これで本当に終わり
アルフレッド視点です。
洗いたてのシーツを群生しているハーブの上にバサッと広げて、姫とシューは両手を空に突き上げた。
「おわったー!」
「わーい!」
大きな声で宣言してから顔を見合す。2人とも満足そうな笑顔を浮かべていた。もうすっかり仲のいい兄妹のようで、見ていて微笑ましい。辺りには木から木へと渡したロープにこれでもかと洗濯物がぶら下がっている。風が通り抜けるとふわりとたなびいて、石鹸の良い香りが鼻をくすぐる。
朝食の後、洗濯しようと言い出したのはレニアスだった。最初は4人で風呂小屋に行き、昨日の残り湯で服を洗濯した、そこまでは良かった。ずいぶん残った水を見て、レニアスがバスタオルやらカーテンやらシーツやら、次から次へと洗濯物を持って来たのだ。足で踏んで洗って干すのを私とシューと姫に任された。レニアスは途中で「ちょっと」といって家に戻った。姫とシューが文句を言わないので私は何も言えないが、やりはじめた仕事は最後までやれよと思う。居候の身としては魔女の気まぐれにいちいち目くじらを立ててはいられないから、言葉に出すのは諦める。
昨晩遅く、子どもたちが寝静まった頃、レニアスが酒を飲もうと誘ってきた。出されたワインは有名な銘柄のものでは無かったが、飲みやすく味わい深いいい酒だった。
とりとめのない話をした。シューの作るご飯が美味しいという話から始まって、森で住む上での注意点や生活する上でこだわっていることの話をした。朝の鍛錬はじっくりしたい旨を伝えるとあきれ顔で了承された。彼は食事はできるだけ全員で食べたいと言った。特に朝食は必ず全員で集まりたいらしい。時間が決まっていればそれに合わせると返事をすると、意外なことにレニアスは嬉しそうに笑った。彼が私に無防備な表情を向けるのは初めてだった。
姫がここに来るまでの経緯を話すと、彼は街での仕事について教えてくれた。なんと、帝国の街で素性をかくして商売をしているという。その上で、今後の生活の仕方について確認する。
「ヴィティは数年の間はこの森から出ない方がいいと思うわ。少なくとも成長して、手配書の絵姿と印象が変わるまで。」
「そうだな。私はどうだろうか。」
「今すぐには無理でしょうけど、手配書の話題が薄れた頃なら変装して街へ出ることは可能でしょう。そうすれば、多少の情報は集められるかもしれない。ただ、関係者と連絡を取るのはやめてほしいわね。無事を知らせられないのは心苦しいでしょうけど、消息不明が一番安全よ。」
「わかった。だが、もしどうしてもの時は相談させてくれ。」
「もちろんよ。」
いつの間にかワインボトルは空になっていた。そろそろお開きだろうか。レニアスはグラスをクルクルと回して、少しだけ残ったワインをもてあそんでいる。
「騙して悪かったわ。」
そう言われたのは唐突だった。彼が謝るなんて思ってもいなかったから、私は目を丸くして固まっていたと思う。ただ、彼の雰囲気からこれが本題なのだと気が付いた。
「いや、私の方こそ殴ったりしてすまない。ただ……『魔女』というのはどういうことなんだ。」
「そうよね。女神の加護は女にしか現れないっていうのが教会の教えだものね。聖女が女だけなら魔女も女だろうと思うわよね。」
「ちがうのか。」
「私、男だもの。なんならタオルで見え無かった部分も確かめる?」
「いや、必要ない。」
「ちょっとふざけただけよ。大真面目に返事しないで頂戴。……加護の力が発揮された時、保護してくれた人が魔女だったの。その人の教えでね、周りには女だと思われていた方がいいって。そうよね。男の加護持ちなんて、魔人扱いされて処刑か人体実験か……ろくな目に合わないわよね。」
「そんなものか?」
