プロローグ。
「だが、断るッッ!!!!」
まるで、ゴゴゴゴゴと文字が背後から浮かび上がらんとばかりに、音の振動が辺りに広がっていく。久々の大声だ。自分の発した声で体がびりびりと痺れたのは、産まれて初めてではなかろうか。
いやはや。大声はストレス発散になるというが、成程。なかなかに気持ちいいもんだ。
ーーーーさてさて。まずは状況を整理しよう。
今俺がいるのは、非日常的な切り取られた空間。雰囲気は、西洋神殿の祭壇、と言われれば一番近いかもしれない。
果てもなく続く、空色の空間。その真ん中にポツリと、祭壇が浮かんでいる。端的に表現するならば、今俺がいる場所はそんなところだった。
さて、何故そんな異空間甚だしい場所で、某漫画の名台詞丸パクリシャウトをしたのかと言えば、答えは単純。とある問いかけに答えるためだった。
俺に問うた張本人ーーーー。見た目18の、所謂“女神”と呼称される少女。少女は、俺の予想外の回答に、大きく目を見開いていた。
つい先ほどまで彼女は、目標の達成を確信していたのかもしれない。だが俺は、それを容易く裏切った。故の愕然。故の驚愕。
その表情は、まさしく俺の想定内。開きっぱなしの口、固まる体。いい反応だ、素晴らしい。善いぞ善いぞぉー。
沸き上がる愉悦に口端が釣り上がるのを自覚する。なるほど確かに、確信を容易く打ち砕かれた人の表情ほど唆られる。これ以上の快楽はないのではないかとさえ感じるほどだった。
性格ド腐れ下郎人種。根性ねじ曲がりの下衆野郎。昔誰かに、そう評価されたことがあったなぁ。確かに今の俺の顔は、きっとそんな笑みをしているのだろう。
「驚くこともない。俺と言う人間を知っていれば、容易に導かれる結論だ。知らなかったのであれば事前調査不足だなぁ? 女神サマ」
薄ら笑いを浮かべたまま、俺は女神へと言葉を投げた。
「他のやつなら知らんが、ここで俺が言えるのはたった1つだ」
彼女も状況を理解しだしたか。綺麗に整った顔が、徐々に敵意へと変わっていく。
なればこそ、声高らかに問おう。紡ごう。
きっと、俺が用意出来る最善など、それぐらいしかないのだから。
「異世界転生ぇ? なにそれ。おいしいの?」
ーーーーかくして。俺は神様に。
最大の煽り文句を、叩きつけたのだった。
遡ること3時間。
「確認番号6917、龍城一夜です。ほら行くぞ。陽菜」
係員にチケットを見せた後、妹を連れてバスへ乗り込む。正確には、妹に連れられて、だが。
中へ入った途端、ひんやりとした風が首筋を過ぎた。
新宿発の山梨へと向かうリムジンバス。空調が効いていてちょうどいい。外の蒸し暑さとは大違いだった。
少し薄暗い車内を進み、陽菜を窓側へと座らせる。夏休みシーズンということもあってか、車内では親子連れやカップルの姿が散見されていた。
ふと、思う。
もしかすると、俺達の事もカップルだと思う人もいるのだろうか。
シートに体重を預け、少し思考してみた。……いや、無い無い。俺は19、妹は12だ。さすがに犯罪臭がする。
陽菜は、まだ発車もしていないのに外の景色を眺めていた。身長140センチの小さな体は、窮屈なシートでも広々と出来て都合が良さそうだ。
「にぃに! 楽しみだね、山中諏訪神社っ!」
アホ毛とツインテールが、ぴょんぴょん揺れている。彼女がどれだけ今日を楽しみにしていたか、それだけで容易に想像出来た。
山中諏訪神社。山梨県にある観光スポットの一つ。山梨と言えば、富士急や石和温泉、山中湖だろうに、何故そこをチョイスした? と、普通ならば思うだろう。無論、時間があればそれらにも足を運ぶつもりではある。が、少なくとも妹の中でのメインは、あくまで神社だ。
スマホを開いて調べてみると、その神社は豊玉姫命を祭神とし、縁結び・子授け・子宝・安産・子育てに御利益があることで有名らしい。
……そんな所に行くのか。しかも妹と。
そう思うとますます犯罪臭マシマシだ。いやしかし、安心して欲しい。そもそもその神社に行きたがっているのは妹である。そして彼女自身も、ご利益目的でそこを訪れるつもりなど、毛頭のひと細胞すらもないのだ。
「はぅあぁ~。火折様や海神様が、私を待っているぅ~! んむふふふふ」
隣で、1人でぶつぶつなんかぶつぶつ言っている。……いや、イカれてる訳じゃないんだ。決して。
正常も正常。故障なしの平常運転だ。
ーーーー話を戻そう。今回の旅行の目的は、ありたいていに言うと聖地巡礼である。
山中諏訪神社は、ゲーム『薄桜色の百夜乱舞』の舞台。そのモデルとなった場所である。そのゲームは、彼女がプレーした中で最もドハマりしもので、所謂乙女ゲーとよばれるジャンルのものだ。
