第三話「六月一日」 04
隼人が女子更衣室の異変に気がつく少し前。ぷりん部部長こと佐木崖瞠は自分の部室へやってきていた。
「やはり朝日に染まる校庭をバックに食べる超濃厚なめらかプリンは格別だ」
そう言って瞠は、勝手に冷蔵庫に入っていたプリンを食べながら恍惚として言い惚れていた。
ちなみに、彼の居るぷりん部は地下旧校舎にあるラビリンスの一角に位置しているので朝日に染まる校庭なんてものが見えるはずもなく、ただ単に瞠の脳内で投影される仮想風景に酔いしれているだけなので、彼の言っていることを全て鵜呑みにしてはならない。しかし、プリンの味は無類であることに変わらなかった。
空になった容器をゴミ箱に捨てようと椅子から立ち上がった時、机の上に置いた携帯が部室内に響いた。軽快なステップ音で響くリズミカルな音色はアニメ『ぷりん大好きプリンちゃん』のテーマソングでもあり、瞠がダウンロードした曲のなかで数少ない神曲と呼べる逸材だ。その電波的ソングを聴けばゼリー派の者でもついつい手を伸ばしてしまうくらい中毒性の高いソングを聴きながら、瞠は携帯画面を見てから未だに捨てていないプリン容器を一瞥して嘆息を漏らした。
「隼人か」
超濃厚なめらかプリンの本来の持ち主に怒られることを想定した瞠は、ここは逆ギレしてこの場を乗り切ってみせると心に決めて通話ボタンを押した。
「私だ」
『あっ、先輩ですか。すみません、先生に体育で使う器材を準備しろと言われてしまったので朝練に行けそうもありません』
「なら、もっと早くに連絡しなさい。隼人よ、今日が我々ぷりん部にとってどれほど重要な日か話したはずだ。お前がいつまで経っても部室に来ないから、すでに登校時間を過ぎてしまったではないか」
受話器から隼人が申し訳なさそうに謝るのを聞いて、瞠は「シメた。逆ギレしてプリンを食べてしまったことをうやむやにしてやる」とほくそ笑む。
「まあいい、罰として放課後までに購買部でプリンを買ってきなさい」
『えっ? 先輩、プリンなら昨日のうちに今日の分も冷蔵庫に入れておいたじゃないですか』
「そんなものはもう無い。お前を待っている間に全て空になった」
そう言って瞠は空になった容器をゴミ箱に捨てた。
『それって食べちゃったんですか? 連絡が遅れたことは謝りますけど、でもあの中にボクの分も入っていたんですよ』
「そうか。ならばなおのことプリンを買ってきなさい」
『いやいや、まずはボクのプリンを食べたことを謝ってくださいよ』
「隼人よ。プリンとは食べるためにあるのだ。食べられないプリンはプリンの形をした何かでしかない」
『先輩、屁理屈になっていませんよ。せめて言い訳くらいしてください』
「プリンを買ってくればいくらでも言い訳してお前になすり付けてやる」
『はぁー、わかりましたよ。ですが、食べたプリン代も要求しますから……プッツーツー』
話が思わぬ所へ行くのを感じ取った瞠は急いで通話を切った。
「危ない危ない。もう少しでプリン代をせびられるところだった。それにしても、体育の準備で部活に来られないだと……それならそうと早めに言ってくれれば、こんな所で隼人を待たずにパンティラインを見に行っていたものを……」
そう思いながら瞠は生き馬の目を抜かれてしまった失態を悔いた。今頃、他の党は登校してきた女子生徒のパンティを見て今日の訪れを喜んでいるだろう。なま党は正門に続く並木道の小陰で、仮面党は体育館にある女子更衣室で、邪眼党は教室で。
苦虫を噛みつぶす思いで自分も行かなくてはと部室を飛び出そうとした時、足下に見覚えのない下足痕があるのに気付いた。ぷりん部に出入りしているのは瞠と隼人の二人だけである。それなのに廊下から無数の足跡が部屋の隅に立て掛けてあるロッカーへ伸びているのだから、今の今まで気付かない方がおかしかった。
「足跡? 隼人の足跡にしては大きいし、私はここ最近ロッカーへ行っていない。誰の足跡だ?」
