ファイルⅠ 多面体の亡霊たち②
俺の父方の祖父がどうも磁場に敏感らしかった。
昔こそUMFなどなかったが、旅行で活火山の付近を観光したり、雷が鳴る日なんかは、頭が痛いだのめまいがするだの煩く訴えていたという。
もし、祖父が生きていて体内磁気器官の力を存分に発揮することが出来れば、(ビジュアルはともかく)現代のヒーローとして、あっちからもこっちからも引っ張りだこだったかもしれない。
けれどかろうじてその能力を遺伝された孫の俺はというと、ガーディアンクウォールにいた頃もUMFの発生を直前で予期出来るくらいで、たいした活躍は出来なかった。
電車を降りて駅を出ると、時刻はすでに夜の八時を回っていた。
俺はあくびをかみ殺す。
話し込んでいて特に数えたりしていなかったが、五、六駅ほども乗っていただろうか。
俺たちは、都心からずいぶん田舎に見える郊外までやってきていた。
「これから行くところの話をまだしてなかったね。どうやらそこ、出るらしいんだよ」
「出る?」
振り向くと、小野崎さんは手を前に出し、左右にぶらぶらさせていた。
「ちょ、ちょ、待ってくださいよ。俺って幽霊退治のバイトに応募したんでしたっけ?」
「違うよ」
小野崎さんの笑い声が人気の少ない路地に響いた。
俺は幽霊の存在を信じていない。
そんなものは、脳が起こす視覚のエラーのひとつだと思っている。
それでも、一瞬だけぎょっとしてしまった。
俺も小野崎さんもハンティングウェアの下だけを履いて、上はTシャツ、首から下げたライセンス証を左胸にクリップピンで留めている。その他もろもろの装備品は、バックパックに入れて背負っている。
「もちろん、ただの噂さ。幽霊が出るって言われてるけど、一部の人間はジェネレーターの仕業だと思ってる。当然、僕もね。この時間帯に来たのは、日が落ちた後の時間帯に、より多くのジェネレーターが集まるって依頼主から聞いてるからさ」
「依頼主は誰なんです?」
「土地の所有者、菅井という名の男だよ」
「結構遠いんですね」
「もうすぐだ。車なくて悪いね。明日には修理が終わることになってるんだ。ディーラーだってのに代車が不足して出せないなんて、UMFとジェネレーターで事故が増えてるせいだな」
駅周辺の小さな繁華街を離れてしまえば、あとはもう塀や庭木に囲まれた家屋が建ち並ぶ住宅街が広がっているだけだった。
問題の場所までは、タクシーを使うまでの距離でもないんだろう。
出会ったときの小野崎さんは、皺ひとつないビジネススーツ姿だった。
日中はソフトウェア会社に勤め、サイドビジネスとして夜間や休日を中心にジェネレーターハントをして小金を稼いでいるという。
電柱の張り紙を見て募集に応じた俺が抱いた第一印象は、“この人はこんなひょろい体で本当にジェネレーターと戦えんのか?”だった。
しかし、ぱっと見は絵に描いたようなインテリ男でも、彼はいわゆる「脱いだらすごい」というやつだった。
ビジネススーツに隠されていた肉体は鍛え上げられたハンターのものであり、余分な脂肪は少しもなく、腹筋は六つに割れている。
俺も小野崎さんも歩きながらバックパックを開いてハンティングウェアに袖を通し、首周りの保護とマスク代わりにもなるストールを巻いた。
間もなく、一ヘクタールはあろうかと思われるだだっ広い土地が視界に現れ、その端で立ち止まる。
「ここですか?」
「そう。ここには、去年の春まで工業用の化学薬品工場と倉庫があった。しかし会社は倒産、廃業して工場を潰し、一部を分譲住宅地として売りに出した。十四区画あるうちの十二区画が売れてすでに二件の家が建っているけど、誰も住んでない」
「え、どうして。せっかく新しい家なのに」
「実は工場や倉庫があった頃からこの辺りには時々UMFが発生しジェネレーターが出没していたんだ。解体工事をするときにちょっとした掃討戦が行われたんだけれど、ジェネレーターどもは工場の薬品ごと辺り一面吹っ飛ばしかねない勢いだった。で、今ジェネレーターはどこからか寄り集まってきて、再びこの地には近づけなくなっているってわけさ」
