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君に伝えたい

 



「アルフォンス様!」


 悲鳴のような声が聞こえたが、俺は顔を上げることはできなかった。

 握りしめた両手が真っ赤に染まっている。彼女の、血だ。

 胸が苦しい。腹もくるしい。喉が詰まって、息ができない。頭も痛い。けれど、そんなことはどうでもよかった。


「ああ、アルフォンス様、ご無事ですか? お怪我はありませんか?」


 すわっている俺の膝下に手をおいて、下から見上げてくる姿が視界を奪う。

 一瞬、彼女に見えた。けれど、すぐに違うとわかる。

 瞳の色が違う。髪の色が違う。化粧が違う。表情が違う。声が違う。仕草が違う。全てが違う。


「俺は、いい、それよりクリスティアが」

「アルフォンス様がご無事で何よりです」


 安心したようにセレスティアがため息をついた。


「何より? 君の、姉が刺された。意識が戻らない。血を流しすぎた。それに、刺された場所も悪い」

「ああ、そうなのですね」


 セレスティアが悲しそうに眉を顰める。けれど、本当に悲しんでいるようには見えない。この娘はいつもそうだ。本心が透けて見える。言動と合わない。

 それは姉であるクリスティアもそうだ。

 いつも、彼女が口にする言葉には、こころがこもっている。なのに、表情が伴わない。でも、2人は決定的に違う。

 姉は無表情だが、本心は優しい。

 妹は表情豊かだが、本心は冷たい。


 初めは、愛する人とよく似た面差しで笑う彼女が好ましかった。けれどだんだんとその本心が見えるようになると、恐ろしい女だと言うことがわかった。

 距離を取ろうとしていた。そんな時だった。


 

「セレスティア嬢と婚約してはどうか」


 そう、父が言ってきたのは。

 驚く俺に、すでに打診はしたと言う。そんな話は聞いていない。そんなことは許してない。反発する俺に、父は言う。


「お前たちは、愛しあっているようには見えない」と。


 言葉を返せなかった。

 言われた通りだった。

 だってどうしても彼女の口からそれらしい言葉がないのだ。そして自分も、初めは言っていた。でも反応がないことを知ると、少しずつ言えなくなった。

 共にいるのが辛くなった。

 反応がないのが恐ろしくなった。

 だからセレスティアが近づいてきたとき彼女の接触を許してしまった。

 それがこんなことにつながったのだと思うと、自分が愚かで仕方がない。



 ああ、だけど、だけど。


『アルフォンス様。ご無事ですか?……』


 ああ、君のおかげで無傷だ。でも君がっ。


『よかった。まもれて、よかった』


 しゃべってはダメだ。医者が来る。まってろ。大丈夫だ。


『聞いてくださいな』


 しゃべってはだめだ。傷が、クリスティア!


『あのね……あのね。……私、あなたのこと』



『愛しています』




 確かに、そう言ったんだ。

 だから。


「アルフォンス様?」

「セレスティア、君とは婚約はしない。クリスティアと婚約破棄もしない」


 今、それを言うべきかはわからなかった。けれど、答えはとうに決まっていて、変わるわけがなかった。


「そんな、どうしてっ、私たち愛し合っていたじゃありませんか!」

「いいや、愛してない。俺は俺は、クリスティアを愛している」


 カッとなったようにセレスティアが立ち上がった。


「死んでしまいますよ! あれは!」

「だとしても!」


 俺は叫んだ。セレスティアの声を遮るように叫んだ。


「だとしても」


 だとしても。


「クリスティアを愛してる」









「本当、ですか?」




 か細い声が聞こえた。

 はっとして顔を上げる。わずかにひらいた扉から、医者が顔を覗かせていた。その向こうに、たしかに、クリスティアと目があった。


「クリス!」


 叫んで、俺は目の前のセレスティアをふりはらって駆け寄った。

 治療のためドレスは脱がされ、柔らかな布がかけられていた。それの下には痛々しい傷があることがわかっている。


「お怪我は、あり、ませんか?」


 最初のセリフがそれだった。

 俺はたまらなくなって、目を閉じる。

 

「クリス、ティア」

「……は……い」

「すまない。すまないっ」

「……な、ぜ、謝る、のですか?」

「俺のせいだ。君は俺を庇って……。それにあの男は俺を狙っていた」


 おそらく公爵家に恨みを持つ者だ。公爵家は多くの貴族たちの頂点にたつ貴族でもある。多くの者たちがその下で歯噛みしていただろう。中にはそれで不幸になった者もいるだろう。そして、その公爵の地位はいいずれ俺が継ぐことになる。

 ああ、そういえば、俺の地位を快く思わない者もいるだろう。

 学園に通っていた時に恨みを買ったのかもしれない。あるいは弟? 父の兄?

 わからない。

 なんにしても、クリスティアが刺されたのは間違いなく俺のせいなのだ。


「おきに、なさらずに」


 はっとする。


「アルフォンス様は何も、悪くはありません。だって、あなたは、優しい人、だから」


 優しい。

 そんなことはない。

 そうだろう? 君との仲に悩んで、結局君の妹に近づくような男なんだから。


「それ、より」

「……なんだ?」

「さっきの、言葉……」


 ああ。


「ほんとう、ですか?」


 いいのだろうか。こんなに優しい人に、こんなに優しい女性に、自分の気持ちを押し付けていいのだろうか。

 だが、同時に思い出す。

 倒れた彼女が口にした言葉を。


『愛しています』


「愛してる」

 

 クリスティアの目が見開かれる。

 ああ、彼女が伝えてくれないから、答えてくれないから、と口にするのを恐れていた自分が愚かにもほどがある。

 でも伝えられた。


「愛している」


 伝えられたんだ。

 

 クリスティアの表情が少しだけ、少しだけ微笑んだような気がした。



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