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ヒトという字は。



 夕食を取り終えた頃には、すっかり日も沈んでいた。

 俺は壁側に配置したベッドに腰かけ、星空を眺める。空いっぱいに星が煌めいていた。

 普段よりも鮮明な輝きに、ほう、とため息をつく。黒いキャンバスに絵の具を散らしたかのようなその無数の煌めきは、心が洗われていくかのような感動を与えてくれた。


 ふいに、二回ノックする音が聞こえる。返事をすれば、おずおずとミコが顔を覗かせた。

 風呂上がりなのだろう。湿気った髪にバスタオルを乗せて、頬も少しだけ紅く染まっていた。


「……かずや。彼女はまた、来るのでしょうか」


 ぼそりと。ミコが呟く。


「来るだろ。今回のは小手調べみたいなもんだろうからな」


 俺の返答に、ミコは押し黙った。

 こちらの世界は、彼女にしてみれば非日常の世界だ。加えて、襲ってくるのは知人。嫌な仕事を与えてくるとはいえ、多少の情もあるのだろう。


「すみません、変なことに巻き込んでしまって」


 しゅんと落ち込んだ様子で、ミコは謝った。

 縮こまった身体が、小さな身体をより小さく見せる。

 あちらの世界でのいざこざを俺に背負わせてしまったことに、罪悪感を感じてしまっているのだろう。

 が、俺から言わせてみれば。

 何故そんなに気負う必要があるのか、と。想像はできても理解できない事だった。


「何を言ってる? 俺が巻き込まれたのは、お前のせいではなくあのクソ女神の仕業だし、お前を巻き込んだのは他でもないこの俺だ。謝ることなんて何も無い。むしろ俺がお前なら、ぶーぶー不満ばっか言ってただろうさ」


 俺の言葉を想像したのだろう。

 ミコは少し黙った後、くすくすと笑いだした。


「確かに。かずやならありえるです」


 鈴を転がした様な、心地のいい笑い声だ。


「でも、今日の感じを見るとちょっと安心です」

「安心?」

「ほんの少しの異能であんなにサクッと倒せるなら、この先も何とかなりそう、って思ったですよ」


 ミコは笑顔でそう語った。


「……そう、だといいんだがな」

「……かずや?」


 ミコは安心というが、俺は全く逆の意見だ。そこまで楽観視できない、と言うのが正直な感想だった。


「あっちではほとんど時間は経っていない中で、あのクソ女神はあれだけの戦力を用意して見せた。次からは、しっかりと準備・対策を練った上で仕掛けてくるだろう。さっきも言ったが、今日のは小手調べ程度だ、という認識で動いた方がいい。恐らく、攻め方も変えてくるだろうからな」


 俺の言葉に、ミコは一気に顔を青くする。

 一挙手一投足でころころと表情が変わっていくものだから、俺は可笑しくて、つい吹き出してしまった。


「とは言え、だ。大丈夫、そんなに焦る必要も無い。あっちが時間をかけて準備するって事は、こちらにも猶予ができるって事だ。俺らは、その間に対策を確立すればいい。時間はある」


 俺は彼女の頭を軽く撫でた。妹と話している時みたいだ、と。ふいにそう思った。


「とにかく、今日は環境ががらりと変わって疲れたろ。ゆっくり休んで、これからの事は明日考えるといい」


 なんだか女神を相手にしているようには思えないなぁ、と感じる。今は隠しているだけで、彼女には翼も頭上の光る輪っかもあるのだから、女神であるのには間違いは無いのだろうが。


 ふと。思い立って、俺はミコに質問する。


「……なぁ、ミコ。お前はさ、この世界、好きか?」


 ミコは少し驚いたような顔をした後、ゆっくりと微笑んだ。


 ――――あぁ、畜生が。


 彼女の顔を見て、俺は。軽はずみな質問をした自分を、殴り倒したくなった。


「ぼくが創った世界は、もう無くなっちゃったですから」


 触れれば消えてしまいそうな程に、儚く。

 とても寂しそうに笑う彼女に、俺は言葉をかけてやることが出来なかった。





 ミコが寝室に向かってしばらくして。

 俺もそろそろ布団に入ろうと、トイレを済ませた時だった。


「かぁーずぅやぁー、きゅんっ!」

「のわっ!」


 唐突に背中に負荷がかかる。

 見ると、千亜希が背後から抱き着いてきていたのだった。


「ぬふふぅー、もうおねむの時間かぁ? かずやきゅん」

「酒臭っ!」


 背中に千亜希の身体が密着している。

 彼女のその服の上からも大きく主張していた豊かな双丘が、俺の背中に押し当てられていた。

 こいつ寝る時はノーブラワイシャツスタイルか! ありがとうございますッ!


