第三話「六月一日」 06
「会長。佐木崖瞠を連れてきました」
そう言って三年の執行部部長が生徒会室のドアを叩くと、一拍おいてから中から「入りなさい」と返答が返ってきた。
「よし、しっかり歩け」
「私はなにもしていない」
「黙って歩け」
執行部部長は強引に瞠の首根っこを掴むと力任せに生徒会室へ放り込んだ。もんどりを打ちながら瞠が立ち上がると、室内にはデップリとした小男が眼下に見える光景を眺めながら後ろ手に組んでいた。小男は執行部部長へ振り向くとハンカチで額の汗を拭いながら、
「ごくろう。あと、更生部部長を呼んできて待機させろ」
小男の言葉を聞いて執行部部長は「わかりました」と一礼してからドアを閉めた。
「お前が佐木崖瞠か。ふんっ、卑猥な顔をしているな」
「お前に言われたくない」
「ふんっ、反抗的な目だな。いいか、私は生徒会会長だぞ。この学科で一番偉いのは私だ。しかも、お前より年上の三年生だぞ。もっと私に敬意を払いたまえ」
「敬意を払うに値する人物ならな」
「ふんっ、口だけは一丁前みたいだな。いいか、お互いの立場をハッキリさせておこう。私はお前たちパンツ連合が嫌いだ。仲間と連んで行動することが嫌いだ。仲間と一緒に楽しく話すのが嫌いだ。なによりお前たちが師匠と呼ぶ山田コウタローが大嫌いだ」
「師匠を知っているのか?」
「知っているとも。ああ、よく知っている。私が一年生だったころ、よく話をした。そして嫌いだと悟ったよ」
会長が大胆不敵に悪態を吐くと、拭ったハンカチを瞠に投げつけた。
「師匠との間に何があったか知らないが、お前が師匠を嫌うのと、今回の件は別件だろう」
「そうだ。これは個人的な怨みだ。しかし、別件と言えばそれも違うかも知れない」
「どういう意味だ。そもそも、私はパンティを盗んでいないのだから、ココに連れてこられる筋合いもないはずだ」
「きさまが活動しているぷりん部で盗まれた下着が発見されたとしてもか」
「あれは私の仕業ではない」
「物的証拠が揃っているのに言い逃れが出来ると思うなよ」
「情況証拠にはならない」
「ふんっ、どうやらキサマは口先が減らないらしいな。そういうところが嫌いなんだ。個人ではなにもできないのに仲間と連んで行動しやがる。まるでコンビニの前にたむろする不良と同じだ。光に集まる蛾と一緒だ」
会長はにじり寄りながら微動だにしない瞠の顔を見上げた。二人が並ぶと身長の差がハッキリと分かる。瞠も決して背が高い方ではなかったが、会長の身長はそれよりはるかに低く太って脂ぎっていた。
「そうやって、山田も私を見下していたな」
会長はケッと舌打ちをならすと、瞠を立たせたまま自分だけ席に腰を下ろし、猫のように腰を丸めて両手を組んだ。
「だが、私は山田のことは嫌いだが、キサマの事は正直嫌いになれないでいる。まるで背を高くした自分のようだよ」
「うれしくもない」
「まぁ、聞け。キサマは他のパンツ連合と違って一人で活動しているらしいじゃないか。一人で党を起ち上げ、一人で趣味に没頭する。まるで、二年前の私のようだと言っているのだ」
だからこそ会長は、瞠を見ていて自分を見ているような気がした。そんな昔を思い出すようで嫌気が差した。友達も出来ず一人趣味に没頭する自分。孤立し、誰一人趣味を分かち合うことが出来なかった高校一年の春。そんなとき山田コウタローと名乗る人物と出会ったのだった。
「私はひとりではない。優秀な後輩が居る」
感慨にふけている会長の耳に、瞠が自信満々と口を開いた。それを聞いた会長が鼻で笑って答える。
「そうみたいだな。名は早乙女隼人。今年の入試を首席で通過した才色だ。私は早乙女隼人のことを少しは知っている。少なくともお前よりも凄くだ。だからこそ分からない。なぜ、隼人はパンツ連合の一員になったのだ」
「なにが言いたい」
「ならば、単刀直入に訊こう。なぜ隼人はぷりん部に入った?」
「パンティが好きだからに決まっている」
