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死人の花嫁  作者: 黒井雛
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(どうすればいいんだべ…)


 結論は出ないままに、早苗は翔太に別れを告げて部屋を後にした。

 脳内には、先程翔太に告げられた言葉がぐるぐると回っている。

 早苗は途方に暮れた気持ちで玄関のスニーカーに足を通した。


「…さっちゃん?」


 不意に後ろから掛けられた声にびくりと体を跳ねさす。

 恐る恐る振り返ると、そこには今一番早苗が会いたくない人物が、貼りつけたような笑みを浮かべて真っ直ぐに早苗を見つめていた。


「なんだ、さっちゃん、うちさ来てたっけなら、声掛けてくれれば良かったのに。全然分からなかったは。ずっと、翔太の部屋に引き込もってから」


「翔ちゃんの、お母さん…」


(いつも仕事でいねーから、今日も大丈夫だと思っていたのに)


 早苗は、靴ひもを結ぶのに戸惑って、さっさとその場を後にしなかった自分自身を悔やんだ。

 早苗は都会的で華やかな美貌を持つ早苗の母が、とにかく苦手で仕方かった。

 翔太の母は、40前とは思えない若々しく美しい顔を僅かに歪めて、不愉快を露わにした。



「【優子さん】」


「…っ」


「優子さん、だべ?さっちゃん」


 目の奥が笑っていない早苗に真っ直ぐ見据えられて、早苗はたじろいた。

 そうだ、この人はそういう人だった。口内でそれと知られないように、密かに舌打ちを漏らす。

 この人は例え間接的でも、早苗に母と呼ばれることを是としないのだ。


「…すみません、優子さん。てっきり今日も仕事さ入ってると思ってて…」


「今日も?さっちゃん、今もそだいにうちさ来てるの?」


 早苗の謝罪は、優子の機嫌を増々損ねるものであったらしい。

 浮かべる笑みは一層深くなるのに、優子の纏う冷気はますます冷え冷えとしたものへと変わって行くのが肌で感じられた。


「もう中学生になったけのに。年頃の男女が、他に誰もいねー部屋で二人でしょっちゅう遊んでるあで、さっちゃんはおかしいと思わねの?普通それくらいの年ごろの子は、同性の友達と遊ぶもんでねーの?」


 都会的な優子から、田舎者丸出しの方言交じりの言葉が出るのは、相変わらず滑稽だ。早苗は優子に詰め寄られながら、そんな明後日なことを考えていた。

 優子が早苗に冷たいのは、ずっと昔からだ。中学生になってから、その傾向がより顕著になっているのは感じているが、それでも今さらこれくらいの言葉で傷ついたりなぞしない。

 優子が、翔太を溺愛しているのは村中で周知の事実だった。そして溺愛するあまり、翔太に近づく人間に対する態度がきつくなることもまた、村中の人間が知っていることだった。

 子離れできない母を、翔太は内心鬱陶しく思っているようだったが、それでもはっきりとした反抗的姿勢を取らない為、年月を重ねることに優子のそれはますます助長していく一方だった。

 まるで、恋人に群がる女を威嚇する、嫉妬深いヒステリー女のようだ。

 早苗は、あからさまに自身に嫉妬の感情を露わにしてくる、子離れできない優子のことを、内心ひどく軽蔑していた。翔太がまだ幼い頃に主人を亡くした優子は、本間家の代々生業としている事業を受け継ぎ、その規模を維持するどころかさらに発展させた、敏腕の持ち主で、彼女の名声は男たちを追い抜いて村一番であろう。

 美人で、有能な才女。しかし翔太に見せる異常なまでの愛情の気持ち悪さは、そんな突出した美点を吹き飛ばすに値するものだと早苗は思っていた。自分は絶対にこんな女にはなりたくないと、切実に思う。


「…でも優子さん。うちと翔ちゃんには、他に気軽に遊べる距離の友達もいねーし…」


「だったら家で勉強してればいいべした。学生の本分は、勉強でねーの?大体、高校になったら、もっと市内の大きいとこさ寮暮らしするようになんだべ?そうなったら、いくらでも友達なんかできっべ。中学くらい、我慢したらよいんでね?」


