第一話「ぷりん党」 07
「ねぇ、キララ。アンタ、また胸が大きくなったんじゃない?」
「えっ! 突然、なに言っているのよ」
ロッカーの前で柔道着を畳んでいたキララが、呆れながら隣で着替えをしている同級生を見た。
「ほら、寝技の練習しているとき、なんとなくキララって胸が大きくなったなぁって思って」
「ちょっと、練習中に変なこと考えないでよ」
「だって、日に日に大きくなってくるから気になっちゃって」
そう言って同級生は自分の胸を触り、揉み立て、鷲掴みしてから「ハァ~」と嘆息を漏らした。
「少しだけ、少しでいいから触ってもいい?」
「ダメに決まっているでしょ。なに言っているのよ気持ちがワルイ」
「ええー、いいじゃん。減るもんじゃないし。それに揉めば大きくなるって聞くよ」
「そんなの都市伝説に決まっているでしょ。変なこと言っていないで着替えちゃいなさいよ」
自分の胸を仰視してくる同級生を無視して、キララはロッカーに手を掛けた。その時――
「…………まさか」
「どうしたのキララ。固まっちゃって?」
ロッカーに手を掛けたまま微動だにしないキララを気にして、同級生が顔を覗き込んでくる。
「えっ? なっ、なんでもない」
急いで同級生を押し戻し、ロッカーを背にして隠すキララ。実は彼女の後ろ、正確にはロッカーの鉄扉なのだが、端に殴ったような凹みがあったのだ。室内から容易に中身を覗き見ることが出来るくらいの隙間が空いており、そこには彼女がよく知る人物がプルプルと小鹿のように震えていたのである。
このバカ。なんで、そんなところに隠れているのよ。本当に下着ドロボーだったの? ってか、なんで私のロッカーに入っているのよ。あれ? ちょっと待ってよ。それって私の下着を盗みに来たってこと? 見ているだけじゃ飽き足らず、私の下着が欲しいっていうの。ちょっと待ってよ。今日、持ってきたのって安売りのバーゲン品よ。盗むって分かっていたら、もっと高いヤツを持ってきたのに。安物の下着を取られたら、私、明日からどんな顔すればいいのよ。こんなことなら一五〇〇円じゃなくて、ブランドの下着を持ってくればよかった。あっ、でも、今月はお小遣いピンチだから、盗まれたらイヤだなぁ。でも……やっぱり……
この時のキララはパニクっていた。善悪の区別より、女としての見栄やプライドが優先してしまい、状況をまるで理解していなかった。
「ねぇ、キララ。どうしたの? さっきからブツブツ言っているけど」
「えっ? なっ、なんでもないよ。アハハハ」
「あれ? もしかして、佐木崖くんのこと考えてた?」
同級生の当たらずといえども遠からずのコメントに、キララがビクリと反応してしまう。
「やっぱり、そうみたいね。もう、キララったら♪」
「どっ、どうしてココで瞠の名前が出て来るのよ」
「だって、キララっていつも佐木崖くんと仲良さそうだし。それに、今日だって佐木崖くんが道場に来ているって知ったら、一目散に飛び出して行ったじゃん」
そう言って瞠の素性を知らない同級生は、キララをからかいながら言った。
「あれは、瞠が変なことを外で叫んでいたから」
「ふーん。まぁ、そういうことにしておくわよ。でも、キララも気を付けたほうがいいよ」
「気を付ける?」
「下着泥棒に決まっているじゃない。キララも下着、盗まれないようにしないと。でも、相手が佐木崖くんなら、そのほうが願ったり叶ったりだったりして♪」
そう言って同級生は「それにしても、あれ高かったのになぁ」と、盗まれた下着を思い返して悔しそうに呟いた。キララも「下着泥棒ね……」と、後ろのロッカーを睨みつける。
「野良犬に噛まれたと思ってあきらめなよ。戻ってきたとしても穿けないわけだし」
「それが一番ショック大きい。絶対、盗んだ犯人を取っちめてやるんだから。ああ、何処かに隠れていないかな下着泥棒」
「案外、近くに隠れていたりして」
「………………」
「………………」
部室内に静寂が走り抜けた瞬間であった。
「またまたぁ。それはそれで怖いって。もう、冗談やめてよ、ロッカー開けるの怖いじゃん」
