この部屋での思い出
そう、私は考えている。
外部から取り込まれる情報は私にとって、情報でしかない。
恐らく、情報が私自身になるという現象は未来永劫起こらないのではないだろうか?
それは私自身ではないのだ。
私は何も考えていない。
以前は、都市に出て炭鉱掘りをしていた。
私は人間なので、自分で決めたのだ。
田舎を飛び出し街に出た私がやっとの念いでありついた職が、鉱山でスコップを振り回すものだったとは、今考えるとなんとも拍子抜ける印象を与えるような話だ。
まず鉱山の臭いについてだが、山や土の臭いというのは特有なもので、働き初めの私には些か刺激臭に感じられた。
それは、慣れる事が無いのだ。私は気にしなかったが、時間というものは恐ろしいので、あの臭いはやはり私に染み付いたようだ。
季節は巡り、私は四季を存分に感じ取った。休日、私はこの部屋でよく青空を見上げて昼寝したものだし、山でする行為は、例えそれが下品なものであったとしても、自然や地球との繋がりを感じずにはいられないものだ。
私の上司、炭鉱会社の部長にあたる人物から私が感じ取った情念は、今でもぼんやりと思い出されるものだ。彼の顔を思い出すと、炭鉱の風景と四季、青空、夕焼けや鳥の鳴き声、豊富な緑、鎖の縛り、それらを一気に感じる。
次に鎖についてだが、『枷となる鎖の数は、死者の罪の重さに応じて決められる』という話が異国にあるらしい。縛り上げるというのは、徐々に徐々に行われる行為なのだ。そして私に求められたのは、まず大きなロープでの事だ。
仕事が終わり、部長から言われた通りに自宅でロープを見つめていると、徐々に私は縛られていった。時間というものは恐ろしいので、これを毎夜続ける内に私は違和感を忘れていった。
(略)
私がこの部屋に監禁されたのは、二年前の事だ。
私は考える。
それ以外の事は考えられないのだ。
この部屋には何も無い。言うなれば全てが揃っているという事だ。与えられた全てが。
今では自分がドSなのかドMなのかわからない始末である。
私はこうして試行錯誤をし、考えず、考えずにはいられない。鎖は鎖でしかないのだろうか?私には、この鎖が自分自身に感じられるのだ。そして空気が私を追い立てる。