一緒にお祭回ろう
ヴィティ視点です。
――われらが 美しき ノルニエラ われらが 尊き ノルニエラ
母なる女神に 賜いし 宝を その花園に 咲きゆく 花を
十歳この地で 慈しみ 十歳この世で 育みて
ひかりを 与えし ノルニエラ いのちを 与えし ノルニエラ
この身が朽ちても 守りし 宝を その花園を 彩る 花を
十歳この身で 養いて 十歳この手で 導かん
いま その御目にうつる 淡きひかりに 名を 与え賜え
いま その御目にうつる 幼きひかりに 名を 授け賜え
あぁ われらが 偉大な ノルニエラ
あぁ われらが 素晴らしき ノルニエラ――
聖女の歌声が教会広場に響き渡る。私は祈りの姿勢を保ったまま、いつの間にか目をつぶっていた。聖女が女神の名前を歌い上げた瞬間、温かい風がすっと頬をなでたかと思うと目の前にホワッと光が広がり頭の中に見たこともない文字が浮かぶ。あぁ、これが魂名かと納得する。見たこともない文字を文字と認識できるのは、その意味も読み方も瞬時に理解できたから。そして、これまで使っていたヴィティという名と同じように自分の名として記憶にも意識にも体にも違和感なく染み込んでくる。魂に刻み付けられた……ということなのだろう。
あちらこちらから「あっ」とか「うわぁ」とか子どもの控えめな歓声が聞こえる。耳に聞こえたわけでも目に見えたわけでもないのに頭の中で魂名が見えて聞こえるのは不思議で、けれども全然嫌な感覚はしなくて、そんな声が上がるのもわかる。
「みなさま、女神様からの贈り物を受け取られましたか?」
「今一度、女神様へ感謝の祈りを捧げましょう。」
聖女に語り掛けられて、辺りにはもう一度静けさが戻ってきた。
「ノルニエラ様。あなたの腕の中で守られ愛され生きる喜びに感謝申し上げます。魂名を賜いた小さな友が清く正しくひたむきに歩んでいけますよう、どうかお導きください。あなたの花園に咲く美しい一輪となりますように。ルヴァータ。」
聖女の祈りの言葉に続いて、皆が「ルヴァータ」と声をそろえる。これは聖ノルニエラ教会で祈りの最後に必ず使われる言葉だ。聖職者じゃなくても祈りの際には良く使う。この言葉を日常的に唱えて女神に祈りを捧げると長い聖句を読んでいるのと変わらないくらい女神の御目に留まりますよと教会が謳うお手軽フレーズだ。
「皆さま、お直りください。」
という男性の声に、祈りの姿勢を解いて閉じていた目も開ける。長い間目を瞑っていたからか、陽光がまぶしくて世界が先ほどよりも明るくなったように感じる。
「女神の子らに幸いを!」
そう聖女の声がして、ほぼ同時にわっと歓声が上がる。視線をあげると空からキラキラとした色とりどりの光の粒が雪のようにふわりふわりと舞い降りてきた。光は身体に触れると一瞬だけポワっと光を強くして空気に溶けるように消えていく。そのなんとも言えない幻想的な演出に皆が目を輝かせて見入っている。「きれいやねぇ」と隣に立っている見知らぬ女の子が誰に充てるともなく呟いた。「ほんとうね」思わずそう返事をしてしまうくらいには私も心奪われていた。
「以上をもちまして、十歳参りのご祈祷は終了いたします。お疲れさまでした。」
色とりどりの光が降り終わって、役人がそう声を張り上げると、周囲の空気が一気に緩んだ。神聖な儀式に知らず知らずのうちに気持ちを張り詰めていたようだ。安堵のため息があちらこちらで聞こえる。徐々にざわめきが戻りはじめた教会広場に西区と東区の子どもたちを呼ぶ声が響く。彼らはまた運河の船や荷馬車で家まで帰るのだろう。
「南区の皆さまはこちらで解散となります。気を付けてお帰りください。」
南区の担当だった役人がそういうと、付き添いの大人たちが口々に「ありがとうございました」と礼を言う。それでも人々はその場を動こうとしない。前の方を見つめたアルフレッドの眉間に、控えめに皺が寄る。
