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こっちだよ

 洞窟を出てから、アルフレッドに教えられた通りに進もうとした。けれど馬に乗れなかった。単純に背が足りなかったのだ。かろうじて木から手綱を外すことはできたけれど、鐙に足が届かない。台になるような物も無く、仕方なく手綱を引いて歩き出した。

 しばらく歩くと馬が立ち止まってしまった。手綱を引いても腹のあたりを叩いても全く動こうとしない。相当疲れていたのかもしれない。どうあがいても動かない馬の手綱を離すと、私も木にもたれて座り込んだ。ひたすら疲れていて、一歩も動きたくなかった。

「少し休もうか。」

歩き出さなければいけない事はわかっていたから、罪悪感から馬に語りかけてみた。けれど馬は返事なんかしない。緩慢な動きで足元の草を食んでいる。日は徐々に高くなり辺りにはキラキラと木漏れ日が落ちていた。静かで平和な森の中。しっかりしなくてはと思うのだけど、気力がわかない。


 命をかけて自分を護ってくれたアルフレッドを見捨ててきたことが胸を重くしていた。まだ息はあったのに、何もできなかった。せめて苦しまないように情けをかけるべきだと分かっていたけれど、それも出来なかった。私に苦しまないように人を葬る腕があるかという問題はさておき、何より目の前で人が死ぬのが怖かった。王族としての教育なんて、覚悟が伴わなくては役に立たない。

 その上、このまま目的地にたどり着けなければ、彼を最後の使命をやり遂げられなかった騎士にしてしまう。それではあまりにも彼が報われない。そう思うのに立ち上がることができない。

 鬱々とした心の中とは裏腹に肌をなでるそよ風はふわふわと軽い。小鳥のさえずりに耳を傾け、木漏れ日を眺めていると時間の感覚は途端におかしくなってしまった。つい先ほど休み始めたような、ずっとこうしているような。どうしてこんなところに居るのかと不思議に思う。

 反乱が起きたら死ぬのだと思っていた。昨年から学び始めた帝王学の先生は王は常に国とあるのだと言っていた。まだ立太子されていないとは言え、王の一人娘で、いずれは女王となる予定の私も常に国と共にあるべき存在だと。だから、国が亡びる時、王家の者は皆亡びなければならないのだと思っていた。けれど、私は王家の血を残すという大義名分を持って必死に反乱軍から逃げている。

 私を逃がしてくれたネージュ様はやはり王族として処刑されてしまうのだろうか。反乱の予兆を感じた彼女は私を逃がすために手を尽くしてくれたけれど、自分が逃げることは小指の先ほども考えていない様子だった。彼女は王妃だが、後妻だ。イーリス王国の王族として暮らしたのはたった3年間だけで、私よりも短い。それでも彼女は自分の役目を確信しているようだった。


 ぼんやりと足を投げ出して座っていると不意に目の前に影が落ちた。いつの間にか馬はどこかに走り去ってしまっていた。歩けないのでは無かったのかという恨み言を口にする余裕は無かった。


――見知らぬ人が立っていたからだ。




 目の前に立つ人は黒いローブを目深にかぶっていて私の位置からは顔がみえなかった。年も性別も分からない。フードの隙間から飛び出した赤い髪がやたらと目につく。思わずアルフレッドにもらった短剣を握りしめた。

「どうしたんだい。」

 声からも若いのか歳をとっているのか、男か女かも判断出来なかった。とっさに何も答えられない。これは誰だろう。追っ手でないのなら、こんな森の深いところで何をしているのだろう。ちらりと確認した限りでは獣を撃つ銃もキノコを入れるかごも持っていないようだ。

「捨てられたにしては毛艶が良いわね。」

 真っ黒のローブは猫でも評するかのような気楽さでそう言った。私は黙ったままでいた。追っ手では無さそうだと思ったが、何と話しかければいいのか分からなかった。

「何歳?」

 私の戸惑いを感じとったのか、簡単な質問が投げかけられる。

「6歳。」

私も簡潔に答えた。

「家は遠いの?」

「遠い。」

「親はこの辺りにいるの?」

「いない。」

「家には帰れるの?」

「帰れない。」

 ローブの中の顔は赤い髪にほとんど隠れているけれど、目を見つめられている気がして、私も目があるだろう辺りをじっと見つめ返した。しばらくの沈黙の後、はぁーっと大げさなため息が聞こえた。