ハウスダストが舞い散るぷりん部は清掃が行き届いていない。そのことで何度も隼人に指摘されたりもしているが、無頓着の瞠には寝耳に水。だからこそ、不精な瞠でも謎の足跡に気付くことが出来たのだ。
「私たちではないのなら、いったい誰の足跡だ?」
古びたロッカーを見て瞠があることを思いだした。それは数日前、女子部活棟での事である。怪しい人物を見つけた瞠と隼人が女子柔道部部室に潜入したことがあった。
「もしや、あの時の腹いせにキララが入っているのか?」
生唾をゴクリと飲み込み、キララに潰された両目が疼く。キララなら瞠の両目を潰すためロッカーに隠れていたとしてもおかしくないと思えた。
「しかし、無数の足跡はどう証明できる? まさか、女子柔道部が一丸となって私に仕返しするつもりか」
ラビリンスに女子生徒が来ることなど考えられないが、報復手段と考えれば納得の動機である。キララは常日頃、瞠のぷりん部やパンツ連合の事を嫌っていた。下着泥棒を捕まえたとはいえ、キララが瞠たちパンツ連合を見る目はあまりにも鋭く威圧的で、それが集まったとなればヘビに睨まれたカエルでなくとも失禁してしまう。
「まっまぁ、あっ開けてみれば、わっわかることだ」
そう言って瞠は震える手でロッカーを開けてみると、
「なっ、なんだこれは!」
夥しい程のパンティが雪崩の如く崩れてきて、瞠の足下を一瞬にして覆い尽くしてしまった。
「なぜ、キララではなくパンティがロッカーにあるのだ。しかも一枚はボクサーパンツではないか。バカにしおって」
足下に積もるパンティを見て瞠が驚きを通り越して激怒していた。パンティがぷりん部にあること以上に男物の下着がぷりん部にあることが許せなかったのだ。以前、隼人の下着が部室に置かれてあったが、それを目撃した瞠の激高はラビリンスを揺るがすほどの剣幕だったので、今の瞠の怒りは当然の結果でもある。
「男の下着など見たくもないッ」
そう言って目の前のボクサーパンツを掴んで、丸めて、ゴミ箱に投げつけようとしたとき、
「見つけたぞ」
部室の出入口、ゴミ箱の前で腕章を付けた執行部部長が立っていた。男はワナワナと太い指を振るわせながら瞠を睨みつけている。
「佐木崖瞠だな。女子部活棟不法侵入及び下着泥棒の現行犯で逮捕する」
「下着泥棒だと、なにをバカのことを」
そう言い掛けた時、右手に握り締めてあるボクサーパンツに気付き「違う。私ではない」と背中の後ろに隠す。
「言い逃れは出来ないぞ。校則違反っていうか、お前、これは犯罪だぞ」
執行部部長が「見込みのある男だと思っていたのに」と、訳の分からないことを言って涙を流す。
「だから違うと言っているだろう。そもそも、お前はなぜ泣いているのだ」
「うるさい。これは涙ではない。筋肉が鳴いているのだ。お前たち、この犯罪者を今すぐに連行するんだ」
ぞろぞろと生徒会執行部の面々がぷりん部に入って来て、ロッカーの前にいた瞠に襲いかかる。
「くそ、これは不法逮捕だ。弁護士を呼べ」
大立ち回りで抵抗するが、総勢一〇名の執行部員の前では難なく取り押さえられてしまい、瞠は御輿のように担がれてしまった。
「私はパンティを盗んでいない。これは何かの間違いだ。弁護士はまだかッ」
「お前が呼べるのは弁護士ではない。精々、詭弁でも垂れていろ」
そう言って執行部部長は泣きながらぷりん部を後にした。続いて執行部部員がエッサホイサと瞠を担いで出て行く。
ラビリンスに瞠の罵声がこだまする中、静かになったぷりん部の片隅で隠れていた人影を瞠は知らない。
三人の人影は瞠が連れて行かれるのを一部始終目撃しており、その光景を見てブルブルと震えながら「ボクたちは悪くない。ボクたちは悪くない」と肩を並べて懇願していた。
その隣には、瞠が暴れた際に転がった携帯が悲しく陽気に『ぷりん大好きプリンちゃん』を奏でながら隼人の着信を知らせていた。