「まずいな。」
「どうしたの?」
「幸運の水晶に触らせてもらえるんだって。」
私よりも背が高く、アルフレッドと同じものを見ていたシューが教えてくれる。幸運の水晶などといって、神力測定の水晶だということは私にでもわかる。聖女が水晶をもって子どもたちに触らせているらしい。
「今すぐに帰ろうとすると逆に目立っちゃいそうだから、少し待つしかないね。」
耳元でささやくシューに頷くだけで返事をした。
しばらくその場に佇んでいるとちらほらと帰ろうとする人たちが出てきた。さっさと水晶を触った人もいるし、時間がかかりすぎるからあきらめようという人もいる。その人たちの波にのって私たちも帰路につく。並ぶのが億劫だから帰ることにした……という体だ。
歩き出してすぐに後ろでどよめく声が聞こえる。ちらっと振り返ると透明な水晶が白く濁って輝いているのが見えた。加護もちだったのかなと思う。金髪の女の子が壇上で聖女に肩を抱かれている。桃色に染まる頬と弾けるような笑顔で周囲からの祝福の言葉に応じている。私は心の中で「頑張って」とエールを送ってその場を後にした。
教会前広場を後にしてしばらく歩いた時に「ねぇねぇ」と後ろから声をかけられた。振り返るとドーナツ屋の男の子だ。
「あ、やっぱりや。」
私の顔を見て、男の子は走ってこちらにかけてくる。
「こんにちはぁ。」
改めて元気に挨拶をされて、私もアルフレッドもシューも口々に挨拶を返した。
「この前ドーナツ買ってくれた子やろ?」
「はい。この間はご馳走様でした。」
「いえいえ。また来てや。俺はマルク。君は?」
「ヴィーです。」
「ヴィーちゃんな。南区に住んでるん?」
「ううん。今旅行中で。南区でお店をしている人にお世話になっているの。」
「へぇ、旅行中なんか。帝都はどう?」
「楽しいよ。人もお店もいっぱいあって。」
「そりゃよかった。十歳参りに居たってことはもう10歳、いてっ!母さんいきなり殴らんといて。」
マルクの人懐っこい様子におしゃべりが弾んでいたが、後ろから追いついた母親がいきなりマルクの頭をグーでなぐった。ゴンっという重めの音がしていたので、結構痛そうだ。
「すみません。いきなりで、ビックリされたでしょう?この子悪気は無いんですけど……」
母親はマルクを無視して私達3人に丁寧に頭を下げた。それからマルクに向き直って
「いくらお客さんやかていきなり話しかけるなっていつも言っているやろ!しかも女の子に!」
と一喝している。
「えぇ~会ったの2回目やし、ちゃんと名乗ってるし、別にいきなりでも無いやん。」
「距離感よ。そろそろ覚えい。嫌という間も与えんと距離を詰めたらあかんのよ。この生れつきのナンパ師め。」
親子のやり取りに私とシューは目を見合わせて噴き出した。アルフレッドも控えめに肩をゆらしている。
「ほら、母さんのせいで笑われたやないか。」
「あんたやろっ!?」
マルクの母親の必死のツッコミについにアルフレッドも声をあげて笑う。
「ふふっ……大丈夫です。ちょっとびっくりしたけれど、マルクくんとのお話は楽しいです。」
私がそう取りなすと、マルクは満面の笑みを浮かべた。
「やっぱりヴィーちゃんめっちゃ可愛いな。な、友達になろう!」
「ともだち……?」
「そうそう、祭の間は手伝いが無いねん。他に色々ありすぎてうちのドーナツは売れへんし。だから一緒にお祭回ろう!」
私が返事をする前にマルクはもう一度母親に頭を小突かれていた。
