第九話「頼もしい仲間」
(二十五)
朝方よりも雪の降り方がなおさら激しくなってきていた。杉の梢にたまったしめった雪が枝をしならせ、時折地面に落ちていく。
その痕跡は、木を取り囲んで砂に掘られた蟹の巣のように人差し指が一本入るほどの円い穴を開けていた。
天狗森神社の境内に立つみくらは、腰をかがめ、胸に抱いていた黒猫のきょろりを静かに下ろした。
きょろりは雪に埋まる足を大きく突っ張らせて伸びをし、右前足の毛並みをなめて揃え終えると、屋根に雪が軽く積もった社殿の方に尻尾をぴんと立てながらみくらと歩調を合わせて向かっていった。
社殿の中にいる何かの気配を感じながら、みくらは正面の格子戸を両手で開け、屋内に一歩足を踏み入れた。
「もぉう、待ちくたびれちゃったわ、相変わらず年に似合わないご尊顔ね」
肌が透けて見えそうな羽衣に銀に輝く長い髪の若く美しい女性が、みくらの肩にしなだれて彼のあごを美しい指先でさわさわと触った。
「早池峰の女神様も、その劣らぬ輝かしい美しさに全ての者が心惹かれるでしょう、この度はたいへんかたじけなく存じ上げます」
「あらぁ、お口の方も達者なこと、私のこの姿をあがめてくれる人は、一人でも多い方がいいでしょ」
泣きぼくろの上のうるんだ切れ長の目から優しいまなざしがみくらにおくられた。大抵の男は、心の奥底を愛撫されるような声と視線で骨抜きになってしまうが、みくらは、どこ吹く風といった表情で爽やかな笑顔を返した。
「あら、あなたの美の力も童子の前ではたいしたことないのね」
早池峰の女神と顔のよく似た二人の女性が、鼻で軽く笑った。顔こそは似ているが、着ている羽衣はそれぞれ藍色がかった雲の紋様のある物、浅黄色の葉の紋様のある物と早池峰の女神とは対照的で清楚な印象を醸し出していた。
「あら、お姉様もためしてみたくって?」
そう早池峰の女神に挑発された二人は石上山と六角牛山の女神で、彼女の姉でもある。
「あなたのくだらない遊びにはついていけないわ、ねぇ、お姉様」
「なんですって!くだらないとは何よ!」
「くだらないのはお前達、姉妹の会話だ……童子、異国の物の怪はどこにいる」
一番奥に座っていた大男が、大刀のおさまった鞘を片手で振り上げ、どんと床を突いた。胸あてに描かれた笹竜胆の紋様の奥にある厚い胸元から覗く鎖帷子が音をたてる。
彼の乱れた黒髪からは立派な角が生え、口からは大きな牙が伸び、眼光は虎のように鋭い。そして、彼の低音の一言は女神達を押し黙らせる力を十分もっていた。
「鬼武者剣兵衛の声は、千里の山に轟くね」
みくらはうやうやしく頭を下げた。
「ふふふ、拙者の声などはただのこだまよ、童子の声は寝ていても届くわい、早く狂い舞いとうて心がうずくわ」
侍姿の大鬼は愉快そうに笑い、あぐらをかいた自分の左膝を叩いた。
「んもう、剣兵衛ちゃんが大きな声を出されるから、私驚いてしまったじゃないの……」
「お主のような、うるさいおなごは女神でもごめんこうむる」
「そんなこと、おっ、しゃら、な、い、で」
早池峰の女神は剣兵衛の柄を握りしめたこぶしから伸びる太い腕にもたれた。剣兵衛も顔こそは苦虫ばしっていたが、体中が柿のような朱色にみるみると染まってきた。
「剣兵衛、美しい者は美しいと素直に褒め称えればよい、朝日は彼女から上り、夕日は彼女の神々しい姿を照らし出す、彼女こそ我らのかぐわしい女神ではないか、ほら」
白髪でありながら甘いマスクをした青年は、隣に近付く女神の細い腕を手に取り、いざなうように自分の胸に華奢な身体を抱いた。
「シラ様は、そうやって何人の乙女子を泣かせたことでしょう……」
女神は彼の唇に自分の白魚のような人差し指をそっとあてて、彼の胸の中から離れた。
「美は美、醜は醜、人も畜生もその隔たりなし、だがそれは表裏一体、その間は女神の髪の毛ほどもなく全てを包み込む愛は千尋の谷間さえも一飛びで越えていく……我が愛する童子、よくぞ私めにお声かけくださった」
