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死人の花嫁  作者: 黒井雛
18/33

十八

 玄関の扉を開くと、強い風が丁度真正面から吹き込んできて、早苗は思わず目を瞑った。

 雨は左程強くはないが、風がびゅうびゅうと音を立てて煩い。

 少し風に体を煽られながら、早苗は玄関のすぐ脇に設置された郵便受けに突き刺さった夕刊を取る。雨風が考慮されたそれは、ビニール袋に包まれており、その表面には小さな雨粒が伝っていた。


「あれ…夕刊以外にも、取ってない郵便があるみたい」


 夕刊を抜いたところに、未だ突き刺さっている封筒に気付き、早苗はそれもまた一緒に手に取った。


「…宛名も何も書いてない。何だろう?」


 封筒は宛名も差出人の名前も書かれておらず、ただ封を閉じられているだけの奇妙なものだった。

 早苗はそんな封筒に怪訝そうに眉を寄せるも、雨風が吹き込む外で見る気にもならず、そのままいったん家の中へと戻る。そして玄関の鍵を再度掛けなおすと、さして深い考えもなく封筒を開けた。


「っ…何、これ…」


 封筒の中身を目にした瞬間、早苗は衝撃のあまり手に持っていた物を落とした。

 玄関の床に広がるのは、無数の結婚式のパンフレットの切り抜き。

 だが、どの切り抜きも全て、新郎と新婦の顔の所には、歪に切り取られた翔太と早苗の顔写真が糊で貼り付けてあった。

 早苗は途端全身を駆け巡る悪寒に、身を震わせる。

 ただ単に写真を張り付けられているだけでも気持ちが悪いのに、その上なお一層恐ろしいことに、貼られている写真の表情は、どれも異なっていた。

 笑顔の物、少し拗ねた表情の物、真剣な表情をしている物、慌てた表情の物…十枚近くある切り抜きの中で、早苗も翔太も、どれ一つ同じ表情を浮かべているものはない。

 そこに封筒を入れた犯人の、歪んだ熱情のようなものを感じて、吐き気が込み上げて来た。

 こんなくだらない嫌がらせをするような人物の心当たりなぞ、一人しかいない。


「…あの、糞婆…」


 早苗は吐き気を堪えながら、真っ二つに切り抜きを破り捨てた。

 優子だ。優子しかいない。…それにしても、なんて気色が悪い嫌がらせをするのだろう。

 早苗は激情のまま、さらに切り抜きを破り続けた。二つを四つに、四つを、八つに。感情のままに切り抜くを細かく、細かく破っていき、気が付いた頃には、紙ふぶきの山が足元に溜まっていた。

 そうなってからようやく、嫌がらせの証拠として残しておけば良かったと気が付くが、時は既に遅く、切り抜きは再現など到底不可能な状態になってしまっていた。


(…取りあえず、これを片付けとかなきゃ…)


 早苗は、玄関に広がった紙くずをそのまま玄関に常備してある箒で掃きとって、そっと茶の間のゴミ箱の中へと捨てに行った。

 そしてそのまま、夕刊を片手に何食わぬ顔でリビングへ戻った。


「…お父ちゃんー。夕刊ば持ってきたよ」


「なんだ、早苗、随分遅いっけな」


 父親の言葉に引きつりそうに顔を誤魔化しながら、早苗は笑みを作りながら夕刊を差し出した。


「ついでにちょっとトイレさ寄って来たんだ。夕飯来っ前に行っとこ思って」


 早苗は両親に、先程見た封筒のことを口にする気は無かった。

 先程早苗が味わった恐怖感を、両親にまで味合せるわけにはいかない…というのは建前だった。

 早苗は、怖かった。もしこれが優子の嫌がらせの前兆だとしたら、また十年前の繰り返しになってしまうのではないか。そして、また、それが原因で両親との仲がこじれてしまうのではないかと思ったら、何も言えなかった。


(大丈夫…きっと今回だけ…これ以上嫌がらせは、きっとないはずだから、大丈夫…)


 祈るような思いは、自分でもどうしようもない程説得力がないものだったが、それでも早苗は必死に僅かな可能性にすがった。

 もうこれ以上ないと、これで終わりだと、信じたかった。

 結局はそれは問題を先送りにするだけだと分かってはいても、そうせずにはいられなかった。

 ふと視線を感じて振り返ると、啓介が酷く心配そうな眼差しで早苗を見つめていた。

 目があった瞬間、声に出さずに口の動きだけで、「大丈夫?」と尋ねて来た啓介に、弱弱しい笑みを返した。両親は気づかなくても、啓介には早苗の異変はすっかりお見通しだったらしい。そのことが、少し嬉しい。

