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さ行が言えません

作者: 長崎秋緒

 朝方、彼が診察室へ向かう途中の廊下で、看護師が洋形封筒を渡し、あの患者からのものと分かり、彼は小走りに診察室へと向かう。

和紙独特の毛羽立った心地の良い手触りを確かめ、彼は診察室の椅子に腰掛け封を解く。

「死にたい。死にたい。死にたい。

ごめんなさい。これは油性マジックでぐちゃぐちゃに塗りつぶしてください。先生を責めているのではないのです。わたしの手では消せません。

 もう、来ません。この間、みっともなく暴れたりしてごめんなさい。いつもなら、もっと良い子でいられたのに、あの時は、いつも先生の左手の薬指に光るものがどうしようもなく恨めしくって、つい……。

 わたしなりに、わたしは患者の立場から、自分の病気と向き合って生きてきました。だから、わたしのこころの状態が、医者としての先生の立場からどう扱われているのかも承知の上で、新薬の被験者に名乗り出たのです。

決してお薬代がタダになるとか、お金が頂けるとかいった下賤な気持ちからではないということだけは、はっきりさせておきたかったので……。

 わたし知っています。先生がわたしの心をあの手この手で解明しようとしてくださっていることを。

 でも、精神医学って現代に於いても未知の部分が多いのですから、いくら賢い先生でも不可能があることも、わたし知っています。

 それでも、一生懸命にわたし達みたいな不完全な人間の“謎”を解き明かそうと試みてくださる方々には感謝しても尽くしきれません。特に先生には。

 わたしが先生のことを想うきもちが、専門家に言わせると『陽性転移』っていうことだってちゃんと理解しています。見縊らないでください。

あんなに楽しい診察の日々が、先生への溢れんばかりの惜しみない恩愛さえもが、治療過程における精神状態から生み出されるものだと知ってしまったときの、わたしの驚きと悲しみは先生にはお分かりになられないでしょうね。

あのとき、わたしは図書館で絶望というものを確かに感得しました。

わたしが先生を一途に慕う感情さえ、あなた方にかかれば、単なる症例の一つになってしまう。なんという無慈悲な結論なのでしょう。

 愛という観念さえ、わたし達にはそれを抱くことすら許されていないのだなんて。

先生方はわたし達の心を、まるで牛や豚の部位を線引きして名づけるよう、次々に病名を増やしていくのですから。わたしのひとかたまりのこころには沢山の線が引かれ、ここは、こう名付けよう、この部分はそうとも呼べるな、といった調子で先生方は、わたし達のこころを“ばらす”ご自身の職務に、現在も勤しまれていることでしょう。

 牛や豚の部位は地方によって名称が変わるそうです。あなた方も、それぞれの信念の下、それぞれの解釈をなされ、日夜わたし達の病名や、それに対するお薬も様変わりしているのですから、わたしも牛さんや豚さんみたいなものですよね。

 こんなこと書いたのは、先生を困らせたくてのことではありません。でも、そういう風に読めてしまうことは否めません。だって、今も先生のこと好きなのですもの。

愛している、は奥様のモノですから、わたしは『好き』でいいです。一度でもいいから先生に面と向かって伝えたかったです。

 国語辞書や類語辞書を何度めくっても、愛に代わる言葉は見つかりませんでした。

他にも様々な日本語の素晴らしい響きの言葉もあったのですが、その中でもやっぱりその言葉がわたしには一番のお気に入りでした。

『好き』という言葉には透き通るような純真さがあって、それでいて幼い少女の可憐な決意めいたものが感じられるので、わたしはそれを代替にすることを決めました。それに比べて愛という言葉にはひどく生活臭のする下品さがある。わたしは先生には愛なんて言葉口にしてほしくはありません。似合わない。先生には『好き』と仰ってほしい。そうすればわたしも同じように返すのに……。

 でも、わたしは“さ行”の発音が苦手だから“す”が抜けた発音になってしまうものですから、恥ずかしくって、そんな大切な言葉を、間の抜けた“す”で告げるなんてことできないでしょう。わたしがそれを口に出して言うことは一生ないと思います。

 先生、わたしの先生を好きだという脆い感情が、病気による偽りの愛であるというのならば、いったい人を愛するとは、どういう心境をそう名付けて良いのでしょうか?

このきもちが偽りだといわれても、わたしにはそれを判断できる知識はもちろん浅く先生方に比べるべくもなく、それについてはわたしも一患者であることを認めざるを得ません。

 先生はわたしの愛さえ否定してそれを私自身に諭そうとなさいますが、どうやったってわかりません。本当の愛がなんなのか先生だってきっとご存知無いくせに。見識者ぶって、広大な未開拓の土地の精神領域にそんなに簡単に結論づけたりして、浅慮すぎやしませんか? わたしのこころは偽者なのですか?

 ごめんなさい。いじめるつもりではなかったのに、先生を困惑させてしまうようなことばかりでごめんなさい。おとなしく被験者になっていた方がよっぽど先生のお役に立てたことでしょう。

 つらいんです。偽りの恋心だと知りながらもあなたを想うわたしの身勝手なこころが。

どうやったって偽りだとは説き伏せられないんですもの。好きです。好きです。好きです。好きです――」

 そこからは細かい文字で、その言葉がびっしりと便箋を埋め尽くしているだけだった。


「先生、ごめんなさい。それは破いて捨ててください。抑えきれなくって……

 わたしは先生とのお付き合いの中で、いろんな種類のお薬を試させて頂きましたが、わたしにとって一番想い入れのあるものは今も大切に保管しています。飲まなきゃいけないのにダメですね、わたし。でも、大切な品。指輪よりもわたしにとって価値のある品。

 皮肉ばっかりでごめんなさい。こんな性格いやだ。先生に見放されたくない。だから、良い子でいたかった。

 でも、先生はわたし以外の女性にも同じような言葉をかけているんでしょう?

