やめてよね。
ピンポーン。
唐突に、チャイムの音が響く。
だが、俺はそれを無視して、ソファに腰をかけた。同時に、テレビの電源も切る。
「……出ないですか?」
きょとんとした表情で、ミコは俺に問う。
「出ない。ラヴィが動くのはまだ先だろうが、用心に越したことはないからな」
奴はあらゆる方法を用いて、俺を亡き者にしようとするだろう。刺客を寄越してくるとも限らない。そうじゃなくても、宅配や出前も頼んでない状態でやってくる来訪者だ。きっとろくなものじゃない。
再度、インターフォンが鳴る。
「まだ先って……、なんで分かるです?」
「家を出てから今まで、体感では半日もない。なのに、実際には1週間も経ってた。つまり、こっちの世界とラヴィがいる空間では、時間の進むスピードが違うって事だ。ラヴィがアクションを起こすにしたって、準備時間はどうしても発生する。要するに、今は1ターン休みって事だな」
再度、ピンポン。
「なるほどです……!」
ほえぇ、と、感心したようにミコは唸った。
「とは言ってもやることは山積みだぞ」
またインターフォンが甲高く鳴り響く。
俺は音が止むのを待つ。
「……トラ転なんて言葉がある様に外は危険しかないから、基本引き籠る」
また、鳴る。今度は三回連続だ。
「…………加えて、病死や刺客にも対処が必要だ」
またも鳴り響くインターフォン。鳴らしている方もイライラしている様だ。連打のし過ぎでいちいち話が中断され、話をしているこっちまで苛立ってくる。
「……食料、医薬品、護身道具諸々をなるべく多く準備し……」
さらにインターフォンの連続音。16連打くらいされただろうか。
「どちゃくそうるせぇなっ!?」
高〇名人かよ。
鳴り止まないどころか加速していくインタ音。流石の俺も耐えられなかった。
観念し、来訪者の姿が映ったモニターを見る。
20代後半だろうか。画面には、長い髪でスーツ姿の女性が映っていた。
営業かとも思ったが、営業があんなはた迷惑な連打ピンポンをするはずもない。
また鳴らされても五月蝿いだけなので、通話ボタンを押した。
「どちら様?」
『私だ』
いや誰だ。そんな暇を持て余した神様みたいなことを言われてもわからんぞ。
『馬場千亜希だ』
馬場……、馬場……。ちあき……。
記憶を辿る。その名前を、どこかで聞いたことがあるような気がしてならない。
「なんの御用です?」
『…………お前、もしかして覚えてないか? ハトコの千亜希だ。3年前の正月、神奈川で会ったろう』
神奈川と言えば、親父の実家だ。確かに3年程前に、家族で行ったが……。なにぶん、親戚とはろくに話もせず、用意された部屋で妹とゲームばかりしていたもんだから、記憶が曖昧だ。
「悪いけど、覚えてないっすね。後、今ちょっと立て込んでるんで後日にしてもらってもいいですか」
嫌な予感しかしない。生死に関わるという感じのものではなく、どちらかと言うと、面倒臭い系の予感だ。
『残念だが、急ぎの用事だ。オートロックを開けろ』
「お断りします。あまりしつこい様だと国家権力に頼ってしまいそうになりますので、お帰りください」
『ふむ。親戚相手にそれは悲しいな。とはいえ、警察を呼べば困るのは君の方だと思うがね。一夜君』
内心、舌打ちをする。
彼女の目的に見当がついてしまった。
俺は少し迷った後、オートロックを解除した。
『……相変わらずの察しの良さだ。助かるよ』
彼女がそう言い終わるか終わらないかのうちに通話を切る。そして、すかさずミコに視線を向けた。
「すまんが、来客だ。ミコ、その翼と頭の上の奴、隠せるか?」
「できるです!」
ミコがくるりと人差し指を回すと、光輪と翼は光の粒子になって消えていった。
少し間があり、玄関先のインターフォンが押される。念の為、モニターとドアスコープで姿を確認し、ドアを開ける。
「よぅ、久しぶりだな。邪魔するぞ」
千亜希は、にっかりと笑いながら右手をあげる。そのまま許可も得ずにずかずかと入ってきた。
「おぉー、随分と綺麗にしてるじゃないか」
見渡しながら、我が物顔で歩く彼女。遠慮という概念すらなさそうな態度だ。