 茶の間で二人になったら、啓介にだけは、切り抜きの話をしよう。神社ですれ違った老婆こそが、優子であるということも含めて。

 そう密かに決めた早苗は、啓介同様に口の動きだけで「あとで」と伝えると、そのまま食卓についた。


 突然の訪問が故に普段のお惣菜ばかりが並んでいて昨夜とは打って変わり、食卓には豪勢なご馳走が並んでいた。全て、十年前の早苗が好きだったものばかりだ。

 早苗は久方ぶりに食べる菊のおひたしを口に運びながら、それを用意してくれた母親の愛情に改めて胸を打たれた。父も母も、にこにこ笑いながら、早苗と啓介が夕食を食べる様子を眺めていた。

 懐かしい、郷里の味。懐かしい、母の味。

 だがとても美味しい筈の料理は、先程見つけた切り抜きに対する恐怖感のせいで、酷く無味乾燥したもののように早苗には感じられた。




「…何それ。気持ち悪い」


 茶の間に戻り、啓介に優子と切り抜きの話を打ち明けると、啓介は顔を真っ青にして口元に手を当てた。


「犯人がその優子って人かはまだ分からないけど…もしそうなら、本気で頭おかしいよ。その人。言っていることも滅茶苦茶だし。危険だ…」


 そう言って早苗の手を握ると、懇願するように眉を垂らして早苗を見た。


「…ねぇ、さっちゃん。やっぱり、明日すぐに東京に帰ろう?俺、嫌だよ。さっちゃんが、そんな頭おかしい人に、襲われたりなんかしたら…ねぇ、帰ろう?そうしよう?」


 日中よりも、さらに熱が篭った啓介の言葉に、再び早苗の心は揺れたが、それでも早苗は首を横に振った。


「もし犯人があの人で、行動がエスカレートするようだったら、増々私はここにいないといけない気がするの…じゃないと、あの人の嫌がらせの矛先が両親に向いてしまうかもしれない…」


「そんなこと、きっとないよ!!だって、さっちゃんが戻るまで、さっちゃんのお父さんとお母さんは何とも無かったんだよ?だったら大丈夫だって」


「今までが大丈夫だったからって、これからもそうか分からないじゃない…私は、これ以上両親に、私のせいで傷ついて欲しくないの…」


「さっちゃんが傷ついても、ご両親は傷つくでしょう!!」


 啓介になんと言われても、早苗は頑なに東京へと戻ることを承諾しなかった。

 何故ここまで強情になっているのか、早苗自身も分からなかった。

 心の底では逃げてしまいたいと、啓介のいう言葉も間違っていないと、そうも思っているのに。

 ただ「ここで東京に帰ったら後悔をするに違いない」という、根拠がない確信が、早苗に啓介の言葉を拒絶させていたのだった。


「…分かったよ」


 結局、折れたのは啓介だった。

 啓介は拗ねたように唇を尖らせあがら、片眉を上げた。


「いいよ。そこまで言うなら、ギリギリまでここにいるよ。…俺が守れば、いいんでしょ。ようは」


「啓介…」


「俺が、守るよ。さっちゃんも、さっちゃんのご両親も。例え、どんなことが起こったとしても…それで、いいんでしょ?」


 投げやりに発せられていた啓介の言葉は、それでもそうしようもなく早苗への愛情に満ちていて、思わず早苗は口元を綻ばせた。


「ありがとう。啓介」




 待ちにまった、結婚式の日。

 早苗は花嫁衣装を身に纏いながら、胸を高鳴らせて、啓介の着替えを待っていた。

 今日、自分は啓介の妻になるのだと、そう思うとくすぐったいような、どこか落ち着かないような気もしたが、それでもどうしようもなく幸せだった。

 ずっと、憧れていた。待ち望んでいた。

 いつか見た絵馬達のように、美しい花嫁装束を身に纏って、大好きな人に嫁ぐその日を、早苗はずっと夢見ていた。そう、今まさに着ている、純白の着物を身に纏って…

 そこで、はたと早苗は気づく。

 着物?啓介と見に行って決めたのは、純白のウエディングドレスではなかったか。いつから衣装が和装に変わっていたのだろう。

 そう言えば、ここは一体どこなのだろう。啓介と決めた結婚会場は、教会が隣接した現代風の建物であったのに。それなのに、どうも自分がいる場所は古い木造の純日本家屋のように思える。そうまるで、神社のような…。

 ふいに、後ろのふすまが開いた。啓介だ。啓介の準備が出来たのだ。現金な物でそう思った瞬間、早苗は胸に湧いていた疑問も忘れて、笑顔で振り返った。

 だけど、振り返った先にいたのは…。


『綺麗だよ…俺のお嫁さん』


 その瞬間、早苗は目を醒ました。


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