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死人の花嫁  作者: 黒井雛
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「…嬉しいな。こうしてさっちゃんと、ゆっくり会えんのあで、久しぶりだから」


 実家に帰ったおりに、メールで呼び出した翔太は、そう言ってひどく嬉しそうにはにかんだ。


「会えて、嬉しい…俺、ずっとずっとさっちゃんに会いたかったし…ずっとこうしてさっちゃんさ、触りたかった」


 酷く愛おしげな仕草で、手を握られた早苗の心は罪悪感で酷く締め付けられる。

 今日翔太と会うのは、恋人同士の逢瀬を楽しむ為ではない。


「で、さっちゃん、話って何?」


 翔太の茶色い瞳が射抜くように真っ直ぐ見つめられて、早苗は一瞬たじろく。決心が、にぶりそうになる。

 早苗は大きく深呼吸をすると、思いきって一息で言い切った。


「…私、好きな人、出来たは。だから、翔ちゃん、私と別れてけて」


 早苗の言葉を聞いた瞬間、サッと翔太の顔から血の気が引いた。


「え…なして…俺、さっちゃんさ、何か悪いこと、したっけ…?」


 掠れて弱弱しい、翔太の声に、早苗は必死に頭をふった。


「違うの!!翔ちゃんはなんも悪くねーの!!ただ、ただ私が…」


 翔太は、何も悪くない。彼はだって、告白した頃から何一つ変わっていないのだから。翔太は昔も今も、少々気が弱い所もあるが、誠実で早苗に一途な優しい少年のままだ。

 変わったのは、早苗の方だ。


「…私が、翔ちゃんば、恋愛の意味で好きになれねっけの…!!別の人ば好きになって、違うって…私が翔ちゃんさ向ける感情は、恋愛のそれでねぇって気付いちゃったの…!!」


 高校に入って、早苗を取り巻くものはがらりと変わった。

 今まで生きて違う世界を、を知った。

 今まで出会ったことがない、同年代の相手との密接な付き合いを知った。

 恋を、知った。

 知ってしまった以上、まるで世界でただ二人きりだったような、あの頃には戻れない。早苗にとってもう、翔太は唯一の相手ではなくなっていたのだ。

 翔太と別れても、翔太に嫌われても、今の早苗の世界は、変化がないものになってしまっていたのだ。それは早苗に、翔太との別れを踏み切るのには、十分すぎる事実だった。


「…さっちゃんは、その…好きになった男と付き合うの?だから、俺ば捨てっの?」


 翔太の言葉に、早苗は少し考えて、ゆっくりと首を横に振った。


「…多分、付き合ったりはしねーは。だって、その人は彼女いるって言ってたっけもの。だけど…」


「っんだら、いーべした!!」


 続けかけた言葉は、翔太の言葉にかき消された。

 普段はいつも笑みを湛えている翔太は、早苗が初めて見る険しい表情で、早苗の肩を掴んだ。


「そんだら、いーべした!!別れる必要あで、ねーべ!?だって、さっちゃん、そいつと付き合うわけじゃねーんだべ?付き合えるって、わからねーんだべ?そだな状態なら、俺と付き合ってても何も問題ねーべした!!」


「…でも、翔ちゃん、付き合ってんのに、私、翔ちゃん以外の人ば好きなんだよ…そだな状態で付き合い続けるだなんて…」


「っそだなこと俺は、気にしねーもはっ…!!」


 初めて見る、翔太の激しさに、早苗は圧倒される。

 翔太はそんな早苗を安心させるように、明らかに失敗した笑みを浮かべると、そのまま早苗を抱きしめた。

 触れた場所から、翔太の震えが、鼓動が、伝わって来る。


「…俺は、気にしねよ。さっちゃんの心に俺以外の男がいても…本当はすっごく嫌んだけど…でも、我慢出来る。さっちゃんと別れるくらいなら、我慢すっから…だからさっちゃん、別れるなんて言わないでけろ…」