彼は後ろで束ねられた輝く白髪を軽く手で跳ね上げ、みくらの前で丁寧に頭を下げた。
「シラ、うぬも側にいてくれることで心強い」
みくらもそれ以上に彼へ深々と頭を垂れた。
「カワッパめは、この雪の中、久しぶりの夏油の川で湯浴みをしておる、湯の香りがそこここで違うとのことよ」
剣兵衛は、豪快に笑いながら外を指さした。
「ところで童子、その異国の姫はどこにおるのだ?かの者の気配はわずかに感じるのだがのう……」
三姉妹の中で一番柔和な表情をした石上山の女神は、正座をしたままの姿勢で軽く首をかしげた。
「しばらくこの難からお隠れいただいた」
「それは残念だが、良きことである」
シラの言葉に一同うなずいた。
「あの者は間違いなく、我らの治める地に逃げてきた者だろう、まだ血の涙の残り香がする、いつの日かそれを花の香に変えたいものだ」
ご神前に飾られた金色の造花の一本を手に取りながらシラがつぶやいた。
「童子様、何かが近付いて来ています」
社殿の外を警戒していた黒い毛と長い尻尾をもった少年が、猫の耳をピンと立て、童子に耳打ちをした。
「ありがとう、きょろり、皆の方々、どうやら再開の宴もここでお開きです、歓迎されざる客人がもうお見えになりました」
鉄のぎこちなくぶつかる音が、山間の地で断続的に響き渡る。
軒にとまっていたふくら雀達は、羽根を震わせ音の方向を気にした。
また、音が一つ、二つ。
神社前の道を軽トラックで通り過ぎていく老人にはその音も姿も感じることは出来ない。しかし、屋根の上に集まっていた猿達は、あまりの威圧感に一匹の白い小猿を残し裏山へ我先にと身を隠した。
空の雲の動きがにわかに速くなり、黒い煙のようなもやが降る雪を巻き込みながら、鳥居の先の空間に大きな渦を巻いている。金属が擦れ合うような音は、その中心部から聞こえてくる。
みくらを先頭に、この地の神々達は拝殿の前に進み出た。
「童子よ、こ奴は拙者にやらせろ、この殺気、和議の通じる者ではない」
早池峰の女神は、ふわりと社殿の屋根に飛び、もう高みの見物を決め込んでいる。
「もう、かっこよすぎじゃないの剣兵衛ちゃん、私はこぉんな野蛮なのはご勘弁、この金物の音がいやなんで早く始末しちゃってね、ほらほら、お姉様もぉう、ここの方がよく見えるわよ」
「頼む、剣兵衛。」
「おうよ!我が一人加護の舞をご覧じあれぃ」
みくらの熱い声かけに剣兵衛は大刀を鞘からすらりと抜き、白色のたすきを空に放り、落ちてくる端から身体にぐいと巻いた。彼の吐き出す息が辺りを吹雪の中のように煙らしていく。
空間がぎりぎりと見る間に裂かれる中、青白い火花を雪の上に散らして金属音を出す主が、待ち受ける彼らの前にその奇怪な姿を現した。
(二十六)
雪のかぶったアスファルトの道に三人の付けた足跡がきれいに列をつくって並んでいる。踏まれたところの雪は、じんわりと靴底の形となって溶け、少しだけ地の色を出して黒くなるが、すぐにからまった雪粒が白く覆い隠していく。
浮かれ気分の月美の祖父を残し、雪子達は、きょろ婆の自宅を後にしていた。
交差点の道の向こうにいつも見えている北上の山々は、降り続く雪に今も隠されている。
「さぁ、旅行の準備だぁ……って、ののぉ、何かこの頃気分不安定?」
うつむくままの、ののの柔らかい頬を月美がつつくと、はっとしたように涙の痕がまだ消えていない顔を上げた。
「さっきからおかしいぞ、何かあったら隠していないで、すぐ言えよ、私にできることなら、力になるぜ、なぁ、雪」
「うん、そうだよ、ののちゃん、一人で考えていてもつらいよ」
「どうして………」
「うん?」
「どうして、ここの人達は私に優しくするの……それが何かになるの?何か得することでもあるの?私が助けるのは自分が助かりたいからだけなのに……教えて……教えて下さい……」
