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死人の花嫁  作者: 黒井雛
15/33

十五

 それから、どうやって家路に着いたかは覚えていない。

 気が付けば早苗は、啓介に支えられるようにして、自宅の玄関をくぐっていた。


「ああ、早苗。おはよう。どさ行ってたの?」


 いつの間にか帰宅してリビングで掃除をしていた母に、早苗は蒼白な表情で口を開いた。


「…神社さ、行って来た」


「え…」


「お母ちゃん…あそこさ会った私の顔描かれた絵馬って、何…?」


 早苗の言葉に母親の顔に動揺が走るが、少しの沈黙の後、母親は痛ましげな笑みを浮かべた。


「見たんか…あれ」


 知っていたのか。そう思った瞬間、緊張の糸が切れたかのように早苗の目から涙が零れ落ちた。


「…なして…!?なして、あそこさ私の顔の婚姻があんの!?なして私が翔ちゃんと並んで、描かれてんの!?…なして…なして…」


 感情のまま何故、何故と問いかけながらしゃっくりをあげて泣く早苗の背を、啓介が宥める様に撫でる。母親はそんな早苗の様子に、そっと目を伏せた。


「早苗…全部話すから、まず落ち着けは。…茶ぁ入れてくっから、そさ座ってろ」


 母親に促されるままに、早苗はソファに腰を降ろした。

 頭の中は、ぐちゃぐちゃに混乱していた。

 久しぶりに優子に再会したことと、自身が知らぬ間に婚姻絵馬のされていたこと。そこになぜか翔太が描かれていたこと。全てがショックで、ただただ涙が止まらなかった。

 啓介はそんな早苗に寄り添い、今にも崩れそうになる体を支えてくれた。

 触れた場所から伝わる啓介の体温に、少し混乱が落ち着く。

 母親はすぐに台所から、お茶が入った湯呑を三つ、お盆に乗せて戻って来た。


「…まんず、これ飲んで落ち着いてけろ」


 促されるままに、お茶を口に運ぶが、味なんてまともに感じられなかった。だけど食堂を通る、体温よりもやや高いくらいのお茶の温度は、啓介の体温同様に、早苗の心を落ち着かせた。

 母親もまた一口お茶を口にすると、過去を回顧するかのように少し遠くを眺めてから、静かに話を切り出した。


「…翔ちゃん、な。早苗が家を出て一年後くらいにな…死んじゃったんだっけは…胸ば悪くしたかなんかでよ」


(――ああ、やっぱり)


 それは早苗が絵馬を見た瞬間から予想していた答えだった。

 その言葉にかちりと、パズルのピースが嵌ったような気がした。

 何故、優子があれほど老け込み、壊れてしまったのか。

 何故、早苗を翔太の嫁だと言い張ったのか。

 全ての理由が、その瞬間一本の糸に繋がった。


「…だけど、なしてそれで私が翔ちゃんの冥婚の相手さ…お母ちゃん、知ってたのに…」


 だけど理由が分かったからと言って、納得できる物ではない。早苗の発した声は掠れ、弱弱しく震えていた。

 冥婚に生者をモデルにすることは、絶対のタブー。それは町内の物だったら子どもでも知っていることだ。死者の婚姻相手になれば、そのまま一緒にあの世に引きつって行かれかねない。

 例えそんなこと迷信に過ぎないものだとしても、両親が早苗がモデルに事実を黙認していたという事実が、早苗の胸を押しつぶす。

 そんな早苗に、母親は眉をハノ字にして唇を噛んだ。


「…優子さんから、頼まったんだっけは…」


「え…」


「…早苗が出てってからも、ずっと嫌がらせは続いてたんだども、絵馬で早苗ば翔ちゃんの嫁ささせてけたら全部水に流すって、優子さんから言わったんだ…フらってからも、病気で苦しんでからも、ずっと翔太はさっちゃんのことば想いつづけてた…せめて絵馬の中でくらい結婚させてやりたいって、優子さんから泣きながら頭ば下げらって…断れねかったんだ」


 そう言って母親は、深く頭を下げた。


「…そだなの迷信だから、何も起こらねからって思ってたけど…そう自分自身さ言い訳してきたっけけど、早苗からしたら、親から売られてようなもんだべな…ごめんな…」


 母親の言葉に、早苗は何も言い返せなかった。

 両親に起こった嫌がらせの全ての元凶は、早苗にある。そして早苗はそんな状況で、両親を置いて逃げたのだ。その後も続く嫌がらせを回避するが為に、両親が下した判断を、そんな早苗がどうして責められよう。

