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死人の花嫁  作者: 黒井雛
20/33

二十

 リュウの死体、それは一言で言うならば無残としか言えないありさまだった。

 早苗は縁側に出てその様を見た瞬間、思わず吐きそうになった。

 リュウの腹は鋭利な刃物のようなもので切り裂かれ、昨夜の雨風で血が洗い流されて黄色い脂とピンク色の肉が露わになっていた。その切断された脂と肉の間から内臓が引きずり出され、庭に大きく広げられており、早苗はその残酷な光景にリュウを殺害した犯人の底知れぬ悪意を感じざるをえなかった。


「誰がこだな惨いこと…」


 涙声で呟いた母親の一言に、早苗の喉はひくりとなった。喉元まで湧き上がっていた胃酸が、再び食道へと流れ込み早苗の喉を焼いた。


「…こだなことする人、一人しかいねぇべ」


 早苗の脳裏に、昨夜見た血に染まった掌が浮かぶ。

 夢のせいで早苗は、あの手を男性のものだと勘違いした。

 だけど、あくまで一見しただけで、実際に手の大きさを確かめたわけではない。

 大柄な女性の掌を勘違いした可能性は十分ありうる。


「優子さん以外、こだなことすっ人がいるわけねぇべ…!!」


 早苗の顔は溢れ出す憎悪に歪んだ。

 昨日再会した優子は、ひどく背筋が曲がり、驚くほど小柄に見えたが、記憶の中にある十年前の優子はすらっと背が高くそれこそスーパーモデルのようだった。早苗の父と並んでいても、さほど身長が変わらなかったと記憶しているから、十年の歳月が記憶を誇張しているわけではない。そんな優子の掌が男性並みの大きさだとしても、何もおかしくない。いくら年月が経ったとしても掌の大きさが小さくなりはしないのだから。


(本当、あの人はどこまで…!!)


 胃酸の酸味が広がっていた下の上に、鉄の味が広がる。思わず固く噛みしめた歯は、唇を噛み切り血が流れていた。


 あの人は本当、どこまで残酷なことが出来るのだろう。

 どこまで早苗を、早苗の家族に害を成せば気が済むのだろう。

 早苗には、優子が人の皮を被った怪物のように思えて仕方なかった。


「優子さん…?まさか…」


「…優子さんが、今頃そだなことをする理由はねぇべ…」


 だが両親は早苗の言葉に納得がいかないようだった。

 納得がいかないというよりも寧ろ、信じたくないのだとそれぞれ顔に書いてあった。

 今、両親も早苗も、脳裏に浮かぶものはきっと同じだろう。十年前の悪夢の光景。

 早苗は激高を忘れ、つと目を伏せた。

 昨日起こったことを、言うべきか。言わざるべきか。

 葛藤は、一瞬だった。


「――昨日、神社さ行った時、優子さんと会ったよ」


 早苗の言葉に、両親は揃って大きく息を飲んだ。

 早苗は両親とまともに目を合せることが出来ず、俯きながら言葉を続けた。


「優子さん、私のことばすぐ分かったみたいで、話しかけてきたっけんだ…んで、啓介ば見て、『誰?』って…んだから…んだから私言ったんだ。私の婚約者だって…」


 母親の喉がひゅっと鳴ったのが分かった。


「そしたら優子さん、怒って…『許さね』って…『お前は翔太の嫁だから、重婚なんて許さね』ってそう言って…意味が分からなくて、神社さ行ってみたら私と翔ちゃんの絵馬があって……」


 言いながら、だんだんと言葉が尻つぼみになって言った。何を言うべきか、何を言っているのか、だんだん分からなくなって来た。声が、肩が、どうしようもないくらい震えた。

 早苗は泣きそうになりながら顔をあげた。


「…んで、心配かけたくねかったから言わなかったけど、昨日郵便受けさ私と翔ちゃんの顔が貼られた、結婚式のパンフレットが何枚も入ってたんだ…!!…そだなこと出来っの優子さんしかいねぇべ…!!だからリュウのことも、きっと…」


