お礼もまだ早いのよ
レニアス視点→ヴィティ視点です。
「寝たの?」
「うん。僕の部屋に寝かせてきた。」
「随分早く効いたわね。」
「疲れ果てていたみたいだよ。」
シューの言葉にうなづきを返して、レニアスはベッドの上の男に視線を戻した。正直、ビックリするくらい状態が悪い。肩、脇、足の切り傷はまだいい。血を流し過ぎているがそれも何とかなる。
問題なのは服を脱がした時に発見したふくらはぎの小さな傷。針で刺したような虫刺されのようなそれは毒を使われた跡だった。傷だらけの体の中からその傷を見つけられたのはレニアスだからこそだ。
魔女と呼ばれるようになってからどのくらい経つだろうか。もともと薬師だったが、初めからただの薬師では無かった。師匠はいわゆる陰の者で、暗殺者や諜報員が使うような武器でできた一般的な戦傷とは違う傷を見るための特別な教育を受けてきた。そのレニアスでさえ傷口を見つけられたのは幸運だった。
手の込んだ毒らしく傷口に気づかなければ手遅れになるまで発見できなかっただろう。普通の医者が見ていたら患者が死して尚、毒に侵されているなどと気づきもしなかったかもしれない。戦闘用の武器にわざわざ遅効性の毒を仕込んでいることに意地の悪さを感じる。この患者の敵は人を苦しめる事を目的とするような、ろくでなしらしい。
「シューあなたは血に触らないのよ。とりあえず肩と足の傷を縫うわ。」
「はい。」
外傷は塞げる。解毒も難しいができるだろう。ただ、この男が目覚めるかどうかは彼自身の生命力にかかっている。既に毒によって壊されている体の細胞を自己治癒力で再生するのが先か、彼の体力が尽きるのが先か、賭けのようなこの勝負に加えられる手は少ない。
レニアスの指示で、シューはテキパキと治療の準備をする。最近ようやく役に立つようになってきた。10歳の割には手際も物分りも良いとは思うが、それを誉めたりはしない。弟子の成長に満足していては師匠は務まらないのだ。
「やっかいなものを拾っちゃったのかしらね。」
レニアスは独りごちる。
捨て子を拾うのは珍しいことでは無い。魔女には明確なテリトリーがあるのだが、それを知る人は少ない。たまにテリトリーの中に子どもを置き去りにする不届き者がいるのだ。気まぐれにそんな子を拾って育てたことが数回ある。シューも小さいころに拾われてここにいる。
ヴィティと出会った場所はレニアスのテリトリーのぎりぎり外だ。街から家へ帰る途中だった。自分しか知らないはずの道とも言えない道に座り込んでいた幼い少女。ほったらかして通り過ぎる選択肢は初めから無かった。たぶん、一目見た時にその瞳に吸い込まれたのだ。光に透ける森の木々と同じ緑色の瞳。
家に連れて帰るつもりで声をかけた。だが、彼女が助けを乞うたのは自分のためでなくこの男のためだった。
魔女が無償で助けるのは行き場の無い子どもだけでないといけない。少なくともレニアスはそう決めている。働きには対価を――それは大人の世界を上手く回すために、どうしても必要な決まりだ。大人を気まぐれに助けるのは自分の首を絞める行為だとレニアスは知っている。しかし、ヴィティの依頼を断ることは出来なかった。自分でも甘いことをしたものだと呆れる。だがら先のことを考えるのは後からでいい。
「とりあえず、引き受けちゃったからねぇ。」
これもまた星の導きなのだと納得することにした。今は目の前の男を生かす為に全力を尽くすだけだ。
ヴィティが目を覚ますと、見慣れない部屋に居た。本や植物で埋め尽くされた棚と机とベッドしか無いような、雑然としながらも機能的な部屋だった。いつの間に眠って、どれだけの間眠り続けたのだろう。体の節々が痛かった。
それをほぐすようにゆっくりと伸びてから立ち上がると、少しふらつくものの十分に歩けるようだった。部屋を出ると左手に外に続く扉があり、右手に廊下が続いていた。迷わず右に進む。すぐに柔らかな光が差し込む大きな部屋についた。いい匂いが辺りに広がっている。匂いの元はすぐに見つかった。キッチンでシューが鍋をかき回していたのだ。
「あの……っ」
声をかけようとして、発した声が聞きなれた自分の声とは程遠いものだった事にびっくりした。ガラガラに枯れている。
「あぁ。起きた?」
