今日は洗濯日和
レニアス→ヴィティ視点です。
お風呂の後の火照った体を宥める為に、ゆっくりと白湯を呑みながらランプを頼りに読書をしてすごす。開いた本の向こうではヴィティが眠っていて、時折その様子を見ては体調の変化に気を配る。昼間あれだけ泣いたのだし、張り詰めていたものから解放された部分もあるだろうし、疲れが出ているのだろう。一向に目覚める気配がない。体温も呼吸も正常だが、一度起こして水を飲ませた方がいいだろう。しばらくタイミングをうかがっているけれど、ぐっすりとよく眠っていて声をかけづらい。
この家に来てからヴィティはシューの部屋で寝起きしていた。ヴィティにベッドを譲るために、シューは一時的に二人掛けのソファを持ち込んでいる。ヴィティ達がここで暮らすことが決まったのだから、近いうちに各々の部屋を作るべきだろう。
どの部屋がいいだろうかと考えていると、ヴィティがパチリと目を開けた。そのまま身じろぎもせずに私を眺めている。いつものフード姿ではなく、パジャマ代わりのシャツとズボンを着ているし、髪も三つ編みにしてまとめて、化粧もしていないから誰だか分からないのかもしれない。
「起きたの。」
私はヴィティにそっと声をかけながら、本を閉じると明かりをベッドサイドに移動した。体を起こすのを見守ってから準備しておいた白湯を手渡す。私が勧めるままにコクコクと水を飲む様子から、私が誰だか分かっているのだと判断する。質素なパジャマを着て木造りのベッドに座っていると、ただの子どもに見える。けれど幼いなりにその肩に国の一片を背負ってきたのだろう、ハッとするほど無我な目をすることがある。これからはそんな機会が減ればいい。
ヴィティは白湯を飲み干して一息つくと、じっと私の左頬を見て、
「頬が赤いな。」
とつぶやいた。
「あら、目ざといわね。アルフレッドに殴られたのよ。」
理由を告げると首をかしげる。確かに夕方の闘いの結果を見れば不思議に思うのだろう。
殴ろうとしてくるだろうなぁとは予想していた。アルフレッドは裸を見ると女性に傷がつくと信じて疑わない。その考え方自体が女性を傷つけているかもしれないなんて思いもしないのだ。その彼からしたら、私のやったことは非道な行いなのだろう。考え方の違いは仕方ないとしても、まぁ、最初から騙すつもりで勘違いを訂正しなかったのだ、一発くらい殴られとこうかと思って殴られた。
そうしたらなぜか今度は激しく落ち込み出したから、シューに任せてきた。あの男の面倒臭さに付き合うような誠実さは持ち合わせていない。きっと今ごろ気を取り直して、風呂の入り方を教わっているだろう。
「私のせいだろう?すまない。」
ヴィティが顔を曇らせるから、私はそっと髪を撫でて「違うわ」と言った。
「頭の固いアルフレッドがいけないのよ。今度あの石頭がお風呂に入っている時、みんなで押しかけちゃいましょう。」
私の提案にヴィティはふふっと笑ったけれど、次の瞬間真顔になって
「それ、わたしすごくはしたないと思われないか?」
と聞いた。
「あなたにそう言わせる教育の方がはしたないわ。」
私は思わず口の中で呟いた。
「レニアス?」
「いえ、きっと大丈夫よ。アルフレッドは結局、ヴィティが良いなら良いのよ。」
「そうかな?」
ヴィティは安心したように笑顔になった。
「さ、もう寝なさい。」
「眠くない。」
珍しく仏頂面をしたヴィティに、こんな顔もするんだなと嬉しく思う。この家では感情を出して良いんだと彼女が思っている証拠に他ならない。
「だめよ。お寝坊さんなんだから。明日から朝食までにはちゃんと自分で起きるようにするのよ。まずは、自分の事を自分でできるようにならなくちゃね。」
「……はい。」
私のお小言に小さく頷いたヴィティは、ふわっと小さなあくびをして、パタリとベッドに沈み込んだ。眠くないなんて駄々をこねていても、身体は正直だ。
「おやすみ。ヴィティ。」
「おやすみなさい。」
目を閉じたヴィティの額を人撫でして、私はそっと部屋を出た。
ヴィティは夢をみる。
その日は誕生日で、ヴィティのまわりにはたくさんの人がいて、色んなプレゼントを差し出してくる。
欲しいものも要らないものも好きなものも嫌いなものも優劣つけることなく同じ笑顔で同じ言葉でうけとらなくてはならない。
ヴィティはあっと言う間にプレゼントに埋もれて身動きがとれなくなってしまう。
それでもプレゼントをくれる人はまだまだたくさんいて、ヴィティは変わらぬ微笑みを浮かべながら一つずつ受け取るのだ。
受け取るたびにその重みがのしかかってくる。
箱の角が刺さって痛い。
ヴィティはそれを誰にも言えないし、気づいてくれる人もいない。