「――早苗」


 早苗の訴えは、低い父親の声によって遮られた。

 父親は青白い顔を歪めながら、青いを通り越して蒼白な顔で、今にも崩れ落ちそうな母親を支えていた。


「…お前が、優子さんば疑う理由は良く分かった…だけど、本当に犯人が優子さんだって証拠はまだ何もねぇんだ…あんまり早合点するもんじゃねぇ」


 弱弱しい父親の声と、けして合わない視線に、早苗は理解した。両親は、決定的な証拠が出ない限り、現実から目を逸らすことに決めたのだと。

 奇しくもそれは、昨夜の早苗の行動と、全く同じだった。


(…よく似た親娘だね。本当)


 早苗の口元に自嘲の笑みが浮かぶ。こんな所は似なくても良かったのに。


「…そだなことより、今はリュウをこのままにしとくわけにはいかねぇべ。墓を作ってやんねぇと」


「…んだな。まずはリュウを埋めてやんねぇと。…早苗、ちょっと倉庫さ行って、シャベル持ってきてけっか?」


「……わかった」


 そのまま四人で協力して庭に穴を掘り、リュウの死体を埋めた。

 ただ土で埋められただけの簡素な墓だったが、父親は板に筆で「リュウの墓」としたためて埋めた土の上に深く突き刺し、母親は庭の早咲きの花を集めて墓の前に散らした。

 早苗はそんな二人の姿を、少し離れた所からぼんやりと眺めていた。



「――ねぇ、警察に行かないの?」


 墓が出来上がるなり、父は慌ただしく仕事に出かけ、母も用事があるといって、早苗とまともに目を合せることもないまま家を出ていった。

 残された早苗と啓介は、嵐が去った快晴の空の下、二人でリュウの墓の前に佇んでいた。


「…行っても無駄なの。この辺りの警察は、本間家には逆らえないから…」


 早苗は悔しさに耐えるかのように、唇を噛んだ。

 十年前、父親も母親も、度重なる嫌がらせに耐えきれず何度も警察に相談に行っていたが、どれほど訴えても民事不介入という名目で、警察は何もしてくれなかった。警察もまた、優子を敵に回すことを恐れていたのだ。それ程、この辺りでの本間家の力は大きかった。

 どれほど理不尽な目に遭っても、この土地で生きていきたいのならば、本間家には逆らってはいけない。それが最早この辺りでは不文律と化している。警察に行くだけ無駄なのだ。


「…ごめんね。リュウ」


 早苗はリュウの墓の前にしゃがみ込むと、手を合わせた。

 謝罪は、リュウを殺した犯人を捕まえられないことに対してでもあり、また、リュウを助けてあげられなかったことに対してでもあった。


「…私が昨日、すぐに縁側に出ていたら、リュウを助けてあげられたのかなぁ…」


 目を伏せた瞬間、涙が零れ落ちた。

 思い出すのは、つぶらな瞳で早苗を見上げる、リュウの顔。

 ぴんととがった耳。濡れた湿り気のある鼻。ふわふわの尻尾。

 十年ぶりに故郷へと戻った早苗を、真っ先に迎えいれてくれたのはリュウだった。

 十年も会っていなかったうえ、変装をしていた早苗の正体にすぐに気づき、嬉しそうに尻尾を振りながら早苗に飛びついて、顔を舐めてくれた。そんなリュウの行動に、拒絶される恐怖を抱えていた早苗が、一体どれだけ救われたことか。

 絵馬のモデルにされてショックで泣く早苗に、寄り添ってくれたリュウの存在が、どれほどありがたかったか。

 この二日だけじゃない。十年前も、リュウはいつも早苗の心を慰めてくれていた。翔太との関係が、友達から恋人に変わってしまってからは、リュウが早苗にとって一番身近な友達になった。嬉しい時も悲しい時も淋しい時も、ずっと傍にいてくれた。

 高校に入って寮暮らしをした早苗が実質的にリュウと一緒に過ごした時間は、一年ちょっとという短い時間だったが、それでも早苗にとってリュウは確かに、かけがえのない存在だった。

 そんなリュウが、死んだ。自分のせいで、殺されてしまった。

 そう思ったら、涙が止まらなかった。

 ひくひくと喉を鳴らしてしゃくりあげる早苗の肩を、啓介がそっと抱いた。


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