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そこにうずくまっていた“それ”を放っておけなかった

作者: 春秀



それは、土砂降りの雨の日だった。




梅雨が明けたと、つい先日ニュースで言っていたのに・・また雨。



仕事を終えて、ギリギリに終電に乗り込んだ。

金曜ということもあってか、酒臭い陽気な人たちがたくさんいた。ぎゅうぎゅうの満員電車は、他人の濡れた傘でスカートが濡れ、雨のせいなのか酸っぱい匂いが充満し、最悪の時間だった。


やっとの思いで、最寄駅に着き、人を押しのけて電車を降りた。




家までの道のり。

“それ”は、そこにいた。





ブルブルと震える黒い影。


街灯も少なく、暗い路地だったため、近づくまで“それ”がそこにいることに気づかなかった。

だから、気付いた時には思わず悲鳴をあげそうになった。



見知らぬふりをして、通り過ぎればいいものを私はなぜか立ち止まり、“それ”を凝視した。



“人間なのだろうか・・”

“いや・・なんなんだろう?”



真っ黒な髪に、白い肌。

腕も足も、人間と同じ・・。だけど、背中には翼?のようなものが生え、お尻には尻尾が生えていた。


そして、“それ”の周りにはカラスのような真っ黒で艶のある羽が飛び散っていた。

黒い腰巻のみを身につけ、半裸の状態の“それ”は胸の膨らみがなく、ガタイも良かったため男性であることは間違いない。“彼”と呼ぶべきだろうか・・。

“彼”は、身体中にたくさんの擦り傷をつけて、びしょ濡れでうずくまっていた。



はあはあ・・と苦しそうに息をし、なんとか意識はあるような状態だった。もうすぐ夏だというのに、震えるほど寒がっている“彼”は、自力で動かせない体を小さく小さくしていた。



「ねえ・・。こんな雨の中、そんな格好でこんなところにいたら、危ないよ?ねえ・・大丈夫?」



放っておけなかった私は、おっかなびっくりで声をかけてみた。



「・・・た す け て・・・・。」



ブルブルと震える長く細い腕を、私の方へゆっくりと伸ばしてきた。

その腕をそっと触ると、あまりの冷たさに驚いた。

どうにかしなきゃ!と咄嗟に思った。


その手を肩に回し、なんとか立ち上がらせた。

私より背が高いであろう“彼”は、覆いかぶさるように私の体に抱きつきながら必死に歩いてくれた。


ガタイがいい割に、重さを感じなかった事に驚いた。

そのおかげで、なんとか部屋までたどり着くことができた。





鍵を開け、部屋に入り、“彼”を玄関先に座らせてお風呂を沸かした。

“彼”を運ぶことに夢中だった私は、自分自身もびしょ濡れになっていたことに、今気づいた。なんせ、傘なんかさせる状態ではなかったからだ。



すぐに、濡れた服を脱いで洗濯機に放り込み、玄関先でぐったりしている“彼”を引きずりながらお風呂場へ連れて行った。

ぬるめのお湯でシャワーを、足元からゆっくりとかけていった。



未だ、苦しそうに息をする“彼”は、不安からなのか私の腰に巻きつくように、しがみついていた。

外で見たときは真っ黒に見えていたが、足や腕は、毛も羽も生えておらずツルツルだった。

何より、透き通るような白い肌で女の私より綺麗だった。



唯一、身につけていた腰巻をどうしたら良いのかわからず・・そのままにして腕や足を順に洗って行った。

無数にある擦り傷が痛むかな?と思ったが、痛む様子がなかったため弱い力で、洗い続けた。

背中には、やはり天使のような翼が生えており、この翼の扱いもわからず・・昔実家で飼っていた愛犬を洗うように、泡だてて洗った。


腰にしがみついている“彼”を、壁に寄りかからせ、真っ黒な髪を洗った。

目元にかかる長い髪をかきあげると、青い目と目があった。

切れ長なその目はとても綺麗で、長いまつげに見惚れてしまった。


なんて綺麗な顔をしているんだろう。

顔も小さいし・・羨ましい。

年齢も、私と同じか・・それより若い・・?20代前半くらいかなあ。


そんなことを呑気に考えていたら、湯船のお湯を溢れさせてしまった。急いで、お湯を止め、“彼”の体を抱き寄せ、肩を貸し、一緒に湯船に入った。勢いよく、お湯が湯船から流れ出た。


