と距離を詰めて来る。

 ドラグはニオを突き放したまま、ぐったりと倒れ、動かない。

 ニオの足は震えて竦んで、怯えた瞳に大顎竜とドラグを映す。

 ゆっくりとドラグに肉薄した大顎竜が、長い首を下げて大きく口を開いて——ドラグはピクリとも動かなくて——。

 

 ニオは涙目に歯を食いしばって、震えて強ばる身体を無理矢理に動かした。

 

「——うぅうううー!」


 動かない足に発破をかけて力づくで踏み出す。

 腰の後ろから護身用のナイフを抜き放ち、力いっぱい地面を蹴って、恐怖に涙を零しながら、矢の勢いで大顎竜へ。

 大顎竜の目がニオを見た。

 獲物を齧りかけていた首をもたげ、迫る弱々しい獲物に顔を向けて、強靭な前足を振りかぶり、巨大な爪で薙ぎ払う。

 ニオは大きく跳んでそれを躱し、噛みつきに来た巨大な顎の、その先端を蹴って空中で身体を捻り、その頭へと爪を立ててしがみつく。


「うニャらアー!」


 雄叫びを上げてナイフを目玉へと突き立てた。

 大顎竜が絶叫を上げて仰け反り、激しく首を振り回してニオを跳ね飛ばす。

 大きく飛ばされたニオは木の幹へと背中をしこたまに打ち付ける。

 激痛と衝撃に息が詰まるが、その身を無理矢理に動かし、ドラグへと駆け寄った。


「クソ犬! 今のうちに逃げるニャよ!」


 抱き起こそうとするニオの腕の中で、黒狼はぐったりと脱力したまま動こうとせず、彼の意識が無いという事に気付くまでに時間はかからなかった。


「クッソ犬ー!」


 ニオがドラグの腕を肩に担ぎ、歯を食いしばって立ち上がろうとする。

 だが筋肉ダルマの黒狼の身体は重く、難儀して漸く立ち上がったニオに更に重くのしかかる。

 そんなニオの目が、大顎竜を捉えた。

 片目にナイフを突き立て、片目に怒りをありありと浮かべて、獰猛に牙を剥く、大顎竜の姿。


 ——逃げられない。


 その一言が脳裏に浮かぶ。

 不思議と、ドラグを捨てて逃げると言う発想は欠片も浮かばなかった。


 ドラグを支えて立ち尽くすニオの目の前で、大顎竜が一旦大きく首をもたげ、前足を地面に踏ん張って、大きく口を開きながらその頭を振り下ろした。

 耳を劈く咆哮がその口から放たれる。

 魔力の篭った咆哮による魂を殴られたかの様な衝撃に、ニオは一瞬意識を飛ばされ、その場に膝を落とした。

 黒狼の頭を胸に抱き、恐怖に目を見開いて、震えながら涙を零す。

 大顎竜が荒々しく地面を踏み叩き、大口を開けながら迫ってくる。


「——クソ犬……寝てる間に死ねるとか、自分だけズルいニャよ……」


 怖くて死にたくなくて——だけど腕の中の相棒を置いて逃げるくらいなら一緒に死んだ方がいくらかマシで——。


「——往く先が同じだと良いニャア——」


 巨大な牙の並ぶ口が眼前に迫り、血なまぐさい呼気を浴びながら、ニオは黒狼の大きな身体を強く抱き締め、固く目を閉じた。


 直後、訪れたのは雷の落ちる様な轟音、地面を跳ねさせる衝撃——爆風がニオとドラグを吹き飛ばし、ニオは地面を転がりながら必死にドラグの身体を抱き締める。


「——なっなんニャア!?」


 巻き上がる粉塵の中、地面へと頭を埋めた大顎竜と、その頭の上に立つ小柄な人影が見えた。

 人影を中心に巨大な気配が動き、突風が巻き起こって粉塵を吹き飛ばす。

 中心に立つのは、真っ白い長い髪のワンピーススカートの少女。

 舞い上がったスカートがふわりと降りて、その細く白い足を隠す。


「ひ、姫さまぁ!」


 ニオの頬に滂沱の涙が流れた。


「姫さま! ドラグが! ドラグが!」


「——ふむ」


 姫さまの青い瞳がニオと、その腕の中のドラグとに向けられる。


「よっ、と」


 ピクリとも動かない大顎竜の上から飛び降り、素足でスタスタと二人に歩み寄った。