「あはは。ごめんごめん」
キララも一緒に作り笑いをしてみせたが、キララは全然笑えていなかった。笑える状況でもなかった。
同級生は室内を見渡し「ほら、冗談はここらへんにして、早く着替えよう。もう、みんな終わってるよ」と、スポーツバックを肩に担いだ。
「ああ、ごめん。なんか、ロッカーのカギ、道場に忘れて来ちゃったみたいなの」
「もう、なにやっているのよ。どおりでいつまで経っても着替えないと思った。しょうがない、私が取りに行ってあげる」
「そんな悪いよ。私も一緒に行くわ」
そう言って、残っていた二人は足早に女子柔道部室をあとにした。
再度、部室内に静寂が訪れる。
それを見計らっていた男が、静かにキララのロッカーを開けて顔を覗かせる。
「たっ、助かった。一時はどうなるかと思ったぞ」
出てきたのは、予想通り佐木崖瞠だった。その後ろから続いて早乙女隼人も出てくる。
隼人は睨むような目で「先輩。着替え見てましたよね?」と、口調に蔑んだ意味を含ませて訊いた。
「なっ、なにを言う。私がパンティ以外なモノを見るわけなかろう」
「どうだか。鼻の下が伸びているのはボクの錯覚でしょうか? ほら、そこ。さっきより三センチ下がっています」
「錯覚だ。人間の鼻の下が伸びるわけないだろう。もっと、現実的にだな……」
そう瞠が言おうとしたとき、
「へぇー。私のロッカーからアンタが出てくることは現実的なのかしら?」
と、鋭く凍りついた声が背中にグサリと刺さった。
「物理的には現実……てき……かと?」
そう言って瞠は恐る恐る出入口へ振り返ると、そこにはお馴染みの鬼の形相が立っていた。
「あれ、キララ。なぜ、お前がそこにいるのだ。道場に戻ったのではないのか?」
「私が部室に居ることが変か、アナタがココにいるほうが変か。さて、どっちらが変かしら?」
「もしかして、バレてた? 私たちが、お前のロッカーに隠れていたことを」
「逆に聞くわ。なんでバレないと思ったの?」
「ロッカーに隠れていたから」
「こんな狭いロッカーに二人で隠れてて、しかも隙間空いているし、中が見えるし。あんたバカなの? それともナニ、それに気付かないほど私がバカなの? 私が知らないで開けていたらどうなっていたと思っているの。私が鈍いとでも言いたいの?」
「いえ……むしろ、鈍いどころか鋭い判断力でした」
「っていうかアンタ、友達の着替え見ていたんだって?」
と、キララが瞠の両襟首をつかみ、
「下着ドロボーのほかに、覗きもするなんて。さすがの私も幻滅したわ」
締め上げてくる。柔道の絞め技である「立ち十字締め」を極めながら、瞠の足を同時に踏み付けてきた。
「まっ……まて、キララ。これには海より深い理由が……」
「理由?」
絞り出された言葉を聞いたキララは、瞠の後ろであわあわっと泡を食っている少年が目に入った。
「まあ、覗きの件はあとで身体に聞くとして」
そう言って瞠を投げ飛ばしてから「なんでアンタ(瞠)一人じゃなくてその子もいるのよ」と、隼人を指さして言った。
「そっ、それは……」
咳き込みながら瞠は、「なんとか、隼人だけでも逃がさなくては」と、考え頭をフル回転させる。
「だから……その……あれだ……だから……」
結局、なにも思い浮かばなかった。
「あー、もういいわよ。直接本人に訊くから!」
口籠もったことで、さらなる怒りを買ってしまった瞠。その矛先が隼人に襲いかかる。
「でぇ? アンタ誰なの? なんで瞠と一緒にいるのよ。っていうか、さっきも道場で一緒だったわよね? 何者なの?」
「わっ、わたし……いや、ボクは早乙女隼人って言います。それで、その、あの、そうじゃなくて……」
捲し立てる詰問に、さすがの隼人も、どう答えればこの場が収まるのか困り果ててしまう。
ここは先輩である私の出番だ。カワイイ後輩を守らないでなにが先輩だ。たとえ目玉を鬼にえぐられようとも、隼人は私が守る。
見えっぱりの瞠は起ち上がり「隼人は私の後輩だ」と、隼人を庇うようにキララの前に立ち塞がる。
