姫川の策略
神谷さんは明らかに弱っていた。
私が言わないとご飯も食べない。
お風呂も入らない。
ご両親にも連絡をしたけれど、電話にも出ない・・・
マスコミの電話やいたずら電話のせいかもしれない。
私がこの人を何とかしないと・・・
「神谷さん・・・ごめんなさい。こんなことになるなんて・・・」
私の贖罪の言葉は、神谷さんの耳には届いていない。
たとえ耳に届いていても、心には届いていない・・・
神谷さんの食事を作り、着替えさせ、時にはお風呂にも入れた。
夜、部屋を出て自分の家に帰り、翌朝また部屋に行っても、昨晩と同じ状態で呆けている。
これが少女の肌を焼いた『異常者』にはとても見えなかった。
最愛の人を奪われた『被害者』以外のなんでもない。
そして、奪った『加害者』は私。
ただ、旦那さんの怒りと悲しみは深い。
とても話ができる状態じゃない。
直接的に打つ手はなかった・・・
***
まだアパートの隅には時々マスコミ関係者と思われる人がいる。
警察関係者と思われる人もたまにいる。
元資産家の娘だから、お金はないけど、人脈だけはある(親のだけど)。
それに、今回テレビに連絡したのは私だから。
私が動かないと!
ある方法で、マスコミに情報をリークすることにした。
使えるコネは全て使った。
二度と会いたくないと思った『アイツ』にも会いに行った。
早くしないと、どちらかが死んでしまう可能性もあったからだ。
真犯人が捕まらない限りマスコミはそろそろネタが無くなってきていた。
他の芸能人の不倫や企業の不祥事の話題の方が多くなっていた。
新しい情報がなく、警察も次の手が無くなっていた。
人々がセンセーショナルな異常者の話題を急激に忘れかけて行った今、『新しい物語』というガソリンを投入してやるのだ。
そして、それを手引きするのは地元の県議会議員・・・私の元カレだ。
二度と会いたくなかったアイツ・・・
地元のメディアには顔が効くらしい。
『誤認逮捕で一度は引き裂かれた愛し合う二人が、再び出会うラブストーリー』
それを応援したのが地元の県議会議員。
この話が広まれば、次の選挙は当選確実だろう。
シロちゃんが未成年だし、顔出し、名前出しができないことが痛いが、そこは力技で何とかなるはず・・・
話が成功してからマスコミに流させるのだから、県議会議員のあいつにしたらノーリスク・ハイリターンの案件。
アイツの性格を考えたら飛びつかない訳がない。
あとは・・・パズルのピースで言えば、1ピース足りない。
そのキーパーソンは『奥様』。
難しいけれど、やってのけるしかないのよ、私!
気合を入れるために両頬をパシンパシンと叩いた。
***
「姫川さん・・・お話ってなんでしょう?」
シロちゃんのお母さん、奥様を呼び出した。
奥様のシロちゃんを見る目は、本当に心配している目だった。
それを信じるだけ・・・
「実は・・・会っていただきたい方が・・・」
「どなたかしら・・・すいません。最近、私は・・・その元気がなくて・・・」
「まひろさんのためなんです!元の状態に・・・いえ、もっと良い状態にする唯一の方法かもしれません!」
「姫川さん・・・?」
***
「ここが・・・」
「はい、私のアパートです。古いですが・・・」
「ここで・・・」
「はい、お気を確かに。まずは、101号室の私の部屋に・・・」
「お邪魔しますね」
ここで、私が調べた限りの情報を奥様に見せる。
警察からも書類が返ってきていた。
神谷さんの入居した日付け、それまでご両親と一緒に住んでいたこと。
入居の時の書類を見せると、引っ越す前の住所も書かれていた。
神谷さんのお隣に不明の入居者がいて、夜逃げしたこと。
これには祖母にも電話して助けてもらった。
元々、一ノ瀬夫妻のことは昔、祖母が面倒を見たということだったので、ある程度の信用はしてもらえたみたいだった。
「姫川さんのおっしゃりたいことは分かりました。でも・・・本当なのか私たちには判断しかねます・・・」
「そうだろうと思いました。そこで、もう一つ見ていただきたいものがあります」
