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死人の花嫁  作者: 黒井雛
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 だけど、そんなただのプライドから始まった交際は、やはりどこかチグハグだった。

 早苗の返答に翔太は大いに喜んで、それこそ早苗をお姫様のように大事に、大事に扱ってくれた。

 優子の目を盗んで重ねる密会は、ひどくスリルがあって、優子に対する優越感と共に、早苗を酷く愉しませた。

 だけど、それだけだった。

 翔太が早苗に対して恋人らしいことを試みようとすればするほど、まるで決められた台本をなぞっているかのような空虚さが早苗を襲った。翔太が悦ぶような、そんな恋人らしい甘い言葉を口にすればするほど、早苗はそれが本当に自分の本心の言葉なのかと内心で首をひねらずにはいられなかった。

 翔太は顔も整っていて、性格も温和で優しく、お金持ちだ。少女漫画のヒーローのような翔太に愛されることを、普通ならば望んでしかるべきではないか。これほど自分を大切に思ってくれる翔太に、同じだけの想いを返すことこそが、「正常な」反応なのではないだろうか。

 いくら自分にそう言い聞かせても、翔太との交際が長引けば長引くほど、違和感は積み重なっていく。

 早苗の父が、ついに念願のマイホームを建てたこともまた、翔太に対する想いが薄くなる要因でもあった。早苗は中学二年の冬に、長かった貸家暮らしを終えて、ついに憧れだった自分の部屋を持つことが出来たのだ。

 高校に進学すれば家を出る早苗としては、何でもっと早くそうしてくれなかったのかと内心不満だったが、それでも自分専用のスペースを自分好みにカスタマイズ出来ることはこのうえない喜びだった。

 お気に入りのぬいぐるみや、小物を置いて、全てを早苗色に染め上げた空間に較べれば、ただ広いだけで、古臭い翔太の家の魅力はすっかり色褪せて思えた。早苗の自室だけではなく、奮発した父親のお蔭で家の様々な部分が最先端だ。当時は非常に珍しかった電気式のコンロだって完備されている。

 この辺りで一番新しい早苗の家は、実質的に、この辺りで一番の最先端な家だ。今までのボロボロな借家暮らしを惨めに感じていた分、早苗はその新しい家が酷く誇らしかった。

 早苗の父は、家を新築した仕上げのように、どこからか犬を購入してきた。実用第一の田舎だから、残念ながらチワワやプードルのように華やかな愛玩犬ではない。番犬も兼ねた外飼いの、茶色い秋田犬だ。だが、凛々しい雰囲気とは裏腹の、子犬特有のくりくりとした愛らしい瞳と、人懐っこい仕草に早苗は一目でノックアウトされた。

「リュウ」と名付けたそのオスの犬に、早苗は夢中になり、家族で一番積極的に世話をした。リュウも早苗に良く懐き、早苗の気配を感じた途端いつも飛びついて来た。

 愛犬と過ごす至福の時間に較べれば、翔太の家のゲームなんてひどく退屈なものに思えた。…否、正直に言えば、翔太と会っている時間自体、早苗にとっては愛犬と過ごす時間ほど大切だと思えなかったのだ。翔太と会っている時間に、リュウが自分よりも父や母に懐いたらと思うと、早苗は一刻も早く家に帰りたくて仕方なくなった。


「さっちゃん。好きだよ。本当、俺さっちゃんが、好きなんだ…」


 何度も何度も、翔太は繰り返し繰り返し、早苗に対して愛の言葉を囁いた。

 その言葉は、いつも真剣で、偽りは無かった。そんな風に翔太に想って貰える自分は、きっと幸福なのだろうと思う。

 そっと合わせられた唇も、不快感は全くといっていいほど、無かった。ファーストキスの相手が、翔太であって良かったと思う。

 そう、早苗は、翔太が嫌いじゃない。けして嫌いじゃない。

 だけど。


「…私も好きだよ。翔ちゃん」


 翔太に「好き」を返す度、罪悪感で胸が苦しくなるのは一体なぜだろう。

 無理矢理求められている言葉を返しているような、酷く虚しい気持ちになるのは、一体なぜだ。

 早苗には、分からなかった。


 そんな違和感を感じたまま、早苗は高校に進学した。

 家から、車で送り迎えさえしてもらえば直接通える進学校を選択した(家から離れることを優子がけして許さなかったらしい)翔太と違い、早苗は通学が困難な中心部の学校だ。当然のように、寮暮らしは決定した。翔太は酷く淋しがったが、早苗は胸の奥に澱のように溜まったもやもやから逃れられることに、内心ホッとしていた。