「——まったく、エルフどもがうるさく騒ぐんで様子を見に来てみれば——余がおらぬとすぐにこのザマじゃ、世話の焼ける駄犬じゃのー」


「姫さま——」


 助けて、と、言いかけたニオの口元へ姫さまの可憐な指先が触れて黙らせる。


 姫さまはニオに抱き締められたままのドラグの傍らで膝立ちになり、正面から抱きつく形で、小さな牙を覗かせながら、彼の首元のたてがみへと顔を埋めた。

 獣毛の奥でドラグの首へと牙が突き立てられる。

 直後、失われた足の再生が始まり、ものの十秒もかからずに、黒い獣毛に覆われた獣足が元通りに復元した。

 ドラグが僅かに呻いてその目を開く。

 その目が始めに映したのは、背を向けてスカートの埃を払う白い少女の後ろ姿だった。


「——姫さん」


「——ふん、すっかり埃まみれになってしまったのじゃ——ほれ、ちゃっちゃと帰って皆で風呂じゃ」


「はいニャ!」


 ニオが抱いていたドラグを地面へと転がして元気良く立ち上がる。

 そこで本来の目的を思い出した。


「——あ……姫さま、ニオはもうちょっと帰れないニャよ……」


 振り返った姫さまの青い瞳がニオを映す。


「ちょっと、探してるものがあるニャ——」


「——これか?」


 胡座をかいたドラグが、ローブのポケットから取り出して見せたのは手のひらにいっぱいのシロプーの実だった。



 ——————



 翌日、お屋敷の厨房。

 舞散った粉で真っ白になった厨房で、粉まみれになったニオが、一人ぐぬぬと唸っていた。

 床には盛大にぶちまけたケーキの生地。

 微かに震える手にはボウル。

 中身は、どうにか死守した僅かな生地。

 ニオの瞳には涙が滲む。

 

 ——レシピ通りに作った生地は全然甘くなくて、もっと蕩けるような甘さを、と、ニオが頭を捻り、思いついたのはシロプーの果汁を生地に練り込む手法だった。

 それが想像以上に良い感じに嵌った。

 まだ焼く前の生地は、ちょっと舐めただけで頬が溶けて落ちちゃいそうなほど甘くて、姫さまの蕩ける笑顔が目に浮かぶようだった。

 嬉しくなったニオは上機嫌に鼻歌を歌いながら作業を進め、盛り上がった所で華麗にターン。

 振り回された尻尾が作業台の上の全てを薙ぎ払い——大惨事を引き起こした。


 残った生地は僅か。

 僅かだが生き残った事は僥倖だ。

 量にして小さな焼き型の二つ分。

 小さいのを二つ作って姫さまと一緒に食べようか。

 それとも一回り大きいのを作って姫さまになるべくたくさん召し上がってもらおうか——。

 一応、クソ犬にも分けてやる予定はあったのだが、残念ながらその余裕は無くなった。


 長く悩んで、ニオは——。



 ——————



 自室のドラグがベッドに腰掛け読書に耽っている。

 突然、部屋のドアが無遠慮に蹴り開けられた。


「クソ犬ー!」

 

 飛び込んで来た元気な声に、ドラグが手元の本から目を上げた。

 お盆を掲げたニオがズカズカと乗り込んで来る。

 突きつけられた盆上には、クリームのたっぷり載った小さなケーキ。


「——つ、作り過ぎて余ったから……仕方ないからオマエにもくれてやるニャ、良く良く感謝して食うが良いニャ」

 

「——ああ」


 ドラグが盆上のケーキを皿ごと受け取り、小さなフォークを手にする。

 エプロン姿のニオは頭から尻尾まで小麦粉塗れで、頬にはクリームをくっつけて——その悪戦苦闘ぶりを物語る様だった。

 そのニオの目がドラグの左足に向けられる。


「オマエ、足は何ともないのニャ?」


「ああ、おかげさんでな」


 ドラグの怪我を姫さまが治す、と言う場面は何度か見てきたが、まさか失った足まで生えてくるとは想像しなかった。

 

 ——さすがは姫さま、規格外のお力ニャ。

 

 そんな事を思うニオの前でドラグがケーキを口に運ぶ。

 ニオは無意識にドラグの口の中に消えるケーキを目で追っていた。

 