 酷い。滅茶苦茶だ。誰と交友関係を築こうが、あんたに指図されたくない。


 言いかけた抗議の言葉を、早苗は飲みこんだ。

 優子は村で一番の権力の持ち主だ。表だって反抗して目をつけられたら、早苗だけではなく両親にまで迷惑を掛けてしまうかもしれない。実際に今までも、優子が気に入らなかったというだけで村八分扱いをされて、村から泣く泣く出て行った人だって知っている。

 田舎のコミュニティは狭く密接している分、そう言った類のことには陰湿だ。そして優子の性格は執念深くてねちっこい。そんな優子の機嫌をそこねるようなことは、極力避けた方が賢明だ。

 早苗は引き攣る頬を無理矢理動かして、愛想笑いを浮かべた。


「…そうですね。そろそろ受験も考える時期だし、勉強さ集中します」


 早苗の言葉は、優子お気に召すものだったらしい。

 優子は纏う冷たいオーラを少し和らげる。


「そう、さっちゃん、それが賢明だべな」


 そう言って優子は勝ち誇ったかのように、早苗に笑いかけた。


「そもそもさっちゃんは翔太にとってただの幼馴染で…恋人ってわけでもねーんだし」


 早苗は握った拳の爪が掌に食い込むのを感じながら、優子に一礼をしてその場を後にした。



(ムカつく、ムカつく、ムカつく…何、あのおばさん)


(何であんたの言葉で、私が翔ちゃんと会うのをやめなきゃなんねーの?おかしいべした)


(大体いつも口を開けば翔太翔太翔太…どっかおかしーんでねーの?恋人気取り?気持ち悪ぃ)


 早苗は内心の苛立ちをぶつけるかのように、帰り道の傍らに生えていた草をブチブチと引き抜いた。切れた葉の断面から噴きだした緑色の液体が、早苗の手を汚すがそんなことは気にならなかった。

 そのまま引き抜いた草を放り投げて、次々と小川に流していく。


「だいたい恋人でないんだしとか言ってたけけど…今日私、恋人になって欲しいと翔ちゃんに言わったし」


 ふんと鼻を鳴らして、あの時優子が浮かべていたのと同じ、勝ち誇った笑みを早苗もまた浮かべて見せる。

 ざまぁ見ろ。

 いくら優子が牽制しようが、翔太はとうの昔に早苗に夢中だ。

 そう思った瞬間、すっと胸がすくのを感じた。

 あの憎たらしい優子よりも、きっと翔太は早苗の方が好きだ。だって、優子が何度も何度も、翔太に早苗と遊ぶことをやめるように言っていたが、普段は従順な翔太がそれだけは頑として拒絶したのだと、翔太からも町の噂からも早苗は聞いていた。そして優子の早苗に対する過剰な敵対心を考えると、おそらくそれは真実だろう。

 早苗はそれなりに愛らしい顔をしていると自負しているものの、優子ほどの華やかな美貌は持っていない。成績も中の下で、希望している市内の高校もけして偏差値は高くないのに合格圏内ぎりぎりだ。お金も当然、持ってやしない。

 そんな優子に、唯一翔太から向けられる愛情という点では勝っている。そう思ったら非常に愉快だった。


(もし、翔ちゃんの恋人になったら、もっと気持ちいーんだべか)


 そう思ってから、早苗はハッと我に帰る。

 今、自分は一体何を考えたのか。なんと利己的なことを考えたのか。

 優子に対する対抗心から、翔太と付き合うことを決意するなんて、翔太に失礼だ。

 あまりにも酷すぎる。


(…でも、翔ちゃん、付き合えるなら私がどんな気持ちでも別に構わねって言ってたし)


(それに、翔ちゃんをフること決めたら、それはそれで優子さんから目をつけられるんでね?どっちにしても同じなら、メリットが大きい方が…)


(だいたい私、翔ちゃんばフって、翔ちゃんを傷つけたくねーし。悪役になったくねーし)


 早苗の心の中のはかりは、時間を追えば追う程、打算的な方向へと傾いて行った。


 そして次の日、早苗は翔太と付き合うことを承諾した。

 それは翔太への愛情よりも寧ろ、優子に対する嫌悪感の大きさによって導かれた結論であった。




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