「隼人がお前たちと同じ下着好きだと? 冗談にしては笑えない話だな」
「冗談なものか」
隼人が女だと知っている会長は笑いを殺すことが出来なかった。女性である隼人がパンツ連合と同じ視点で物事を言っているのが滑稽でしかたがなかったからだ。
「なにがおかしい」
「隼人が下着好きだと? これが笑わずにいられるか」
「隼人を笑うなッ! 隼人を笑うヤツは私が許さん」
瞠の眼光が鋭く会長を仰視する。その眼差しを見た会長は、かつての山田コウタローと同じ炎が宿っていることに恐れ戦いてしまった。
「パンティは平等だ。平等に愛せる物だ。我々の世界に差別なんて言葉は無い。それが男女であっても」
「ほう、隼人が女でも平等だと言うのか?」
「もちろんだ」
瞠の目を見た会長は「こいつ、隼人が女だと知らないのか。ってことは卑猥なことを考えて隼人を見ていないと言うことか。純粋に下着を愛する者として隼人を見てくれている。なんて澄んだ目なんだ。一年の時であった山田と同じ目そのものじゃないか。アイツも私の趣味を笑わなかった。むしろ親睦を深めようとして目を血走らせながら熱く語ってくれた。それなのに私は山田に集まる友人・弟子などをみて自分と違う物だと勝手に感じてヤツを遠ざけてしまった。もしあのとき、私が山田と真の理解者になっていれば、今みたいな歪んだ男になっていただろうか。いや、ヤツならこんな私でも笑顔で向かい入れてくれたのではないのか。現にそうしてくれたじゃないか」と心でそう思った。
そう考えると会長は瞠たちパンツ連合へ抱いていた思いが薄れていくような感じがした。もしかしたら、今からでも遅くないかも知れない。分かり合い共に手と手を握りながら残りの学校生活を送れば、自分にも薔薇色のスクールライフが待っているのではないのか。こんな学校の秩序・秩序と堅い執行部や風紀部と違って、心から語り合える友が出来るんじゃないか。私は心の底ではコイツらみたいな同胞が欲しかったのではないのか?
そう心が開きかけた会長だったが、やはり心の扉は固く閉ざされてしまう。何故なら、会長は奥手で弱気者だったからである。
だが、閉ざした扉の内側で彼は考えた。最後に瞠を試そうと。もし、瞠が自分の思った男ならなしとげてくれるはずだと考えたのだ。
「わかった。笑ったことは謝ろう。しかし、お前が捕まっていることは確かだ。罪を償わなければならない」
「本題に戻れてなによりだが、私は盗んでいない」
「そこでだ。昼休みに校内放送が行われる。そこで自分が犯人だったと証言しろ」
「校内放送だと! そんなことが出来るか。私はやってない。無罪だ冤罪だ誤認逮捕だ」
会長は瞠の言葉を無視して話を進める。
「キサマが今まで一連の下着泥棒だと証言すれば、現在誠龍館に投獄されているキサマの同胞を釈放してやると言ってもか?」
「なんだと?」
「どうだ、これは交換条件だ。お前が罪を認めれば仲間は助かるのだ。そして、同胞は今まで通り下着を肴にパンティ談義に花を咲かせられるんだぞ」
「私が罪を被れば捕まった同胞を助けてくれると言うのか?」
「そうだ。自己犠牲で仲間が助かるんだ。仲間を思うなら悪くない条件だと思わないか? 落とし前さえ付けてくれるならな」
そう言って会長はニヤリと笑った。しかし、会長の本心は違っていた。もし、この者が冤罪でありながら罪を被り、誠龍館に服役する度胸があるのならば今まで彼らに抱いていた自分の思いが、感情が浄化されると考えたのだ。会長も鬼ではない。そんな心清らかな男を無実の罪で投獄する気など初めから無かった。昼の放送で彼がマイクの前で語ろうとした時、すかさず自分がマイクの電源をオフにして彼を抱きしめ全てを受け入れるつもりだった。今まで彼らにしてきたことを、一方的な逆恨みでしてしまったことを後悔し、これからは自分も清く正しく生きていくつもりだと考えたのだ。
そう思った会長は今だけ心を鬼にして瞠に問うている。そして瞠の出した答えは、