「邪魔ッ!」
次の瞬間、瞠の眼球に突き刺さる二本の指。躊躇なくキララは彼の目玉を潰してきた。
「うぎゃあああああ。眼があああああああ。眼があああああああ」
激しい激痛にのたうち廻る瞠は、とても格好悪かった。
「後輩? 誰の? なんの?」
そう言ってキララは、のたうち回る瞠の頭を鷲掴みして、
「もう一回、私にも分かるように説明して」
「彼は……私の部活の後輩だ」
「部活? ああ、アンタが作った変態部活ね。で? 話を戻すけど、なんでその子がそこにいるのよ」
「なぜって、後輩だから一緒に……」
「はぁ? 変態部活に入部希望者が居たの? それがこの子だって言うの?」
頭を鷲掴みにしていた手が、いつの間にかアイアンクローと化し、瞠のこめかみを締め付ける。
「そんなわけないでしょ。その子、今年の入学式で一年生代表を務めたのよ」
どうやら、キララは初めから隼人のことを知っていたご様子。ならば、なぜ、瞠に説明させようとしたのか。
「一年生代表? そうなのか?」
そう言って、瞠が後ろに居る隼人へ振り返ろうとしたが、万力のように締め付けるアイアンクローがそれを許さない。
「えっ! ええ、そうですけど……」
バツが悪そうに俯く隼人。代表と言うことは、入学試験を首席で通ったことを意味する。瞠はここで、初めて隼人が自分とは違う頭のいい後輩だと知った。
「なるほど、お前の推理力の高さは、頭がよかったからなのか。そうかそうか、凄いではないか」
感心する瞠に、隼人が「ありがとうございます」と苦笑いをしながら答える。
「だから、全然よくないって言っているでしょ」
バキバキと締め付けられるこめかみ。指が食い込み、瞠は「今度こそ死ぬな。こんなことならパソコンのデータを消去しておくんだった」と、自宅のパソコンに保存してきた研究資料に想いを馳せながら念仏を唱えだした。
「だから、なんで、あの時のじょしせい……」
と、キララが言い掛けたときだった。
急に万力が解かれた。瞠はこめかみを抑えながら目の前を見ると、
「先輩! ボクのことは気にしないで先に言ってください」
隼人が華麗なるダイビングアタックで、キララを押さえ付けていた。
「ちょっ、ちょっと、なんなのよこの子!」
訳も分からずもがくキララ。
「隼人よ。なにをしている。お前も殺されるぞ」
瞠も状況が理解出来なかった。
「先輩。早く」
懸命にキララを押さえ付ける隼人は、どこか主人公の身代わりになって死ぬサブキャラのように思わせた。
「隼人。お前死ぬ気か!」
「いいですから早く。ここはボクに任せてください。先輩は早く犯人を捜してください」
この瞬間、ピキーンっと瞠は悟った。
もしかして、このシチュエーションは仲間に助けられて自分だけ生き残るパターンなのか! これって、その展開?
そうと決まれば、隼人を見捨てる瞠の行動は早かった。
「よし、でかした隼人。骨は拾えんから自分でなんとかするのだぞ」
脱兎の如く駆け出した瞠は、カワイイ後輩を犠牲にして女子柔道部室を逃げ出した。いや、飛び出したと表現しておこう。
「ちょっと、待ちなさいよ。話は終わっていないわよ」
キララが瞠の背中に罵声を浴びせるも、彼はすでに女子柔道部室から逃げ出した後だった。
「もう、いい加減に手を離しなさいよ」
有段者であるキララが本気を出せば、素人の隼人を突き飛ばすことなど造作もない。
上体を起こし、今度は逆に隼人を押さえ付けるキララ。
「キララ先輩。ボクの話を聞いてください」
「はぁ? なに言っているのよ。っていうか、やっぱりアンタ、入学式で見た子じゃない」
「すみません、キララ先輩。でも、この事は先輩に内緒にしていてほしいんです」
「どういうこと?」
「実はボク、女なんです」
そう言って隼人は自分が男装している女子生徒だと打ち明けた。すると、それを聞いたキララは呆気にとられ、
「そんなの初めっから知っていたわよ」
と、初めっから瞠の変装を見破っていたキララが「だから、その経緯を話しなさいよ」と怒鳴り散らした。