第三話「六月一日」 11
昼休みのチャイムが鳴ると、隼人は独り中校舎の最上階にある生徒会室へやってきていた。
隼人が生徒会のドアをノックもせず開けると、生徒会会長こと金剛寺天乃は静かに席から立ち上がる。
「遅かったな。もう、六月だ。昔の知り合いに会いにくるにしては遅すぎるんじゃないのか?」
デップリとした小男が感慨にふけているのを見て、隼人は自分の記憶にあった金剛寺天乃と目の前の金剛寺天乃が同一人物だったことを確信した。不健康な腹回り、脂ぎった顔、達磨のような体形。カエルのような容姿にダミ声。そのどれもが幼少期に出会った金剛寺天乃の面影を如実に映していた。
「べつに一〇年間も会っていないんだから、今さら遅いもないと思うけど天にぃ」
そう言って、隼人は生徒会室へ入ると後ろ手にドアを閉めた。
「一〇年……いや、小学一年生の時だから九年になるな。お前が引っ越してもうそんな月日が流れたのか。お互い中身も外見も変わったものだな」
「天にぃは何も変わっていないみたいだね」
「たしかに、変わったのは隼人だけかもしれないな。あの時と同じ、今も昔も私は孤独だ」
「べつに昔話をしにココに来たわけじゃないんだ。なんで、天にぃは先輩を貶めるようなことをしたのか教えて」
「先輩? ああ、あのウソつきヤローか」
会長がココで瞠との会話を思い出して鼻で笑った。
「ウソつき? 先輩が天にぃにウソを付いたの? ウソをついたから先輩を誠龍館に投獄したの?」
「ウソを付いたからではなく、私にウソを付いたから投獄されたんだ」
「どういう意味」
「お前の先輩は妹の結婚式があるからとウソを付いて逃げようとしたんだ。だから、ぶち込んでやった」
「結婚式? 先輩はウソは言っても約束を破る人じゃない。どうせ天にぃのことだから、先輩にウソをつかざるをえない状況を作ったんでしょ。昔っからやることが男らしくないのよ」
「うるさい。男らしいとかそういう問題じゃないんだ。アイツは私を騙したんだ。理由はそれだけで充分だ」
大声を上げる会長に少しも動ずることもなく隼人は言葉を続ける。
「それで、先輩は天にぃに何の約束をしたの」
「なに?」
「先輩が約束した内容を訊いているの。約束したんでしょ?」
「校内放送で自分が下着泥棒の首謀者だと公表しろって言ったんだ。交換条件に誠龍館に投獄されている同胞を釈放してやるってな。そうしたらヤツは二つ返事で了承したさ。それなのに私を騙して逃げようとしたんだ。どうせ、初めっから公表する気なんてなかったんだ。だから私から逃げようとした」
「下着泥棒は天にぃの指示で暗部にやらせたんでしょ。人の性になんかしないでよ」
三時限目の休み時間に二人の暗部が証言したので黒幕を知っている隼人。
「なんでお前がその事を知っている」
「暗部の人たちに直接訊いたの。簡単に聞き出せたよ」
それを聞いた会長が「あのおしゃべりめ」と毒吐いた。しかし、こんなことで引き下がる会長ではなかった。
「だからと言って、私が指示した証拠は一つもない。それに比べてお前の先輩が犯人だという証拠はこちらにはある」
「証拠ってなによ」
「監視カメラの映像だ。バッチリヤツの顔が映っているぞ。あとお前の顔もな」
「ボクの顔?」
自分の顔が映っている映像があると聞いて隼人は、以前、段ボールに隠れて女子部活棟に忍び込んだことを思い出した。確かに、潜入する時はミカン箱で姿を隠していたのに、女子柔道部を出る時に被るのを忘れていた。キララに自分の事情を話したことにより油断していたことは否定できない。しかし――
「幼馴染みのよしみでお前のことは捕まえないであげたんだ。感謝されても怨まれることじゃないと思うがな」
会長の勝ち誇った表情を無視して隼人がニヤリと笑う。それは悪魔のような笑みでもあり、死神のような雰囲気でもあった。
「それが天にぃの手持ちのカード? 案外、どうにでもなる手札だったなぁ」
そう言って隼人は携帯を取り出しながら金剛寺へ歩き出した。ゆっくりと、だけど大胆に。
生徒会が握っている証拠が監視カメラの映像だけなら手の打ちようがいくらでもある。ようは、証拠があっても出させなければいいのだ。大金を持っていても使わなければただの紙くずなのと同じ、証拠も使えなければただの虚勢となる。
「…………」
無表情で隼人が会長に近づいてくる。不気味だった。会長は以前にもこんな雰囲気の隼人を見たことを思いだした。この顔をしている隼人は何をするか分からない。それだけは頭の中で分かっていた。
それは九年前。隼人が転校する数ヵ月前の事だった。当時、金剛寺は小学校三年生。隼人は小学一年生。猛暑が続く夏の午後だった。
