第三話「六月一日」 13
ラビリンスに降り立つことが出来た瞠とブラジャー派。彼らは、追ってくる更生部の追撃を見事なまでのフットワークと地の利を生かして立ち止まることも無く走り抜けた。
薄暗いラビリンスを抜け、太陽の光が眩しい地上に出ると、瞠たちは中庭を目指し猛進を続ける。
「もう少しだ」
瞠の後ろを走る名人がブラジャー派に檄を飛ばす。
「学生校舎に着いたら我々は別行動になる」
「はい。私の事は気にせず名人は二階に上がってください」
「中庭に行く前に訊いておきたいんだが、安藤キララの教室は何処にあるんだ?」
瞠の隣を走る護ノ宮神威が訊いてきた。
「キララの教室は三階の突き当たりだ。言っておくが、キララに会って五体満足で帰れると思うなよ。少なく見積もっても視力を失う覚悟はしておけ」
「謝るって心に決めた時から覚悟は出来ているさ」
「なら何も言わん」
昼休みのひとときをエンジョイしていた生徒が、ブラジャー派の事を見てただ事では無い状況だと騒ぎ立てている。
「なんだ、何の騒ぎだ」
「祭りか? 何処かで催し物をやっているのか?」
「また、アホが騒いでいるだけだろ」
そんな学生の近くを通り過ぎながら、瞠とブラジャー派は学生校舎へ続く中庭に差し掛かった。瞠が居る位置から学生校舎へ行くには中庭を通らなければならない。しかし、そこには一つの問題があった。彼らが誠龍館から脱獄したことはすでに更生部に知られている。果たして、何事もなく学生校舎へ入れるだろうか。それが問題だった。
「ここから先は通行止めだ」
現れたのは執行部部長の男。彼は自慢の筋肉を見せつけるように仁王立ちで、ブラジャー派を中庭で待ち構えていたのだ。
「やはり、脱獄を知っていたか」
中庭に集まっていたのは生徒会の主力三人と部下。彼らはこちらの意図を知っていたかのように総勢で中庭を固めていた。
「こちらの事情は筒抜けらしい」
「どうする?」
神威が訊いてきたので、瞠は「正面突破しかあるまい」と返した。今から別ルートを探しても、結局は学生校舎に入らなければならなかったので考えるだけ意味がない。
「お前たち、脱獄は校則違反だと知らないはずがないだろう。今すぐに誠龍館に戻れ」
仁王立ちの執行部部長の隣で風紀部部長が言った。
「お前たち生徒会に、我々の青春を阻むことなど出来ない。さっさとそこを退いてもらおう」
「ぷりん党よ、ここは我々ブラジャー派に任せろ」
名人が瞠の前に出てきて手首のカフスを外す。そして執行部と風紀部の前に立ちはだかる。
「しかし、名人。ここでアナタが捕まっては、想いを託した同胞が浮かばれない」
「なぁに、心配はいらん。アイツらも分かってくれるさ。それに、お前にはやらなくてはいけないことがあるんだろう」
ボサボサの頭を掻きながら名人が横を向く。
「名人、知っていたのですか?」
「なんとなく察していたさ。決意のある者の目は見れば分かる。あの時の山田と同じ目だ」
「そうだぜ。お前は早く行けよ」
今度は護ノ宮神威が一歩前に出て言った。
「お前も残るのか。お前だって、こんな所で捕まったらキララに謝れないんだぞ」
「それもそうなんだが、やらなきゃいけないことを思い出したんでね」
そう言って、神威が執行部と風紀部の後ろに居る男を睨みつける。
「このまま、紫の薔薇の男を殴らないで謝りに行けるかよ」
神威の視線の先に更生部部長が楽しそうに笑いながら立っていた。
「おやおや、脱走とは大胆なことをしましたね。これがアナタがやるべき事だったんですか? 佐木崖瞠くん」
そう言って更生部部長はキツネのように目を細めて言った。
「悠長に待ってくれるほど、我々の煩悩は穏やかでないってことだ」
「それがアナタたちのスクールライフですか。いいですね。青春ですね」
手を叩いて喜ぶ更生部部長に神威は拳を突き出し、
「俺のことを忘れてもらっては困るぜ。あれから、捕まってからもお前の顔は忘れられなかったぜ」
「あらあら、こんな場面で愛の言葉ですか? 生憎ですが男には興味ないんですよ。ボクはパンダ一筋なんです」
「パンダ? 訳の分からないことを。でも、その減らず口も今日までだぜ」
神威と名人が臨戦態勢をとっていると、
「せんぱーい」
