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魔法の のの~Black Is The Colour  作者: みみつきうさぎ
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第一話「はじまりの魔法」

 屋敷前の石の敷き詰められた広場には、『蠅の王』によって本国から派兵された百人近くの兵が、近在の村々から集めた若い女性達を酌婦に夜通し騒ぎ続けていた。


 広場中央に山のように積まれた薪には、今回の魔女狩りでとらえてきたおびただしい数の全裸にされた女の遺体が積み重ねられていた。その手足の隙間を器用に渡り歩きながら,奇妙な仮面を被った刑吏の下人が海獣から絞った固まりかけの大量の油をふり巻いている。


 広場をぐるりと取り囲むようにして建つ石造りの建物の二階や三階の窓からは、住人たちが嬉々とした表情を浮かべ、彼らの熱のこもった宴を眺めていた。


 領主が兵に感謝の言葉を述べ、王国の繁栄と神への祈りを天に捧げた時、周囲に据えられた朱色のかがり火に映る聴衆の熱狂は一気に高まった。


 領主の従者によって火のともったたいまつが薪の山に投げ込まれると、黒い煙の波が地面をなめるように四方へ流れはじめた。小さかった一点の炎が音を立てて急激に紅の範囲を広げ、それと呼応するように人々の歓声が絶叫と化す。

 生前の姿が見る影もなくなった亡骸は、束ねられた他の亡骸と共に吹き上がる炎と煙の中に消えていった。


罪人つみびとは鋼の剣を贄の血で研ぎ……罪人はいましめの鎖を自ら首に巻く……」


 ノノが誰も歩いていない街のメインストリートを、禁断の呪文を口ずさみながら、進んでいく。禁じられた言葉を一言一言口にする度、両の手に握った『あかざの杖』の先端が妖しくうごめく光に包まれていった。


「焼くのも罪人、焼かれるのも罪人……わが身も罪……」


 柔らかなノノの髪が黒く変色しながら磁石についた砂鉄のように逆立ち、全身から赤い血の光が大地にこぼれ、足跡の真っ直ぐ伸びる線を道に描いた。


 魔女狩りの成功をたたえる言葉と花でうずめられた看板の下では、領主に見張りを命じられた街の男たちが、祝いの杯をあげていた。


「何だ、あのガキは……」


 そのうちの一人の男が、異様な姿でこちらに歩いてくる黒髪のノノに気が付いた。


「たいまつを持ったうかれ野郎だろ。お前、我らが領主様から賜ったただ酒が飲み足りねぇんだろ」


「今日、最初に絞首刑になった女は俺がほしかったぜ。全裸になった時の鳥肌がたったのを見たか、あんなの毎晩痛めつけながら、げへ、楽しみたかったぜ、漏らした時の濡れた太股をよぉ」


「あいつは、隣町のロブに嫁入りする前だったらしい……。聞くとふられ男が密告したようだ、きれいに生まれるのも酷なもんだ」


「何、一人できれい事言ってやがる、お前がクリスの妹を密告したのも犯した証拠を消すためだろ」


「よせよせ、まずは、こういう機会を与えてくれた偉大なる王と領主様にもう一度乾杯だ」


 男たちの下卑た笑いは続く。彼らは順に、はじめにノノに気が付いた若い男の空いたカップにワインをなみなみ注いだ。


「死よ、闇の天使よ、黒い羽根をもつ白鳥と共に踊り来たれ!」


 ノノの最後につぶやいた言葉を引き金に杖から血のように赤い光が飛び出し、男たちの身体を照らした。

 途端、男たちから短い悲鳴が上がり、全身が火だるまになっていく。彼らは消えない炎によって酸素が奪われていくため、息を吸うことも吐くこともかなわず、見る間に燃え尽きていった。





(一)


 鰯雲の浮かぶ空に、紅色の裾をたなびかせる早池峰山を遠く眺める北上の地。こんもりとした前塚見山の落葉松の細い針葉は、黄緑色から淡い橙色に最後の衣替えを始めようとしていた。


 夏油げとう川沿いの田の水は既に落とされ、まさに刈り取られんとする黄金の穂並みが辺り一面を埋め尽くしている。


 秋の夕暮れ時、中学校からの帰り道を急ぎ足で駆ける少女がいた。黒襟の制服がよく似合うお下げの髪は、「墨染雪子」という今時には珍しく古風な名をそのまま表しているかのようであった。


 雪子は、群れた烏のけたたましい鳴き声を耳にし、急に立ち止まった。


 北上線の踏切の遮断機の棒が鳴き声をかき消し、ゆっくりと彼女の目の前におりていく。

 五十メートル程先のあぜ道の辻で茶色い毛並みの一匹の子犬が烏の群れに威嚇されているのが見えた。子犬は怯え、悲鳴のような声で必死になって吠え続けているのが余計に哀れであった。