相変わらず私の体に腕を回し、抱きしめ続ける“彼”に



「ねえ、あなたは・・誰?」



尖った耳にそう問いかけると、抱きしめていた腕に力を入れ



「キミのココロ・・。」



そう答えた。




うん・・なんだかそんな気がした。



そっか・・私の心なんだ。




なんでか分からない。

そうだ・・と素直に思ったんだ。何も不思議には思わなかった。





湯船からそろそろ出よう、と腰に巻きつく腕を離し、立ち上がろうとすると、“彼”はなんの躊躇もなく、目の前に現れた胸に手を当て、両手で包み込むように触ってきた。



「え・・ちょっと!」



人間なのかなんのか分からないけれど、男性である限り許すわけにはいかなかった為、“彼”の手をとり、だめ。と青い目を見て言った。

それでも、“彼”は目の前の胸を見つめ続けた。さすがに恥ずかしくなり、早く湯船から出ようとした。

すると、腰に腕が巻き付き


「まって・・・」


そう言って、再び湯船に戻された。

さすがに、文句の一つでも言おうとしたら、ビー玉のような青い目と目があった。

そしてそのまま、彼は私にキスをした。



あまりに想定外のことに驚き



「んもおー!!!そういうのはしちゃダメなのー!」



“彼”の体を押し退け、急いで湯船から出た。

キョトンとしている“彼”は、しっかりと温まったおかげか自力で湯船から出てきた。

そのまま、風呂場から出て行こうとするので



「あー、拭かなきゃー!」



そう言って、腕をとり引き止めた。

それが“彼”の心をどう動かしたのかは知らないが、



「いいの?」



と謎の問いかけをしてきた。

ん?と首をかしげると、強く体を引き寄せ再びキスをしてきた。



「ああ!もおお!だーめだってばー・・」



そう言って、“彼”の腕の中から逃げ出し、体を拭くことにした。


もう!綺麗な顔してるんだから、やめてよ・・。心が持たないよ・・。


恋愛から遠のいた生活をしていた私は、久しぶりのキスに胸の高鳴りが止まらなかった。

そんなことを思いながら、順々に拭いて行った。が、さてこの腰巻をどうしたものか・・。



「ねえ、これさあ・・濡れてるからどうしたらいいかな?」



そう聞くと、“彼”は何も言わず腰巻をとった。そのせいで、目の前で露わになった下半身をしっかりと見てしまった。

それは、人間と変わらなかった。


「あ・・ああああ・・えっと、はい!」



突然のことに直視してしまったが、すぐに持っていたタオルで視界を隠し、そのままタオルを渡した。

手渡されたタオルで、”彼”は見よう見まねで拭くと今度は、そのタオルで私の体を拭きはじめた。



「あ・・ああ・・ちょ・・。私はね、自分で・・ねえ?」



こうやってするものだと、“彼”は思ったようで私の声には聞く耳持たずで、拭き続けた。

あまりにも丁寧に拭いてくれるので、さすがに恥ずかしくなり、無理やりタオルをとり


「あ、もう大丈夫だから。ね?あっち行ってて」


奪ったタオルで体を隠しながら、そう言うと“彼”は全裸のままリビングへと向かった。



ああ・・早く何か着せなきゃ・・。



正体がなんだかよく分からなかったけれど、恐怖心が全くなかった。むしろ、前にあったことのあるような・・そんな気持ちで“彼”を放っておけなかった。

急いで、体を拭き寝間着を着て、急いでリビングに向かうと、体育座りをして虚空を見つめている彼がいた。



なんでよりによって直でフローリングに座るかなあ・・



体が弱っているのに、“彼”はソファでも椅子でも、ベッドでもなく硬いフローリングに座っていた。

そんな“彼”に、大きめのTシャツとハーフパンツを渡した。

だけど、そもそも着方が分からなかったようで、キョトンとした顔で私を見つめた。


「そっか、分からないよね。」


子供に服を着させるように、手伝ったが・・背中にある翼とお尻にある尻尾が邪魔して着ようにも、着られなかった。そのため、その部分に穴を開ける決意をし、ハサミで切りとった。

