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死人の花嫁  作者: 黒井雛
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十四

 感情のままに暴言を口にしてしまってからすぐに後悔が早苗を襲った。

 優子が東京に住む早苗に手を出すことは出来ない。だが、同じコミュニティに住む両親だったらどうだろうか?

 中心部に住む早苗に間接的に手を出せなかった変わりに、より直接的な嫌がらせが両親―特に母親に降りかかったあの頃の、二の舞にはなってしまわないだろうか。せっかく、十年の歳月が悪意を風化させてくれたというのに。

 ひんやりと冷たい汗が、背中を伝う。だが一度言葉にしまった物は、今さら取り返しがつかない。


(もしまた両親が嫌がらせを受けたら…その時はその時だわ)


 小さく息を吸って、早苗は腹を括った。もしまた当時と同じ状況になったとしても、早苗には逃げる場所がある。つまり、両親が住み慣れた故郷を捨てることを選んだとしても受け入れる場所があるということだ。住み慣れた土地を離れることは両親にとって苦渋の決断だとは思うが、まもなく定年を迎える筈の父親の年齢を考えても、きっと十年前よりはまだ心理的負担は少ない筈だ。東京に来るのが嫌なら、単純に中心部に移るだけでもいい。その時は、この十年で使い道がなく溜まった貯金から、費用を援助してもいい。

 大体、今の優子が十年前と同じか、それ以上の影響力を持っているかと考えても怪しい所だ。あれほど落ちぶれた風情の優子に、いくら家が大きいからと言って、ほいほいと従うだろうか。しかも言っていることは支離滅裂で狂気じみている始末だ。最初は保身の為に従っていた連中だとて、あんな調子で喚かれていたのでは、早々に離れていくに決まっている。

 大丈夫だ。きっと何も問題がない。あの頃の様な地獄は、訪れない。

 早苗が幸福になることを、こんな落ちぶれたみすぼらしい優子になぞ、止めることが出来るはずがない。


「…それでは、失礼します」


 一抹の不安を振り払うように、自分自身に内心で言い聞かせると、今度こそ早苗は階段をのぼり始めた。

 背を向けて立ち去る早苗を、今度は、優子は邪魔をしなかった。


「……何、すぐ思い知んだは。自分が本当は、誰の嫁か」


 足早に立ち去る早苗は背中に、じっとりと絡みつくような視線を感じていた。


「…どうせ、すぐ、分かる…お前が、翔太の嫁だってことを…他の男と結婚できるわけがねぇってことを…一度翔太と結婚したお前が、そう簡単に離縁なんか出来る筈がねぇんだから…!!」


 背後から聞こえてくる哄笑を振り払うかのように、早苗は足を速めた。


(狂っている…)


 早苗は神社に近づくたびに一層強く込み上げてくる吐き気に、必死に耐えた。視線はもう感じなかったが、それでもまだ後ろを振り返ることは出来なかった。

 先程の優子の姿は明らかに常軌を逸脱していた。一体この十年で優子の身に一体何があったというのか。何があそこまで優子を壊してしまったというのか。

 優子と離れて少し冷静になった頭を、早苗は必死に動かした。思考に集中しなければ、ショックのあまり倒れてしまいそうだった。


(そういえば、私が翔ちゃんの嫁だとか、そんなわけが分からないことを言っていたな…)


 あれは、一体どう言った意味だったのだろうか。あれほど嫌っていた早苗を、優子が翔太の嫁にしたいと言い出す理由が分からない。


(…もしかしたら優子さん、私を追い出したことで、翔ちゃんから家出されてたりして)


 自分のせいで、まだ恋心を持ったままだった早苗が蒸発したことを気に病んだ翔太が、早苗の後を追うように蒸発。最愛の息子を失ったことを絶望した優子は一気に老け込み、早苗が翔太の嫁に来ることさえ許せば、翔太が戻ってくると思い込んでいる。ベタな駆け落ちカップルを描いた小説のようだが、そう考てみれば、全ての辻褄はつくような気がした。

