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死人の花嫁  作者: 黒井雛
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 駅から家までの道のりは、早苗の記憶にある十年前のそれと、大きな違いは無かった。中心部は電車の車窓から眺めただけでも大分開発が進んでいたのに、この周囲だけはまるでぽっかりと取り残されたかのように、昔のままだ。

 足を進めるうちに、まるで自分が十代だったあの頃に戻っていっているかのような錯覚に陥った。


「大分歩くね。さっちゃん、まだ着かないの?」


「まだまだあるわよ。タクシーも見掛けないし、歩くしかないわね。バスだってこの辺りは一日数本しかないし」


「えー。結構俺疲れたんだけどー」


「最近運動不足みたいだから、ちょうどいいじゃない」


 懐かしい小道を越えて、神社へと続く長い石段の前を横切り、ようやく早苗の家に到着した頃には啓介は満身創痍だった。

 そんな啓介に呆れた視線を投げ掛けながら、早苗は大きく深呼吸して家に向き直った。


(良かった…さすがにもう目立つ嫌がらせはされてないみたい)


 早苗の家は、記憶にあるそれよりは多少古くなってはいたが、大きく破損しているような場所は特に見つからない。当然と言えば当然かもしれないが、あの時の様な張り紙も存在していない。

 一先ずほっと安堵の息を吐く。だけど問題はここからだ。早苗は緩みかけた気を、改めて引き締めなおした。

 幸か不幸か、家までの道のりで近所の人とすれ違うことは無かった。だが、両親と会わないで帰るわけにはいかない。

 今まで考えないようにしていた十年の空白と、早苗はこれから向き直らないといけないのだ。そう考えると、緊張で口の中がカラカラに乾いた。

 不意に、握っていた手が強く握られた。振り返ると啓介が、口元を緩めて早苗を真っ直ぐに見つめていた。


『大丈夫だよ、俺がいるよ』


 啓介の目は、確かにそう語っていた。途端に、胸がすっと楽になった。


(大丈夫。私には啓介がついている)


 何があっても啓介は、早苗の味方だ。そう思ったら、覚悟は決まった。

 啓介に一つ頷いて、家へと一歩足を踏みだした、その瞬間だった。


「…っ!!こらっリュウ!!あんたどさ行くの!!」


 大きな茶色い塊が突然早苗に飛び掛かって来た。

 そしてその勢いに押されて地面に倒れ込む早苗に、塊はそのまま馬乗りになると、ベロベロとすごい勢いで顔中を舐め回し始めた。

 唖然とただ舐められるままになっていた早苗に、小走りで中年の女性が近づいて来た。


「リュウ!!ちょっと、あんた、何してんだず!!知らん人さ迷惑かけて!!…ごめんなさいっ!!大丈夫ですか!?いつもは大人しい子なんですけどね」


 懐かしい声。

 懐かしい、顔。

 懐かしい、仕草。


 早苗は近寄ってくる女性を、放心したように見つめた。

 皺が、増えた。髪も、白くなった。体重も、きっと大分軽くなっている。

 でも、間違いない。見間違いようがない。

 そこにいるのは、間違いなく、早苗の母だった。


「…どうなさいました…っ!?」


 母親が訝かしげに覗き込んだ瞬間、茶色い塊――愛犬だったリュウの前足が早苗のサングラスにあたって、かしゃりと音を立てて落ちた。

 レンズ越しではない早苗の目が、真っ直ぐに母の視線にぶつかる。


「…早苗…?」


(ああ、ばれた)


