ヨーの村 ヤーエ
ヤーエは、乗合馬車の終点の、ひとつ手前の村であった。
旅程を大きく修正しなくても差し支えないと判断した賢者は、ダダの娘スイとともに馬車を降りることに決めた。
エツと「かあさん」が、ダダの家まで同道し、ダダの家族に経緯を説明してくれるという。
夕日を背景に、なだらかな牧草地に、白くてふわふわした家畜が放牧されているのが見える。
「あれはヨーだよぅ」と、エツが教えてくれた。
群れを追うときに「ヨー、ヨー」と呼ばわったのが名の由来らしい。
ヤーエ村でしか繁殖できない、めずらしい種族の獣なのだそうだ。
ニルギリの背に負われていたスイが、その会話で目を覚ましたらしく、「よー?」と寝惚けた声でつぶやいた。
知らない大人たちに囲まれている状況に怯え、ぴょこん、と、地に飛び下りる。
「お、おっ、おかあさぁぁぁん!!」
幼女は脱兎のごとく一軒の家に向かって駆けだして行った。
※※※
「まぁ、そんなことが」
ダダの妻サエは、エプロンにスイをくるんで抱きしめながら、何度も何度も頭を下げた。
「大丈夫よぅ、こちらのお兄さん、なんと賢者さまだってぇ」
「賢者さまが治療してくださったからァ、もう泣かんでええなぁ、スイ」
エツと「かあさん」が、スイを宥める。
「人里近くに死鷹が巣をかけた件は、軍に要請して駆除をいたします」
ニルギリは仕事時の顔で補足する。
一夜を明かすため、牧舎の片隅でも貸してほしいと尋ねると、ぜひ家に、と言われた。
「主人の命の恩人をもてなしたいのです」
「お言葉に甘えて、よろしいでしょうか」
賢者はありがたく宿を借りることに決めた。
「本当はうちにも寄って行ってほしいんだけどねぇ。もうすぐ孫が生まれるからさぁ」と、エツたちは残念そうに言い残して帰って行った。
「アタシにとっては曾孫だよォ」と、「かあさん」の声はなぜか得意げであった。
おしゃべりなふたりにとって、賢者との出会いは家族へのいい土産話になるのだろう。
※
その日の夜は、素朴ながら温かい料理でもてなされた。
実りの季節が終わりを告げ、これから冬に向かうための蓄えもあったろうに、突然の来客にも関わらず惜しげもなく振る舞われる。
カイは炙った骨付きのあばら肉と、手をベタベタにしながら格闘している。
暖炉にかけられた鍋からは、ヨーの乳のシチューが美味しそうな匂いを漂わせていた。
「ヨーはこの地の特産です。羊と鳥の合いの子のような生き物で……、ヨー毛も羽も嘴も角も、乳も肉も、棄てるところがありませんの。さあさ、どうかご遠慮なさらずに召し上がってくださいね。義母から習った伝統のヨー料理です」
サエは恥ずかしそうに料理を勧めた。一児の母とは思えない線の細い若妻である。
「とても美味しいです」
賢者は上品に、銀のナイフとフォークで肉を切り分けている。
ニルギリとケサルは、カイと同じく手づかみだった。
「にんじん、きらぁい」
「こら、好き嫌いしないで食べなさい」
「にんじん、いやぁぁ」
「あー、俺も人参苦手だわ」
ニルギリがスイと目線を合わせて悪戯っぽく笑う。
「でも、お母さんに怒られちゃうから、せーので頑張って食べような」
「むー、んー、せーのっ!」
カイは、家族の縁に恵まれない幼年期を過ごしたので、スイの無邪気さがうらやましい。
目の前の団欒の光景を自分のそのころと重ね合わせると、暖炉の炎が視界を赤く滲ませる。
ダダは街にヨーのチーズや毛織物を卸しに行った帰りに、あの場所で襲われたそうだ。
憂い顔のサエに、賢者はダダの傷の手当ての仕方や麻痺の残る左手の訓練のコツなどを伝える。
ついでに、医者のいない辺境の事情などを聴き、軟膏や解熱剤などいくつかの足りていない薬を処方する。
サエはまた、何度も頭を下げて謝意を伝えた。
※※※
翌朝、賢者はサエからヨーを一頭譲り受けた。
ホワンの村へ贈るためであるという。
もちろんホワンへは祭りの間の滞在に予め十分な対価を払っているし、自分たちの分の食料まで持参していた。
しかし、ヨーはとても貴重な家畜である。祭りの贈り物としてふさわしいだろう、と。
ケサルもその案に賛成した。
賢者がサエに渡したヨーの購入費は、一宿の礼を足したとしても多すぎるほどだと、カイには思われた。
「ダダさんが働けるようになるまでの、この冬は母娘にとって厳しい季節になるでしょう。秋に蓄えた肉や保存食も、私たちがかなり減らしてしまいました。私は賢者ですし、こういう時のために5国連盟からお給金をいただいているんですから、いいんですよ」
賢者はどうやら高給取りらしい。
間近で見るヨーは、なんというか、想像よりもとても大きかった。
涎でべちょべちょした舌が、カイの頬をべろん、と舐めとって、ヨーは「ヨー」と鳴いた。
友好的な挨拶だと思っていいのだろうかと、カイは少し悩んだ。
スイが、「ばいばーい」と、一行の姿が森へ消えるまで、手を振って見送ってくれた。