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架空の世界の物語  作者: 詠藍
森の国(ウータン)編
11/30

◆地図という概念のない世界に地図を描くということ

 「ちず……?」

 「さよう、地図である」


 古い羊皮紙。そこには、過剰な装飾をこらした蝶の絵が描かれていた。


  左上の羽に光の国の紋章を、

  左下の羽に森の国の紋章を、

  右上の羽に鉄の国の紋章を、

  右下の羽に砂の国の紋章を、


  そして、中央の胴にあたる部分には、諸島を示す真珠の連なりを、


 それぞれ意匠化した文様の、美しい蝶であった。



※※※



 5歳の時に「学園」に「棄てられた」神童、カイル・アソールは、それから半年の間にすっかり部屋に馴染んでいた。


 たいていは、静かに本を読んでいる。

 そしてごくごくたまにだが、老師がカイに聞かせるでもなく、ひとりごとのように語る遠い国の物語や建築や化学のことなど、本に書いていない世界のことを聞くこともあった。


 この時のように。


 老師はカイの前に一枚の古い羊皮紙を広げ、語り始めた。地図という、その絵の示す概念に関して。





 「学園」で学ぶのは、主に7歳から15歳くらいまでの初等科の少年少女らと、それ以降の専科の学生らである。

 カイは「棄てられた」時点ですでに相当な知識を会得していたようだ。初等科の上級生と机を並べても遜色ないだろう。

 しかし、このくらいの子供には、1年の差が大きい。

 幼いながら知性の片鱗を見せるカイを、年度半ばの初等科に放り込もうものなら、体格の面で有利な年長の子供たちに苛められることが目に見えていた。


 学園創生から3代目の学長となったのは、初等教育の基礎を作った柔和な男で、よく子供たちの世話をする。

 その学長が、ロミを呼び出したのは、カイの処遇についてだった。


 「学園」にくれば、食い詰めることはない。初等科を卒業さえできれば、仕事にも困ることはない。

 パーロルの治安が安定してくるとたちまち噂が広まり、孤児たちが集まってしまう現状は、学長の頭痛の種であった。

 学費とて無料ではない。衣食住を提供する制度上、運営には金がかかるのだ。

 特待試験に通らぬ子供等は、共同生活で最低限の礼儀や読み書きを学ばせたのち、養子にもらわれるか奉公に出されるのが常であった。

 もちろん彼らも、パーロルの次世代を担う人材として重要な布石ではあるのだが。


 そんな中、カイの才能は、あまりにも輝きすぎていたのである。

 


 「乞食こつじきといえども、見込みがあるというのなら、育てねばならぬな。学園とは、貴賤なく才を育てる、そのような場所である。もっとも、幼少期に神のごとき才覚を見せるものも、成人すれば只の人となることもあろうが……」

 「乞食とは、あまりなおっしゃりよう。カイの親ごも、カイの行く道を幸あれと学園まで彼を導いたのでありましょう」


 「ふむ。学費免除の条件は満たすのであろう。半年も待たせたうえ初等科を経ずとも、単位だけとらせればよいのではないか?過去にも飛び級を重ねた者がおろう。我は時間の無駄であると考える」

 「ロミ老師。子供には、子供である時間というのも、必要なのでございますよ」

 「そういうものであるか」

 「そういうものにございます」


 位としては賢者のほうが上であるが、教育の専門家としての学長の意見は重い。ロミもそこは尊重していた。

 そしていつの間にか、新年度がはじまるまでのしばらくの間、ロミはカイの身柄を預かることになっていたのであった。





 老賢者ロミは、飛び級した10代前半の弟子の面倒をみたことはあるが、子守をしたことはない。

 建築家としての第一線をひいてからは、専科の学生たちの講義を受け持つほかは、学園の片隅にある研究室で実になるかわからぬ研究を続けているだけである。

 高名な賢者「建築家ロベール」の直弟子となりたいと希望する学生は年々減り続け、ここ数年はすっかり静かな、ロミにとっての理想的な環境であるといえた。


 カイは、異分子であった。しかし、ロミのほうもまた、そばに置くうちにカイという子供の存在に慣れたのだともいえる。

 かつてウィシュク、という弟子を導いたことがあったロミは、その時に似ているとも思っていた。


 「三角関数は知りおるな」

 「はい」

 「星の位置と方位については知りおるな」

 「はい」

 「よろしい」



※※※



 「詳細な地形の図というのは、国の外にはあまり出ては来んものである。それは争いのもととなるからである。この『まんなかの島パーロル』という新しい要素が世界に現れた時、各国はその地を己の国の色に塗り替えようと画策しおった。それは世界にも国々にも甚大な被害のみを残し終結を迎えた。地図とは世界の富を記すもの。世界の富を己の色に塗り替えることは、世界の理を脅かすこと。ゆえに地図は禁忌となった」


 「これは、せかいのことわりにかかわるものですか?」

 「理の概念を知りおるか」

 「…わかりません」

 「よろしい。わからぬ、ということを認められるのは、素質がある証だ」

 「せかいのことわりとは何ですか」

 「世界の理とはな、あるべきものがあるべきところに治まる姿。ひいては均衡のことである。人間が欲に駆られて大きな富を得んと手を伸ばすと、均衡が崩れて、世界に綻びが生ずる。しかして、戦や天変地異が起き、多くの人が死ぬる」

 「きんきとは何ですか」

 「禁忌とは、いたずらに世界の理に触れて心弱い民衆が惑わぬよう、一般には公開されていない知識のことである。何が禁忌にあたるかは、5国会議で決められておるな。実に馬鹿馬鹿しい制度ではあるが、有効ではあるのだろう。公開せずことも、独占すればまた世界の理に反すのでな。『学園』と『賢者』によってその窓は細く開かれておる」


 カイは、老師の言葉の意味をすべて飲み込むことにより生い立っていった。

 いまは消化することができなくともよい、と、老師はそれを肯定する。


 「いつか、そなたも世界を見ることがあろう。これは、持ち出すことはかなわぬゆえ、しかと目に焼き付けておけ。よいな」


 老師は、己の手のひらから羽ばたいていく蝶を追うような、切なげな目でカイを見守るのであった。


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