 とはいえ、彼女の口からは、今しがた大量摂取したのであろうアルコールの臭いがぷんぷんしている。落ち着いてみれば、ラッキースケベと興奮する気も起きない、残念な体たらくだった。


「そうだよ俺は今から寝る。暑苦しいから話せ酒狂い」

「照れるな照れるな少年ー! 童貞くさいぞぉー」


 …………うっざ。


 口から出かかった言葉を、何とか飲み込んだ。


「照れている様に見えるのなら明らかに飲みすぎだ。いいから離れてくれ」

「いやいやぁ、ぜぇんぜん酔ってないれすよー? というか、まだまだいけるッ! おまえも呑むぞぉー!」

「俺未成年なんだけど!?」


 抵抗も虚しく。俺は首根っこをつかまれ、リビングに連れていかれた。


「おうふ……」


 一生懸命に整理整頓したはずのリビングが。

 気が付けば、空き瓶や空き缶で溢れかえっていた。


 思えば掃除の時、新築にしては異様に多い酒関連のゴミに驚いてはいたんだ……。

 成程、あの時は友人でも連れ込んで、はしゃいだ後の名残かと思っていたが。ゴミ袋5つ分の酒カスは全て、千亜希一人で築き上げたものだったらしい。


「ほらほらぁ、呑め呑め~!」

「あぁもう分ったから鬱陶しい」


 完璧にキマっている。こうなってしまったらもう何を言っても無駄だろう。

 俺は観念して、冷蔵庫を開け、コーラをグラスに注いだ。


「かんぱぁーいッ」


 ちびりとコーラを口に運びながらも、俺は千亜希を観察する。

 心底幸せそうに酒を飲み、つまみを楽しむ彼女。鼻歌なんかも口ずさんで、ご機嫌な様子である。

 ふと思い返せば3年前。親父の実家で、千亜希と初めて会った日だ。あの時受けた印象と今の様子では、大きく違うように思う。


 親戚に囲まれながら酒を飲む千亜希は、高潔で完成された人間、といった雰囲気だった。

 周りのペースに合わせながら呑み、話す。口調も丁寧ながらも張りがあり、隙が無い。まさに理想的なビジネスマンを体現していた。

 そういえば、新進気鋭のやり手若女社長として、雑誌やテレビのインタビューも絶えない人なんだと、親父が言っていたような気がする。


「よぅ、少年。……いや失礼、もう青年だな。青年は、今の世界をどう思う?」


 それが、あの日、千亜希が俺に投げた、初めての言葉だった。

 ふらつくのだろう、開けた襖にもたれかかりながらではあったが。アルコールが回り始めているのか、彼女の整った顔は、少し紅潮している。


 若いながらも己一人で会社を立ち上げ、成功させた女性、馬場千亜希。俺にとって彼女は、生理的に苦手意識を持ってしまう人だった。

 成功者と、失敗者。そんな、自分の胸の中に燻っていく嫉妬を感じるのも、苦痛なのだ。


「……見える服を着ている者だけが、人間として認められるのかなって」


 俺は、彼女の問いに取り合うつもりなんて毛頭なかった。なんてことない言葉遊びでお茶を濁す。視線すら変えず、携帯ゲームの画面に落としたままだ。


 千亜希は、ふむ、と少し考える様に俺の事を眺める。そしてぽつりと、呟くのだった。


「……ハハ、おもしれぇ男」


 ――――俺に向かってなんだその乙女ゲーにいる高飛車キャラみたいなセリフは。 

 ただ、彼女の言葉にツッコんだ負けなような気がして、俺は無視を貫いた。

 対する千亜希は、どこか満足そうに微笑んだ後、何事もなかったかのように宴会へと戻っていったのだった。


「ねぇ~っ! 聞いていりゅのかぁ~!?」


 千亜希の声に、はっと我にかえる。ノーブラワイシャツ千亜希が、頬を膨らませながらこちらを睨んでいた。

 あの時、彼女が俺に投げた問いの真意は何だったのだろうか。考えてみても、答えは見つからなかった。ただ、今の彼女の様子を見ている限りだと、真意もクソもないんじゃないかと思ってしまう。ただの酔っぱらいのウザ絡みだったんじゃないだろうか……。


