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死人の花嫁  作者: 黒井雛
11/33

十一

 自らの叫び声で、早苗は目を醒ました。

 見慣れぬ部屋の景色に、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなり、暫く考えてからようやく実家に戻ってきているのだという事実に思い当たる。

 全身が汗で濡れていて、喉がからからに乾いていた。


(何であんな夢を…)


 いくら久方ぶりに実家に戻ってきて、眠る直前に翔太のことを考えていたからと言って、それにしてもどうして今さらあんな夢を見たのだろう。

 結婚の約束なぞ、何も分からなかった幼い頃の戯言であったし、だいたい早苗は翔太の現状も知らないのだ。翔太の年齢だったら、もうとっくに結婚して子どもがいたとしてもおかしくないのに。

 早苗は荒い息を整えながら、自分自身の体をかき抱いた。腕にはぽつぽつと鳥肌が立ち、酷い悪寒がする。

 たかが、夢。それなのに、なぜ自分はこうも動揺しているのだろう。

 湧き上がるどうしようもない程の恐怖感と不安は、一体何なんだ。


「…啓、介」


 不意に啓介に縋りたくなって、そんなのはただの夢だよといつもの笑みと共に言って貰いたくなって視線を巡らせるも、部屋の中に啓介の姿は無かった。途端に、胸の内の不安感は一層膨らみ、早苗は泣きそうになりながら立ち上がった。

 途中、布団に足を引っかかり転びそうになるが、そんなことは構ってられない。


「…啓介…啓介…啓介」


 茶の間を後にして廊下に出ても、啓介の姿は無い。一体どこに行ってしまったのだろう。

 早苗はまるで迷子の子供の様にきょろきょろと視線を彷徨わせながら、母親がいるであろうリビングへ向かった。


「…啓介」


「なあに?」


 リビングの扉を勢いよく開けた瞬間、ソファに寛ぎながら新聞を読んでいた啓介が目に入り、早苗は安堵で胸を撫で下ろした。


「おはよう。さっちゃん。良く寝てたから起こさなかったよ。朝ごはんも先に頂いちゃった」


「そう…おはよう」


 いつもの啓介の気が抜ける笑みを見た瞬間、早苗は冷静になった。たかが悪夢を見たくらいで小さい子どもでもあるまいし、自分はどれほど動揺しているんだ。馬鹿馬鹿しい。

 昨日久々に両親と再会して和解できたことで、知らず知らずのうちに精神が不安定になっていたみたいだ。いい大人が、恥ずかしい。

 早苗は小さく溜息を吐くと、啓介がテーブルの前に置いていた呑みかけのコーヒーを口に運んだ。


「…甘い」


「…勝手に人のコーヒー飲んでおいて、第一声がそれってなくない?」


「相変わらず砂糖とミルクたっぷり入れるね。まぁ、たまにはいいかな。貰ってあげよう」


「何その上から目線。フェミニストな俺でも、ちょっとさっちゃん殴りたくなった」


 普段はブラック派の早苗であるが、今の精神状態に甘いカフェオレはちょうどいい気がした。

 唇を尖らせて抗議する啓介の言葉を無視して、そのまま残りのコーヒーを飲みほした。


「お父さんとお母さんは?」


「お義父さんは仕事。お義母さんは夕方まで用事があるとか言って、さっき出かけていったよ。こんなことならちゃんと休日に来れば良かったね。お義父さんのお休みに合せて」


「あー…でもしょうがないよ。正直お父さんたちがどんな反応するか分かんなかったし。もし拒絶される場合、やっぱりお母さんとだけしか会わない平日の方がリスク少ないし…でも啓介一週間くらい有給取っているんでしょう?」


「うん。まあね。二人とも好きなだけいてくれていいって言ってくれてたし、お言葉に甘えて日曜まで泊らせてもらおうか。そうしたらさっちゃん、お義父さんともゆっくりできるでしょう」