 耳元で囁かれる懇願に、泣きそうになる。

 何故、翔太はここまで、自分なんかを好きなのだろう。早苗には、理解出来ない。

 高校になって取り巻く環境が変わったのは、早苗だけではない。いくら登下校は、全て送り迎え役の優子によって制限されているとはいえ、それでも翔太が通う高校だって共学である以上、早苗以外との女の子と接触する機会とて増えただろう。早苗より容姿が良くて、性格がいい女の子なんていくらでもいるはずだ。それなのに何故、翔太の想いはここまで変わらないのか。

 なぜ、翔太の唯一は、未だ早苗のままなのか。

 何が何でも別れるという決心が、鈍りそうになる。


「…そだなの、そだなの、おかしいべ…」


「…何が?何が、おかしいの?」


「そだなの…翔ちゃんの想いに失礼だべ…やんだは…私、そだなの、やんだ…」


 誠実な言葉を口にし続ける翔太に対して、自分が酷く矮小で不誠実な人間に思えて、情けなくて涙が零れた。

 胸が罪悪感で軋み、痛くて苦しくて溜まらなかった。

 子どものように泣く早苗の背中をそっと撫でながら、翔太は先程より幾分ましになった笑みを浮かべた。


「――さっちゃん、俺のこと思って別れたいって言ってけたの?俺の想いに失礼だと思ってけて?」


 翔太の言葉に、早苗は返事をすることが出来ずに、言葉に詰まった。

 翔太の為、何だろうか?

 そう考えると、酷く違和感があった。

 翔太の為というか、それ以前の問題…倫理的な問題ではないのだろうか。

 他に誰かを好きなまま、交際を続けるだなんて、普通に考えておかしいだろう。

 敢えて言うのなら、自分の為と言っても良いのかもしれない。他に好きな人がいながら、翔太と交際を続けるのはとても心苦しい。この心苦しさから、解放されたい。

 …ああ、でも、心苦しい原因が翔太にあるならば、やっぱりこれは翔太の為になるのだろうか。

 答えのない問いにぐるぐると悩み口を噤む早苗に、沈黙を肯定と見なした翔太が、顔を僅かに輝かせた。


「…やっぱり、俺の為、なんだべ?」


「…いや…えっと…」


「俺の為を想うなら…さっちゃん、お願いだから俺と別れないでけて」


 翔太の瞳に滲み涙に、早苗は息を飲む。


「ねえ、さっちゃん…さっちゃんが他の誰かと付き合うことなって、そいつが俺よりさっちゃんば幸せに出来そうなら、俺は悲しいけどちゃんと身を引くよ…ちゃんと諦めるよ…でもそうでねーなら、俺はさっちゃんの気持ちが他の誰かに向いてたとしても、さっちゃんと付き合ってたい。さっちゃんの【彼氏】っつー立場を、捨てたくない。…俺の為に別れようと言ってくれてんなら、お願いだから別れないでけて」


 翔太の言葉が早苗の頭の中で、ぐるぐると回る。

 正直、こんな風にごねられると思っていなかったから、こんな事態は完全に想定外だった。

 翔太の一挙一動に、罪悪感は増していく。まるで自分が極悪非道の悪女になったようで、正直逃げ出したくて逃げ出したくて仕方なかった。

 どうすればいいのか、正直早苗には分からなかった。


(…もう、いーんでない?このまま付き合い続けても。斎藤君と付き合えるわけでねーんだし。翔ちゃんの満足行くまで付き合ってければ)


 揉め事になれない小心者の自分が、脳内で囁く。

 このまま、強硬姿勢で翔太を突っぱねるよりも、折れてしまった方がよほど楽だ。折れて流されてしまった方が、ずっと。

 嫌いで別れて欲しいと言っているわけでないのだ。翔太と付き合い続けること自体が、ひどく苦痛というわけでもない。どうせ、また明日には寮生活に戻って、こうして生身で会う機会なんて滅多にないのだ。交際を続けても、対して早苗の生活には支障はない。


(…でも満足いくまでって、いつまで?いつになったら、翔ちゃん、満足してけるの?)


 ふと、早苗の脳内に一つのシミュレーションが浮かんだ。

 このまま翔太の気が変わることがないまま、ズルズルズルズルと流されて交際を続けた結果、ついには流されるままに翔太と結婚してしまったらと、早苗の想定は一気にそこまで飛躍した。

 翔太と結婚する未来―すなわち、それは優子が義理の母になった未来である。


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