冗談じゃないよ
アルフレッド視点です。
勝負がついた時には辺りは真っ暗になっていた。
「あぁ、疲れた。」
そう言って服に着いた埃をはらいながら,首をひねるレニアスの後ろ姿に「嘘つけ」と心の中で毒づく。家に入るとランプの明かりが目に染みる。もちろん、ささやかなお茶会はとうに終わっていて、呆れた顔のシューと心配そうな姫がキッチンにいた。レニアスの後から文字通り這って家に入った私の姿をあまり見ないでほしい。
荒い息を無理やり宥めながら,床に寝転がる。女性――しかも武器を持たない――を相手に剣を振るうことに戸惑っていた自分の思い上がりが心底くやしい。最初から最後まで良いようにあしらわれてしまった。途中からほとんど本気で剣を振るっていたのにかすりもしなかった。それどころかレニアスは攻撃らしい攻撃をしてこないのに何度も体勢を崩され地面に転がされた。上には上がいる。今ほどそれを感じた事は無い。
今までだって強いと思う相手はいた。ただで近衛騎士であった訳ではない。主を守る為に体も心も鍛えてきたつもりだ。厳しい訓練も命がけの危険も乗り越えてきた。でもそれはレニアスの前ではなんの意味も無かったのだ。床に寝転んだまま天を仰いだ。レニアスと戦って勝つのは、寝転がったまま天井に触れるよりも難しいように思われた。
「さ、アルフレッドもご飯だよ。」
息も整った頃、シューが私を呼んだ。レニアスと姫は席についている。
「すまない。無理だ。今は食べられそうに無い。」
無力感に胃を握り潰されそうで、食欲など無い。本当ならしばらく皆の居るこの部屋には入りたくなかった。勝負に勝ったレニアスが勝利の対価として「寝るまでの時間,皆と共に居ること」を望んだから仕方なくここに居るだけだ。食事は3人でとってくれと言おうとた時,
「だめだよ、アルフレッド。食べれる時には食べなきゃ。」
驚いたことに,シューから叱咤が飛んできた。
「レニアスに負けたぐらいが何さ。怪我もしてない無いのに苦しんじゃって。レニアスなんか腕がもげそうな時でもご飯だけはちゃんと食べてたよ。浸ってる間があるなら食べて体力つけなきゃ、いつまでたっても指先すらかすらないよ。」
「やだ、シュー。それじゃあ私が世紀の食いしん坊みたい……」
「レニアスは黙って。」
「あ、はい。」
茶化そうとしたレニアスはピシャリと叱られて口を閉じた。シューの意見は正論で,私はぐうの音も出ない。シューに突きつけられた自分の甘えた思考に驚く。どうして私は気持ちが乗らなければ食事をしなくても良いと思っていたのだろう。体は空腹を訴えている。様々言い訳を並べたって,これでは勝負に負けて拗ねている子どもと変わらない。
「そうだな。悪かった。」
だから立ち上がって食卓に着く。負けは負け,今はそれを受け入れて食事を取るのが正解だ。
「分かれば良いんだ。」
シューは私の肩をポンと軽く叩いてから席に着く。いつの間にか,食卓は暖かい湯気が立ち込めていた。嬉しい時も悲しい時も、喧嘩してもすれ違っても気まずくても、勝負に勝っても負けても可能な限り皆で同じ食卓を囲むのだ。それはきっと強さの礎になる。
「いただきます。」
短い祈りとともに感謝を捧げて、和やかな食事がはじまる。
「なんか、お風呂に入りたいわね。」
食事を終える頃、レニアスがおもむろに言い出した。
「あぁ、良いですね。」
シューはすぐさま頷いている。この家に来て以来,風呂には入っていなかった。朝は水で顔を洗い、夜は濡れタオルで体を拭っていたがそれだけだ。いくら丁寧に拭いても髪のべたつきが気になっていたが居候の身で贅沢を言うのは憚られて、風呂については聞けないでいた。姫は城では2、3日に一度風呂に浸かっていただろうし、貴族である私の家にも風呂はあったが、多くの一般家庭と同じように魔女の家にも風呂は無いのだと思っていたのだ。
「風呂があるのか?」
姫は思わずといった様子で立ち上がる。
「あるよ。もちろん、自分たちで沸かさないといけないけど。」
シューの言葉に姫は満面の笑みで頷いた。
「するっ!手伝う!」
「あら、ヴィティはお風呂が好きなの?」
「うん。大好きだ!」
「そうなの。もっと早く言ってあげれば良かったわね。子どもはお風呂嫌いかと思ってたわ。そうと決まれば行くわよ。」
レニアスが立ち上がると皆も同じように立ち上がった。