 一方の烏らは遊びながら、ある個体は空を悠々と舞い、ある個体は斜めに地面を跳ね飛び、わずかな隙を見て子犬の傷付いた身体をくちばしで突く。

 まず間違いなく、弱った子犬は、ほんの数刻で烏たちの餌になってしまうことは誰にも予想できた。


「どうしよう!」


 横手行きの気動車両が、単線の線路をかたかたと揺らしながら、近付いてくるのが見えた。警笛を鳴らしながら窓ガラスに夕日を反射させた車両が通過していく。


 雪子は、その子犬の様子が気になり、遮断機の棒が上がりきる前に、踏切の中に足を踏み入れた。しかし、烏の群れや子犬は、道の辻からもうその姿を消していた。


(田んぼの中に逃げたのかな?)


 上手く逃げてくれたのなら良いがと願ってみたが、あの弱った子犬が短時間で逃げ切れる訳はない。自分の甘い想像がどうか叶って欲しいと雪子は思った。


 遠くでまた気動車の汽笛が鳴り、赤みを増した空に溶けていった。


「この子をさがしていたのですか?」


 すぐ後ろに震える子犬を抱きかかえる自分と同じ年頃の少女が笑って立っていた。少し後ろ髪が跳ねた少女は、バフスリーブのグレーのワンピースと緑色のリボンがとてもよく似合っていた。


「あの若い烏たちもお腹がすいていたみたいだけど……。みんなでいじめるのは嫌い」


 そう言いながら少女はその子犬を雪子に手渡した。


「えっ?」


 突然子犬を受け取らされ驚く雪子を背に、少女は黄金色のあぜ道を軽やかな足取りで街の方に歩いていった。


 子犬は抱かれながら、小さくクンクンと鳴き、雪子の腋へ自らの頭を隠すようにうずめている。


「もう大丈夫だから、でも、あの烏、あんなにいたのにどこに行ったのかなぁ」


 稲穂の根回りに痙攣し口から泡をふき苦しむ烏の姿があるのを、帰途につく雪子が知ることはない。



(二)


「うちはこんなに動物飼えないよ、ほら、ミー子も怒っているじゃないの」


 家に帰ってきた雪子が、裏口の玄関で子犬を見せた時の母の一言は、怒るというよりも心からあきれていた。

 雉虎柄の老猫のミー子は尻尾の毛をガマの穂綿のように膨らませて、見慣れぬ侵入者を威嚇している。


「だって、かわいそうじゃない」


「ミー子だってかわいそうよ。それに餌代だってどうするの!お父さんに怒られるから、すぐに捨ててらっしゃい」


 母の言葉によって、力をさらに増しているかのように、猫のミー子は背を低くし、ずっと子犬に向かってうなっている。


「お母さん、欲しいって言っていたタブレットなんていらないから、お小遣いだって減らしたっていいし、家の仕事だって手伝うから、お願い!」


「ミー子を飼った時も同じことを言っていたじゃない。結局、世話するのは私だし、あんたの言うことなんて少しも信じられないわ。柱だって爪研ぎでぼろぼろ、トイレの砂を変えるのだって、あんた、ひと月のうちに何回しているのよ」


 猫のミー子は自分に話題が変わってきたのに気付いたのか、うなり声を少し弱めた。

 雪子は小言を続ける母親に子犬を黙って突き出した。子犬は小さなしっぽを振り、甘えた声を出しながら母親に精一杯の愛くるしい表情を見せた。


 母親は、その愛らしい姿にだまされまいとしたが、元々動物好きの性なのは捨てようがない。次第にその目尻が下がってきた。


「お父さんがだめと言ったら絶対にだめだからね」


 母親の言葉のトーンが段々と下がってくるその様子を見て、雪子は心の中で軽く舌を出した。



(三)


 早池峰山の山頂がはじめて白く雪化粧されたその日、真新しい赤い首輪を付けた子犬は雪子と一緒に、アスファルトの道にシールのように貼られた銀杏の濡れ落ち葉の上を歩いている。


 今までであれば、日曜日の朝は昼近くまで布団から出てくることのない雪子であったが、今ではまるでうって変わったように、『チコ』と名付けた雄の子犬と散歩するのが休日の日課となっていた。