「そんなものよ。だから私は帝国にも他の国にも女だと思われていて、普段は女に見える恰好をしているわけよ。だから、あなたが私を女だと思ったのは私のせいよ。」
「風呂のことは姫が良いのであれば私に言う事はない。それに、なかなかの美女ぶりで目の保養だった。」
そういうとレニアスは目を見開いていた。そして,私の下手な冗談なのだと気づくと困ったように眉を下げて笑った。魔女を驚かせたのだから意趣返しは成功だろう。私はグラスを煽ると残りのワインを一気に飲み干した。
青空の下ではためく洗濯物に目を奪われていると
「さて、もうひと頑張りしたらお昼だよ。」
とシューが手をたたいた。
「わーい。頑張る!」
2人は小屋に向かって駆けだした。私も遅れないように後を追う。湯船や洗い場を磨いて、それから、ざーっと水を流せば、風呂場はすぐにきれいになった。姫は流れる水を見ながら今日何度目かの夢流しの呪文を唱えている。
「さっきみた夢を流してください。」
「そんなに何度もやらなくても大丈夫だよ。」
とシューが教えているけれど、一生懸命に祈っている。どんな夢だったのか気になるが、思い出させるのはかわいそうだから聞き出すことはしない。最後に全ての窓を開け放した。良い風が入ってくる。
「これで本当に終わり!」
シューが宣言すると姫は歓声をあげ、私ははーっとため息をついた。基本的に洗濯ものの上で足踏みしてはしゃいでいた子どもたちと違い、私は取れない汚れを洗濯板でこすったり、水をたっぷり含んだ重い布を水の中から持ち上げたり、洗いあがったものを絞ったり、力仕事を一手に引き受けていた。
「大変だったな。ご苦労であった。」
と労ってくれる姫の横でシューは冷ややかな目をこちらに向けている。
「なんでそんなに疲れてんの?」
「なんでって、案外力仕事だったからかな。」
「鍛えてるのに?」
「そりゃあ、いつもと違う筋肉使うからな。」
私が当たり前のようにそう言うと、シューはキョトンとした。
「いつもと違う筋肉って何?」
そう改めて聞かれると私も言葉に詰まる。
「それは、なんだ、あれだよ。剣を扱う上でよく使う筋肉とあんまり使わない筋肉が、あるんだよ。今日使ったのはそれとは別の部分だってことだよ。」
「いつも朝あんなに時間かけてるのに、動かさない筋肉があるの?」
「そうだなぁ。よく使うところをよく鍛えた方が効率が良いだろう。」
シューは難しい顔をして考え込んだ。私はシューが何にひかかっているのか分からない。無言のまま風呂小屋を出て庭を歩く。
私は剣を習い始めてから今までずっと、剣を振るうのに必要な体を作って来たつもりだ。もちろん、基礎体力をつけるのに走ったり筋トレをしたりはするが、それはより早くより正確により重い一撃をより多く繰り出すためのもので、コツコツと努力することが苦にならない性格もあってか一定の成果をあげてきた。先日レニアスには完敗だったが、国では五本の指に入ると評されていたし、事実反乱軍の追手に遅れをとることもなかった。唯一、憂いていることは私の剣技はすでに成熟してしまったということだ。伸びしろは短く、今より少し強くなったって巧みになったって、レニアスとの差が埋まるとは思えない。
「アルフレッド、強くなる為に必要なものが分かったかもしれない。」
家に入る直前に立ち止まったシューは真剣な眼差しを私に向けた。
「どういうことだ?」
私は同じようにシューを見つめる。
「僕が戦い方を習う時にレニアスが言ってたんだ。結局勝負が決まるのは不意がつけるかどうかだって。不意をつく為に選択肢を増やせって。例えばじゃんけんだってグーを出すって分かってたらパーを出すことは簡単だろう。でも相手が何を出すか分からないから迷うし運任せになる。相手に次の手を読ませなかったら大人相手だって勝負は五分五分なんだって言ってた。」