心配げな顔をしたスッケがごそごそと背中のセーターの間から這い出してきて、泣きむせるののの肩にのった。
「へっ?」
月美と雪子が二人で顔を見合わせた。
「だって、ののちゃんは友達じゃない」
「そう、友達、だから、楽しい旅行にいく前にこんな顔してちゃだめだぞぉう、雪みたいにボーッとした顔もだめだけど」
「ええっ!それはつっきも一緒でしょ!」
二人の明るいやりとりを聞いても、ののの複雑な気持ちの糸は解きほぐれていなかった。
「のの!私たちの友情はプライスレスだ!なぁ雪!」
「おおっ!……って、つっき、少しオーバーじゃない?」
「あ……あの……ごめんなさい!本当にごめんなさい!」
ののは、力付けようと言葉をかけてくれている二人の気持ちがわかるほど、その間に居たたまれなくなり、自分の神社の方へ泣きながら走っていった。
「あっ、待って、ののちゃん!」
人に優しくされたい。
それは人として生きている者にとっては、あたりまえの感情である。だが、ののが自分で素直に受け止めるのには、まだ感情の整理の時間を必要とした。それが、あたたかければあたたかいほど、本心であればあるほど。
執拗に雪は降る。
走り去る姿はあっと言う間に見えなくなり、ののの黒い足跡だけが、白い道の向こうに伸びていた。
「いいのかぁ、のの、でも、こうやって人を避けていく生き方がお前らしいったら、お前らしいけどな」
ののの肩の上のスッケは、まだ酔いがぬけきれていない自分の頭を時々さすりながら、彼女に聞こえるくらいの声でつぶやいた。
「だって……私は」
「まぁ、ののの勝手だけどな」
スッケが大きなあくびをすると、口の中に牡丹雪が二、三粒吸い込まれていく。スッケは少し咳き込んでから、ののの表情を横目で気にしつつ再びあきらめ顔をしたまま黙りこんだ。
夏油川に沿う道は途中で行き交う車もなく、四つ目のカーブを曲がった時には、空がますます暗くなり、暗雲から吹き出される雪の量がさらに多くなっていった。
ののの髪の毛は体温でとけた雪の水滴で濡れ、それが寒さで赤くなった頬にぴたりと張り付いた。
「!」
寒さとは明らかに異なる足下から全身の毛がそそり立つような動物的な危機感が、いきなりののの身体を襲った。それは、前方の天狗森の方向から、たとえようのない嫌な感覚が黒く薄い霧と共に風にのって流れてくる。
スッケもすぐに不気味な感覚に気付いたらしく、身体をぶるっと震わせ、目を細め、周囲の変化を見落とすまいと神経を尖らせた。
「妖魔が森に来やがった、それもでかい……でかすぎるぜ、一回町かどこかに隠れて、一晩やり過ごすしかないぞ、のの」
ののはスッケの忠告に耳を貸さず、天狗森に向かって足を早めていく。
「おい、どうしたんだよ、のの!」
「スッケ……私、もう自分の命なんていらない、もう、逃げるのはいや、守られるのもいや……スッケは雪ちゃんやつっきの……」
「ところには一人じゃいかねぇぜ、しょうがねぇ、元々なかった命だもんな、奴らの足の指かじるくらいしかできないけどよ」
前方の道路の真ん中の中空に、一抱えもある程の大きな鏡が浮いていた。
「鏡!?」
ののがすぐ後ろを振り向くと、もう一枚同じ大きさの古びた鏡が向かい合わせで立っている。
「合わせ鏡!いけない!」
それまで雪の白い世界の中にいたののの周りの景色が、突然碁盤状に分かれ、パタパタとカードがひっくり返されたような動きを見せていく。全てが終わった時、周りは一面鏡に覆われた奇妙な世界へと変貌していた。
「ようこそ、私の鏡の部屋へ、そう怖がらなくてもいいですよ、私めが、優しく手ほどきさせてもらい、石のように硬い貴女の心を愛撫してさしあげましょう」
金色のモールをいくつも垂らした紫色の貴族服を着た若者は、ブロンドの長髪の間からのぞく、底の見えないほど青く美しい目でののをじっと見つめながら、蜜のような甘い言葉を投げかけた。