 両親はそれだけでも犬を飼った甲斐があったと冗談のようにいつも話している。


「おばあちゃん、おはようございます」


「あんれ、雪子ちゃん、今朝も早ぇなぁ」


 すれ違うだけの老婆とのやりとりがあたりまえのようにあるこの街を、雪子は大好きであった。


 夏油川のせせらぎを耳に、農道の小さな石橋を渡り終えると、道は丁字路になっていて正面に天狗森神社の小さなお社が杉林の奥に鎮座しているのが見える。

 この道は左に行くと水沢市に行き、右に行くと兎森山に続く県道に抜けるため、地元の住人達の大切な生活道になっていた。


 ナナカマドの実は赤く色付き、ブナの樹は葉をすっかりと落として、幹のなめらかな白肌を見せていた。


 突然チコが嬉しそうに短く吠え、尻尾をプロペラのように振った。


『天狗森神社』と流暢な字が彫られた大きな石碑の後ろに何かいるらしい。

 雪子は、時々見かける狸か、近所の飼い猫かと大して気にもとめていなかったが、チコがそちらの方に行きたそうにしていたので、ほんの少しだけ、神社に向けて足を進めた。


「あっ!」


 石碑の陰から顔を除かせたのは、チコと初めて出会った時に、あの場所にいた少女であった。


(見つかってしまった……あの子犬、すごく感がいい)


 少女はそばにいると思われる誰かに話しかけ、ぴょんと石碑のすぐ後ろにある木製の鳥居下から軽やかに跳んで雪子の前に現れた。桜色のセーターにジーンズ姿と、見た目はどこにでもいる少女であったが、髪と瞳が前に会った時以上に印象的な栗色をしていた。


(ハーフの子かな?)


 雪子が一目見てすぐにそう思ったほど、少女の肌は白かった。


「この街の子だったの?」


「ううん、ちょっと用事があって……その……来ているだけです……けど……」


 遠く離れた街で大きな災害があってから、子どもたちが親戚の家に来ていたり、家族で引っ越ししてきたりと、このような閑静な街にも人の動きが多少あることを雪子は知っている。


 チコは撫でてもらいたいのか、きゃんきゃんと短く吠え続けている。


「そう、そうなの」


 その少女は雪子の答えをはぐらかし、チコの鳴き声に頷いている。


「えっ?」


「わかったわ、もう鳴くのはやめましょうね」


 チコは少女の笑顔の一言にぴたりと鳴くのをやめ、地面に腹を見せ寝そべった。


「すごく、この子は幸せだって言っている、それを私に教えたかったみたい」


「犬の言葉が分かるの?」


「分かったらいいなと……思う」


 少女は、照れくさそうに笑った。


「あの……名前教えてくれるかな、チコの命の恩人だしね、私は雪子、『墨染雪子』で、この子はチコって付けたんだ」


「雪子とチコ?素敵な名前ですね、私の名前……あっ……のの……『のの』って言います」


 少女の表情が少しだけ和らいだ。


「何年生?」


「えっと……ううん、六年生……です、でも、今は休んでいます」


 丁寧でなまりのない言葉遣いの「のの」に雪子は少し戸惑った。顔見知りの近所の小学生は、あまりそういうことを意識しないで親しく話しかけてくる。

 雪子はやはり「のの」が都会出身の子だという思いを深めた。


「うちはこの近くなの?」


「ここからすぐです」


「ふぅん」


 なだらかな丘陵のような山に囲まれたこの場所から見える家は数件しかない。そのうちの一軒なのだなと雪子は思った。


「チコちゃんの散歩の途中なのでは?チコちゃんが待っているようです」


 ののにそう言われて、雪子が目をやると、犬のチコはきちんとお座りをして舌を出しながら嬉しそうにしっぽを振っている。


「あっ、いけない、それじゃ、ののちゃん、またね」


「はい、また」


 雪子がチコと一緒に道の向こうに小さくなっていく。


 ののの背中から肩越しに小さい白色のフェレットが顔をのぞかせた。


「けけっ、のの、お前、なにお嬢さんぶってやがるんだ、お前らしくないじゃないか、俺様はびっくりしちまったぜ」


 白フェレットは、腹をかかえるような仕草で頭の上で半立ちになった。


「スッケ、のぞき見はよくないでしょ、まさか、あの子犬に見つかっちゃうなんて、私もそこまでは考えていなかった」


「匂いだよ、匂い、人間族の匂いを俺たちに隠すことなんてできないだろ」


 ののは、黙って右中指と親指をくっつけ、頭の上にまだいるスッケと呼ばれるフェレットの横腹をパチンとはじいた。


「痛っ!何するんだよ」


「のぞき見の罰をもっと受けたいの?じゃないと……」


「わかった、わかったよ!」


 スッケは、ののの肩から勢いよく下りて、鎮守の森の中にかけていく。もう、ののの立っている場所から雪子の姿は見えなくなっていた。



(四)