少し時間はかかったが、どうにかどちらも身につけることができた。

何より、パンツを履かせる時のドギマギは我ながらひどかった。


“彼”はなれないものに、少し戸惑いを見せたが嫌がりはしなかった。



“彼”の手を引き、ベッドに連れて行き


「はい。ここで寝て?」


と、ベッドを指差すと



「き み も。」



そう言い、私の腕を掴んだ。


“んー・・でもまだ、やることがあるんだよなあ・・”


と思いつつも、ビー玉のような澄んだ青い瞳に見つめられては、拒否することができなかった。

まるで、子供ができたような感覚だった。



ベッドに一緒に入り、布団をかけてあげ、隣に寝ると“彼”は私を抱き枕のように強く抱きしめ、すぐにスースーと寝息をたて始めた。


え!?


あまりの寝つきの良さに驚きつつ、強く抱きしめられたまま眠ったものだから、“彼”を起こさないでベッドから抜け出すことを諦めざるを得なかった。

だからそのまま、“彼”の腕の中で眠った。





そしていつぶりか・・夢を見た。




そこは、緑がたくさんの見慣れた景色。

生まれ育った故郷に私はいた。時間も何も気にすることなく、愛犬と懐かしい土手に散歩に来ていた。よく晴れていて気持ちがいい・・私はそのまま土手に寝転がり、空を見上げた。

青い空にはゆっくりと雲が流れ、それを目で追い、あくびが自然とでた。


それは、とてもとてもゆっくりとした時間が流れ、夢の中の私は幸せだった。

故郷にいたら、当たり前の生活だったのに・・。





けたたましいアラームで、その幸せな時間はかき消された。

目をさますと、横で眠っていたはずの“彼”も目を覚ましていて、私の頰を流れる涙を拭ってくれていた。




「君は・・しあわせ?」




青い瞳に・・・全てを見透かしているようなその瞳で・・・

そう問いかけられた。



その問いに・・私は涙が止まらなくなった。そのまま“彼”の胸に埋もれ、声をあげて泣いた。

いつぶりだろう・・こんなに泣いたのは・・。


泣く暇さえなかった。

毎日毎日、誰よりも早く会社に行き、前日の残業だけでは終わらせることができなかった仕事に取り掛かる。

お昼もろくに食べず、コンビニで買っておいた惣菜パンを流し込むように食べる。味なんかしなかった。ただただ、空腹を満たすためだけに、食べていた。


帰りも、仕事が終わらないため、終電で帰るのが当たり前になっていた。


週休二日。土日祝日が休みだと聞いて入社したが、土曜なんて・・ここ何年も休んでいない。平日と変わらない時間に出社し、同じように仕事をし、終電で帰る。

そんな日々。

せっかくの日曜も、平日溜まりに溜まった洗濯物を洗い、自宅でできる仕事をやり、できる限り睡眠をとって過ぎて行った。



私は、何をしてるんだろう・・

なんのために?

夢は?希望は?どうして・・この街に出て来たの?

この先は?将来は?

自分の時間は?



もう、空っぽだった。

街に・・仕事に・・人間の付き合いに・・

すれて、すれて、大切なものをポロポロと落として来てしまった。

私は、この日々で何を得たのか・・。

私の存在価値とはなんなのか・・。


自問ばかりして、答えを出せない日々を・・ただただこなして行った。



こんなにがむしゃらに働かなくても・・私の代わりなんていくらでもいることもわかっていた。同期が、次々と心身を病み辞めていく中、次の週には代わりがいた。

そうやってこの目で全て、見て来た。



私が、生きている価値なんてない。



そこまで思うようになっていた。

蝕まれていた。







その日。



日が落ちるまで、“彼”の胸で寝ていた。


土曜日なのに、携帯には何度も電話がかかって来ていた。本来なら、休みである土曜日に・・。やはり、この会社はおかしい。出社するのが当たり前だと思っていた私も、おかしかったんだ・・。

そう気づいた私は、すべての電話を無視し、横で寝る“彼”の長いまつげを撫でていた。



次の日も、“彼”とベッドで過ごした。

こんなにゆっくりと休日を過ごしたのは、何年ぶりだろう。仕事のことは何も考えず、ただただ“彼”に昔の話をしていた。

私の故郷の話。両親の話。愛犬の話。友人の話。恋の話。

それはもう、ずっとずっと話していた。


ウンウン、それは何?どうして?


