二
※一話3000字を目指す為、以前のページと結合しました。
2人の遊び場はもっぱら外の公園や神社だったが、外で遊ぶのが辛い季節になると、遊び場は翔太の家へ移っていった。
翔太の家は村一番の大屋敷で、使っていない部屋はいくらでもあり、ふたりの遊ぶ場所はふんだんにあった。まるで古いお城さながらの翔太の家に、早苗は遊びに行く度目を輝かせて、いつもこう口にしたものだった。
「いーな、いーな。翔ちゃんちは広くて。うちんちあで、私の部屋もねーもは。嫌んだぐなっず」
当時貸家住まいだった早苗の家はけして裕福ではなく、部屋も必要最小限あるだけだった。早苗ぐらいの年頃で自室を持っていない子など、当時はそう珍しくなかったと今になっては思うが、当時の早苗の比較対象は翔太だった為、不満は余計募った。
自分の部屋があったらどんなに素敵だろう。ピカピカの机と椅子を置いて、好きなぬいぐるみを山ほど飾って。翔太の家で遊ぶように、親の目も気にせずに(当時早苗の母は専業主婦で四六時中家にいた)翔太とふたりで遊べたらどんなに素敵だろう。
当時の早苗はそんな風に、子供心にプライベート空間への憧れを募らせていたものだった。
そんな早苗の言葉に翔太はいつも困ったように笑っていたが、ある日、翔太は頬を染めてこう返した。
「そんだら、さっちゃん…俺の嫁さ来ればいーべした」
「…翔ちゃんの嫁さ?」
「俺の嫁さ来たら、この家はさっちゃんのもんだよ。部屋あで、空いている部屋いくつでもさっちゃんにける。だからさっちゃん、俺の嫁に来いは」
翔太の嫁に。
当時の早苗にはその意味がピンとこなかった。翔太は大好きだったが、その感情が恋愛かどうかなど分からなかった。恋愛も知らないお子様だった。
だが、この広くて楽しい屋敷の部屋を、いくつでも早苗の自室にしていいという提案はひどく魅力的で、早苗は深く考えることも無く飛びついた。
「んだら、翔ちゃんの嫁さなる!!翔ちゃんの嫁さなって、この部屋私の部屋にする!!」
「本当?絶対嫁さ来るって約束してける?」
「うん、約束する!!翔ちゃん、指切りすっべ。」
早苗はにこにこと頷きながら、翔太の小指に自身の小指を絡めた。
「ゆびきりげーんまん、うそついたら、はりせんぼんのーます」
勢いよく上下に振って歌い終わると、早苗は指を離した。
どこか放心したように自身の小指を眺める翔太とは裏腹に、早苗は(はりせんぼんって魚って昔きいたことあるけど、どんな魚だべ。でも魚なら、万が一別の人のお嫁さんさなったとしても、そだい怖くねーよな。よかったぁ)と間が抜けたことを考えていた。
「…嬉しいなぁ。こんで、さっちゃん、今日から俺の許嫁だ」
「いいなずけって、なに?」
「将来のお嫁さんってこと。…楽しみだな。さっちゃんの花嫁姿」
幸福そうに笑う翔太につられて早苗も笑った。この約束の意味を、深く考えないままに。
幼い、二人の、たわいのない約束。
だけど、翔太がこの時至って本気だったことを、早苗は気づいていなかった。そして何年経っても、その時の約束を信じて、胸の中に抱き続けていることなど、想定もしていなかった。
性別も気にせず遊んでいた二人だが、やがて思春期は訪れる。
中学生になって初経が訪れると、流石に早苗も翔太との性差を意識し始め、以前のように屈託なく翔太と接することは出来なくなって。
けれども、かといって他に遊べる相手がいるわけでもなく。それに裕福な翔太の家には、早苗は買って貰えないような、最新のTVゲームがいくつもあり、中学生の早苗にとっても非常に魅力的な場所だった。
早苗は以前と変わらない距離感で接してくる翔太にどぎまぎしながらも、それでもなお翔太の家に通い続けた。
そんなある日、とうとう翔太は早苗に想いを告げた。