 駆け落ちカップルと違い、早苗はそれ以前に翔太をフッているわけだが、思い込みが激しい優子が自分の都合が良いように考えたのだとしたら、何も不自然なことではない。

 そう思ったら、湧き上がった恐怖がおさまらない一方で、それでも早苗の口元には自然に笑みが浮かんできた。


「…ざまぁ、みろ。糞婆…」


 けれども、吐き捨てるように発した言葉はやはり、弱弱しく震えていた。ひどく悪寒がして、どうしようもなく不安で仕方なかった。


(…早く、啓介に会いたい)


 だけどこの不安感も、きっと啓介に会った瞬間たちどころに消え去るのだろう。悪夢を見た、今朝のように。

 啓介に優子に会ったことを話して、そして怖かったとそのまま抱きついてしまおう。そうしたら啓介は優しく早苗を抱き返して、怖くないと、俺がいると、そう言ってくれるだろう。啓介は一見馬鹿そうに見えて、本当はとても頭がいいから、もし両親に嫌がらせが及んだとしても、その場に最善の解決策を見つけだしてくれるはずだ。


 啓介さえいれば、何も心配することはないんだ。ただ、啓介が傍にいてくれれば。


 鳥居をくぐると、早苗は境内に視線をやって、啓介の姿を探した。

 切り開かれた山の中腹に立てられた境内の中は、そう広くない。早苗の視線は、賽銭箱の脇にきちんと並んで置かれた啓介の靴を捉えた。

 待ちきれずに山の方に探索へ行ってはしないかと心配していただけに、早苗はほっと胸を撫で下ろした。


(きっと婚姻絵馬を見ているんだ)


 日中は入口が解放され、自由に上がれるようになっている神社の中、中央に置かれたご神体である鏡を囲むようにして、側面の壁一面に婚姻絵馬は飾られている。

 神社の中は町内会で管理されている畳が敷かれており、訪れた人はそこに座り込んでゆっくりと絵馬を眺めることが出来るのようになっているのだ。子ども時代の早苗は、親戚の家で寛ぐような気軽さでご神体の前に寝そべり、寝転んだまま絵馬を眺めていたものだった。今思い返してみると、自分でもつくづく不信心な子どもだと思う。

 駆け足で神社へ向かった早苗は、お参りすることも忘れて放り投げるように靴を脱ぐと、自分もまた神社の中へと上がった。

 中に入るなり、ご神体の前で、早苗に気付くこともなく熱心に一つの絵馬を眺めていた啓介に、飛びつくようにそのまま後ろから抱きつく。


「…聞いてよ、啓介…さっきのお婆さんさ…」


「――ねぇ、さっちゃん」


 だが、そのまま続けようとした言葉は、啓介によって遮られた。


「俺よく知らないんだけど…冥婚って、実在の人間って使っちゃいけないんじゃないの?死んだ人のお嫁さんになるわけでしょ…?」


 吐きだしかけた言葉を遮られ内心ショックを隠せなかったが、啓介の声音があまりに真剣だったため、早苗は文句を口にすることもなく、静かにうなずいた。


「…そりゃ、そうだよ。生きている人を冥婚で使うと、そのまま死者にあの世に連れて行かれるって言われてる。冥婚の花嫁は想像上の女性。生きている実在の人間を使うのは、絶対のタブー」


「だよね…でもさ、これ」


 啓介が震える指で、先程まで見つめていた絵馬を指差した。その指につられるように、早苗の視線も、自然に絵馬へと向く。

 婚姻の様子を絵で描かれているものが多い中で、その絵馬は珍しくカラー写真によって作られていた。

 写真に写っているのは、ドレスが主流の最近ではあまり見られなくなった、裃と白無垢といった、純和風の衣装を身に纏った男女の結婚式の光景。婚姻絵馬の意味さえ知らなければ、単純に結婚式の記念写真を並べたようにも見える。

 だけど問題は、写真の中に写っている、二人の顔だった。


「これ、さっちゃんじゃないの…?この、白無垢着た、花嫁さん」


 写真の中では、高校時代の早苗と、早苗が記憶しているよりも幾分成長した翔太が、幸福そうに微笑みあっていた。


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