 ドラグが眉間に皺を寄せてグッと奥歯を噛み締める。


「——おま——」


「ど、どうニャ?」


 ニオが空のお盆を胸に抱きながらドラグの顔を覗き込む。

 その目に浮かぶのは緊張と不安と——期待。

 それを見つめ返して、ドラグの眉間から険が消える。

 ふ、と一息ついて、ドラグは柔らかに口角を上げた。


「——美味いな」


 そう言いながら、残りのケーキを一口に食べ切る。


 ニオの表情がぱあっと華やいだ。


「あっ当たり前ニャし! 美味いの当たり前ニャし!」


 ピンと尻尾を立てて、今にも小躍りしそうな勢いのニオを眺め、ドラグが目を細める。


「——じゃ、姫さまにもあげて来るニャ!」


「えっ!?」


 思わず声を上げたドラグの手元から空の皿とフォークが奪い取られ、ニオが軽快な足取りで部屋を出て行く。


「気が向いたらまた作ってやるニャ!」


 と言う言葉とウインクを残して。


 半人猫の去ったドアを眺めて、ドラグは悩ましげに首の後ろを搔いた。



 ——————



「——姫さまー! ケーキ作ったニャー!」

 

 と、ニオが上機嫌で献上して来た小さなケーキを、フォークで切り分け、一口。

 次の瞬間、こふ、と小さく咳き込んだ。

 その味の衝撃に目を見開き、思わずニオへと目を向ける。

 見つめて来るニオの目に浮かぶのは、自信と期待——。

 空のお盆を胸に抱いて、キラキラと瞳を輝かせ、尻尾を振り振り。


「——う、美味すぎてちょっとむせちゃったじゃの——」


 笑って誤魔化しながら、もう一口。

 クリームやフルーツの甘さが一瞬だけ口に広がり、次の瞬間、猛烈な苦味のスポンジが全てを上書きする。


「——くぅ——」


 つい漏れてしまった声を誤魔化すように、明るい声を続ける。


「——め、めちゃウマっ! めちゃウマじゃぞニオ! あー、美味しいなー、ニオのケーキめちゃウマじゃなー!」


 気持ちを奮い立たせて残りのケーキをパクパクと口に運ぶ。

 何度もむせそうになるが、気合いで堪えた。


「ニャフフ、良かったですニャ!」


 ニオは本当に嬉しそうに満面の笑顔で——このケーキが彼女のイタズラと言う訳ではない事は疑う余地も無かった。


 ニオが完食した皿を下げ上機嫌に鼻歌交じりで立ち去るのを見届けて、テーブルへと突っ伏した白姫の元へ、今度はドラグが姿を現した。


「姫さん——その様子だと、もう食ったんだな」


「そなたもか……」


 テーブルに上体を投げ出して顔だけ上げた白姫は、ドラグと顔を見合わせ、お互いに苦笑いを浮かべた。


「ニオのイタズラかと思うたわ」


「——俺もだ」


 再び苦笑いを向け合って、白姫が、ふ、と息を吐いた。


「——良いか、ニオが次のケーキを作っちゃう前に何とかするのじゃ、どうやら今回は味見をせなんだ様子——次、ちゃんと美味いのを皆で食えれば大団円じゃ、そうじゃな?」


「ああ」


 ドラグが大きく頷いた。



 ——————



 キッチンの掃除にすごく時間がかかって——夕刻。

 ニオの姿はエルフたちの集落にあった。

 ルルィエと今回のケーキの話に興じ、やらかしを面白おかしく語りつつ、シロプーの果汁を生地に混ぜ込む手法を自慢げに話す。

 するとそれを聞いていたルルィエがアーモンド型の目を大きく見開いた。


「えっ!?」


「え?」


 お互いに顔を見合わせる。


「ニオ、シロプーはそのままだと甘くて美味しいけど、火を通したらすっごく——めちゃくちゃ苦くなるんだよ? 味見はしなかったの?」


「え、そんなの知らないニャし——姫さまもクソ犬も美味しいって言って——」


 脳裏に過ぎったのは、一瞬顔を顰めたクソ犬と、軽くむせてた姫さまの姿。


「あー……」


 やってしまった……と、沈みかけた心を、ケーキを食べた後の二人の優しい笑みが支えて持ち上げてくれた。

 なんだか嬉しくなって口元が綻ぶ。


 そんなニオの表情の変化を見て、ルルィエが目を細め、御屋敷の白い威容を見上げた。


「——姫様も黒狼様も、すごく良い人」


「——そうニャね」


 ニオも御屋敷を眺めて目を細める。

 

「次は完璧なケーキをお見舞いしてやるニャ」


 深い緑の中に聳える白い巨館は、夕陽を浴びて以上にキラキラと、ニオの瞳に輝いて見えた。


 


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