金剛寺は夏休みってこともありお昼過ぎまで寝ていた。クーラーが利いた部屋で寝ていると隣に住んでいる隼人が遊びに来たのだ。当然、目指す場所は金剛寺が寝ている自室。隼人は寝ている金剛寺を起こそうとするがすぐに諦め、彼の部屋を勝手に探索してしまう。
数十分が過ぎ、金剛寺が何気なく目を開けると、ベッドの隣に立つ隼人が無表情で寝ていた金剛寺を見下ろしていた。見下ろすっという表現は不適切だったのかも知れない。あの時の隼人は完璧に金剛寺のことを見下していたのだ。
隼人の手には、金剛寺が出来心で入手してしまった物を持っている。ソレを金剛寺の部屋にあった事実。ソレを隼人が手にしている状況。隠してきた金剛寺の秘密を知った隼人。ついに、知られてしまった。全てを悟った金剛寺がベッドから飛び上がり、ジャンピング土下座で許しを請うたのも当然であった。しかし、隼人が次にした言葉は、
「とりあえず、脱げよ」
冷ややかで冷淡な、とてもじゃないが小学一年生の言葉とは思えない凍りついた声だった。
そんな所要時間数秒の走馬灯が頭を過ぎる金剛寺天乃の脳内。彼はその時の恐怖を思い出していた。
「おっ、おい隼人。何をする気だ。なんで携帯を取り出しているんだ。まさか、今までの会話を録音していたのか?」
「そんなことしないよ天にぃ。だって、録音しなくてもこれから作るから」
作るという言葉に会長は凍りついた。
そんな会長の事を無視して、隼人は携帯をカメラモードに切り替える。
「ちょっと待て。なんで携帯のフラッシュが光るんだ。何をする気だ」
会長はこれから何が起こるのか知っていた。九年前の悪夢を思い出しているのだから――
「天にぃ、ちょっと制服を脱いでくれない」
「制服を脱げだと。何を考えている。まっ、まさか、お前……」
「ああ、そういう変な意味じゃないから。ちょっと、生徒会会長の本性を激写して新聞部に届けようかなって♪」
音符マークが付いているが、隼人の目は笑っていなかった。むしろ、無表情で音符が付くとこれ程までに怖いのかと会長は思った。
「激写ってなにを撮る気だ」
「ボク、ぷりん部でいろいろ学んだんだよ。衣服の上から下着を見たり。男の人を倒す方法とか。だから、わかるんだ。目の前の人が服の下に何を着ているのかを」
「隼人、お前……やっぱり覚えていたのか」
全てのことを見透かされていた会長。隼人の前では何を着飾っても丸裸同然だと観念した。
「もちろん♪ 天にぃが昔と変わらずスクール水着フェチだってことをね」
ここで明かされる金剛寺天乃の隠された秘密。金剛寺天乃はパンツ連合やブラジャー派に引けを取らないほどの煩悩の持ち主だった。その名を『スク水党』。近年、パンツやブラジャーがもてはやされていく中、スクール水着は蔑ろにされ絶滅の道を辿っている。それに異議を唱えた若かりし日の金剛寺は、自分で党を起ち上げスクール水着の復興に尽力した。しかし、この学校に、彼と同じ志を持つ者はいなかった。それゆえ金剛寺は孤立し、あまつさえ異端のレッテルをも貼られてしまう。当時、深い傷を受けていた金剛寺の前に手を差し伸べた者がいた。それが一学年上の山田コウタローだった。彼はパンツ連合に入らないかと金剛寺を勧誘し共にスク水を流行らそうではないかと言ってきた。もちろん、金剛寺はそれが嬉しかった。涙を流した。汗も流した。それでもスク水党へ入る者は現れない。仲間に囲まれている山田コウタローを見て、自分とは違うのだと勝手に思い、山田コウタローを妬み、僻み、嫉妬した。やがて二人の関係は疎遠になり、金剛寺が抱いていたスク水への思いは次第に逆恨みへと変貌……
「今年に入って学校指定の水着になったから変だなって思ったんだ」
金剛寺の知られざる過去を回想している最中、隼人はどうでもいいと言わんばかりに話を進めた。
「だけど、天にぃを見て思い出したんだ。九年前に天にぃがボクの水着を盗んだことを」
そうなのである。九年前、隼人が金剛寺の自室で見つけたモノは、彼が無くしたと思っていたスクール水着だったのである。
「やっぱり、あの時のことを覚えていたのか。くっ、誤算だった」
膝を突き崩れ落ちる会長。その情けない姿を見ても隼人は容赦がない。
「さぁ、脱いでよ。いま着ているんでしょ。スクール水着。隠しても無駄だよ」
「いやだ。脱ぎたくない」
「脱がないと脅迫できないでしょ。先輩を助けたいんだから、早く脱いでよ」
「……やだ。お婿に行けなくなる」
「さっさと脱げよ。天にぃ」
「いやだぁああああああああああああああああああああああ」
この時の断末魔は中校舎を通り過ぎ学校全域に響いたという。