「えっ、女の子?私もここに来ているなんて知らないなぁ、神社の側だから、渡辺さんち?笹野さんちかなぁ」


 学校の教室の廊下で、『餅草月美もちぐさつきみ』が雪子の前で住人の家を指折りながら思い出していた。


「あの辺は、大きな農家が多いもんね」


「でも、ハルが言っていたんだけど、小学校でも転校生は増えているみたい」


 彼女は少し悲しそうに下を向いた。柔らかそうな前髪が月美の表情を軽く隠した。


「そう言えば、つっき、スマホは買ってもらえそうなの?」


「うちなんて、親うるさくてさぁ、でも、ハルとヒコには甘いんだよなぁ、そう言う雪はどうなの」


ハルとヒコは月美の双子の弟である。


 月美はそう言って、陽の光が差し込む窓によりかかった。


「チコがいるからね」


「雪、あんたいつからそんなに素直になったの?」


「えっ……素直だと思ってくれていたの」


 二人は目を見合わせて楽しそうに笑った。予鈴のチャイムが午後からの授業のはじまりを告げた。


「今日、学校終わったら行ってみない?どうせ部活休みだし」


「だって、学力テストの前だから休みなんじゃないの?」


「私、餅草月美にできないことなんてない!行くか、行かないかだ、雪!あんたどっちをとるの?」


「行ってみようかな」


「よぅし!決まりだ!」


 真面目を絵で描いたような雪子にとって、明るい月美はかけがえのない親友であった。



 放課後、月美のこぐ自転車は雪子の今いる夏油川にそった市道から遙か前を行く。昼こそ柔らかい日差しを与えてくれる太陽であったが、午後三時を過ぎる頃にはすっかりその力を弱め、曇り空のような光が景色をぼやけさせている。耳にあたる風はもうすっかり冷たい。


「雪ぃ!遅いぞぉ」


 遠くで自転車を止め振り向く月美が、手を振りながら雪子を呼んだ。その向こうに『天狗森神社』のこんもりとした杉林が見えてきている。


「つっき、本当に元気だよね」


 ようやく神社の前で息を整える雪子に、月美は気にすることなく辺りの様子を見回した。


「子どもの頃は、よく来たけど、寂しいよねぇ。私のようなかわいい女子には似合わないよ」


「誰がかわいいって?」


「その答えを聞きたいか……雪よ……」


「ううん、やめとく」


 月美の言葉の通り、市道から三段ほど小さな石段を登った所に広がる境内には、古いお社だけが境内の中にぽつんとあるだけで、むろん社務所などはない。


 自転車を石段の下に止め、二人は鳥居の下に立った。


「雪……」


「何……?」


「蛇がいたら、いくら親友の雪でも私は見捨てるからね」


「もう冬眠しているんじゃないの?」


 蛇というものは実に不思議な生き物で、見たくない人ほどその姿をよく見ると言われている。

 雪子の的を射る返答に納得できない月美は、少し警戒しながら知らず知らずのうちに彼女の後ろを歩いていた。


「つっき、さっきの元気はどこに行ったのよ」


「元気よ……でも、ここってこんなに静かだったっけ」


「多分……」


 百舌鳥が、杉の木の上の方で鳴きながら枝をかさこそと揺らした。


「きゃっ!」


 その音に二人は同時に驚きの声を上げ、お社に背を向け鳥居の方に急いで駆け戻った。神社の目の前の道を農協の帽子をかぶった老爺の運転しているトラクターが行き過ぎていった。


「雪……そう言えば、私たち、女の子を見に来たんだよね、何でこんなに汗をかいているんだ」


「だって、つっきが先に走るから」


「雪の方が最初に走った」


「つっきの声が大きいから」


「神様に誓って、雪の声が大きかった」


 ののとスッケは、雪子たち二人の些細なやりとりを間近の杉の梢の枝に座って見ていた。


「くだらねぇ話で盛り上がってんなぁ、あの二人、俺にはわからないぜ、でも、気を付けなきゃならねぇ、ののを捜しに来たみたいだぞ、のの、お前はぬけているところがあるからな、気を付けろよ、面倒なことになりそうだったらやっちまえばいいんだ」


