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死人の花嫁  作者: 黒井雛
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 早苗は頭の奥が一瞬にして冷えるのを感じた。

 どう考えても、そこに自分の幸福なぞとても見出せそうにない。それこそ箸の上げ下げまで、いちいち細かく口に出されていびられるに決まっている。

 そしてそんな優子を、気の弱い翔太は窘めることなど出来るはずがない。一人で黙って嫁いびりに耐えるしかない状況は目に見えている。

 もしそれでも、愛する人と結ばれるためならば、早苗だって耐えられるかもしれない。けれど、早苗は翔太を愛していない。翔太と付き合えば、どうやったって最終的には破綻する未来しか待ち受けていないはずだ。

 ならば、少しでも早く見切りをつけてしまった方がいい。交際が長引けば長引くほど、きっと今以上に翔太に情が移り、きっと別れるのが難しくなる。


(…それに、今の翔ちゃんば見てっと、このまま付き合ってちゃ駄目な気ぃする…)


 早苗は食い入るように自分を見つめる翔太から、そっと目を逸らす。

 先程から、ざわざわと肌が粟立ち、寒気がする。

 このままじゃ、いけない。このまま付き合っていると、きっと後悔する。

 そう、本能が自分に警告をしていた。

 翔太の早苗に対する執着…それは、どこか通常の恋愛のそれと違う様な気がする。何が違うのかは分からないが、ただの高校生が抱く児戯のような恋愛ごっことは、根本的にどこか違うのだ。

 翔太の向ける感情は、早苗にとって酷く重かった。そしてきっと交際期間が長くなればなるほど、この感情はますます重くなり、早苗の体を、心を、雁字搦めにして逃げられなくさせるのではないだろうか。そんな嫌な予感がして仕方なかった。

 もしこのまま交際を続ければ、早苗はきっと翔太から逃げられなくなる。…その前に、かたをつけばならない、そんな気がしたのだ。


「…違う。翔ちゃんの為でねーず。全部、私の為だは」


 早苗は逃げをうちそうに体を、必死に抑え込みながら、無理矢理作り笑いを浮かべて首を横に振った。


「翔ちゃんと付き合ってっと、私が罪悪感で苦しくて仕方ねーから、翔ちゃんに別れて欲しいの…例えそれが翔ちゃんにとって一番苦しいことでも、そんでも別れて欲しいの」


 取りつくしまも与えない早苗の言葉に、翔太は笑みを凍りつかせた。


「…どうして、も、別れねと、駄目…?」


 震える声と、泣きだしそうに歪んだ顔に、早苗の胸は酷く締め付けられる。

 だけど、ここで視線を逸らしたら負けだ。

 早苗は、真っ直ぐ翔太を見据えて、口ごもることなくはっきりと告げた。


「どうしても、だ。どうしても、別って欲しい」


「…んだかぁ…」


 ついに翔太の目から、涙が零れ落ちた。

 そのままボロボロと涙を流し続ける翔太の背に、早苗はそっと手を回す。


「…ごめんね。ごめんね、翔ちゃん…」


「……もともと無理言ったのは俺だから、さっちゃんが謝ることでねーべ…」


「…こだなこと言っても信じて貰えねーかもしんないけど…私、翔ちゃんと付き合ったことね、良かったと思ってんだ…本当に」


「…そっか…んだら、良かった…」


 口から出てくる言葉は、酷く嘘くさく響いた。事実、それが早苗の本心かと言えば、非常に微妙だと言っていい。

 それは、自己弁護の言い訳だった。悪者になりたくないが故の、口先八丁のフォローだった。


「…翔ちゃん、お願いだから、泣かねで…」


 いつぞや見たドラマの一シーンのように、早苗は爪先で立って背伸びをすると、少し高い位置にある翔太の目尻に口づけた。

 唇の隙間から口内に入って来た涙は、酷くしょっぱかった。


「翔ちゃんはすごく素敵な人だから、すぐに私よりずっといい人が見つかっから。私よりずっとずっと綺麗で、性格良くて、翔ちゃんばずっと愛してくれっ人見つかるはずだから…んだから、泣かねで…」

「………」


「翔ちゃん…別っても、私、幼馴染として翔ちゃんは大切だよ…翔ちゃんの幸せを、ずっと祈ってっから」


 口当たりがいい、耳触りがいい言葉を、早苗は必死に考えて口にした。そうすればきっと、まるでフィクションのように綺麗で後腐れがない別れのシチュエーションになるのだろうと、そう信じていた。