泣き出したいような気持ちを抱えたまま、微笑むことはやめられない。
ふと気づくとレニアスが手ぶらで目の前に立っている。
それを見た瞬間ヴィティの微笑みが消えたから、周りの人々はレニアスを蔑むように、優越感に歪んだ笑みを浮かべる。
そんなことはお構い無しに、レニアスは何も乗っていない手をヴィティに差し出した。
あちこちからクスクスと嘲笑が聞こえるが、次の瞬間シンと静まりかえる。
ヴィティが満面の笑みを浮かべてその手をとったからだ。
レニアスはヴィティをプレゼントの山からひき抜き、優雅に歩き出す。
ヴィティはレニアスに心からの感謝を伝える。
それを唖然と見ていた人達が怒り出す。
ふたりを引き離そうと手を伸ばしてくる。
その手を振り払って必死にレニアスにしがみつくが、容赦の無い人々に引き離され、押さえつけられ、目の前でレニアスは紙のようにビリビリに破られて……
というところで目が覚めた。
目の端から大量の涙が流れていて、目の前には心配そうなシューの顔がこちらを覗き込んでいた。
「目が覚めた?」
私はこくんとうなづく。
「怖い夢をみたの?」
そう言って労わるように頭を撫でてくれるものだから、また涙がコロンと落ちる。私はもう一度うなづきながら顔を布団に隠した。頭のてっぺんを軽くなでるシューの手が優しい。
「人がいっぱいいて、レニアスが助けに来てくれたのに、みんなそれを怒ってた。」
私は布団に隠れたままで早口でそれだけ言った。それ以上の事はどう言えば良いかわからなかったし、詳しく説明したらまた涙が溢れ出してしまいそうだった。
「そうか。怖かったね。」
シューは聞き出そうとはしないでくれた。私の頭を撫でるのをやめ、軽くポンポンと叩くと手が離れていく。
「……そうだ、夢流しをしよう。今日は洗濯日和だし。」
「夢流し?」
聞きなれない言葉に布団から目を出してシューの方を見る。
「そう、嫌な夢は水に流すんだ。普通は顔洗った後の水に『さっきみた夢を流して下さい』ってお願いしてから流せば良いんだけど、今日は洗濯するからね、洗濯後の大量の水に流して貰えば良いんだよ。きっときれいに流れていくよ。」
シューはそう言って片目をつぶった。いつの間にか涙は止まっていた。
シューと一緒に起きていくと、朝日が差し込むリビングでは、レニアスがお茶を飲みながら本を読んでいた。魔女は読書家なんだろうか。昨夜と同じ素顔のまま、三つ編みでまとめた髪を左肩から胸元へ流し、パジャマの上に茶色いガウンを羽織っている。化粧をしても派手な美人だが、素顔のままのレニアスは整った顔の美青年だ。切れ長の目、長いまつげ、スラリと高い鼻、いつもはワイン色の大きな口は、今は真一文字に結ばれて肌に馴染む東雲色をしている。綺麗だなと思う。一週間ほど過ごしたこの家が知らない場所のように感じて、少し寂しくもある。
「おはようございます。」
シューが声をかけるとレニアスが顔をあげる。
「おはよう、シュー。どうしたの?今日は遅かったじゃない?あら、ヴィティ早起きね。」
「おはよう。」
私はレニアスの言葉に納得のいかない気持ちになりながら、挨拶をかえす。
「うん?目が腫れてるわね。」
レニアスが目敏いので私はシューの背中に隠れた。レニアスと離れ離れにされる夢をみて泣いていたというのが気恥ずかしかったのだ。
「怖い夢をみたみたい。すぐ朝食の準備するね。」
シューはあっさりと盾役を放り出すと台所に消えた。
「こっちにいらっしゃい。」
優しく微笑まれて言われた通りにする。レニアスは私を膝に座らせて、頭をひと撫ですると、読んでいた本を再び開いた。私はレニアスの胸に背中を預けてその心地よさを満喫する事にした。城にいた頃よく父が抱っこしてくれたが、王である父はいつでも権威を背負っているし周りに人が居るしで、無邪気に楽しめた事は少ない。
ふと、レニアスの手元を見ると読んでいるのは歴史書のようだった。この辺りで一番大きな国であるイルギス帝国の建国から現在までの軌跡について書かれてあるものだ。城にいた時、歴史の勉強の教科書として用いられた本のひとつなので、見たことがある。
「帝国の歴史を勉強してるのか?」
「えぇ。この森も帝国領ですからね。住んでいる場所の歴史を学んで損はないでしょう。」
「そうだな。」
私はレニアスの返事にうなづいてから、窓の外に目を向けた。今は帝国の歴史を勉強したい訳ではないからだ。レニアスも詳しく説明しようとはしなかった。森の深いところにあるにもかかわらず、この家には日差しが良く入る。
「今日は洗濯日和ね。」
私の視線を追って空の色を確認すると、レニアスはそう言った。その言い方がシューとそっくりだと気がついて、私はひとりニヤニヤと笑った。