◆ロミの追憶 氾濫と忘却
大衆は、無知であるべきである。
(それが、世界の均衡を保つためである、という、お為ごかしの題目によって)
知を求めることは禁忌とされた。
国境は固く絞られ、人々の交流は最小に限定された。
(あのような戦を、ふたたび起こさぬように、というきれいごとで包み込むように)
閉ざされた「学園」や、私をもたぬ「賢者」を通してのみ、
理の窓は細く開かれるべしと、5国協定には定められている。
※※※
「我は忘却を知る人間だ。我は忘却することにより、過去から逃げた。ロミの国から、ロミの民から、ロミの歴史から。」
――老師は大粒の涙をぬぐいもせずに慟哭した。
「そのことに気づいたときに愕然とした。取り戻すべきものがあると知った時には遅かった。我は……、我は、すでに思い出す糸口を失っていたのだ」
青年は、老師のいう糸口とは、老師とともにこの船に乗り渡りきた一族なのだろうと推測する。
※※※
「カイは、見たものをすべて記憶してしまう病の持ち主だ。そなたにはわかるのであろう、ウィシュク」
――老師は洞窟の天を仰いだ。
「そなた等がただ羨ましかった。これから刻まれていく新しい歴史を、純白の頁に書き込むそなた等が。そして、その記憶をすべて劣化させずに、持ち続けていくことを。だが、」
カイは、「学園」に「棄てられた」少年だった。
その能力をうとまれ、周りの大人たちが彼にどのような態度を示したか。少年は語りはしなかったが。
「我は、忘れられぬということの苦しみもまた、分かっていなかったのだ」
青年もまた、胸の奥底に仕舞い込んでいた痛みを思い出す。
「ロミ老師…。確かに、わたくしもまた、老師の推察される通り、『忘れられないもの』でございました」
青年は老師のそばに跪き、老師の目をしっかりと覗き込んだ。
「しかし、わたくしは師に恵まれ、友に恵まれ、自分を支配するすべを学んでいったのです。師よ。少年の心に収めるには、世界の理は荷が重過ぎましょう。しかし、大人になるにつれて、記憶を統制することができるようになりましょう。周りがきちんと、導いてゆくならば。そしてその能力は、確かに彼を支えていくものになるはずです」
老師は頷いた。
「賢者ロミオ・ロベール・フェクサスより、賢者ウィシュク・ベーハ・ラフロイグに依頼する」
それは師から弟子への言葉ではない。対等な、賢者同士の依頼の際の文言である。
青年は、決められた作法通りに居住まいを正す。
「カイル・アソールの身柄をそなたに預ける。導いてみよ。それは、そなた自身の成長にも繋がるであろう」
「賢者ウィシュク・ベーハ・ラフロイグは、賢者ロミオ・ロベール・フェクサスの依頼を承る」
「うむ」
※※※
カツーン、カツーン、カツーン…、
ワルツのリズムの足音が先を行く。
青年は老師から譲り受けた鍵を使って、扉を閉めて後に続いた。
カツーン、カツーン、カツーン…、
カッ、カッ、カッ、カ…
ふたつの足音が坑内に響く。