「僕は片付けしてからで良い?」
「えぇ。おねがい。」
シューは台所に残り夕食の片付けをすると言い、3人で家の奥に向かう。廊下の突き当たりのドアを出ると家の裏側に出る。すぐに厠があり、それを通り過ぎて少し進むと生垣に囲まれた小屋のような建物がある。厠の奥には行ったことが無かったから、こんな建物があるとは知らなかった。
「ここがお風呂よ。」
ドアを開けると入り口は土間になって居て、その奥は一段上がった板の間だ。レニアスが土間で靴を脱いで上がるので私と姫もそれに習う。ヒヤリと冷たい木の床の滑らかな感触を感じながら,灯りを灯すのを待った。
家ではランプを使っているのだが、この風呂小屋ではロウソクを使うらしく、オレンジ色の灯りが部屋の隅で揺らいだ。灯りをたよりに部屋を見回すが、三畳ほどの小さな部屋に腰高のチェストと背もたれの無い丸イスが置いてあるだけだった。
レニアスは奥に続く扉を開ける。一段下がってタイル張りの床があり、その奥に高さの違うバスタブが2つ埋まっていた。
「2つもあるのか!」
姫は喜びの声を上げた。独特な形の浴槽は私も見たことが無いものだった。
「入るのはこっちだけよ。高い方で沸かして、低いほうで入るの。」
レニアスが姫に使い方を説明するが、うまく想像できなかった。戸惑う私達をよそに,レニアスはバスタブの蓋を開けると中が汚れていない事を確認した。
「このお風呂も小屋も私が作ったのよ。ちょっと他所では見ない形だけど、使い方覚えてね。この小屋は屋根の上に雨水を貯めるようになっていてね、その水を使うの。天井裏の栓を開けばすぐ水が出るわ。」
そう言いながらバスタブの栓を閉め、壁についているハシゴを登ってその上の天井を押し上げた。そのまま天井裏を覗き込んで片腕を伸ばした。ほどなくして、壁に取り付けられた筒から水が流れ出てきて、高い方のバスタブに溜まって行く。
「すごいっ!」
「便利なしかけだな。」
目を輝かせる私達にレニアスは自慢気に微笑んだ。
「まぁ、雨が降らないと使えないんだけどね。」
一応謙遜してみせるが、家の設備を褒められて嬉しいのは隠せていない。バスタブ1つを、いっぱいにするとそこで水を止める。
「さ、薪を運ぶわよ。」
薪を取りに行くと、今度は風呂小屋の裏に回った。ちょうど水をためたバスタブの下にかまどがある。
「このかまどで火を炊くと中の水が温まるしくみなの。」
レニアスは手早く木を組むと火をつけた。メラメラと勢いよく燃えるのは樹皮だろうか。良い勢いで薪に火がついて行く。
「じゃあ。薪の補充お願いね。釜が温まれば、あとは早いから。沸いたら今日は特別、一番風呂はあなたたちに譲ってあげるわ。」
レニアスの言葉に姫と私は顔を見合わせた。あなたたちと言うことは、2人で入れれと言う事だろうか。
「いやいや、ま、まてっ。」
火の番を、任せて家に戻ろうとするレニアスをあわてて呼び止める。
「うん?何か分からないの?」
首だけで振り返ったレニアスの肩を掴んで体ごと振り向かせる。
「私と姫が一緒に風呂などと、冗談であっても無神経だぞ。」
私の言葉にレニアスはキョトンと目を瞬かせた。
「冗談じゃないよ?」
「なら、なおさら悪い。いくら子どもと言えど、女の子なんだぞ。」
私は勘の悪いレニアスに内心首を傾げた。女性が肌を見せる異性は夫だけであるべきだというのはこの辺りの国では共通した認識だ。たとえ父親であっても男が女の子を風呂に入れたりはしないのが一般的だ。
「だってヴィティは1人でお風呂に入った事ないでしょ?誰が教えなきゃ。それに案外深いから誰かが見ないと危ないわ。」
「私ではだめだろう。」
「じゃあ、誰ならいいのよ。」
本当に分からない様子のレニアスを指差した。失礼な態度だが,ビシッと指をささなければ気が済まなかった。なぜかビックリした顔のレニアスは姫を見るが、姫も私の意見が正しいというようにしきりに頷いている。女同士の方が気兼ねなく入れるだろう。
「……ふぅん。わかったわ。」
レニアスはまだどこか納得いかない様子でそれでも一応頷いてみせた。
「じゃあ、用意してくるから、火の番お願いね。」
そういう背中を見送って、私は安堵のため息をついた。
やっと,のほほんとした生活がはじまりました。楽しんでいただけたら嬉しいです。