「俺、さっちゃんが好きだよ…」
(ああ、とうとうこの日が来ちゃったは)
翔太の告白は、早苗に対してさして衝撃を与えることは無かった。向けられる視線に、早苗に対する翔太の一挙一動に、隠しきれない好意が滲んでいることを早苗はとうの昔に気が付いていた。気が付いていながら、考えないようにしていたのだ。早苗は翔太との今の友人関係が崩れるのが、怖かった。
「…私も翔ちゃんが好きだよ。だって翔ちゃんは、私の一番のお友達だもは」
翔太が傷つくのは承知で、それでも早苗は鈍感なふりをして笑って見せた。自分の反応で、翔太が告白を引っ込めてはくれないかと期待した。
だけど翔太はそんな早苗の言葉に、ゆっくりと首を横に振った。
「そういう好きでねーって、さっちゃん、本当は分かってるんだべ?」
「な、何言ってだず。翔ちゃん。私、翔ちゃんが何言いたいのか、さっぱりわかんね…」
惚けて視線を彷徨わせる早苗の頬を、翔太の男性にしては白くて細い手が、包み込む。
そして、早苗の顔を覗き込むように、顔を近づけた。
翔太の虹彩の形ですらはっきり見える顔の近さに、早苗は思わず後ずさるが、離した距離と同じ分だけ翔太は前に踏み出して、離れることは叶わなかった。
「俺は女の子として、さっちゃんが好きだ。ちっちゃい頃からずっと、お嫁さんにすっならさっちゃんしかいねーと思ってた…ねぇ、さっちゃん、俺と付き合って。俺の彼女になってけて」
翔太の言葉に早苗は言葉に詰まった。翔太は完全に早苗の逃げ道を塞いだ。
どうすればいいのか、どうするのが最善の方法なのか、早苗には分からなかった。
翔太は、好きだ。家族以外で翔太以上に好きな人間なんて、いない。だけどそれが異性として好きなのかと言われれば、首を傾げざるを得なかった。
早苗は、恋を知らない。だからこそ、自分が翔太に向ける感情が恋愛のそれか分からない。例えば、翔太に自分以上に親しい人間がいれば、早苗はその相手に激しい嫉妬心を抱くだろうことはまちがいないと思う。だけど、それが親しい友人を取られたが故の嫉妬心でなく、恋愛のそれだと言い切れることは出来ない。
早苗が好む少女漫画の恋愛は、胸が張り裂けんばかりの激しい感情を伴っていたように見える。傍にいるだけで胸が高鳴り、四六時中相手のことを考えずにはいられない、そんな激しい感情が。そんな風に自分は翔太に対して強い想いを抱くことは出来るのだろうか。…正直出来ないと思う。
だけど、ここで断って、翔太が離れるのは嫌だった。翔太が離れていけば、早苗は他に誰も一緒に遊んでくれる相手もいない。この、魅力的な家にも来れなくなる。放課後が、ひどくつまらない時間になってしまう。そんなのは、耐えきれない。
「翔ちゃん…私…私……」
(どうすればいい?どうするのが一番いい?)
頭の中がぐちゃぐちゃで、目には涙が滲んで来た。逃げたくて逃げたくて溜まらなかった。
なんて言葉を続ければいいのか分からず口ごもる早苗の言葉を、翔太は我慢強く待っていたが、早苗が結局何も言えないのが分かると、小さく笑って早苗の頭を撫でた。
「…さっちゃん。今すぐ結論ださねーでいいよ。ゆっくり考えてけていーから」
「翔ちゃん…」
「でもさっちゃん…俺、本気でさっちゃんのこと好きだから」
早苗を真っ直ぐに見つめながら、翔太は眩しいものでも見るかのように目を細めた。
「さっちゃんが本気で好きだから、友情の延長でもなんでも、さっちゃんが俺のこと異性として好きになれるかもしれねーなら、付き合って欲しい。中途半端な気持ちでも構わねから、少しでも脈があんなら、さっちゃんの彼氏になったい。…どうか、そのことだけは覚えててけろ」
翔太のストレートな愛情に満ちた言葉は、真っ直ぐに早苗の心に突き刺さった。