「だからぁ、二人はなんか、ちょっと張り詰めすぎだって話ぃ~」

「張り詰めすぎ、ですか?」


 昔の話だか、今の話だか。この酔っ払いに聞いてみても、あまり意味はないように思う。だが、確かに俺たちは、必要以上に他人と距離と壁を築きすぎているきらいがある。


「もっと大人に甘えたっていいんだよ……」


 アルコールがかなり回っているようだ。千亜希は顔をしかめながら、ゆっくりと机に突っ伏した。


 甘える、か。来年は成人だ。俺がそうするには、少し年を取りすぎてしまった。陽菜に聞かせたい言葉だが、彼女はもう、ここにいない。ただ、ミコは……。

 俺たちの命を一心に背負ってきただろうあの少女は、果たして。誰かに甘えることを、知っているのだろうか。


 俺は、短く息を吐き、立ち上がった。

 台所に行き、新しいコップを出してそこにミネラルウォーターを注ぐ。


「じゃないと、私みたいに、この年になっても嫁の貰い手が無くなっちゃうんだから……」


 半ば独り言のように、千亜希は、ぽつりと漏らした。


 ――――あぁ、そうか。


 完璧で、完成されていて、恵まれて、成功していたとしても。……いや、だからこそ、か。

 自分ではどうにもならなくなってしまう程に、他人が距離を取ってしまうものなのか。

 真反対にいると思っていた彼女でさえも、俺と同じ。緩慢な孤独が蛇のように巻き付いてくるのだ。何と皮肉なことだろう。


「なぁ、千亜希さん……」


 彼女に向けた言葉は、しっとりと夜の時間に溶けて、そのまま続きが出ることはなかった。

 規則的に聞こえる呼吸音。時計を見れば、午前1時を回っていた。


「おーい、千亜希さん? おーい……」


 声をかけ、体を少し揺らしてみても、全く起きる気配はない。彼女もまた、環境が変わった変化で疲れてしまっていたのかもしれない。


「まったく……」


 俺は、なるだけ起こさないよう、細心の注意を払いつつその体を抱える。

 そのままソファに寝かせて、おなかを冷やさないよう手ごろなタオルケットをかけてやった。


 すやすやと眠る彼女の顔は、とても無邪気で、どこかあどけなく感じた。


 俺は、胸にふわりと沸いてくる、この初めての感情に、正直戸惑っていた。

 まるで心の裏側をくすぐられるかのような、くすぐったい気持ち。戸惑い、違和感を感じてはいるけれど、でもそれは不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。


「……お休み、千亜希さん」


 両親が他界してから、陽菜以外には言うことのなかった言葉を口にして。

 無意識に表情が、柔らかく微笑んでいくのを感じた。





 ――――翌日。


 けたたましく鳴り響くインターフォンの音で、俺は目を覚ました。

 うるさい。うるさすぎる。来客だとして、千亜希は何をやっているのか。さっさと対応して、この迷惑な音を鳴りやましてほしい。


 一言千亜希に文句でも行ってやろうと思い、俺は階段を降り、リビングへと向かった。


「ぬおぉ……、ぬおぉぉおおおおぉぉぉ…………ッ!!」


 するとそこには、のたうち回る飲みすぎアホが一匹、転がっていた。だめだ、コイツは今何の役にも立たない。


「た、たしゅけて一夜……!」


 悲痛で顔をゆがめる千亜希を、心底冷めた目で俺は一瞥し、玄関へと向かった。


「はいはい今出るから! まったく朝からうるせぇな……ッ!」


 気持ち苛立ちを抑えつつ、ドアを開ける。それでも多少荒くなってしまったが、そこは許してほしいものだ。


 俺は、不躾に何度もインターフォンをかき鳴らす来訪者に視線を移した後、一言呟いた。


「…………うーわ」


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