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嘯く奴らのハンティングファイル  作者: 榛原ユリト
フクロネコは今夜も眠らない
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ファイルⅠ 多面体の亡霊たち⑦

 などと考えていると、その間、ナオさんはいつものことながら注文もしていないのに勝手にコーヒーを淹れ、ラテアートを描き始めている。

 開店以来、彼は俺のことを客であり都合のよい練習台だと思っているのだ。


「で、定期報告か?」


「俺いつからナオさんの手下になったんでしたっけ?」


 ナオさんは俺の前にコーヒーを置く。

 表面には泡立てたミルクと粉末のココアで描かれたクマとハートが踊っている。

 俺は思わずきゅんとしかけて、姿勢を正した。


「芸術です」


「まあな」


 ナオさんは灰青色の瞳で、いつものようにつんと澄ましている。


 <cubby cafe>には、俺以外にも元ガーディアンクウォールの出身者が度々出入りしている。

 それで互いにおおっぴらには話せないことを発散させたり、情報交換の場としているのである。

 ナオさんも観城ユニットの元偵察要員として、できる限りの情報は俺にも与えてくれるし、相談相手にもなってくれる。

 彗さんもまた、彼の意思をよく理解しているようだった。


 今の遠藤柊那があるのは、はっきり言ってこの二人による部分が大きい。


 以前の俺は昼と夜が完全に逆転していた。

 朝に起きるのがとにかく億劫で、夜に寝ることもまた同じくらい苦痛な時期があった。

 ナオさんによく言われたが、きっとガーディアンクウォールが死んだことで俺自身も精神的に死にかけていたのだ。


 俺はラテをひと口飲んだ。

 優しいミルクに包まれたコーヒーの香りがすばらしい。


「そういえば偶然圭さんに会ったんです、昨日」


「ああ、相変わらずだろ。あの軟弱狙撃手は」


「はい、それはもう相変わらずで──って、俺が〝軟弱〟とか言ったら圭さんにピンポイント射撃されかねないっすよ。巻き込むのやめてくださいよ」


「どついたくらいじゃ死なないだろうが、あれ以来あいつはどうも危なっかしいからな」


 カップを磨くナオさんの手が一時止まる。


 ガーディアンクウォール時代の昔話──とはいっても、現在に繋がる昔話だ。

 二年程前、関東沿岸でジェネレーター大規模掃討戦が行われた。

 まさに戦場のような状況に陥ったものの、観城ユニットの活躍もあり、危機一髪でジェネレーターの一掃に成功したのだ。

 しかし、観城ユニットはそれ相応の大打撃を受けていた。

 ナオさんや圭さんは、もう一人のガンナーである宇賀風羽とともに病院に送られ、竜胆博瑛は自衛隊ヘリの墜落に巻き込まれて命を落とした。

 ユニットのコーディネーターであった観城香織もガーディアンクウォール解体以降は居場所がわからなくなっている。


「圭さん、昨日もハンティングの後でお酒飲みに出てました」


「酒なんてほとんど見向きもしないやつだったのにな。──まあ、俺から見れば、おまえだって抜け出せないどころか抱え込む方を選んでるんだから同じようなもんだ。JIBに雇われたんだからJIB一本でやればいいだろ。それどころか、バイトまで始めたって?」


