ファイルⅠ 多面体の亡霊たち⑥
「改めて警察が話を伺いに来ると思います」
「わざわざ送っていただいて、ありがとうございました」
俺が家族に事情を説明している間もずっと、支倉愛衣は俯き通しだった。
俺はかける言葉も見つけられず、ただ悲壮な表情を窺うことしか出来なかった。
ここに着くまでの間、引いてきた彼女の手の温りが、まだ俺の手の平に残っている。
確かなものはなにもないが、大丈夫であって欲しいと俺は心の中で願った。
やがて前方に現れる、均された分譲地と防風林。
規制線が張られたそこは、八時過ぎに来たときとは一変していた。
回転する赤色灯がせわしなく周囲を照らし、警察の人間が十数人がかりで泥だらけになりながら、今夜三人の少年少女が命を落とし、身元不明の遺体が発見された現場を這いまわっている。
その身元不明の遺体も、周囲に集っていたジェネレーターに巻き込まれて再び泥濘に沈んでしまったらしく、捜査が難航しそうだという。
支倉愛衣を家まで送り届けた俺は、分譲地の前に再び立っていた。
小野崎さんには、『こっちも後のことは警察に引き渡したから終了だ。
これから佐伯と飲みに出るんだけど、遠藤君も合流しないかい?』などと言われたが、即座に断った。
知り合いだと言う二人に遠慮したというのもあるが、もう十時を回っていたし、今夜はこれ以上気を使ったり誰かと会話するのが面倒だったのだ。
なぜ自分が、ここへ戻ってきたのかもよくわからない──いやたぶん、きっと俺は納得できないでいるのだ。
幽霊の噂が立つこの場所へ、肝試しに誘われた支倉愛衣。
道すがら、彼女は涙ながらに俺に話した。
三人の中の一人白川隼世は、支倉愛衣と二人で歩きながら、『本当はね、これってダブルデートなの』とこっそり教えてくれたという。
そして、『あいつらほっといて、どっか遊びに行く?』とはにかみながら言ったのだそうだ。
予想外の展開に驚いてしまった支倉愛衣は、結局『……肝試し続けよう』としか言えなかった。
白川隼世は強引なところは少しもなく、『本当に怖いの好きなんだね。いいよ』と笑ってくれた。
彼は最後まで友だち思いで勇敢で、なにより支倉愛衣を守ろうとした。
『ごめん……俺のせいだ……ごめんね』
白川隼世はペットボトルの水をジェネレーターに投げつけたことを激しく後悔していた。
彼女をたぶん守ろうとして咄嗟にとった行動だったのだろう。
『──いやだいやだ! 助けて! 死にたくないバカ死ねクソっ! あああぁぁ──っ!』
俺は重い息を吐いた。
UMFの気配はぴりとも感じられない。
「すみません、ここ今危険なんで。どうかしましたか?」
歩道の縁でボンヤリしていたら、巡回していた警察官に見つかってしまった。
俺は小さく一礼した。
「小野崎警備の遠藤です。さっきまでここでジェネレーター戦を」
言ってから俺はあっと思う。
〝ジェネレーター戦〟という言い方はハンターたちの間ではあまり使わないと、唯川瑞希に注意されたばかりではないか。
けれど警察官の彼は、そんなことには気にも留めなかったようだ。
「ああ、ハンターの方でしたか。今夜は急な狩りだったそうで、ご苦労さまです」
「急? 急ではなかったはずですけど」
「さっき小野崎警備の代表が我々に説明してましたよ。セーフティSAEKIから来た三人だけでは収拾つきそうもなかったので危ないところだと言ってましたけど。結果オーライです」
「オーライ──ですか。これのどこが」
俺は警察官にわかりやすくあきれ顔をしてやった。
彼はばつの悪そうな顔をし、二、三言決まりきった挨拶を残して巡回へと戻っていった。
いい加減さと、傲慢さに、怒りのやり場がない。
だが、彼のおかげでひとつだけわかったことがある。
どうやら〝保険〟は、俺たちの方だったみたいだ。
