7話 伝わらない言葉
理解できないというように、首をかしげるユーコンに、小さく息をのんだニッチェ。
「ニッチェはグレイシから来たんだろ? よく似た名前の別の村だったのか?」
「両親もって言ったでしょ」
「??」
「随分能天気とは思ってたが、思ってた以上だな……」
フーディは呆れたようにため息をつくが、ここから先の説明は自分がすべきかと、淡々と見てきた事実を告げる。
「グレイシは排他的な村だ。神を除く人間以外の全ての種族が、あいつらにとって穢れであり、排除すべき存在」
もし、その穢れと一緒に料理をしようなどと、一緒に暮らそうなどと考えるなら、それはもう彼らにとっては穢れに侵された狂人そのものだ。
狂人は森へ捨て、存在しなかったことへ。
そうして、彼らは正しく平和な世界で暮らしている。
「ニッチェはいい子だぞ」
珍しく、ユーコンの顔から笑みが消えた。
「そうだな。けど、個人の感情なんて、しきたりの前では無意味なんだよ」
「むぅ~~……でも、親は子供が大好きなんだぞ! オレが直談判してやる! ニッチェの親だって、ニッチェに会いたがってるぞ!」
「いやいやいや! ユーコンが行くのはマズい!」
魔族を嫌っていることが明らかな村に、ユーコンなど連れていけるはずもない。
それどころか、何かしらの理由でニッチェを捨てた村の信徒に、魔族のユーコンなど会わせてみろ。
何が起きるかは、目に見えている。
「まぁまぁ落ち着け。兄弟。これは、ニッチェの問題だ。俺たちが深入りするもんじゃない」
だろ? と、こちらに剥ける視線は、冷たく、鋭い。
「でもだな!」
「ニッチェ! 依頼は、グレイシに君を送ることだ。その依頼を完遂する気はある。俺たちが信じられないなら、君を両親に元に帰すよう、俺たちも動く。
ニッチェ。どうしたい?」
ニッチェは俯くと、何度も口をまごつかせた。
「ぁ……ぅ……ぅぅ……わたし、は……」
フーディの話で、納得する部分は多々あった。
優しくしてくれたオジサンが突然いなくなって、お礼の絵を渡せないでいたら、いつの間にか無くなっていたり、
魔族も獣人族は残虐で、殺されてしまうと、口酸っぱく言われ続けていた。
目の前にいる、魔族も獣人族も、決して残虐ではない。むしろ、優しい。
「……」
でも、同じくらい、パパやママも優しかった。
「会いたい」
こぼれた言葉は、親と逸れた子供の言葉だった。
*****
「って、わけで、俺が呼んでくるから、ユーコンたちはここにいてくれ」
グレイシ近くの森の草むらに、ナラたちはいた。
生活圏ギリギリで、人通りこそ少ないが、決して人が近寄りがたいわけではない場所。
ここであれば、呼び出しても来てくれるだろう。
それでも、ユーコンたちは、森の中に隠れてもらっていた。明らかに人間ではない人間がいれば、すぐに逃げていくだろう。
「フーディ」
「へーへ―了解ですよ」
最悪の場合、フーディがニッチェを抱えて逃げられる。
ナラが村に消えてから、数十分。
現れた三つの影。それがなにか、一番最初に気が付いたのは、ニッチェだった。
「パパ! ママ!」
ナラの合図も関係なく駆け出したニッチェにつられ、ユーコンも追いかけるが、フーディに抑えられる。
予想外ではあるが、あくまで”人間”だ。
「――ッッ!!」
ナラも、つい体に力が入るが、それはニッチェの両親も同じだった。
その表情に、久々の再会につい駆け出してしまったニッチェも、足を止める。
「やっぱり、もう、いちゃ、いけないんだね」
消え入りそうな声で、確認するように言葉にするニッチェに、ナラは少しずつニッチェに歩み寄る。