「なんだい、あの優男は」
スッケは疑わしげな目で、青年を見つめている。だが、それはほんのわずかな間であった。青年の陰から金色の雌フェレットが姿を見せ、妖しく腰を振りながらスッケに熱い視線をおくった。
「なんだい……あの……俺様……あら……あららなぁんてかわいい彼女なんだ……」
溶けたソフトクリームのようにだらしない顔をしたスッケは、その雌フェレットの一挙一動に見入っていた。
「スッケ!」
ののの言葉もスッケには届かない。
「ほら、貴女のペットも私のペットのことをお気に入りのようです、さぁ、どうぞこちらへ、私の心と貴女の寂しい心がひとつになることは運命です」
ののは、彼の視線に危険なものを感じ、目を直接見ないようにしていたが、どこに視線をやっても鏡の中の彼がののの目を追った。
「あいつはインクブス……スッケ、しっかりして!」
スッケは、何もいない所をでれでれした顔で見つめている。
『インクブス』別名『男性夢魔』とも呼ばれ、その美しい容姿で若い女性をたらしこみ、悪魔に魂を売るようにしむける妖魔である。
ののは呪文を唱え、手に小さな火の玉をいくつも浮かべた。
「私にはそのような魔法は効かない、少女の仮面をかぶって全てを知り尽くした貴女の愛と思って受け止めましょう、あの館であなたが領主よりかわいがられたように」
「気持ち悪い」
発せられた火の玉は、彼の身体の周りをぐるぐると回るだけで、次第に音も立てずに空中に消えた。
「私はトゥーレット大司祭様より、貴女を生きている間どのようにしても良いと許しを得ている、だから、貴女の命輝く間、女性としての甘い時間と快楽を与えたい」
青年の清らかな笑みに時折、淫猥な表情が浮かぶ。
「寂しがらなくてもいい……ほら、貴女のご友人かな……まだ異性の香りのしない彼女らも一緒に私の寝室に来てもらうからね」
「あっ!」
鏡の一枚一枚に、雪のふりしきる中をののの姿を追い求める雪子と月美が映っていた。
(二十七)
鋼の甲冑をまとった妖魔が空間に渦巻く穴から身体をのけ反らし、太い足を下ろすと、境内の濡れた地面がいきなり甲の部分まで沈んだ。
彼は気にする風も無く、背負っていた『トゥーハンデッドソード』という両刃の洋剣を両手で握り、地面へ強く突き刺した。跳ね上がった小石や土くれは、まるで火山が噴火したかのように、高く辺りに飛び散った。
それを見ている早池峰の女神と姉たちは、少しも臆することなく屋根の上でやんやと手を叩いて喜んでいた。
「大司祭の命により、我らの世の魔女の首をもらいに来た、すぐに我が眼前に引きだせ」
頭部を覆う甲冑の奥に光る瞳のない目が光った。
「人の地に足を無断で踏み入れておきながら、その礼節をわきまえない態度、それがそこもとの国の礼儀であるか」
剣兵衛はそう言って、自らの大刀を妖魔の騎士と同じように地面に突き立てた。土塊は花びらのように美しく、より高く舞い上がっていく。
女神達は驚きの表情に続き、少女のような黄色い歓声をあげた。
「剣兵衛ちゃん、最高!」
「くだらぬ低級霊の遊びにはつきあえぬ!」
妖魔は大きな洋剣を羽根のように軽く振り回し、剣兵衛に向かっていった。
「この神社境内の草木一本切り倒すこと許さぬぞ」
二人の刀剣は風を切るうなりの音を上げぶつかり、黄金の火花を散らした。風は木々の枝を揺らし、濡れた雪さえもしぶきと化し宙へ舞い上げた。
「お姉様、どちらの力が上でございますか」
六角牛山の女神の質問を石上山の女神が答える前に、早池峰の女神は妖魔の方をすぐに指さした。
「六角牛のお姉様、あの鉄くれの馬鹿でかい方がずぅっと上、おつむの中身も向こうに決まってますわ」
その言葉に六角牛と牛神の女神は表情を暗くした。彼女らの顔が曇るとなぜか辺りの空気の冷たさが増していく。
「ならば剣兵衛様は負けてしまうのですか」
「そんなの当たり前、いつもの馬鹿のままだったらね。ほらほら、剣兵衛ちゃん!腰に力入っていないわよ!」