「・・・どうして、そこまで?」
「・・・」
「あなたまで洗脳されてしまっていないか心配になってきたのだけれど・・・」
「まひろさん・・・シロちゃんの笑顔です。」
「え?」
「以前お見せした写真を覚えておられますか?」
「ああ・・あの」
「実は、他にも写真があるんです」
「まあ!」
「シロちゃんほんとに一人で写真に写ってくれなくて・・・何とか撮ったのがあの1枚だったので・・・」
「他っていうのは?」
「これです・・・」
***
姫川玲子が自分のスマホに記録した写真を次々みせた。
そこには、神様に抱き着く笑ったシロの写真がたくさんあった。
中には動画も。
『かみさま、シロが淹れたコーヒーどうですか?』
『ああ、おいしいよ。ありがとな』
(なでなでなでなで)
『にゃあ・・・』
『かわいい!マジ天使!』
「失礼しました、最後のは私の声です・・・」
姫川は多少バツが悪かったので『こほん』と咳払いをしてスマホを仕舞った。
「あの、部屋には2人の・・・2人だけの甘い甘い空間がありました。世の中的には手放しに祝福されないかもしれない関係かもしれません。でも、今のまひろさんと比べていかがでしょうか?」
「・・・」
「次は、2階に案内します」
「・・・」
姫川は奥様を連れて、神谷の部屋を見せようと思ったのだ。
ドアを開けると、朝見た通りの姿で神谷はベッドを背にして座っていた。
お昼ご飯にと作っておいたおにぎりも皿にラップがかかった状態で傍らに置かれたままだ。
「ここは・・・?」
「シロちゃん・・・まひろさんが、少なくとも半年は暮らした部屋です」
「そして、彼が・・・神谷 衛さんです」
一瞬、怯んだ奥様だったが、ほとんど動かない彼を見て姫川に視線を送り、助けを求めた。
「実は逮捕されて、その後、証拠不十分で釈放されています。さっきお見せした書類などは早い段階で警察も掴んでいた情報だと思います」
「まあ・・・それじゃあ、間違いってこと?」
「少なくとも、私の知る限り、この部屋でのまひろさんはずっと幸せそうでした」
姫川は室内へ促す。
「ここしばらく私が面倒を見させてもらってます。この部屋を掃除してみて思ったんです」
「何をかしら?」
「二人を外からしか見ていない私でも、二人が仲良くしていたことが分かるものがたくさんあるんです」
「・・・」
「歯ブラシ・・・2本並べて置かれています。こんなの恋人同士しかないでしょう!」
「まあ・・・」
「次にお風呂です。このシャンプー見てください!明らかに女性用ですよね。これ1本5000円はしますよ!まひろさんの髪の艶見ましたか?」
「・・・」
奥様は考え込むように下を向いた。
「ちなみに、こっちのシャンプーは男性用でリンスインシャンプー。多分1本500円もしないはずです」
「・・・」
「次はこっち。キッチンです。包丁を見てください」
「包丁?」
「2本ありますよね。こんなに物がない部屋なのに包丁が2本も」
「どういうことかしら?」
「まひろさん、手が小さいですよね?1本はまひろさん専用なんです」
「監禁している子に包丁を持たせますか?神谷さんはまひろさんに料理を教えていました。一度シチューをいただいたことがあります。『シロが初めて作りました』って言って」
「あの子が料理を・・・」
「神谷さんは料理ができるみたいで。コーヒーの淹れ方も習っていたみたいですよ?」
奥様はキッチンを手で触り、何かを確かめている様だった。
「『アレとって』と言ったら『アレ』が何なのかもお互いは分かっていたみたいですし、私から見たら、長年連れ添った夫婦みたいでした。そのくせ、新婚みたいに甘々な空気で・・・」
「姫川さん・・・」
何かを思い立ったように奥様が姫川に声をかけた。
「は、はい・・」
「私、何をしたらいいのかしら?何か作戦がおありなのでしょう?」
「はい。その言葉を待っていました」
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