 高校になって、早苗は初めて自分が住む村以外の世界を目の当たりにした早苗は、激しいカルチャーショックを受けた。

 広い校舎。たくさんの人。少し足を延ばせばいける、様々なお店。遊び場。

 特に過疎の学校で育った早苗にとって、名前も覚えきれない人数の同じ年頃の生徒達と接するのは、初めての経験だった。中心部といっても、それでも少しいけばすぐに畑や田んぼがあるような、全国的には十分な田舎であるはずなのに、それでも平然と標準語を使いこなすクラスメイト達は、高校生の早苗にとっては酷く都会的な人々のように思えた。東京でもう何年もくらした今の早苗が思うに、きっと中心部の人々の言葉も都会の人からは十分に方言が出てしまっていたのだろうと思うのだが、人前と家族の前で話し方を切り替えるという考え自体を持っていなかった当時の早苗にとっては、かなりの衝撃だったのだ。

 そしてそんな中心部の生活に馴染めば馴染む程、早苗は自分の村の田舎具合が、いやでお

 やで仕方なくなっていった。

 まとまった休日に家に帰ると、コンビニすら車で何時間も掛けなければいけないような不便さに、ひどく嫌気がさして、早く寮に帰りたくなった。

 時間を合せて翔太に会えば、高校を進学しても変わらない田舎臭い雰囲気にうんざりした。翔太に比べれば、クラスメイトの男子のほとんどが、都会的でおしゃれに見えた。

 早苗はなにかと理由をつけて、極力田舎に帰らないようになった。当然、翔太と会う頻度もかなり減った。高校に進学してから翔太も早苗もそれぞれ携帯電話を買い与えられていた為、会う機会は無くてもメールのやり取りは継続していたが、それでも早苗が自分から翔太にメールを送ることは殆どなくなっていった。

 ただ一人の、遊び相手。その肩書がなくなった翔太に、早苗はほとんど魅力を感じられなくなっていったのだ。それでも、早苗はけして表だって翔太を拒絶するような態度は見せなかったが故に、早苗の内心とは裏腹に、翔太がそんな早苗の気持ちの変化に気が付くことは無かった。

 そして、高校二年の秋。とうとう、早苗は初恋を経験した。

 相手は、クラスで人気がある、サッカー部の斎藤君。どちらかといえば女性的な翔太と違って、男らしくて頼もしい彼に、早苗は恋をした。

 ともかく、早苗が斎藤君に向けるそれは、翔太に向けるそれと、全く違っていた。斎藤君の姿をただ一目見ただけで、早苗の胸はきゅうきゅうに締め付けられた。ただ会話を交わしただけで、心臓が早鐘を打った。もし彼と付き合えたと思うと、それだけで恥ずかしいような、落ち着かないような、そんな気分になって顔が熱くなる。――全て、翔太と接する時にはなかった反応である。

 こんな気持ちは初めてだった。こんな甘苦しい感情を、早苗は生まれて初めて知った。


(そうだ…これこそが恋なんだ)


 これこそが、異性に対する、正しい「好き」なんだ。

 そう気づいた瞬間、早苗の胸がちくりと罪悪感で疼いた。

 本当の意味で正しい好きがどんなものか分かった以上、このまま同じように翔太との関係を継続するわけにはいかない。――ちゃんと、終わりにしなければ。


 自分の翔太への感情が、恋愛のそれでないと分かった以上、早苗は今までと同じように、翔太に偽りの「好き」を口にし続けることなんか出来なかった。


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