壊れた獣人
ヌル草原を、一人の薄着姿の女性が、フラフラとした足どりで歩いていた。既に癒えたとはいえ、全身には多くの痛々しい傷痕が残っており、過去に大きな怪我をしたことが窺える。
女性は、両手にモンスターの血がべっとりと付着した短剣を持っている。歩いている途中で斬っていたのだろう。
20代前半と思われる彼女は、猫を思わせる獣耳を生やしていた。
そう、獣人だった。
その目に光は宿っておらず、焦点が合っていない。
ただ、うわ言のように、同じ単語を繰り返していた。
「……ネイ……」
その名の者を守るという使命感に突き動かされ、彷徨い歩く。
彼女の名はニア。
かつてはビスト王国で名を馳せた、強者の戦士。
そして、ネイの姉だった。
転移で王都クラムトーラへ戻って来たセントとレーネ。(と心音。)『英雄の止まり木』本店に来たところで、偶然ルーとミリアに出くわした。
「おっ?」
「あれっ、セントとレーネじゃないか。久し振り、と言っていいのかな?それと、彼女は……」
セントの背後から抱きついている心音にチラチラと視線を送りながら、ルーは挨拶をする。その手には、何枚かのメモがある。
「ルー。何か調べものでもしていたのか?」
「ああ。いくつかのダンジョンをね。それより、彼女は……」
極力心音の話題に触れないように、セントは会話を続けつつ、ルーの了承を得て、そのメモに目を通す。
その間、レーネとミリアは軽く挨拶を交わしていた。
「……レーネ、少し変わりましたか?」
「ええ。ちょっと、ね。知りたかったことを知れたから、でしょうね」
どことなく変化を感じ、首を傾げるミリアに、ふっ、と笑みを浮かべるレーネ。
「ミリア、今夜、時間をもらえないかしら?二人で話したいことがあるんだけど」
「ええ、いいですよ」
それからミリアは、心音を見て、挨拶をする。
「えっと……ココネさん、ですよね?お久し振り……というよりは、こちらでは初めまして、と言った方がいいのでしょうか?」
『どっちでもいいわよ?元は私の方が、みんなのことを一方的に知っていたしね』
「じゃあ、お久し振り、ということで。それより、どうしてこんな状況になっているのでしょうか?」
「ミリア、彼女のこと、知ってるのかい?」
一番驚いていたのは、ルーだった。
「はい。えっと……彼女はココネさん。セントさんの幼馴染で、幽霊の転生者、です」
「幽霊?!まさか……あの時の……?」
港町サドーナでのことを思い出しただろう。そういうことだよね?と言わんばかりの顔でセントに確認を取ってくるルー。
「まぁ、そういうことだ。お前が考えている通り、あの時の俺に取り憑いた幽霊が、彼女だ」
「そうか……もしかして、前にセントが話してくれた幼馴染って、彼女のことだったのかい?」
「そうだな」
「そうか……そうか……」
ルーは何かを噛み締めるように、何度も口ずさむ。その目には、光るものがあった。
そして。
「……世界は違うけど、また二人が一緒に居られて、なんだかこっちまで嬉しいよ……」
「……その気持ち、私も分かります」
ミリアもまた、感謝の祈りを捧げる仕草をする。
それについていけないレーネは、戸惑うばかり。
「……えっ、なんだか私だけ蚊帳の外にいる気がするんだけど……?」
「セントさんとココネさんには、どうしても一緒にいて欲しい理由があるんですよ。それはまた後で話します……って勝手に言っちゃいましたけど、セントさん的には問題なかったでしょうか?」
急にセントに許可を求めてくるミリアに、セントは了承する。
「構わないよ。できれば、後でネイとシルバにも話しておいて貰えると、説明の手間が省ける」
「わかりました。で、その前に、どうしてココネさんが見えるようになったのでしょうか?」
「そういや、そんなことを聞かれていたな」
これから話そうとしたところで、心音が先走る。
『これは、セー君……セントの投影魔法を応用した姿なのよ』
つい愛称で呼んでしまったのを、すぐに言い直す心音。
「投影魔法……あぁ、前にセントが使っている魔法の種類だって言っていた」
セントが使う魔法の中に、この世界で知れ渡っているもの以外のものがある、と聞いた事があった。中でも、投影魔法はセントにしか扱えない種類のものである。よく使う【大気壁】とかはこの魔法に分類されているらしい。