 早苗は一度目を伏せると、未だ顔を舐め続けているリュウをどかして立ち上がった。

 そしてリュウの涎でべとべとになったマスクを外して、母親に向き直る。


「…お母ちゃん。久しぶり…」


 真っ直ぐに母親の顔が見られなかった。どんな表情を浮かべているのかが、怖かった。

 嫌悪に歪んでいるだろうか。今さら何しに来たと、お前のせいで大変な目に遭ったと、大声で早苗を糾弾するだろうか。

 冷たい汗が流れる。暫くの間沈黙がその場を支配した。


「早苗…あんた、なして…」


 伸ばされた手に、びくりと早苗は体を跳ねさせた。早苗のしたことを考えると、思い切り殴られたとしても文句は言えまい。

 だが、伸ばされた手は、ただ優しく早苗の体を包み込んだ。


「あんた、なして十年も連絡一つ寄越さねの…良かった…早苗、あんたが無事に、生きててけて、本当に良かったは…」


 母親はただ、早苗を抱きしめて、顔をくしゃくしゃにして泣いた。

 10年ぶりの娘との再会が、娘の元気な姿が心の底から嬉しくて嬉しくて仕方ないかのように。

 そんな予想外な母親の行動に、早苗は戸惑いを隠せなかった。


「お母ちゃん…私ば恨んでねーの?」


 母親に釣られるように、自然と口からは故郷の訛りが出てきた。10年ぶりに使う筈の言葉は、自分でも驚くくらいに自然に早苗の舌に馴染んだ。


「なして母親が実の娘ば恨めるの…ずっとずっと心配してたに決まってっべした…馬鹿たれ…」


「だって、私のせいで、私のせいでお母ちゃん達…」


「早苗――あんたは、何も悪くね」


 母は、ゆっくりと首を横に振って、痛みに耐えるように笑って。


「なんも悪くねかったんだ。だけど…ごめんな。お母ちゃん、あの時自分が辛いっけから、辛くてしかたねっけから、全部あんたのせいさして、あんたば責めた…あん時一番辛いっ気のは早苗だったのにな…お母ちゃん、あんたが学校でいじめらってることも全然知らないっけ…母親、失格だは…」


「っんな、んなことね…悪いんのは、全部私…」


「早苗、ごめんな」


 皺だらけの手が、そっと早苗の頬に添えられる。


「ごめんな…守ってけなくてごめんな…追い詰めて、家出すっくらい追い詰められてたっけのに、全然気づかなくて、ごめんな…ずっとずっと、あんたさ謝りたかった…帰ってきてけて、ありがとう」


「っお母ちゃん…!!」


 早苗は母親に抱きついて、そのまま滝のような涙を零した。


「お母ちゃん…勝手にいなくなって、ごめん…あの後大変だったべ…全部放り投げて、本当ごめん…」


「いいんだ…謝んな、早苗。言ったべ、あんたは悪くねって」


「十年間も、帰って来ねくて、ごめん…怖くて…お母ちゃんやお父ちゃんが、私の顔見て何言うかって思ったら怖くて、帰れねかった…」


「大丈夫だ…分かってっから…ちゃんと分かってっから」


 母の優しい言葉に促されるかのように、早苗は10年の間、ずっと胸の奥に秘めていた言葉を吐きだした。


「帰ったかった…本当はずっと帰ったくて、しゃあなかったんだ…!!故郷さ…!!」



 考えないようにしていた。思い出さないようにしていた。故郷を、捨てたつもりでいた。

 けれども、ふとした瞬間いつも、焦がすような郷愁に囚われていた。


 アスファルトが照り返す放射熱に襲われる東京の夏が来るたび、山に囲まれた地形が故に熱が篭った郷里の夏の暑さを思い出した。

 滅多に積もらない雪が都会の空から落ちる度に、腰まで届くような雪が降り積もった、真っ白な銀世界の光景を思い出した。

 祭り屋台が並んでいる光景を見る度、故郷にしかない祭りの味を、勝手に目が探していた。

 新聞やテレビで、故郷の名前を見掛ける度に、心が震えた。


 帰りたかった。帰りたくて帰りたくて、仕方なかった。

 そして今、とうとう早苗は帰って来た。――ようやく、帰ってこれた。

 恐怖心が消えた今、その事実が嬉しくて仕方ない。


 早苗と母親は、そのまま暫く抱き合ったまま、互いに謝罪の言葉を繰り返しながら泣き続けた。

 啓介はそんな二人の姿を、一歩離れた場所から黙って眺めていた。



 そのまま母に促されるままに家に上がり、仕事帰りの父親とも再会した。

 父親も母親同様に、ただ手放しで娘の無事を喜び、守れなかった過去を早苗にただ詫びた。

 結婚相手だと啓介を紹介すると、父親も母親も大喜びで啓介を歓迎した。


「ありがとう…ありがとう…どうか娘をよろしくお願いします…」


 父親はそうやって両手で啓介の手を握り締めながら、深々と頭を下げた。


(私はちゃんと、今でも両親に愛されてたんだ…)


 娘に対する愛情を露わにする両親の姿に、早苗は胸の奥にあったしこりが、すっかり溶け去っていくのを感じていた。


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