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死人の花嫁  作者: 黒井雛
16/33

十六

 別れてもなお愛していたというのなら、あの時何故、優子を止めてくれなかったのだ。この世で優子の凶行を止められる相手など、翔太の他にはいなかったというのに。

 優子によって家庭を崩壊させられていた早苗を傍で見ていながら、よくも早苗を愛していたのだといえたと思う。


「…死人ば責めてもしょうがないことだけど」


 もし婚姻絵馬の相手が、翔太でなければ、早苗はここまで両親に裏切られたとは感じなかっただろう。

 共に描かれた相手が、心の奥底で憎悪し続けた翔太だからこそ、早苗はその事実をひたすら嫌悪した。例え翔太が死んでいたとしても、それが絵馬の中だけの絵空事だとしても、早苗には自身が翔太の花嫁として扱われていることが許せなかった。

 優しくて、気が弱い、同じ年の幼馴染。早苗が世界で一番憎悪する女の、息子。

 翔太の死が、あそこまで優子を壊してしまったのだと思うと、その事実に喜びを抱きそうになる自分が嫌で仕方ない。


(…本当に私は、自分のことばかりだ)


 幼馴染の死よりも、自分がいない間の両親の苦悩よりも、自身の苦悩を考えてしまう自分が、酷く醜い存在のように思えた。

 ただ注がれる愛だけを、無償で与えられる愛だけを期待して、受け取るばかりで、望むだけのそれを受け取れなかったと嘆く自分は酷く醜く滑稽だ。

 翔太は勿論、両親に対しても、早苗は満足に愛情を返せてなぞいないのに。翔太に返しては、与えられた愛情を返すことすら考えたこともなかったのに。

 自分勝手で醜い、自分。

 そんな自分が誰かに愛を期待すること自体、烏滸がましいのではないかと、そう思った瞬間、背中に温かい熱を感じた。


「…ずるいな、さっちゃんばかりリュウくんと遊んで」


 振り返ると、優しい顔をした啓介が、リュウごと早苗を抱きしめて屈み込んでいた。

 啓介の長い腕の中に、早苗の体はリュウの頭ごと、すっぽりと包まれる。


「…って、啓介。そう言いながら何故私を抱きしめているのかな?」


「だって、リュウくんがさっちゃんの腕の中にいる以上、俺はリュウくんをさっちゃんごと愛でるしかないじゃん…ってぇ!!」


「…啓介!!…リュウ!!何するの!!」


 早苗の腕の中で大人しくしていたリュウが、突然啓介の手に噛みついた。痛さのあまりに立ち上がって噛まれた手を抱える啓介に、早苗は慌ててリュウを啓介から遠ざける。

 リュウは早苗から離れると、威嚇体制を取って啓介を見据えながら低いうなり声をあげていた。


「何でいきなり…啓介、大丈夫なの!?」


「…大丈夫。大丈夫。ちょっと指のさきっちょ切ったくらいで」


 そう言ってひらひらと振った啓介の人指し指先は、大丈夫という啓介の言葉とは裏腹に結構な量の血が滲んでいて、早苗はますます動揺する。


「全然大丈夫じゃないじゃない!!ほら、今すぐ消毒しないと!!」


「いやいやいや、こんなの舐めときゃ治るって」


「唾液の中にはいっぱい菌がいて逆効果なの!!ほら、さっさと動く!!」


 渋る啓介の背中を押すように、そのまま縁側から茶の間へと戻った。


「まずは、洗面台で綺麗に手を洗ってきなさい!!」


「…はぁい」


 啓介が手を洗いに行っている間、記憶を頼りに茶の間の中を探すと、救急箱は十年前と同じように、茶の間の引き出しの中から見つかった。

 すぐに戻って来た啓介を傍にしゃがませると、箱の中から消毒液とガーゼを取り出して、液をガーゼに染みこませる。


「…うわ…それ、痛いんだよな…」


「我慢しなさい。男でしょ」


 ガーゼで傷口を消毒し(液が染みると啓介は痛そうに顔を歪めたが、気にせずたっぷりつけてやった)上から絆創膏を貼ってやった。あまり手先が器用でない早苗が貼った絆創膏は皺が寄ってどこか不格好だったが、それでも啓介はそれを見ながら酷く嬉しそうに目を細めた。