「帰ってきたのか。ケガレモノが」
その声に、振り返れば、この村の村長が立っていた。こんな小さな村だ。見知らぬ人間が、森に捨てた少女の両親の元を訪ねれば、少女のことであることは察しが付く。
ただ内容を確認しに来ただけならいい。だが、その手には、鋭く光る包丁。
ナラも気づかれないよう、そっと銃へ手を伸ばす。
「人を殺すのは罪だ。故に、殺さぬよう手配したが、こうなっては仕方ない」
そういって、その包丁を、母へ握らせた。
「――ッ ――ッッ!!」
握らされたそれを見ながら、声にならない声で叫ぶ母の姿に、ナラも村長へ声を荒げた。
「殺さない? 子供を森に捨てて、殺してないなんてよく言えるな! それで戻ってきたら、自分の手を汚さないで、他人に殺させる気か!?」
「そうだとも」
有無の言わさぬ返事だった。
「親は子の責任を持つ。だが、子そのものの責任であることもある。それを親に背負わすでは、人の心がない。故に、一度は子自身に贖罪させよう。
だが、子だけで贖罪できぬというなら、子を為した親が責任を果たす他ないであろう」
荒い呼吸にたっぷりの涙を浮かべ、母は、包丁を胸の前に構え、切っ先をニッチェへ向けていた。
「ごめんなさい。あなた」
「ママ……」
ダメか。
ナラが銃を抜こうとしたその時、耳に聞こえた草むらを乱暴にかき分ける音。
その音の原因に、心当たりがありすぎて、そちらに目を向けた時だ。
金属音が鳴り響いた。
「どうして……どうしてこんなことになるのだ!?」
包丁の切っ先を受け止めたユーコンが叫ぶ。
ナラもつい、後ろへ目をやれば、草陰で謝る仕草をするフーディ。
「家族でどうして傷つけあうのだ!? 怒ってもやっていいことと悪いことがあるぞ!」
「魔族……やはり、お前は狂ってしまったのだな」
「ちが……ユーコンたちは良い魔物で」
「衛兵!!」
村長の叫びで、銃を持った武装した男がユーコンに銃を発砲した。
「ユーコン!!」
傷を負ったユーコンにニッチェが駆け寄るが、ユーコンは静かにニッチェを自分の背中に隠す。
「ニッチェは、パパもママも好きだって、絵にも書いてくれたんだぞ。なのに、どうして、こんなひどいこと、するのだ?」
「黙れ。心を持たぬ怪物が。わかったような口をきいて……そうして、純朴な少女を穢したのだろう!」
「やめて! ユーコンは、何も悪くない! だから――」
カラリと、包丁の転がる音が響き、その場にいた全員の視線が、ニッチェの母へ向いた。
「そうよ……あなたが、あなたが、”アーツ”なんて描かなければ……」
涙をこぼしながら、母は崩れ落ちた。
あの日、絵を描くことが好きな自分の娘は、いつものように森へ行って、絵を描いてきた。
珍しいものがあったと、うれしそうに見せてきたその絵は、”アーツ”そのものだった。
「私は、ただ平穏に暮らしたかっただけなのに……」
顔を覆ってしまった泣き崩れる母の肩へ、手をやったのは父だった。
子供の下手な絵であればよかった。娘を言い聞かせて、適当に動物とでも言い張ればよかった。
「ニッチェの絵は上手なのに、どうして、ダメなんだ」
けれど、ニッチェの絵の才能は、それを嘘と言い張るには上手すぎた。
結果、ニッチェの絵は、『災厄を招く絵』と呼ばれ、瞬く間に村中に広まった。
『災厄を招く絵』そう言われても、ユーコンには、いまいちピンと来ない。
「やはり、魔族か。人の輪など知りなどしない、社会を持たない個体が」
平和な村に、恐怖の象徴でもあるアーツの絵を持ち込んだらどうなる?