そのことを思うとたまらなくこころが締めつけられるものだから。わたしなんかよりも魅力的な女性が診察室で先生と二人っきりでいる。それを考えると気が狂いそうになるんです。わたしだけのものになれば、と何度願ったことでしょう。奥様が羨ましい。

 違うんです。奥様から先生を奪い取りたいとかそんな物騒なこと考えていません。先生がわたしの愛を否定するから、教えてほしいだけなんです。本当の愛というものを。

 それが、偽りだと言い切れるからには、どれが本物かを知りえている必要があるでしょう? だからわたしの愛を否定できるということは、どれが本物かもご存知だということにはなりませんか?

 きらいにならないで、先生。惨めな女の戯言ととられてもいいですから。恨み言を書くつもりではないのに、どうしても感情の流れに逆らえなくて。先生、こんな風なこころの状態は『〜症』とお呼びすれば良いのでしょうか?

 ごめんなさい。またそんなこと書いている。もう自分でもわかっています。わたしは幸せにはなれない人間なのですよね。

 この境界例が治ることなどあるわけない。一生を、ミステリーを読む前段階で、犯人と殺しの手口を知らされた上で進まなければならない、そのページを徒然とめくるような、さして驚きもない生活しかわたしには与えられていないのでしょう?

 結末なんてとっくに知っていますよ。なんて退屈な人生。わたしの人生にはミステリーのトリックに驚愕するような幸運な出来事もなく、淡々と綴られる、日常を描くだけのブログ程度。その種別のものだって先生は仰りたいのでしょうけれど、わたしだって先生ほどではないですが、その手の書物は読んできましたから、その自覚はあります。

 またやっちゃいましたね。専門家の先生とやりあうつもりはありません。ですぎたまねでした。もう書きません。もう飽きられましたよね? 見捨てないで先生。わたしは先生にどれだけ従順だったか、覚えていらっしゃるでしょう? その恩の分だけでもいいですからわたしに関心を寄せてください。

 他の患者さん、とりわけ小煩い彼女達よりも、わたしは模範的で扱いやすい患者さんだったでしょう? 先生の為にそうしていたのですよ。

 なのに、あんな人達とわたしを一括りにして診察するなんて、悔しい。

先生にお聞きしたいです。彼女達とわたしを比べ、どう見ていたのかという、先生の本音を。だいたいわたしのと彼女達のでは明らかに種類が違うでしょうに。 

 どこにでも転がっているお手軽な恋愛に妄信する彼女達と、わたしの先生を想うきもちはどう考えたって別物です。

 彼女達の無分別なそれと、わたしの恐ろしいまでに一途な懸想とは、精神医学的にいうとどこがどう違うのですか? 境界例と境界性人格障害の違いくらいのものでしょうか? わたしは混同しているだけなのですか? 教えてください先生。

 ひとを好きになったり嫌いになったり、そんな世間ではごく自然な行為をうまく行えない、こんなできそこないのこころならいっそ全壊してしまえばいいのに。そうして格子窓のあの“檻”の中に永遠に閉じ込められてしまえばいい。そうすれば、地下から先生を敬愛の念を持って見上げ続けることができるのに。

 愛しています。本当の気持ちなんです。これがどうしても嘘だなんて認めたくありません。先生否定しないで、お願いします。最後の支えが途切れてなくなってしまいそうです。

早く解明してください。わたしの本当の愛を。そうして教えてください。先生の口からそのことを。

 もし、それが叶うのならばわたしはもうなにも望みません。本当の愛が一瞬でもわたしの身に触れてくれるのならば本望です。

 先生、早く見つけてください。お願いです。わたしは待ちます。聡明な先生ならきっとそこへ辿り着けると信じています」


 彼は手紙を引き出しにしまい、彼女のことを考える。まだ新米の彼には荷の重い患者であるのは確かだった。さらに他の患者のことを考えると、彼の心中は休まらない。

 一人に割く時間は短く、あまりのめりこまぬようにと常々先輩医師に助言を受けていたこともあり、看護師達の目には、彼が患者を雑に扱うように映っているのもしかたのないことだ、と自分自身に言い聞かせ、彼は手紙を引き出しにしまい、今日最初の患者を招き入れるよう看護師に命じた。

 


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― 新着の感想 ―
[一言]  長崎秋緒先生、初めまして。私、はぐれ感想人の鏑(かぶら)と申します。  実は鏑、作中の「わたし」のように、サ行の発音が出来なかった時期があります(なお、未だにラ行の発音は正確に出来ません)…
[一言] 患者の手紙は長く情熱的かつ一方的な文だが、 彼女の想いが痛いほど伝わってくる。この書き出しにより今後の医師の行動が気になり、ついつい読み進めてしまう。
[一言]  ども、近藤です。  臨床心理というのかな。現場がどういうものか、近藤は河合隼雄さんの本で読んだくらいの知識しかないので、この作品での描写が正確かどうなのかは分かりません。  小説としては、…
2008/05/14 22:51 退会済み
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