船大工ホワンの民
――ホワンの民は、船大工の民さ
カイは宿の寝台で、まどろみながら老婆の言葉を反芻する。
記憶の中の老婆は、薄暗い天幕の中、蝋燭の炎にちらちらとゆらめいていた。
――もともとは、山で木を切って売る、木こりの村だった。冬季の盆地はひどい雪に埋もれてしまうから、そんな時期は彫り物をしたり、寄木細工を作ってね、なんとか暮らしていけるような村だったそうだよ。やがて腕を買われてね。内陸の民ながら、冬になると男どもが港の造船所に出稼ぎに行くようになったんだ
※※※
そんな彼らも、祭りの時期には山に籠るという。
7年に一度の小祭・49年に一度の大祭が、いつごろから始まったかはわかっていない。
造船の需要が飛躍的に高まったのは、先の4国戦争のことだったが、ホワンの造船技術の記録はそれ以前から残っている。
木材加工に秀でた一族として、古くから名が知られていたのだ。
「その間隔がよかったんだろうねぇ。技術の継承にさ」
「……」
「各地に散った大工が、一定の期間ごとに集まってあちこちのやりかたを教えあう、そんなことから始まったんだと思うよ」
小祭の由来はそうであったろう、しかし、大祭は違う、と老婆は言う。
「今年は49年に一度の大祭だ。星の神が月の乙女を迎えに、地に降りられる。アタシは49年前の巫女でね、アタシがここにいるっていうことは、儀式は失敗したってことなのさ」
「なぜ、失敗したと、わかるのですか?」
「アタシが今、ここにいるからさ」
老婆は繰り返した。
「巫女は贄だからね、死ななくちゃいけなかったらしい。でも、こうして生き延びてしまった」
カイは少し考える。
「巫女様というくらいなんだし、奇跡をおこしたとか……」
「あっはっは。あんた面白いね。奇跡なんて起こせるわけないだろう」
「占いだって奇跡なんでしょう?」
「あんなのインチキに決まっているだろうが。この格好だって営業用だよ。同郷のものに顔が割れるのもは不味いから、変装も兼ねているけどね」
老婆はなにが可笑しいのか、ひーひーと笑う。
「儀式が失敗したから、災いがおきるってわけじゃない。逆なのさ。災いが降りかかることがわかっているからこそ、予め贄に血を流させなけりゃいけないんだろうねぇ。血の鎮めに失敗したから、ホワンの民はアタシのことを恨んでいると思うよ」
「奇跡がおこせないのに、災いがくるのはわかるんですか?」
「わかるさ」
老婆はカイのほうをじっと見据える。
「さっき、なんであんたが賢者の弟子でホワンに行くとあたしが分かったか、知りたいかい?」
「占いとか、予言されたとか、じゃないというのは、わかりました」
「頭の回転が早いね。とろい話しかたの割にさ」
「……、耳は、いいほうですか?」
「そうさね。こぼれたコインの音の、種類を聞きわけられるくらいはね」
となりの店の店主との会話を聞いていたのだろう。
子供ひとりで旅ができる時代ではない。「学園」の外套を纏ったよそ者の少年であるならば、賢者の弟子と推測することは容易い。
「2、3日前にね、ホワンの男が客人のための食料を買い集めていた、という噂を聞いたのさ」
なんだ。そこまで知っているのならば、謎でもなんでもないではないか。
「あんた、いま、『な~んだ、そんなことか』と思っただろう?」
「……、思い、ました」
「災いの予感、というのも、種をあかせばそんなもんさ。意識的でもそうじゃなくても、悪い情報というのは人々の心に澱のように蓄積され、やがて沈んでいく。恐ろしいのはね、天災や戦争そのものよりも、人々の心に巣食う『不安』のほうなのさ」
そう言って、老婆は、ヴェールを透かして遠くを見るような目をした。
「不安は獣だ。贄を求める。贄を差し出すことで、村人たちはひとときの安寧を得る」
「……」
「だがね、獣はまた腹を空かすだろう?」
「49年にいちど?」
「それくらいの間隔が、ちょうど、よかったんだろうねぇ」
※※※
――頼みというのはね、これさ
老婆は、細く丸めて封蝋で綴じた羊皮紙をカイに託した。
――49年前に、18歳であった男、名はアウム。他の住人には知られたくないんだよ。直接渡しておくれでないかぇ
――使いの礼は、今はできない。だが、今後、もし何か情報が欲しくなるようなことがあれば、いつでも訪ねておいで。アタシが生きているかぎりはね、悪いようにはしないつもりだよ
カイは、学園から、一本の杖を携えてきている。
老師ロミから贈られた仕込み杖の内部には、ちょうどその手紙が入るくらいの空洞があった。
カイは手紙を受けとった。杖はいま、枕元にある。
寝苦しくて、何度か寝返りをうった。
同室の賢者が心配して顔をのぞき込んだり、濡れたタオルで汗をぬぐってくれているのを夢うつつに感じる。
まだ、旅は始まったばかりであるのに。
心配をかけていることを、申し訳なく思う。
(……、ごめんなさい)
カイは、秘密を持ったことがなかった。
手紙を届けるという、小さな秘密。
ただそれだけが、こんなに重く感じるものだということを、その日はじめて知ったのだった。