「なんかいいね。こういうのって」


「え?」


「――お母さん、みたいだ」


 そう言って大切な物のように、そっと絆創膏が貼られた人指し指を反対の手で包む啓介の姿に、早苗は言葉に詰まった。

 母親から愛された経験がない啓介に、こんな時なんて返せばいいのか分からなかった。


「…嫌だよ。こんな大きな息子、持つの」


「えー。ひどい。いいじゃん。早苗ママって呼ばせてよ。俺にも」


「だーめ。私は啓介の母親になりたいんじゃなくて、奥さんになりたいの。絶対呼ばせてあげない」


「さっちゃんのケチー」


 ふざけたように返しながらも、早苗の胸の奥は重く沈んだ。

 本当の意味で両親の愛を知らないであろう啓介に比べて、自分はずっと恵まれているはずなのに、裏切られたのどうのでいじけている自分が何だかひどく情けなかった。


「…大丈夫だよ。さっちゃん。さっちゃんは、何も悪くないから」


 顔には出さずに落ち込む早苗に内心を悟ったかのような啓介の言葉に、どきりとする。


「…啓介?」


「さっちゃんは、何も悪くないよ。昔っから俺、動物に好かれないんだ。多分、そういう体質なのかな?」


(…ああ、そっちの話)


 思わずため息を吐いて肩を落とした早苗の様子に、啓介はくつくつと喉を鳴らして笑って続けた。


「…勿論、お義母さん達に怒ってしまったことも、幼馴染の死を嘆けないことも、ね。さっちゃんは、何にも悪くないんだ。ついでに言うなら母親のことで俺に負い目を感じる必要だって、全然ないんだよ」


「――え」


 早苗の心全てを見透かしたかのような啓介の言葉に、驚いて顔をあげると、酷く真剣な色を帯びた眼差しとぶつかった。


「ねぇ、さっちゃん――もう、東京に帰ろうか」


「東京、に…?」


「俺達がここに来た目的は、さっちゃんのご両親に挨拶をすることだよ。それはもう、済ませたじゃん。だったら、いくら有休が残っているからって、これ以上実家にいなくてもいいと、俺は思うよ」


「………」


「何度だって言うよ。さっちゃんは悪くない。誰がさっちゃんが悪いって言ったとしても、俺はさっちゃんが悪いなんて絶対に思わない。――だから、さ。もう嫌な思い出があるこの場所に、辛い思いをしてまで滞在することなんか、ないんじゃないかな。昨日お義父さん達には日曜日までいるって言っちゃったけど、それでも話せば分かってくれるよ」


 啓介の言葉に、早苗の心は揺れた。

 懐かしくて、帰りたくて仕方なかったはずの故郷は、優子に会って、早苗をモデルとした婚姻絵馬の存在を知った瞬間、一転して忌まわしい呪われた土地のように早苗には感じられた。今となってはもう、東京に帰りたいという気持ちが胸の奥では生まれている。

 だけど、せっかく和解した筈の両親と、再び喧嘩別れのような状態で故郷を去るのは躊躇われた。


「…ねぇ、さっちゃん。よくよく考えてみて。ご両親とは別にさ、一生の別れっていうわけじゃないんだよ?」


 そんな早苗の躊躇いを打ち消すように、啓介は早苗の手を握って優しく囁いた。


「五月の結婚式には、ご両親も呼ぶでしょう?その時にまた、ちゃんと話をすればいいんじゃないかな。今はさっちゃんは色々あり過ぎて混乱しているから、冷静にお義父さんやお義母さんのこと、考えられないと思うよ。結婚式まで、距離的にも時間的にも間を置くぐらいが、ちょうどいいんじゃないかな」


「間を置く…」


「そう。離れたからこそ、分かることもあると思うよ。残りの有休は、東京で二人でゆっくり過ごすのでもいいし、なんだったらこの辺りの地域を旅行してもいい。…俺さ、東京以外の土地って、実はほとんど行ったことないんだよね。せっかくだからこの機会に東北観光してみたいなぁ…なんて。ね、さっちゃん。そうしよう?」


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