*
ひと月ほど前に、<cuddy cafe>という店が新装オープンした。
その店で、俺がガーディアンクウォールにいた時に少なからず世話になったナオヒロ=クリス=ラトナ──つまり、ナオさんが〝バリスタ〟なるものの真似ごとを始めたって聞いたときには、驚いたのなんの。
cafeという名がついているくらいだから、もちろんコーヒーを中心に紅茶やハーブティ、それに合うスイーツや軽食を取り揃えている。
けれど、なんといってもこの店の成り立ちにも由来するわけだが──客にはハンターが多く、夕方にオープンして、深夜にクローズする。
装いを新たに、店主である天野彗の趣味とナオさんの趣味が、ある意味結託したような仕上がりになっているのは言うまでもない。
ナオさんも圭さんと同じ観城ユニットの出身だ。
冷徹で正確無比な偵察能力と、仲間同士の一切の馴れ合いを頑なに拒み続けた協調性ゼロの性格……その偏屈っぷりは社内でも筋金入りだと全会一致で認められていた。
そんな偏屈王の名を轟かせていたナオさんが、人間相手のサービス業なんてムリだろ……と誰もが思ったものだ。が……。
意外にもしっかりとした足取りで、彼もまた自分の道を歩き初めていたのだ。
小暑初候の頃──もう少し詳しく言うなら、バイト初日で散々な気分を味わった日の翌日。
午後六時とはいっても太陽はまだ西の空に留まり、繁華街にいくつもの歪な影を落としていた。
生ぬるい風を感じながら、俺は雑居ビルに入り、窮屈なエレベーターで三階に降りた。
運送業者の帽子を被った青年が伝票を繰りながら無愛想にすれ違う。
通路を照らす青白い蛍光灯のひとつが不規則な明滅を繰り返していた。
清掃は行き届いていても建物の古さは隠しようがない。
壁越しには、単調なリズムのベース音が響いている。
俺は二つの看板を横目に通路を進み、一番奥にある黒塗りの扉を押した。
とたんに、モノトーンで揃えられた店内とランプを模したオレンジ色の灯かりが目の前に広がる。
「こんばんは」
すぐにカウンター内にいる白金色の髪をした青年に頭を下げる。
……いや白金色というより、幻想的な照明のせいで銀髪にさえ見える。
白のワイシャツに黒ベスト、蝶ネクタイ、それに腰にはバリスタエプロン。
これで一応は本物のバリスタに見えてしまうから怖い。
まだ時間も早く、店内には男女がひと組と、カウンター席がひとつ埋まっているだけだった。
「いらっしゃい──なんだ、誰かと思えば」
「『なんだ』……って、じゃ帰ります」
「元気でな」
「引き止めてくださいよ」
ナオさんは意地悪く微笑しながら自分の目の前のカウンター席を顎で示した。
俺はというと、内心で「ナオさんが『いらっしゃい』か……」と未だに慣れない彼の社交的な挨拶に身じろぎしそうになっていた。
「あら、遠藤君だったんだね。どうぞゆっくりしてって」
カウンター奥でほとんど死角になっているキッチンから、彗さんの秀麗な笑顔が覗く。
どの角度から見ても〝美人〟という言葉がぴったりな人だ。
利発そうな黒瞳や、指がするすると心地よく通りそうな黒髪。
すれ違ったら振り向かずにはいられない印象的な人というのがいるが、彼女はまさにそういう感じの人だった。
「ありがとうございます」
大理石模様のカウンターに着きながら、俺は自然と笑顔になる。
そして、彗さんの後姿とナオさんとをつい見比べてしまった。
「気持ち悪いな。なんだよ、まじまじと」
「ああ、その──相変わらず仲よさそうですよね」
「未だに喧嘩したことがない」
「は? はああぁぁっっ!?」
「……驚きすぎだろ」
「いやいやいやごめんなさい全然驚いてなんかすみません」
この人と日がな一日過ごして喧嘩ゼロとか、いったいどんだけ寛大な女神さまなんだ彗さんは。