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ドンドン、とドアが叩かれる。
「すみませーん、新鮮な果物はいりませんかー?」
幼い女の声だった。まだ日が昇り始めてすぐだったもので、眠い目をこすりながら玄関まで向かっていく。
「こんな朝っぱらからなんなんだ…?」
「おはようございます!私、すぐそこの農園の者なんですが、近くのお宅に今朝取れたばっかりの果物をお売りしているんです!」
「あー、すまんが、俺は果物は好かん。三件ほど向こうにベジタリアンの奥さんが住んでるから、そっちに行ってみたらどうだ?」
「そうですか…。ありがとうございます!」
早朝の訪問者に起こされ少し不機嫌になりながらも、二度寝の気分にはなれず、渋々朝の身支度をする。大きなあくびをしながら家の前に転がっている新聞を拾い上げ、乱雑に机の上に放り投げた。ポストには絵画教室の講師募集や、油画の展覧会のお知らせなんかがいっぱいに詰まっている。別に放っておいたわけではない。毎日この量が届くのだ。そんなこともあって、知り合いの画家は皆、秘書か事務員を雇うべきだと言ったが、彼はそうはしなかった。"自分の領域"を他人に踏み荒らされるのが嫌だったからだ。
興味のないチラシやらお知らせなんかを乱雑にゴミ箱に捨て、いつものように友人からの手紙だけを選んで残した。沸かしておいたお湯をポットに入れ、適当に茶葉を入れた。部屋に広がる紅茶の匂いを楽しみながら友人の手紙を開いた。
「今日はなにがあったかなっと…。」
いつも赤い封蝋がしてある友人からの手紙は、いつも封筒いっぱいに紙が入っていて、しばらくそれ一つで時間が潰せるほどであった。
しかし、最近の彼の唯一の楽しみであるそれは、残念ながら今日に限ってその役割を果たさなかった。いつもの赤い封蝋の代わりに簡易的な糊で止められ、中の紙も一枚だけだった。少し不思議に思いながら手紙を開くと、あまりに簡潔な一文が目に飛び込んできた。
"妻が倒れ、余命幾許もないと告げられた。どうか、見舞いに来られないだろうか。"
いつもならば読んでいるだけで昼にでもなりそうな長文で、前の手紙から今までのことがびっしりと書かれているのだが、今回ばかりはそうはいかなかったようで、震えた文字でただ一文そう書かれていた。
読み終えると慌てて出掛ける準備をして、せっかく入れた紅茶も飲まずに、すぐに友人の元に飛んで行った。友人の居る病院に着いたのはその日の昼前。駆け込んだ際のあまりの形相に、受付の人間が急患の患者と間違えるほどの焦り様だった。
病室に駆け込んだ時、目に飛び込んできたのは管だらけになった友人の妻だった。
「おい、一体何があったんだ!」
「…分からない。昔から体は弱かったから、それが原因じゃないかって。」
「なんとかならないのか!?おい、あんた、金ならいくらでもあるんだ、なんとか治せないのか!」
近くに居た医者を捕まえて胸ぐらを掴んだ。だが、すぐに駆けつけてきた警備員に制止され、押さえつけられてしまった。しばらくして一旦落ち着きを取り戻し、改めて医師を問いただすが、医師は首を横に振るばかりだった。
「現代の医学では届かない病です。生きているのが不思議なぐらいで、明日になるか、もはや今日か…。」
「ふざけたこと言うんじゃねぇ…、娘もまだ12歳なんだぞ…。」
「機械による延命も出来ないことはありませんが…」
「じゃあ、なんでやらねぇんだ!」
再び飛びかかろうとする彼を制止したのは友人だった。
「彼女の希望なんだ。天に迎えられるときは、せめて安らかに、自然のままにって。」
「なんでそんなことを…。」
「このまま延命すれば、きっと彼女は永く生きられるさ。でも、その生き方に何の意味がある?」
「だって、いつか助かるかもしれないだろ!?」
「…そのいつかを待って、彼女の命を弄ぶかい?」
「なんだとてめぇ…!」
「僕だって助けたいさ!でも…彼女はそれを望んでいないんだ。」
友人が怒鳴ったのは、初めてのことだった。奥歯を噛み締め、握りこぶしをつくって震える友人は、おそらく彼と同じ思いで居たのだろう。そうして、ぶつけようのない怒りが、二人を包み込んでいった。
外にはいつの間にか雨が降り始めていた。