それが、たとえ無邪気に、見たままを描いたとしても、だ。
人は恐怖するだろう。それが、見たままを描いたというならば、なおさら。
近くにアーツがいたのだと。それも、子供が出歩けるほどの近くに。
「なら、人の輪を乱さないために、アーツの存在を知ったうえで、なにもしないと? 避難でも警備でも、できたはずです」
事実として、グレイシ周辺にアーツの目撃情報は増えている。だが、ギルドには警備の依頼はなにも来ていなかった。
「黙れ! 誰が、貴様らなど信じるか!! 堕ちた人間が!」
もはや、言葉が通じない。それはもう、ギルドとしてナラが、グレイシに手を貸す方法がないということと同義だった。
あとは、ニッチェの判断だけ。
彼女が、それでも両親の元へと帰るというなら、彼女を置いて帰る。村から離れるというなら、その手助けをする。
選択肢を与えることだけが、今できる最大限の譲歩だ。
「ニッチェ」
ニッチェは子供だ。だが、頭が悪いわけじゃない。
話せば理解できるし、決断することもできる。
「ごめんな」
目の合ったニッチェの涙を貯めた目が、なんとなく続く言葉を悟っているようで、それでも、言葉にしなければ。
息を言葉にしようとしたその時。
異様な火柱が上がった。
それもひとつではなく、いくつも。家が燃える音に混じって聞こえる、心無い笑みの声。
間違えようもない”アーツ”の声だ。
「――くそっ! このタイミングかよ!!」
腰につけた短銃を空に向けて打ち上げる。
「な、なに……!? あなたが呼んだの……?」
涙を貯めた瞳で、訴えかける母親に、違うと首を横に振るしかない。信じてなんてもらえないと知りながら。
「違う! 違うぞ!」
必死にユーコンも否定するが、聞き入れてなどもらえない。
「マエストロはいねーが、数はいやがるな……ナラさん! 俺たちだけじゃ無理だ!」
フーディの言葉は理解できる。ふたりだけで、この村を守るのは、無理だ。
なら、最優先に守るのは、依頼者であるニッチェとユーコン、ヨーテの三人。
幸い、ここは村の端で、襲撃されている場所から離れている。森逃げ込めば容易く逃げられる。
フーディもヨーテも、状況の悪さを察してか、草陰から出てきていた。
「お前たちが、アーツを手引きしたんだな!? お前たちが――!!」
「今はそんな口論をしている場合じゃない!! アンタたちも逃げないと」
「黙れ!! 穢れた人間!!」
落ちていた包丁を拾い上げ、構える村長に、ナラもつい叫びそうになるのを堪え、銃を握る手に力を籠める。
村長の号令なくして、この村の住人を避難させることは難しい。だが、このまま村長を説得したところで、こちらも危険だし、避難も行われない。
この引き金は、最後の手段だ。引いたその瞬間、平和的解決は訪れない。
「――」
悪態が、拍子抜けのように間抜けな音を立てて口から漏れていった。
やけに軽くなった包丁に目をやれば、握っていた包丁の先は無くなっていた。
「随分と、物騒ね」
欠けた月に照らされ、穏やかな笑みと共に空に浮かぶ女。
「だ、誰だ!?」
「貴方方が最も嫌う人種。”魔女”よ」
冷たく向けられた微笑みに、村長も柄を落とし、後退る。
だが、背中に感じる熱気に、逃げ場がないと、せわしなく後ろを確認しては、空を見上げる。
魔女と名乗った女は、乗っていた棒からふわりと重力を感じさせずに、地上へ降り立ち、ナラたちへ向き直った。
「まさかと思って、一応気にしてはいたけど、まさかアーツに襲撃されて救援信号だなんて」
「悪かったな……コノハ」
「ま、いつものことか。それで、その子たちが例の」
そういってニッチェたちに目をやった時、目が合ったひとりのスケルトン。
「……クールガイなスケルトン?」
それは、少女しか知らない呼び名だった。