「助けて欲しかったらちゃんと自分で言わなきゃダメよ。」

 私をたしなめるかのような言葉に一瞬息をのむ。

「助けてくれるの?」

「あなたがそれを望むならね。」

 その返事を聞いて、私は勢い良く立ち上がった。警戒心は呆気なく抜け落ちて、コロコロと足元に転がっている。短剣を離さなかったのは護身の為では無くて、アルフレッドに返す為だ。

「助けて下さい。お願いします。」

 そう言うと返事も待たずにローブを引っ張って森の奥に向かった。



「どこに行くのよ。」

引っ張られるままに歩きながらローブの人が不思議そうに尋ねた。

「アルフレッドを助けて下さい。」

 そう返事をして一心不乱に前へ歩いた。無力な自分が諦めるしか無かったアルフレッドの命をこの人ならつなぎとめてくれるかもしれない。根拠は無いがそう信じた。

 もう一歩も動けないと思っていたが,案外歩ける。ただ、体力がもうほとんど残ってなかったのは事実で、急ぎたい気持ちとは裏腹に足が重くて幾度となく枯葉や木の根に躓いた。それを忌々しく思っていると不意にふわっと体が宙に浮いた。ローブの人に持ち上げられたのだ。そのまま腕に乗せられて視界がグッと高くなる。

「いいわ。このまま案内しなさい。私はレニアス。あなたは?」

 私を抱き上げた反動でフードがはらりと落ちる。真っ赤な髪はあちこちにはね、ふわりと大きく膨らんだ。少し吊り上がり気味の切れ長の目は紫色の濃いアイシャドーに彩られていた。スラリとした鼻梁に細いあごのラインはとても整っているのに、真っ赤な口紅を塗られたツヤツヤの唇ばかりに視線を取られる。

「ヴィティ・イ――……いえ、私はヴィティです。」

 私の答えにレニアスはニコリと笑って頷いた。


 しばらく歩くとアルフレッドのところに着いた。驚いたことに,いなくなったと思っていた馬は洞窟の入口で当たり前のように草を食んでいる。重い体を引きずるように歩いていた時は気が付かなかったがちっとも進んでいなかったらしい。馬はこちらに気が付くと、興味なさげに一瞥してからまた足元の草に口を寄せた。

 アルフレッドは洞窟の中で別れた時の姿のまま倒れていた。レニアスは手早く応急処置を施した。その手つきに戸惑いは無く、ケガの治療に慣れているように見えた。レニアスは危なげなくアルフレッドを担いで洞窟の外に出ると,落ちないように馬の背中にくくりつける。手綱と私の手をひいて森の奥に向かって歩いた。




 レニアスの家は森の奥にぽつんと建っていた。緑の屋根と黄茶色の壁は驚くほど森に同化している。

家に着くとすぐさまレニアスは人を呼んで、玄関近くにアルフレッドの為の寝床をこしらえさせた。ベッドを用意してくれたのは私よりいくらか年上の少年だ。金色の巻き毛とくりっとした青い目の天使の肖像画みたいな容姿の男の子。レニアスは彼をシューと呼ぶ。

「シュー。外に馬がいるから面倒みてあげて。あと、その子にお茶でも入れてあげて。ラーブの葉とモミルの花がいい。」

「はい。」

 シューと呼ばれた少年は一度外に出てから,すぐに戻ってきた。目の前に立つと何も言わずにニコッと笑顔を作る。正面から見ると彼の造作はすばらしく左右対称で人形のように整っていることがわかる。

「こっちだよ。」

 私の手を引いてダイニングに案内してくれた。


「あのっ、何かお手伝いを。」

 アルフレッドの側に居たくて、慌てて申し出るとシューは困ったような顔をして小さく首をふった。柔らかそうな金髪が動きに合わせてフワフワ揺れた。

「今は邪魔になっちゃうよ。レニアスは優秀な薬師だから任せて大丈夫。治療が終わったら君が看病するんだから、今は休んで?疲れてるでしょう?」

 そう優しく諭されて、私は頷くしか無かった。するとシューはふんわりと微笑みながらそっと頭を撫でてくれる。その懐かしい感触に目を伏せた。出会って間もない相手だというのに、触れられることに違和感は全く湧かなかった。優しい手つきにネージュ様を思い出す。


 言われた通りにイスに座っていると程なくして温かいお茶が運ばれてきた。花の香りがする不思議な甘さのお茶だった。向かいに座っているシューは目が合うとニコッと微笑みをくれる。アルフレッドの傷を消毒しているらしいレニアスの背中を見ながら、肩の力がスーッと抜けるのが分かった。アルフレッドはこれ以上無い人物に診てもらっているのだと思った。そして、この家は欠片も厭うことなく自分を受け入れくれている。


……その不思議な温かさにゆっくりまぶたが下りた。

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