「私だって、型通りに剣を振るっているわけではないぞ?」
私はシューに自分の弱点を言い当てられている事に苦笑する。父親にも騎士団の指南役にも太刀筋が素直すぎると何度言われてきたか……その度に自分なりに研究してみたが、剣技を極めるよりも体を鍛えた方が効果があったような気がする。相手が読めても避けられなければ剣は当たるのだ。
「だから今まではそれでよかったけど、レニアスの相手にはならなかったんでしょ?剣を使うって決まってるからレニアスは剣だけ注意してれば良い。剣を使う以外の選択肢を示せれば、レニアスにも迷いが出て動きが鈍るんじゃないかなぁ?」
「具体的に何をすればいい?」
「とりあえず、騎士仕様のその体を鍛えなおせば良いんじゃない?」
「剣を振るう以外の筋肉も鍛えろってことか?」
「そういうこと。どう?やってみない?」
シューは得意げに私を見上げた。私は興味深げにシューを見下ろした。
「おもしろそ……」
承諾の言葉はレニアスが開けたドアに遮られた。レニアスと一緒に埃っぽい空気も飛び出てくる。
「ごほっ、ゴホゴホっ……あんたたち、遅いわよ。さっさと手伝って。」
「うわっ埃っぽい。」
「何をしているんだ?」
「空き部屋片付けてるのよ。あんたたちの部屋つくるのよ。」
埃まみれのレニアスがニヤッと笑った。
家に入るとあちこちのドアが開いていた。私と姫は触れたことが無いドアばかりだ。レニアスの家はざっくり言うとL字型をしている。玄関を入ると一間続きのリビングダイニングキッチンがあり、そこから二本の廊下がのびている。右の廊下はレニアスとシューの部屋の他に部屋が2つ、廊下の突き当たりには外にでるドアがあってそこを出ると厠、風呂小屋がある。左の廊下にも部屋が5つあって、一番大きな部屋は書庫、それ以外は空き部屋や納戸になっているらしい。2人で住んでいたにしてはやたらと部屋数が多い。レニアス曰く、その時々で住む人数が違うらしい。
レニアスは右の廊下の空き部屋を片付けようとしていた。ドアから部屋をのぞくと、埃まみれのガランとした空間が広がるばかりだ。シューがさっと部屋に入って窓を目一杯開ける。それを見て姫はもう一つの部屋の窓を開けた。風が新しい空気を運んでくる。
「もう!掃除下手なんだから、やるなら相談してよね!」
シューは目を釣り上げてレニアスに詰め寄る。レニアスは口の中でモゴモゴと言い訳をしながらうなだれた。そうか、反論できないくらい掃除が苦手なのか。
「とりあえず、ご飯食べよ。」
言いたいことを言ってスッキリした様子のシューは台所へ向かう。後につづくとテキパキと指示が飛んだ。
「アルフレッドは窓全部開けて。なんだかここまで埃っぽいや。レニアスは庭にテーブル出して。姫はこれでテーブル拭いてきて。うん。そう。レニアス、イスも出した?なら、チーズとハム出して。うん、それで良いよ。アルフレッド、これ運んで。ヴィティもこっち運んで。それが出来たらコップとフォーク出してくれる?……午後はお掃除だからね、ワインはいらないよ、レニアス。レーニーアースー?うん。ジュースにしよう。はい、アルフレッド、そこでパン温めて。焦がさない様に。ヴィティ、これちぎって。うんそのくらい。あ、ちょっとよけてね。油とぶよ。」
ジューっとフライパンがなってシューは真剣な顔でソーセージを焼く。矢継ぎ早の指示がなくなって、残る3人は言葉もなく立ち尽くした。あっと言う間にパリッと皮が弾けて、ソーセージが焼けると、シューが周りを見てどうしたのっと首を傾げた。
「なんか、晩餐会の日のお袋を思い出す。」
「言いたい事は分かるけど、発言に気をつけないとお昼食べられないわよ。」
大人2人の内緒話は美味しそうなソーセージの匂いに打ち切られた。皆が庭に出るとお待ちかねの食事の時間だ。