 だけど理屈ではそれが仕方がないことだと分かっているのに、早苗は込み上げる激情を抑えることが出来なかった。


(裏切られた…ずっと裏切られていた…)


 そんな理不尽な怒りを、目の前で謝罪を口にする母親に感じざるを得なかった。

 もし、おとといまでの自分なら、両親に勝手に婚姻絵馬のモデルにされることを了承されていたとしても、早苗はさして気にしなかっただろう。寧ろそれで両親の負担が軽くなったのだったら、それは罪悪感に苦しむ早苗の望むところだった。

 だけど今の早苗は、両親の愛に懐疑的だった二日前の自分とは違う。知らなかった両親の自分自身に対する愛を知り、それにどうしようもなく胸を打たれていた。ずっと両親の愛を疑っていた反動で、今の早苗は酷く無防備なくらいに素直に両親の愛を信じ切っていたのだ。

 そんな早苗にとって、今の母親の告白は裏切り以外の何物にも感じられなかったのだ。


(なして、なして、そだなことしたの…!!酷い、酷いよ!!)


(そだなことして、私が翔ちゃんから呪い殺さっても良かったの…!?もしかしたら、そのせいで、私、知らねぇ場所で本当に死んでたかもしんねぇんだよ…!!)


(お母ちゃんは娘より、自分の身の方が大事だったんだな!!)


 唇を開けば発してしまいそうになる罵詈雑言を、早苗は唇を噛み、拳を固く握り締めることで耐えた。

 自分がそんな風に母親を詰る資格なぞないことは、分かっていた。


「…お母ちゃん…私、縁側でちょっと頭冷やしてくっは…」


「早苗…」


「一人に、してけて…」


 後悔と罪悪感に満ちた母親の目から逃れるように、早苗はソファから立ち上がるってその場を後にした。


 早苗は茶の間に隣接した縁側に腰掛けると、ぼんやりと庭を眺めた。

 母親が熱心に手入れしているのか十年前より一層植物が増えた庭は、ところどころに花や新芽が見られて、北国の春の訪れを教えていた。

 早苗の気配を感じたのか、庭にある犬小屋に繋がれたリュウが、小さく一鳴きをして近づいてきた。

 ふっと唇を綻ばせ、縁側に置かれたままの突っ掛けを履いて、リュウの傍に近づく。屈み込んで頭を撫でてやると、リュウは嬉しそうに尻尾を振る速度を速めた。


「…めんごいな、お前は」


 リュウの愛らしさに、自然と早苗の顔が緩む。

 その首元を抱き込むようにして、早苗はリュウの毛皮に鼻先を埋めた。毛皮から香る獣臭さが、不思議と早苗を安心させた。


「…ねぇ、リュウ。私、薄情だと思う?」


 ぐりぐりと鼻先でリュウの首元の毛を逆立てながら、早苗はぽつりと呟いた。


「…幼馴染の翔ちゃんが死んだって話聞いたのに、自分のことばっかで、ちっとも悲しくないんだ…」


 翔太の死は、早苗に驚きを与えこそすれど、早苗の胸に悲しみを生じさせることは無かった。

 早苗の嘆きはあくまで両親の裏切り故であり、翔太の死が原因では無かった。

 薄情なものだと思う。翔太は幼馴染で、初めての彼氏だというのに。そして死の間際まで自分を想っていたのだと、先程耳にしたばかりだと言うのに。そして早苗はけして、翔太自身を嫌っていたわけではないのに。

 それでも早苗は、翔太の死を悲しむことは出来なかった。

 なぜなら、心の底ではずっと、思ってしまっていたから。


「…翔ちゃんがいなければ、こだなことなってなかったっけのにって、思ってたからかなぁ…」


 本当の意味で憎しみを向ける相手は、優子だとは分かっていた。そして次に憎むべきは、愚かな意地で、翔太と付き合うことを決心した、自分自身だと。

 それでも早苗は、優子が早苗の過程を崩壊させる原因になった翔太を、彼が悪いのではないと分かっていても、憎まずにはいられなかった。

 翔太さえいなければと、そう思わずにはいられなかったのだ。



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