釈然としない思いにもやもやしながら、俺は尋ねた。
「なんでやつらはここを選んだんでしょう」
「さあ? その点は僕も勉強不足でね」
小野崎さんは眉をハの字に寄せて肩をすくめる。
だだっ広く均された土地の奥の方に、二階建ての家が二件、街灯に照らされてぼんやりと佇んでいる。
端の方には小さな防風林があり、蒼い天には星が瞬いていた。
「土地購入者との訴訟も、目も当てられないほど泥沼化してるっていうんだ。僕らの役目は、分譲地の調査と、ジェネレーターを見つけたら掃除すること。出来るだけさっさと終わらせてやろう」
小野崎さんが歩き出す。
そのとき、人気のまるでなかった分譲地に近づいてくる足音があった。
「やあ、誰かと思ったら」
足音は俺たちのすぐそばまで来て止まった。
三人連れの大男たちで、格好からして全員がジェネレーターハンターにしか見えない。
人気のない路地でこんな者たちに出くわせば、はっきり言って威圧感しか得られない見本のような登場っぷりだった。
「佐伯、こんなところでなにし……」
小野崎さんはぴりりとした緊張をすぐに解いたが、俺はそれどころじゃなかった。
「──おわっ、圭さん?」
「お、柊那がいる。なんでこんなところに? しかも小野崎となんで?」
俺の姿を見て、佐伯圭人が目を丸くする。
圭さんはガーディアンクウォールにいたときに観城ユニットに所属していた。
なんで──って、こっちが訊きたいくらいです(マジ)。
俺は小野崎さんが、『実は元ガーディアンクウォールの社員がハンターとして現場に復帰してるって話は、耳にしないでもないんだよ』と言っていたことを思い出した。
もしかしたら佐伯圭人のことを言っていたのかもしれない。
「えっ、俺は今日からバイトを……」
「おいおい佐伯、今彼は僕のものなんだよ。横取りしようったってそうはいかない」
ちっちっち、と指を振りながら小野崎さんは笑っている。
俺は現バイトの雇い主と昔の職場の先輩との間で板挟みに陥り、どうしていいかわからない。
「そうやってなんでも物扱いしようとするところは昔から変わらないな」
「おいおい、久々に会って説教はないだろ」
「お二人とも知り合いなんですか?」
「中学のときからのね。なんだ、おまえと遠藤君がいるなら僕の出番なしじゃないの」
答えながら小野崎さんは、やれやれと首を振る。
二人はまるで雰囲気が違う。
ハンティングウェアも似合いだがビジネススーツの方がイメージに合う小野崎光と、ガーディアンクウォール内でも屈指のスナイパーとして称された佐伯圭人。
彼らに接点があったとは、世間は狭い。
「だいたいどういう心境の変化だ? 小野崎が人を雇うなんて──ああひょっとしてあれか、ひとりでやることに飽きたんだな?」
「よくわかってるじゃないか。その通りだよ、最近つまんなくてつまんなくて。そのまま老け込むなんて御免だろ?」
圭さんが苦笑いをこぼす。
背が俺より二十センチほども高く、精鋭観城ユニットの戦闘員というだけあって引き締まった強靭な肉体を持ち、どこにいても人目を引いた。
たまに笑顔で毒を吐くこともあるが、基本的には仲間のことをよく見ていて、他ユニットだった俺もずいぶんと世話になった。
あとの二人のハンターは彼の連れのようで、従者のように彼の背後に控えている。
「ジェネレーターハントはゲームじゃないぞ……柊那、この人年中頭が風邪引いてるんだ。バイトしたいなら僕のところにおいでよ」
圭さんは昔馴染みにあきれた様子で俺に向き直る。
なんとも居づらい空気だった。
バイト初日で「じゃあ、やめます。で、こっちに行きます」とはさすがの俺も言いにくい。
返答に窮する俺を見かねてか、圭さんは小野崎さんへと振り返り話題を変えた。
「ところで、そっちは誰の依頼でここに来たんだ?」
「地主の菅井さ」
「ひゅー、なんだよそれ。菅井さん、小野崎のことはなにも言ってなかったけどな」
「保険のつもりじゃないのかい?」
小野崎さんは退屈そうにあくびをした。
話し合いの結果、今回は急遽小野崎警備とセーフティSAEKIとの共同作戦ということになった。