もともと明日は祭を見て回る予定だったから、マルクも一緒に回ろうということになった。恐縮するマルクの母親――彼女の名前はダリアというらしい――に子守のついでだから大丈夫とアルフレッドが請け合っていた。私たちが宿代わりのレニアスの店の場所を説明すると、ダリアさんは自宅の場所を教えてくれた。市場の先の南区のメインストリートから一本入った住宅地に家族で住んでいるらしい。待ち合わせの場所と時間を決めてマルクとは時計台広場で別れた。
時計台広場を出て、まっすぐ帰るために市場を抜けた。お昼時の市場は大混雑で人の波に押されながら歩く。シューが手をつないでくれてアルフレッドが盾になってくれるから歩けているけれど、私一人じゃ押しつぶされても不思議はないほどだ。
「これは、遠回りした方がよかったね。」
シューが小さく舌打ちしている。確かに、予想以上の混雑だった。
「ヴィー。ちょっと危ないから少しの間我慢して。」
アルフレッドはそう言うと私をひょいと抱き上げた。彼の腕に座らされて、少しばかり息がしやすくなる。自分で歩いていた時は大人たちのお腹や腕ばかりが見えていたけれど、今は多くの人の頭を見下ろしている。
「ルフスさんすみません。ありがとう。」
私はアルフレッドの肩に捕まって、そっと身を寄せる。シューは私とアルフレッドの前を歩いて、人波をかき分ける役に回ってくれている。アルフレッドに抱き上げてもらったおかげで祭の雰囲気を眺める余裕ができた。
市場の様子はいつもとは違い、すぐに食べれるものを売っている店が多い。果物屋さんは果物飴やフルーツジュース、魚屋さんは海鮮焼きや魚介のフライ、肉屋さんは串焼きやホットドックを作って売っているようだ。大混雑でもたいていの人は笑顔で、食べ歩きのメニューを吟味しているようだった。ひっきりなしに聞こえる呼び込みの声や人々の笑い声でいつも以上に賑やかだ。
「こら、まて、泥棒~!!」
という声が後ろから聞こえて、ふっと振り返る。ざわついていた通りの人々も何事かと一瞬息をつめる。振り向いても声の出所は分からず、次の瞬間には元のざわめきが戻っていた。私も視線を前に戻そうとして、ふと通りの端に見覚えのある灰色の髪を見つけた気がした。ハッと気づいてもう一度見た時にはその後ろ姿は小さな路地の向こうに消えてしまっていた。
「ひったくりか何かかな?」
「これだけ人が多いとスリやなんかにも気を付けないとな。」
シューとアルフレッドはそんな私に気付かずにどんどん前に歩いていく。他人の空似かもしれない。灰色の髪なんて、たいして珍しいものではない。それでもなんだか、あれはルッカで間違いないと思っている自分がいて、灰色のボサボサの頭が消えた通りから目が離せないでいた。
レニアスの店に帰ると、風車の数が増えていた。10本になった風車はクルクルと風を受けて回っている。「閉店」になっている店の看板を無視してドアを開けると、スイレンモードのレニアスがソワソワしながら待っていてくれた。本当はもう市場にいて、出店の準備をしなければいけない時間なのに、私が帰るのを待っていてくれたらしい。寄り道せずに帰ってきてよかったと思う。
「ただいまぁ~。十歳参りちゃんとできたよ~。」
私がそういうとレニアスは「おかえり」とそっと抱きしめてくれる。スイレンの衣装のベールが頬を撫でてくすぐったい。
「ちゃんと魂名ももらえたと思う。」
「そう良かったわ。じゃぁ、私行ってくるわね。」
それだけの会話をしてレニアスは慌てて仕事に出ていく。3人で店のドアの前に立って見送る。
「戸締りよろしくね!」
振り返ったレニアスにアルフレッドが片手を上げて了承の意を表している。
「いってらっしゃ~い。」
私がそう叫ぶとレニアスは速足のまま振り返って手を振ってくれた。そうしてほとんど走るように通りの奥に消えていくレニアスの背中を見送りながら、シューがニコニコと笑っている。
「ほんと心配だったんだねぇ。」
シューがそういうから唇の先がムズムズとくすぐったい。
お付き合いありがとうございます。