「……わかった。仲間が助かるならば私が罪を背負う」
その言葉に会長は心底感銘を受けた。やはりこの者は自分が認めた男だ。山田コウタローの再来だと感じた。
「よくぞ言った。それでこそ……」
と、いいかけたとき、不意に瞠が口を開いた。
「だが、条件がある」
「条件? なんだ言って見ろ」
「今日の午前中、妹の結婚式があるんだ。私はそれに出席しなければならない。昼休みまでには帰ってくるから、それまで私を自由にしてくれないか」
なんとこの状況で『走れメロス』のようなことを瞠は言いだしたのである。
「妹の結婚式だと。それは本当か? ここから遠いのか」
「いや、すぐ近くだ。披露宴は無理だが、挙式だけなら妹の門出を祝って帰ってこれる距離だ」
「わかった。だが、万が一に逃げるかも知れないから身代わりを置いていけ。もし、お前が帰ってこなければそいつがお前の分も罪を問われるだろう」
「わかった。だが、心配するな。漢と漢の約束だ」
「お前のことは信用しているが、念には念をだ。それで、誰を身代わりにする」
「早乙女隼人」
間髪入れずに瞠は後輩である隼人の名前を口に出した。
「なに? 隼人を身代わりにするのか?」
「そうだ。あいつは腹に一物を持つ据った漢だ。アイツなら、説明されなくても私の身代わりになってくれるだろう」
会長は『隼人』という名前を聞いて一瞬冷静になった。隼人がもし罪を被ったらどうなる。それだけはあってはならない。しかし、自分がいま一度信じようと決めた男が言っているんだ。ココで信じなければあの時と同じではないか。私は同じ轍を踏むことはしたくない。しかし、隼人が犠牲になるとなればもう少し用心した方がいいかもしれない。
そう思った会長は最後に瞠に質問してみた。
「ならば、早乙女隼人をココに呼ばせよう」
「ああ、そうしてくれ」
「時に佐木崖瞠よ。ひとつ訊くが……」
「なんだ、なんでも答えよう」
瞠は悠然と漢らしく胸を張った。
「お前の妹は何歳だ?」
「…………」
「どうした? 妹の年齢だぞ。答えられんのか」
「…………十六」
「随分、答えるのに時間が掛かったな」
「ちょっと度忘れしていたんだ」
視線を逸らす瞠を見て、会長はピーンときた。もしかして、コイツ私を騙している! と――
「風紀部、風紀部は居るかッ!」
会長が大声で風紀部部長を呼ぶと、間髪入れずに廊下から風紀部部長が現れた。
「はっ、なんでしょうか」
「すぐに、コイツのデータベースから家族構成を調べろ」
「はい」
「ちょっちょっと待て、もしかして私を信用していないのか。罪を全て私が被ると言っているのだぞ」
「お前のことは信用している。だが、先ほども言ったとおり念には念をだ」
瞠の同様は明らかにおかしかった。会長は信じたくなかった。いや、彼の事は信じたかったが、彼がウソを付いていると思いたくなかった。だが、無情に真実は語られてしまう。
「会長。調べましたが、佐木崖瞠の兄妹は居ません。一人っ子です」
「なんだと! キサマ、妹の結婚式はウソだったのか」
「ウソじゃない。妹のように慕っているお隣さんだ」
「もういい。一度でもキサマを信じた私が愚かだった。更生部。いますぐにこの者を誠龍館に投獄しろ」
更生部部長が風紀部のあとに続いて生徒会室に入ってくると「わかりました」と、瞠の襟首を掴んで出て行こうとする。
「そうだ! お隣さんじゃない。義理の妹だった。ちょっと待て、離せえええええ」
そう言い残して瞠は誠龍館館長・二年の更生部部長に連れて行かれてしまった。
「ちくしょう。せっかく信じようと努力したのに。いつもこうだ。いつもいつも人は私を騙そうとする。きっと、山田のヤローも心の底では私の事を笑っていたんだ。ちくしょう。なにが徒党だ。なにがパンツ連合だ。なにが漢と漢の約束だ。全部あの男になすり付けて仲間ごと屠ってやる」
そう言って唾を吐きながら生徒会室で怒鳴り散らすのだった。