早池峰の女神は何かを含んだ言い方をした後、にこにこと笑い、血気盛んに意気込む剣兵衛へ声援をおくり続けた。
「ぬぅお!」
妖魔の騎士の剣の威力は絶大である。剣兵衛は両手で大刀を構え受けたままの姿勢で社殿側へ吹き飛ばされた。かろうじてようやく立ち姿勢を保ってはいたが、地面には踏みとどまった足の幅で二本の直線が描かれている。
剣兵衛は、柄を握っていた左手を数回開いたり閉じたりし、腕の痺れを止めた。
「童子、上空にまた時穴が生じました!」
きょろりは両者の戦いを見つめている童子の傍らに駆け寄り早口で告げた。
「彼らはこちらを一気に取り囲む気だな私が行こう」
「まだ、童子の出る段ではありませぬ、遠慮無く私にご命じ下されよ、童子。異国のもののふと一度しおうてみたかったところ」
空に飛び上がろうとする童子の肩を押さえたシラの髪と衣装が降りしきる雪によって余計白い輝きを増していく。
シラは自分の長い髪の毛を抜き弓のつるとし、さらに髪の毛を数本手の中で振ると、白い羽根の付いた矢となった。
手の中で踊る矢をシラは素早くつるにつがえ、ギリギリと音を上げるまで引いた。
埃のような雪を落とす灰色の空に矢は風切り音を伴って消えていく。短い悲鳴の後、空からぼたぼたと雪に混じって緑色の液体が雨のようににらみあう剣兵衛と騎士の身体に降り注いでいった。
「一の矢をはずしてしまった……我が腕もだいぶにぶったものよ」
シラは空を見上げて笑うと弓をたずさえ、天馬の如く宙を駆け上がっていった。
「シラ様は本当にいつもご優雅」
石上山の女神と六角牛の女神が顔を見合わせ頷いた。早池峰の女神は屋根の上に急に立ち上がり、雪で隠れる夏油川の遙か向こうを望んでいる。
「お姉様方、そろそろ私たちも出かけましょうか」
「えっ、どこに?」
「シラ様以上の異国の男のツラ、見て見たくなぁい?」
「あら、もう、いらっしゃっているのですか、気が付きませんでしたわ、女の感は童子以上に敏感ですわね」
「という訳で童子、ちょっと留守するから、大丈夫、そんな心配そうな顔をしないで、私はそんなに浮気性じゃないから、いつでも童子ひ、と、す、じ、ほぉら!剣兵衛ちゃん、にらみ合ってるだけじゃ、何も変わらないわよ!私が戻って来る間に勝ってないとお仕置きしちゃうからね!」
ウィンクをおくる早池峰の女神と、丁寧に頭を下げる二人の女神の御姿が神社の屋根から空の色に溶け込むように消えていった。
ようやくきょろりが夏油川の下流の異変に気が付いた。
「童子、ののがこちらに来ているようですよ!女神様はそれに気付いたんだ!」
予期せぬ緊張のあまり、きょろりの尻尾の毛が冬毛の狐の尾のように太く逆立っていた。
「しょうがあるまい、彼女の選びし道だ、きょろり、私も女神を追う」
白い小猿がみくらの肩に飛び移った瞬間、彼の姿もその場所から消えた。
「一体、何で急にこうなっちゃったんだよ」
きょろりは、その場でおろおろとしはじめた。
「一枚の葉のようにどのような大樹であれ分散せしものはもろく、さざれ石の如く集まりしものは強い、これ古来よりの戦の習い。奇襲は一瞬!それを見事に逆手にとられている訳よ!」
剣兵衛の声が刀の打ち合いの音にまぎれて境内に響き渡っていく。
「ぐぉぉお!」
厚い板のような相手の剣が、剣兵衛の首、皮一枚手前をかすめていった。
剣兵衛は避けた勢いで地面をごろごろと転がった。
「逃げ惑う豚の醜き姿、お前には泥の中でうごめいているのが似合っているぞ」
「相手に敬意をもって戦わないことこそ外道!士として恥ずかしいわ!」
騎士の妖魔は、剣兵衛の身体を両断しようと、剣を頭上に大きく振りかぶる。
泥に手をとられた剣兵衛は、起き上がるまでに、ほんのわずかな隙ができた。
「剣兵衛!」
きょろりの絶叫も虚しく、剣兵衛の身体に妖魔の無情な剣が振り下ろされた。