「うげぇっ、な、なんで知ってるんですか?」


「俺に隠し事は無駄だと、とうの昔に言ったはずだが? 街で人とすれ違えば、半分が俺の配下だと思っとけ」


 冗談かと思っていた──いや、もちろん冗談交じりなのだろうが、改めてナオさんが口元を歪めるのを見ると、ちょっと怯む。


「抜け出せないっていうか……ジェネレーターを殺らないなら、おれがここにいる意味なんか」


「ふん、格好つけやがって。口で言うやつほど自滅しやすいんだ」


「──格好なんかつかないですよ。つけてもいないです」


 俺はナオさんの前ではつい素直になってしまう。

 ただの甘えというやつかもしれないが。


「まあ、UMFに敏感なおまえの性なのかもしれないが……ボウグルには注意しろよ」


「ボウグル? なんですかそれ。まさか〝幽霊〟じゃないですよね」


 ナオさんが真顔で頷く。

 俺はたまらず吹いた。

 bogleという語を英和辞典で調べれば、それらしいことが書かれているが。

 ナオさんらしく、言い方が洒落ている。


「意外です。ナオさんって、そういうの信じる方なんですね。俺、てっきり──」


「人間のじゃない。ジェネレーターのだ」


「ジェネレーターの──?」


 俺の脳裏に昨晩の出来事が蘇る。

 支倉愛衣は友人たち三人と肝試しをするために分譲地へ出掛けたのだ。

 けれど、あれは幽霊なんかではなかった。

 傷んだ身元不明者の遺体に群がっていた生物を苗床にして増殖したジェネレーターの──。


 俺の胃袋から酸っぱいものが上がってきそうになり、慌てて飲み下す。


「どうかしたのか」


「いえ、別になんでも。教えてください、なんなんですそれ」


「高いぞ」


 うー。


「……えっとすいませんバリスタさん、もう一杯お願いします」


 試作段階の新作な、と言ってナオさんは頷いた。


「元フクロネコたちが、消されている。都内に限らず、全国でもそれらしい例が何件かある」


 フクロネコとはクウォール。

 つまり、元ガーディアンクウォールの社員たち。


 ナオさんが慣れた手つきでエスプレッソマシンにコーヒー豆をセットする。

 つい数ヶ月前まで俺たちと共にジェネレーターとの戦闘に明け暮れていた手だった。

 どんなときでも全身黒尽くめでグローブも欠かさなかった彼の手は、夜の街に溶け込んだ今も白いままだ。


「消されてる?」


「ぞっとしないだろ。殺られたやつらの何人かは、ジェネレーターの亡霊に脅えていたっていうんだ」


「まさか。俺は信じませんよ」


「俺もボウグルなんか信じてない。ま、噂だろうな」


 ナオさんは涼しい顔で泡立てミルクの準備をする。


「え、ちょっと待ってくださいよ。ただの噂話に、俺もう一杯注文したんじゃ……」


「石頭」


「は?」


「見た目はそんなくせにな」


「そんなってどういう意味ですか」


 空のカップと完成した二杯目のカップを交換しながら、ナオさんはジロジロと舐めるように俺を見る。


 確かに俺の髪は褪せたような茶色だし、伸び放題で寝起きなど鳥の巣状態だ。

 けれど世間的にも、ジェネレーターハンターには安全面から装飾品装着の制限はあっても、頭髪制限はほとんどないのが不文律になっている。


「なんか話逸らされてませんか? それにナオさんだって」


「俺のは天然色だ」


 ナオさんはきっぱりと言いきった。

 色とりどりの切り揃えられたサンドイッチの盛り合わせをキッチンから運んできた彗さんが、くすくすと笑いながら通り過ぎていく。


 二杯目のラテアートでは、トランプの兵隊がラッパを吹いて大行進を繰り広げていた。


「おまえは妙なところで真面目くさったりするからな。そんな色に染めたっていつまでたっても石頭は治らないぞ。たまにはジェネレーターから離れる時間を作ったらどうだ?」


「……え」


「例えば読書とか」


「本……そっか本か、最近読んでないな。じゃあなにか面白い本でも紹介してくださいよ」


「まったく、おまえには世話が焼ける」


 ほれ、とナオさんが差し出してきたのは、四〇〇ページはあろうかと思われる一冊のハードカバー本。


「VRTSの創始者の著作だ。ハンティングセンターにはおまえもよく行ってただろ」


 ああ……、と相槌を打って俺はずっしりと重い本を受け取る。

 バーチャルリアリティトレーニングシステム(VRTS)は、字面の通りハンティングセンターで広く取り入れられている仮想訓練方式だ。

 ハンティングセンターに行って利用料を支払えば仮想のジェネレーターハンティングを誰でも体験することができるため、今となってはごくごく一般的な訓練方法のひとつになっている。


「今売れてるランキング三位というから買ってみたんだ。VRTSの創始者が実際のジェネレーターに襲われたことでも、マスコミが大きく報じてたからな。読み終わったから、おまえに貸してやるよ」


「『汎用人工知能にみる深層学習と情報科学──』って……俺の脳みそ窒息死させる気ですか?」


 ナオさんは笑みを浮かべ、売れに売れてまた増刷が決まったそうだと告げた。


 これでももしかしたら心配してくれているのかもしれない。

 以前とは別人のようだが、この人はこの人なりに世界と戦っている。


 彗さんのことを守るためにカウンターの下に数種のP‐エミットを忍ばせ、ジェネレーターと戦うためにライセンスも手放さずにいることを俺は知っているのだ。


 時計を見ると、七時を回っていた。

 思ってた以上に長居してしまったみたいだ。

 あまりナオさんの商売の邪魔をするわけにもいかない。


「じゃあ、俺そろそろ行きます。またなんか情報あったらください」


「ああ、いつでも来いよ」


「どうもごちそうさまです」


 俺は彗さんにも礼を言い、代金を払って<cubby cafe>を後にした。


 雑居ビルから外へ出る。

 柔らかな風が巻き上がり、半袖を揺らしていった。


 陽が落ちた後の街並みに繁華街の明かりが幾重にも重なって、目が眩みそうになる。

 車のヘッドライトが右へ左へ忙しく流れていく。


 今日もまた夜がやってくる。


 悲しみと後悔に打ち震える支倉愛衣の自宅には警察が行っただろう。

 彼女もまた眠れぬ夜を過ごしただろうか。


 足を踏み出すたび、ボディバッグにはいちいち慣れない重みを感じた。


 そして俺は、改めて思う。

 ──どうせならこういうハードカバー本じゃなく、もっとライトな文庫本にしてくれればよかったのに、と。

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