『細かい説明は省くけど、要は私の中にある私自身の姿を写し出したものなのよ。だから、特定の人以外には見えるだけ。それが現在のこの状況よ』
「なるほどね……」
この中で心音に触れられるのは、セントの他にはレーネとミリアのみ。レーネは精霊使いとしての力、ミリアは僧侶としての研鑽によるものだ。
「ところで、今後のことだが……」
セントはメモから目を外し、ルーを見て話題を変える。
「当初の予定通り、ひとまずレードへ戻り、獣人の国ビスト王国へ向かうのか?それとも、このメモにあるゴド神国のダンジョンかイレフ王国に行くのか?」
メモには、ゴド神国で新たに見つかったダンジョンと、イレフ王国の北の海に時々現れる島についての情報が書いてあった。
「いや、当初の予定通り、ビスト王国に向かうよ。そこのダンジョンで、最初の聖武具を得られるだろうから。ゴド神国のダンジョンは、その後かな。イレフ王国は、情報が少ない今のところは向かうつもりはないけど」
「そうか、わかった。出発はいつにする?」
「皆の状況次第、かな。それぞれ目的をもって行動しているみたいだし。明日あたり聞いてみるよ」
「了解だ。んじゃ、俺はそれまで王都を観光しているよ」
「わかった。セント達の宿もここ、『英雄の止まり木』本店をとっているから、また後でね」
「おう」
宿に入っていく三人を見送り、セントは心音と共に王都クラムトーラをまわり始める。
心音がずっと抱きついているためか、周囲から奇異な目を向けられながら、気にせずギルドや食事処、武具や道具の販売店をめぐり、物資を補充していく。
もっとも、武具については、自作できるほど技術を持っているので、万が一の予備を購入するだけだが。
獣人ギルドに差し掛かったところで、セントはある人物に声を掛けられた。
「うん……?君はもしかして、冒険者の【赤き帰還者】セントじゃないか?」
「……はいっ?どちら様で……」
と言いかけたところで、その人物が放つプレッシャーのようなものを感じた。
獅子の獣人。
黄金の鬣。
鍛えられた肉体。
その見た目とプレッシャーで、すぐに只者ではない、と理解する。
「ああ、すまない。俺はレオン。この王都クラムトーラの獣人ギルドのギルドマスターをやっている」
「はぁ。確かに俺はセントですが……」
なぜ突然声を掛けられたのか、セントはまだよく分かっていなかった。
「敬語はいらんよ。普通に話してくれてかまわないさ。君の噂は聞いている。冒険者になって最速でBランクへ上がったかなりの実力者だ、と」
「あー、もうここまで俺の噂が広がってるのか……」
目立ちすぎたかな、とやや反省するセント。
「君に頼みたい依頼があったんだが、まだ冒険者ギルドに顔を出していない、とのことだったから、丁度戻って来たところだったんだ」
「俺に依頼、とは?そもそも、俺は冒険者だ。獣人ギルドとは全く関係ないとは思うのだが」
「全く無い、ということは無いだろう?君がいるグラスウィードのフエンは獣人ギルドに所属しているし、パーティーのネイだって、獣人ギルドにいる。それは今はさほど重要ではないよ」
「重要じゃない?どういうことだ?」
「依頼内容は、既に獣人ギルドの特別依頼として出しているからだ。それとは別のルートとして、君に依頼しようと思ったんだ。【赤き帰還者】の二つ名で呼ばれている君にな」
「……理由はいまいちピンとこないが、とりあえず話は聞かせてもらうよ」
「助かる」
レオンは一つ咳払いをしてから、依頼内容を話す。
「ヌル草原は知っているだろう?」
「ああ」
忘れもしない。
セントが最初にこの世界に来たときにいた場所で、ルー達と初めて出会った場所だからだ。
「最近、そこで獣人らしき怪物が出る、と専ら噂が流れていてな。遭遇した者の話では、猫の獣人らしく、両手に短剣らしき武器を持っていたそうだ。フラフラした足取りで、近づく者には問答無用で斬撃を飛ばしてくるそうだ」
セントの頭に、それに近い者の姿が思い浮かぶ。
「まさか……ネイが……?」
「それは無いな。あいつは今、ヌル草原とは全く別の場所で依頼をこなしているところだ」
「じゃあ……?」