「妹と2人で暮らしていると言うから、もっとごちゃっとしているものかと思ったが……。お?」
リビングへのドアを開けた彼女が、一瞬フリーズする。
ソファーでは、ちょこんと座ったミコがこちらを見ていた。当然、あちらの空間の格好そのままだ。
……見た目中学生ぐらいの女の子が、野郎のいる部屋で巫女服姿。千亜希は迷わずスマホを取りだした。
「ちょいちょいちょいちょいっ! ストップだそういうんじゃねぇから!!」
慌てて止めに入る。危ねぇ……。あと少しで事案になる所だった。
「こいつの格好については、こういうもんだと流してくれ……。説明してたらキリがない。それで、ハトコ様は何しに来たんだよ」
「お前の事だ、既に分かっているのだろう?」
千亜希は、にやりと俺を見た。
警察が来れば俺が困る事を知っていて、かつ親戚を名乗るとなれば、その目的も限られる。
「大方、俺達を引き取りに来たんだろう? それも、有無を言わせずに」
「かずや、どういうことです?」
話に置いてけぼりなミコに、俺は説明する。
「両親他界、かつ両方未成年の二人暮し。その上、でかい事故に巻き込まれたとなれば、今まで放置してきた親戚共も動かざるを得んかったんだろ。んで、その厄介事を押し付けられたのがこのハトコ様ってこった。奇人変人だと思われてるからな、俺らは」
以前、両親の遺産目当てで寄ってきた奴らを、片っ端から追い払ったことがあった。その結果、俺ら兄妹は触れてはいけない面倒な人種として、扱われているのである。
家庭内状況や事業内容・業績を徹底的に調べて、お前らが資産運用するぐらいなら、俺がやった方がまだマシな事実を正直に伝えただけなのに。おっかしぃなぁ。
「ところがどっこい、個人的に名乗り出たんだな、これが。安心するがいい、私はあんた達の資産にはこれっぽっちも興味が無い。自力で充分稼いでいるからな」
そういえば、と、思い出す。
不動産会社を経営する若社長。それが馬場千亜希という女性だった。
「君についての噂もかねがね、と言ったところだよ、一夜君。資産についても、自分で運用したいならしてみるといい。アドバイスならいくらでもしてあげよう」
「そりゃどうも。……で? あんたにメリットは何がある?」
睨む俺に対し、千亜希はくすりと微笑んだ。
「一人っ子だったのでね。弟や妹に憧れているのだよ。それに、君達兄妹の将来性に、多大な期待を寄せている」
穏やかな、優しい微笑みだった。さばさばしたぶっきらぼうな性格の女性かと思っていたが、こんな表情もするのかと思う。
俺は、諦めの混じった大きなため息を一つ、ついた。
「どのみち、手回しは終わってるんだろ? ここで俺らが拒否ったとしても、結局警察や児童相談所に通報されて終わる。……まったく、詰みだ詰み」
俺は、ミコの前に置かれているマグカップを持ち上げながら、ミコに言う。
「――と、いうわけだ。さっさと身支度をするぞ、陽菜」
えっ、という表情を俺に向けるミコ。それはそうだろう。もちろん、その顔を千亜希に見られないように、わざわざミコの顔が彼女の死角に来るように移動するのも忘れていない。
話を合わせろ、と、視線でミコに伝える。
「あ、は、はい、です」
ミカは、たてとてと『ヒナの部屋』と看板が吊り下げられた部屋へと入っていく。
我ながら酷い嘘だが、ミカの事を説明し信じてもらよりは遥かに手っ取り早い。ミカも陽菜も、体格はさほど変わらない。服に関しては何とかなるだろう。暫くミカには我慢してもらう事にはなるが。下着等々、デリケートな物は適当な理由をつけて新調するしかない。
「さて、やりますか」
住み慣れた家だが、暫く帰ってくることもないかもしれない。
そんな哀愁を感じつつ、俺は身支度を始めるのだった。
――――そうして。
身支度を終えた俺たちが、家を出てから3時間後。
照りしきる太陽、むせ返るほどの湿気、あちらこちらで喚くセミ、生ぬるい風にそよぐフェニックスの木。
――――何を隠そう、俺たちは。
「……ようこそ! 宮崎ブーゲンビリア空港へ!」
はしゃぐ千亜希をよそに、俺は心底げんなりする。
俺たちは。
九州の一角、日本のひなた。
……宮崎県へと、辿り着いていた。