 だけど、きっと翔太もそれが本心からの言葉でないことには気づいていたのだろう。翔太は淋しげに笑うだけだった。


 それでも、最終的に翔太は頷いた。頷いて、早苗と別れることを承諾して、早苗に背を向けた。

 早苗はいわゆる「修羅場」にならなかったことに、心から安堵していた。

 これで、全てが終わった。全てが、解決した。明日からもう、好きでもない相手と付き合っている状況に怯えなくてもいい。

 実家に帰る時、もし顔を合せれば気まずいかもしれないが、いくら狭い町内とはいえ、会う約束をしない限り早々会うものでもないだろう。気にすることはない。

 重い荷物をおろしたかのような解放感に浮かれていた早苗は気づかなかった。翔太と別れる、その選択が最悪の事態を引き起こすことを。

 早苗は舐めていたのだ。優子の周囲への影響力を。そして知っていた筈なのに、軽く考えていた。優子の偏執的なまでの翔太への溺愛を、甘く見ていた。翔太と別れさえすれば、優子との繋がりが切れると、そう考えていた。

 だが、翔太と別れたことで無くなったのは、優子との繋がりではなく、優子の暴走を食い止める為の唯一のストッパーであったのだと、早苗はすぐに思い知らされることになった。


 はじまりは、母親からの一本の電話だった。


【次の休日、すぐに家に戻って欲しい】


 翔太と別れてすぐに、実家に戻ることに気が進まなかった早苗であったが、母親の強い口調に渋々と実家行の電車に乗った早苗は、家の前に到着するなり、息を飲んだ。


「…何、これ…」


 それは、漫画で見る、借金とりが押しかけている家の光景と似ていた。

 家の、囲いのあちこちに、べたべたと貼られた文字が書かれた紙の数々。


【売春婦】 【人でなし】 【淫乱】 【恥さらし】 【人間の屑】


 他にも見るに堪えないような悪口の数々が、明らかに複数人の筆跡で、でかでかと書かれていた。

 紙だけではない。新しい筈の家は、あちこちに傷がつけられたり、壊されたような跡があった。ところどころに、外から投げ込まれたらしい生ごみのようなものまで見られ、悪臭を放っている。

 玄関を開けると、明らかにやつれた母親が待ち受けていた。


「早苗…あんた、優子さんさ、何したの…」


 その場に崩れ落ちてさめざめと泣き崩れる母親を、早苗は唖然と眺めていた。

 そして、泣きながら母親が告げた言葉は信じられない言葉ばかりだった。


 早苗が翔太をフッた二日後から、優子による嫌がらせは始まったらしい。

 近所の人が皆、早苗の両親を無視するようになった

 夜中になると、悪口書かれた紙が貼られるようになり、剥がせば剥がすほどその数は増えていく。

 定期的にゴミや石が家に投げ込まれ、定期的に無言電話もあるらしい。

 近所の人に手を回して、こんなに大規模な嫌がらせが出来る相手なぞ、優子以外にいるはずがない。すぐに、両親は誰に目をつけられたのか、理解した。

 警察に行っても、地域の有力者である優子を敵に回すことを恐れて、まともに相手をしてくれない。

 専業主婦で、一日中その被害を受けている母親は、すっかりノイローゼになってしまっていた。

 中心部まで車で通っている父親の職場までは、流石の優子も直接的な被害を及ぼすことは出来なかったが、それでも社内では「東海林さんの娘が売春をしているらしい」という噂が囁かれるようになったという。


(何で…私はただ、翔ちゃんと、ただ別っただけなのに…)


 ヒステリックに早苗を責める母親から逃れるように、早苗はすぐに寮に戻った。

 だけど、実家から離れても、最早早苗の安寧の地は無かった。

 早苗の高校でもまた、「東海林早苗は売春をしている」という根も葉もない噂が流れるようになったのだ。

 根も葉もない、嘘っぱちの噂。だがその噂は、進路に悩み様々な鬱憤を貯め込んだ思春期の少年少女たちに、八つ当たりの矛先を決定させるには、充分な理由になった。ただでさえ、外部出身の早苗は、クラスに完全に馴染めていなかったのだからなおさらだった。


 早苗が翔太と別れて、約三週間後。

 東海林早苗をターゲットにしたクラスの遊戯いじめが始まった。



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