そうやって“彼”はすべての話に、興味を持って真剣に聞いてくれた。

笑ったり、泣いたり、怒ったり・・話をしながら思い出し、感情を前面に出して話した。

最後には話し疲れて、“彼”に抱きついて眠ってしまった。


ずっと、頭を撫でてくれていた。それがとても居心地が良かった。




月曜日。




「行ってくるね。」



そう“彼”に言い、家を出た。

まだ、“彼”は寝息を立てて眠っていた。



通い慣れた道のりで、会社に着いた。まだ、誰もいなかった。いつもそうだった。

上司の机に『退職届』を置き、荷物を整理し会社を出た。


きっと、この後本格的に会社が動き出しても、普段と何も変わらないで忙しく時間を刻んでいくんだろう。

私一人がいなくなったところで、何も変わらない。



そう思うと、これまでの自分が馬鹿馬鹿しく思えた。





何もかも、あの黒い傷だらけの“天使”が気づかせてくれた・・。

よし。帰ったら、ご馳走を作ってあげよう。



普段買わない高めのお肉を買い、ケーキも買った。

喜ぶかな・・キョトンとした顔かもな・・なんて想像しながら、家に帰った。


こんな時間に家に帰れるなんて、夢のようだ。足取りは軽く、気持ちも高まっていた。

生まれ変わったような気分だった。




家に着き、ベッドにいるであろう“彼”の元に向かった。




だけど・・“黒い天使”はどこにもいなかった・・・。




リビングにも、トイレにも、バスルームにも、クローゼットにも・・。

入るはずもないだろう引き出しという引き出しも開けて探したのに、“彼”の姿はなかった。



一気に、力が抜けてしまい、その場にうずくまった。

どこに・・行ってしまったの?

また、路頭に迷い倒れていたらどうしよう・・。


ひどい目にあっていたら・・どうしよう。




そんな心配もあったが・・何より


もう、“彼”に会えないの?



その気持ちが強くて、会いたくて会いたくて仕方なかった。

青い瞳に、長いまつげ。真っ白な肌に、真っ黒な髪。長い手足に・・・・。



どうして・・・。



わんわんと、子供のように泣いた。

寂しくて悲しくて・・会いたくて仕方なくて・・。

もう一度、抱きしめて・・うんうんって話を聞いて・・。



何の気力も起きず、そのまま布団にくるまった。

いつのまにか、眠っていた。目を覚ました時には外は暗くなっていた。

それでも、“彼”は帰ってこなかった。


虚空を見つめ、勝手に流れる涙を止められなかった。

すると、玄関の方でカタっと音がした。


はっと起き上がり、玄関に走って行った。咄嗟に“彼”だ!そう思って行ったが、いるはずもなかった。

その代わり、紙切れが落ちていた。


帰ってきた時には・・なかったはず。

そう思って、その紙切れを手に取った。






だから、言ったでしょ?


僕は、君の心だって。

ズタズタだった・・君の心。

放っておけなかったんだ。傷だらけで、真っ暗闇で・・今にも消えてしまいそうな君を。

だから、目の前に現れた。本当はこんなことしたら、いけないんだよ。


ずっと一緒にいたよ。君とは。

君がこの世に生まれた時、僕も生まれた。

真面目で、負けず嫌いで努力家で・・泣き虫で・・。

だから、ズタズタになるまで走り続けてしまった。自分を見失うまで・・。


でも、もう大丈夫。

君は気づくことができたでしょ?それをちゃんと見てた。というか、一緒にいたから。

だから、これまで通り一緒だよ。


まさか、僕がいなくなってそんなに悲しんでくれるとは思わなかった・・。

でもそうだったね。君は泣き虫だった。

でも大丈夫。ずっとそばにいるよ。

君は一人じゃない。

だから、これからだよ、一緒に行こう。






また泣き虫って言われるのを承知で、読みながら泣いた。

そっか。本当に“彼”は私の心だったんだ。

真っ黒で傷だらけで・・息も絶え絶えだった・・。あの時の私。


助けてくれたんだ。気づかせてくれたんだ。

そばに・・いてくれたんだ・・。


その日は紙切れを抱きしめて、眠った。そこに彼がいるような気がしたから。




私は、前を向いて歩くよ、

あと何回失敗するかわからないけれど。進まなきゃ・・。


“彼”と一緒に・・。




最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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