――そう。
妹も。そして、何を隠そうこの俺も、重度のオタク。加えて、ゲーム廃人でもあった。この夏休みだって、外出する予定は今回限り。後は家に籠ってゲームやアニメ三昧のつもりである。
夏休みに入りなかばニートと化した妹は、女性用男性用問わず、恋愛シミュレーションゲームであればこち亀の発行巻数並にクリアしていた。しかも、全作すべからくストーリー・CGフルコンプというのだから、恐ろしい限りだ。
今日に備えしっかり再プレイしてきた妹は、変わらずの恍惚の笑みで言葉を漏らす。
「ご利益で鸕鷀草葺不合たん身篭っちゃったらどうしよぉ~! でゅへへへぇ~」
……訂正。
コイツ、やっぱりイカれてるかも知れない。
そんなこんなで、乗客が揃い、バスは発車。それからの時間は、揺られるだけで何もすることがない。
なので俺は前もってカバンに忍ばせておいたライトノベルを読んで暇を潰していた。
「……あれ。それ、最近アニメ化したやつだよね」
「さすが我が妹。男性向けのラノベもしっかりとカバーしているな」
「結構SNSとかでも話題に出るからね。かなり人気だもん。……どう? 面白い?」
「売れるのも頷ける内容、って感じ。テンポよく話が進むし、テンプレはしっかり押えつつも独創的な設定で、キャラも一人ひとりが魅力的だ」
「なるほどー。で? 本音は?」
陽菜はニヤニヤしながら俺に問う。
答えなどわかっているだろうに、と嘆息し、俺はページをめくりながら答える。
「嫌い」
面白いか、面白くないかではなく、嫌い。
所謂『異世界転生モノアンチ』である俺にとって、異世界転生というジャンルはそういう認識だった。
古来から愛されてきた納豆を嫌う人々がいるように。多くの人々に好かれる国民的アイドルを生理的に受付けない人がいるように。
異世界に転生し成功を収めていくという、今や王道とも言えるストーリーを、俺は好きになることが出来ないでいた。
「なんて言うか変だよねー。そんなに嫌いなら読まなきゃいいのに」
「いいや違うなぁ、妹よ。確かに、異世界転生モノというベクトルで見れば、これは嫌いと言える。だが、例えばラブコメの面でいえば、この作品は非常に評価できるぞ。そも、読まずに嫌いと評価すること自体がおこがましい」
「でた! 謎のセパレート理論」
くすくすと陽菜は笑う。鈴を転がした様な笑い声は、聞いていてとても心地がよかった。
「……でも、にぃにのそう言う所、好きだよ? 私は」
しっとりとした微笑みが、俺の胸を高鳴らせた。
「なんだよ。急にしおらしくして」
「覚えてる? 私が初めて小説書き上げた日」
「あぁ。おまえが小学生の時だろ? たしか、自慢しようと学校に持っていったら、男子にからかわれて、泣いて帰ってきたんだよな」
「そうそう。私、あの時本気で傑作だと思ってたやつだったから、ほんとにショックだったんだよなぁ……。でもにぃには、男子が読みもしないのに馬鹿にした小説を、ちゃんと最後まで読んでくれた」
「当たり前だろ。最後に叙述トリックでどんでん返し、なんて小説ならよくある話だ。最後まで読まずにいられるか」
「んで、たぁーっくさん褒めてくれたんだよね。嬉しかったなぁ」
少し後ろに倒した背もたれに体を預け、妹は思い出のあの日を懐かしむ。
そりゃぁ、顔をぐしゃぐしゃにしながら「これ、ダメなのかなぁ」って泣かれたら、気合い入れて読むしか選択肢はないだろ。兄貴なら。
その結果が、「嬉しかったなぁ」ならば、まぁ、無学ながらも頑張って読んだ甲斐があったというものだ。
「でも、褒め言葉の5倍はダメ出しくらったの、マジでヘコんだんだからね」
陽菜は、いたずらっこの様な表情で、頬をぷくりと膨らませた。
「何を言う。それも当たり前だ。誰が書こうと、評価出来ない所は出来ない。それだけの話だ」
「じゃぁ、やっぱりその本の異世界転生も評価出来ない?」
「出来んな。異世界転生でなくてもストーリーが成立するならば、異世界転生モノである意味がない」
最後のページを捲り終え、本をぱたりと閉じた。
ーーーー途端。
がたり、と。
通常の走行ならば発生し得ないような強烈な衝撃が、車内を大きく揺らした。
傾く体。その視線の先には、運転席が見えた。
だらり。運転手は車の傾きに任せるがままに揺れている。その姿は、全身の力が抜けているだろう事が容易に想像できた。
まさか、運転中に気絶!? いや、或いはーー。
思考が答えへと辿りつくのを待たずに、まるで洗濯機の中に放り込まれたかのような感覚が全身を襲う。
そして―――。
トテモオオキナオトト、ショウゲキ。
それを機に、俺の意識はぷつりと、途絶えるように消えた。