何処からとも無く声が聞こえた。隼人の声だった。電話で話したのが数時間前なのに、久しく会っていないような感覚だった。瞠はその声を探して見上げると、そこには窓から顔を出している隼人と、生徒会会長がコチラを見ていた。
「隼人? あんな所で何をしているのだ。無駄な時間を過ごしていないでパンティを見なさい。今日は衣替え初日なのだぞ」
隼人のこれまでの頑張りを知らない瞠。彼の反応は当然と言えば当然であった。
「まあいい。今は会長……いや、スク水党との約束が先。それは我が師匠との約束でもあるのだ」
そう思い、瞠はこちらを見下ろす金剛寺天乃に聞こえるくらいの声量で叫ぶことにした。
「スク水党。漢と漢の約束だ。果たしてもらうぞ」
瞠は生徒会会長・金剛寺天乃が二年前に消滅した『スク水党』だと知っていた。その事を知ったのは彼の師匠である山田コウタローが卒業する日。
師匠は学校を去る前に心残りがあると、卒業式が始まる前に瞠を体育館裏に呼びつけた。師匠・山田コウタローがやり残したこと。それは今は無き『スク水党』との約束だった。師匠は金剛寺が昔と変わってしまったことを嘆いていた。それでも、金剛寺はスクール水着を学校に認めてもらうため、必死の思いで生徒会長の座にまで上り詰めた。その道のりは決して褒められたモノではない。個人情報を使い、相手の弱みと権力を使って署名を集めたりもしたらしい。その全てを黙認してきた師匠。山田コウタローはスクール水着が認可されれば以前の金剛寺に戻ると信じていたのだ。そのため、金剛寺が自分を憎んでいても彼が行っていることを信じ続けていた。
師匠が三年生になり、金剛寺が二年生になった時、ようやくスクール水着を学校側は認可した。学校指定の水着は翌年から始まる。だが、それは師匠が卒業した後の事である。師匠は一緒に祝うことが出来ないことをとても悲しんでいた。そこで後継者である瞠に相談したのである。
『今年の夏。大勢の一年生がスクール水着を着るだろう。それは金剛寺の夢であった。しかし、私はそれを祝うことが出来ない』
『卒業しても来られるじゃないですか。我々パンツ連合はいつでも師匠を歓迎しますよ』
『瞠よ。それではダメなのだ。金剛寺には同胞が必要なのだ。卒業した私では彼の友になれても同胞にはなれない。同じ時間を過ごし、同じモノを見て、共に学校生活を送る同胞が必要なのだ。私は今日、この学校を卒業する。それが嬉しくもあり、悲しくもあるのだ』
『……師匠』
『私はよき同胞、よき弟子に巡り逢えた。だからこそ金剛寺にも同じ思い出を一年間でいいから感じて欲しい。これは私のワガママなのだ』
『そんな、師匠のワガママなら我々いつでも付き合います』
『すまない。ならば、金剛寺とも付き合ってくれないか。彼が夢みたプール開き初日に、彼と一緒に、彼を祝ってくれないか。私の分も……』
『わかりました。スク水党が晴れて活動を始めるプール開き初日に、我々パンツ連合は盛大に祝うことを約束します』
『ありがとう。私は本当によき漢と出会えた。……さらばだパンツ連合。さらばだブラジャー派。感謝する、楽しい時間を過ごさせてくれた我が母校よ』
そう言って山田コウタローは卒業して行った。大学も就職も最後まで決まらなかった無職の師匠だったけど、旅立ちの姿は格好良かった。
その後、パンツ連合の解散や抗争もあり、師匠から受け継いだ称号も絵に描いた餅になってしまったが、瞠は師匠との約束を忘れたことはなかった。それは漢と漢同士の約束だったから。一度、漢が約束すれば何が何でも約束は果たす。例えウソを付いても、相手を騙しても党同士の約束だけは守らねばならない。それこそが、最初に師匠が瞠へ教えた言葉だったのだから。
「すまない。ぷりん党・佐木崖瞠、先に行かせてもらう」
「さっさと行け」
「ここはブラジャー派に任せろ」
そう言って二人は瞠の背中を押した。
「ブラジャー派一同。なんとしても、生徒会を押さえ付けろ。ぷりん党に道を作るんだ」
名人のかけ声でブラジャー派が生徒会メンバーに襲い掛かる。
「みんな、捕まるなよ」
「ふん。ブラジャーを見るまで捕まるかよ」
ひとりのブラジャー派が言うのが聞こえた。
「神威と言ったな。お前はなかなか見込みがありそうだ。どうだ、正式にブラジャー派に加わらないか?」
「俺はブラジャーに興味ねぇよ」
そんな会話をしながら、名人と神威は目の前に居る敵へ飛びかかった。