シューはヴィティに気づくと水差しとグラスを用意し椅子に座るように促した。
「はい。ゆっくり飲んで。お代わりは自分で注げる?」
「あ、はい。えっと、たぶん。」
飲み物を自分でグラスに注いた事がない。今まではすべて侍女や給仕がしてくれていた。
「たぶん?自分でやった事ないの?」
心底驚いているシューに頷きを返すのは何だか恥ずかしかった。
「じゃあ、それ飲み終わったらやってみて。簡単だから。」
シューはそう言い残して慌ててキッチンに戻った。作りかけの料理が気になって仕方がないといった素早さだ。ダイニングとキッチンはカウンターで仕切られていて壁がない。調味料や調理器具がところせましと並んでいる隙間から、シューの姿を眺めることができる。それが、今はなんだか心強い。
「レニアスはもうすぐ帰るよ。そうしたら3人でご飯を食べよう。野菜たっぷりのポタージュスープを作ったんだ。」
「あなたが作ったんですか?」
「うん。僕のことはシューでいいよ。敬語も無しで良い。」
「シュー……?」
「そうそう。」
話しながら、コクリコクリと水を飲む。喉が渇くを通り越して体が渇いていた。一口ずつ体に染み渡っていく。普段一気飲みなどした事がないのに、体が求めるままにコップを傾けた。喉が十分潤ったところで、ふとアルフレッドの事を思い出した。
「あのっ、アルフレッドは?」
寝ている間に死んでしまっていても不思議はなかった。見知らぬ人に助けを乞うておきながら、彼の安否を確認しないまま気を抜いて寝てしまった自分がものすごく情けなかった。起きてから一瞬忘れてしまっていた事にも申し訳なさがつのる。
「あぁ、彼ならまだ眠っているよ。」
シューがこちらを見ずに返事をしたから、どうしようもなく不安が膨らんだ。あわてて、アルフレッドが寝ているベッドに急ぐ。
玄関脇のベッドでアルフレッドはピクリとも動かず眠っていた。汚れも血の跡も綺麗にふかれて、服は脱がされているらしく体の至る所に包帯が巻かれているのがシーツ越しに確認できた。こんなに傷ついていたのかとヴィティの視界が滲む。想像以上に傷だらけだった。
いつの間にか隣に立っていたシューが遠慮がちにヴィティの頭を撫でながら、アルフレッドの状態を説明してくれた。必要な処置は終わっていて、目覚めるかどうかは本人の体力や回復力にかかっているとの事だ。
「とりあえず今はこの熱が下がるように看病するしか無い状態。」
そう促されて頬に触れるととんでもなく熱かった。シューはおでこや首筋に置いてあったタオルを絞り直して元の位置に戻すと、枕元のカップを手に取り浸してあったハンカチのようなものでアルフレッドの唇を拭いた。
「こうやって、時々タオルを変えたり水や薬を飲ませたりしてあげるくらいしか、することは無いよ。」
「私も看病します。」
「そうだね。レニアスに相談してみると良いよ。」
頷くとシューはもう一度、私の頭を撫でてキッチンに戻った。出会ったばかりなのに、彼に頭を撫でてもらうとほっとする。
しばらくベッドの脇に立ちアルフレッドの様子を眺めていると、レニアスが帰ってきた。
「あら。起きたのね。体におかしな所はない?」
レニアスはベッドの脇に用意されていた桶で手を洗いながらそう尋ねた。
「はい。すみませんでした。そして、アルフレッドをありがとうございます。」
「謝る必要はないわ。そして、お礼もまだ早いのよ。」
そう言いながらレニアスは私のおデコにそっと触れる。ひやりと冷たい指先の感触にぴくっと身体が震えたが、レニアスにされるがままにじっと耐えた。
「うん。大丈夫そうね。2、3日はゆっくり休みなさい。お腹はすいている?」
「いえ……。」
「それでも少し食べないとね。丸一日以上眠ってたんだから。シュー少し早いけど出来てる?」
「うん。大丈夫ですよ。」
丸一日以上寝ていたと聞いて驚く私をよそに、魔女の師弟は夕食の用意をはじめた。
「ほら、あんたも手伝いなさい。」
そう促されてビックリする。けれどもすぐにそうかとも思う。ここは城では無いし、二人は使用人ではないのだ。レニアスの言葉にコクリと肯いた。
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