そこで、レオンはふっ、と小さく息をつき、セントの耳元で、小声で話しかけてくる。
「……ここだけの話、実は、俺には心当たりがあるんだ」
「えっ……?」
「……俺はネイの親戚でな。何日か前に、あいつの家族から連絡があった。ニア……ネイの姉が、突然姿を消したという。ただ、俺も実際に見たわけじゃないから、確信が持てない。だが、状況から判断して、おそらく件の怪物は、彼女に間違いないだろう。不可解なのが、彼女は数年前から精神を病んで床に伏し、とてもじゃないが、戦闘などできないはずなんだ……」
「何か別の要因があるか、完全に別人か……その調査を依頼したい、ということか?」
「……本来なら身内の問題だから、君を頼るのは筋違いとは思っている。だが、俺にも立場があるし、事情によりネイに頼むことができないんだ。引き受けて貰えないだろうか」
「事情ってのが気になるが……今はいい。報酬は?」
「10000G。それと、解決まで出来たなら、さらに10000Gを上乗せしよう」
「多くて20000Gか……悪くないな。ただ、期限はどのくらい時間がかかるかわからないから、解決まで、もしくは無期限としてもらえるとありがたい。こっちとしても、勇者パーティーに所属している立場だしな」
「それで構わんよ。何かわかったことがあれば、すぐに知らせてくれ」
「ああ」
レオンはそう言ってセントと別れ、ギルドの建物内へ入っていった。
「……さて、ここで一つ疑問が湧いたわけだが」
セントは心音に視線を向ける。
「心姉、どうしてレオンには、心姉の姿が見えなかったんだろうな?」
何かしたんだろう、と当たりをつけ、心音に尋ねる。
『ああ、あれね。原理は簡単よ?投影魔法の応用で、対象の目に集まる光をちょっと弄って、私の姿が見えないようにしただけよ?』
「……何、その光学迷彩をさらに発展させたような使い方。心姉って、もしかしてアサシンの才能あるんじゃない?」
『ふふっ、セー君に褒められちゃった!』
「……全然褒めてないけど」
セントの言葉など聞こえないように、心音は一人、うっとりしている。
心音のことは放置しておいて、セントはこれからどう動くか考える。
今気がかりなのは、レオンがこぼした、ネイに頼めない事情だ。おそらく、ネイに聞いてもはぐらかされるだろう。かといって、レオンに尋ねるのも難しそうだ。
ここで、ふと思い出したことがある。
確か、ネイとシルバは前より仲良くなっていたように見えた。もしかしたら、シルバが何か聞いているかもしれない。
「……シルバに駄目元で聞いてみるか」
【呼び出し】では駄目だ。仮にネイが近くにいた時だったなら、気まずいだろう。
ならば、二人で会って話す方が無難だ。
そう思って、行動に移す。まずは、【呼び出し】で要件を伝える。
『……シルバ、今大丈夫か?』
『セント?!今は大丈夫だけど……どうしたの、急に』
反応から、シルバは多少驚いていたように思える。
『少し前に、レーネと戻って来たんだ。一応、目的は果たせた』
『そっか。それは良かったわ。だけど、それを伝えるためにわざわざ【呼び出し】をしたわけじゃないでしょ?』
どうやら、シルバはこちらの意図が何となくわかっているようだ。
『さすがだな。少し二人で話したいことがある。今夜時間が取れるか?』
『あら?珍しいわね。愛の告白でもしてくれるのかしら?』
軽く冗談を交えてくるシルバに、どこか安心する。
『だとしても、お前は断るだろ。そんな結果が分かりきっていることなんか、俺はしないぞ』
『ふふっ、そうね。それがセントですものね』
少し間を置いて、本題に入る。
『……話は、ネイとレーネのことだ。特に、ネイ。ちょっとワケアリの依頼を受けたんだが、もしかしたらネイが関わってくるかもしれない。それで確認したいことがある。場合によっては、シルバの力も借りることになる』
『……わかったわ。それじゃあ、今夜11時に私の宿の部屋で』
『助かる。じゃあ、また後でな』
シルバとの接続を切る。
彼女も、セントのただならぬ気配を感じたのだろう。返ってくる返事も、真剣なものだった。
「……さて、これで何かわかればいいが」
ふぅ、とため息をつき、セントは約束の時間まで適当に過ごすのだった。