 ののはスッケの言葉に耳を傾けることもせず、二人のやりとりをうらやましそうに見ている。


「あぁ、めんどくせぇ,腹減ったぁ……今日もドングリ鍋なんていやだよ」


 暇をもてあましたスッケは少し離れた枝先に近い場所で、あくびをし、大きく伸びをした。すると突然、枝が軽い音をたてて折れ、スッケは真っ逆さまに地面に落ちていった。


「しまった!俺様とあろうものが!ののぉぉぉ!」


「いけない!」


 杉の小枝を抱きかかえながら叫ぶスッケの声に気付いたののはすぐに指から星の砂を蒔いた。スッケの身体の下に透明なクッションができた。


 スッケを地面との激突から救ったクッションは紙吹雪をまきながら破裂し、スッケの身体を再び大きく跳ねさせた。


「何の音?」


 驚く雪子と月美のすぐ目の前に白フェレットが落ちてきた。


「蛇!」


 月美は細長い身体を見て蛇だと勘違いし、自分の自転車の方にもう走っている。スッケは頭をかきながら、その場に二本足で立った。


「痛ててて……蛇とは失礼だな、あんな無粋な連中と一緒になんかしてほしくないな……俺様には『スッケ』という素晴らしい名前が……あっ……」


 変わった動作をしながら人間の言葉を高温で発する白色のフェレットを、雪子は目を丸くして見つめていた。


 気まずい沈黙の時間を断ち切ったのは「のの」であった。杉の幹の後ろから飛び出してきて、腰をかがめスッケを後ろから抱いた。腋の下をもたれたスッケは、下半身をぶらぶらとさせながら雪子の驚き顔をまだ見ている。


「のの……ちゃん?」


「雪子さん……こんにちは……」


「このフェレット、ののちゃんのペット?」


「うん、一応ね……」


「人の言葉……しゃべっていたような……」


「ま、まさかです……。この子……ぷぅとしか言いません」


 後ろ足をだらりとさせたまま、スッケは「ぷぅぷぅ」と短く鳴いた。


「そう……そうよね」


「おぅい、雪ぃ、何してんだよぉ。あれ……?……その子……」


 様子を見に戻って来た月美に、ののは丁寧におじぎした。


「こ、こんにちは……」


 恥ずかしそうにフェレットを抱えて立つののを見て、月美は喜んだ。すぐに側に近寄って話しかけた。


「君が……ののちゃん?」


「はい……この子はフェレットのスッケと言います。うちから逃げ出しちゃってずっと探していたんです。すごく落ち着きのない子だから……」


「私なんて、最初このフェレット、蛇だと思っちゃった」


 月美がののに笑いかけながら、スッケの頭を軽くなでた。


(おい、この姉ちゃん、俺のこと蛇とか言いやがったぜ。それによぉ、のの、落ち着きがないというのは聞き捨てならねぇなぁ、第一探してなんていないだろ、さっきまで二人で木の上にいただろ)


(しっ、おだまり)


 スッケは動物の鳴き声でののに訴えたが、腋を軽くきゅっと締め付けられただけであった。


「きゅっ!」


「あの……雪子さん……あと……」


「私?月美、餅草月美、つっきと呼んでくれていいよ」


「つっきさん、今日は会えて嬉しかったのですが、これからすぐに家に戻らなくちゃいけないんです。この子、連れてかえらなくちゃ……」


「ねぇ、ののちゃんってさぁ、どこの家に住んでいるの」


 雪子は、こうも簡単に聞きたかったことが分かるとは思ってもいなかった。自分の代わりにすらすらと質問する月美を見て雪子は少しうらやましく思った。


「あの……あっちです……。それでは、失礼します」


 スッケを持ったままの両腕で、その方向を指し示した。お社の方向から裏山へと続く、細い藪道であった。ののはそう言うと頭を下げて、その道の方向へ走っていった。


 雪子と月美は、あっという間に立ち去ったののの姿をゆっくりと目で追った。


「あの道の方に家なんてあったかな……」


 雪子は思ったことを何気なく口にした。


「それを確かめに行くのが、今日の私たちの使命であぁる!行くぞ、雪!」


「えっ、どこに?」


「ののちゃんの家だぁ!」


 月美の行動はいつも早い。

 たたずむ雪子の手をぐいと引いて、ののの消えた藪道の入り口に向かっていった。あれほど怖がっていた蛇のことは、もうすっかりと忘れているらしい。


 緩い斜面を登っていくと、笹藪が途切れ、葉を落とした広葉樹の雑木林だけが広がっていた。


「あれ?道を間違えたかな……?」


 初冬の澄んだ空気は、田畑のはるか向こうにある街並みをすぐ側にあるかのように二人に感じさせた。


 夕方を告げるお寺の鐘の音が家路に急ぐ自動車の行き交う音の中に消えていく。

 優しい姿をした早池峰山はもう藍色の薄い夜着に着替え、一日の終わりに入る準備をしていた。



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