 早苗はコーヒーを片手に啓介の脇に座って、そのまま体重を預けた。冷静になったはずだったが、それでも肌で感じる啓介の熱にホッとする。


「重いよーさっちゃん。」


「男ならこれくらい耐えるべし。女の体重も支えられない男なんて、最低だよ。うん」


 時計を見ると、既に十時を回っていた。随分寝過ぎたものだ。とっくに父親が仕事に出ているはずである。

 早苗は湧き上がってくる欠伸を噛み殺した。家出をしてから、すっかり朝は弱くなってしまった。なんせずっと、昼夜逆転生活を送っていたのだ。体に染みついてしまった習慣はなかなか消えてくれない。


「で、啓介、今日はこれからどうする?良かったらこの辺りの散策でも…って、鍵がないか」


「あ、鍵ならお義母さんから預かってるよ。出かけるなら、入れ違いなるといけないから、そのまま郵便箱に入れて置いてくれって」


「…不用心だなぁ。相変わらず」


 キーホルダーが付いた鍵をくるくると回す啓介の姿を横目に見ながら早苗は眉間に皺を寄せた。

 田舎程セキュリティに対する意識は弱くなるものだが、10年前に近所から執拗な嫌がらせを受けていた割にそういう危機意識は育ってないのかと思わず頭を抱えてしまう。郵便箱に自宅の鍵を置いておくなんて、早苗が家を出る前の習慣と変わらないではないか。

 しかし、そんな早苗に啓介は小さく首を横に振った。


「――さっちゃんが、いつ帰ってきてもいいように、だって」


「?」


 意味が分からず目蓋ををしばたたかせる早苗に、啓介は優しく笑いかけた。


「万が一お義父さんやお義母さんがいない時にさっちゃんが帰ってきても、いつでも家の中に入れるように、さっちゃんが家に出る前と同じように鍵を管理してたんだってさ。不用心だって俺も言ったんだけど、ここまで続けたら、もう今さらだってお義母さん、笑ってた」


「…っ!!」


 告げられた真実に、早苗は思わず言葉を呑んだ。

 自分は、本当に何も分かっていなかった。昨日理解したつもりでいたけど、それでも全然理解しきっていなかった。

 自分がどれほど両親から愛されていたのか、両親がどれほど自分の帰還を待ち望んでいたのか、理解していなかった。

 そう思うと、胸が締め付けられた。

 家を出たこと自体に後悔はない。あの時は、きっとあの行動が最善であったし、家を出なければ自分は遠くないうちに自ら命を絶っていただろう。

 だけど、10年もの間両親は自分の安否も分からずに、後悔と不安に苛まれて過ごしていたのだと思うと、何故もっと早く両親に連絡をしなかったのかと、ひたすら悔やまれた。


(10年間家に帰れなかった分、これから両親に親孝行していこう。貰った愛情の分を、これから返していこう)


 早苗は込み上げそうになる涙を堪えながら、胸の奥でそっと決心した。



 早苗の生まれた地域は突出した歴史もないただの田舎で、観光客が喜ぶような観光スポットのような場所はない。

 だけど早苗は東京に出てから初めて、何もないとばかり思っていた故郷に、日本全国でも珍しい独特な慣習があることを知った。


「【婚姻絵馬】?」


「そう。この近くの小高い神社の境内にたくさん飾ってあってね。多分他の地域の人が見たら面白いんじゃないかな。ほら、民族的な資料?みたいな感じでさ」


 早苗の郷里にある独自の慣習――それは、未婚で死んでいった死者を絵馬の中で婚姻させる、【婚姻絵馬】と呼ばれる冥婚の慣習だ。

 内容は至ってシンプルで、死者の似姿と、架空の花嫁の姿を絵馬に描き、寺院に奉納する、ただそれだけの慣習だ。昔は「男児は結婚してこそようやく一人前」という思想が一般的だったらしく、せめて絵馬の中で結婚させて一人前にしてやりたいという親心が所以だと言われている。

 民俗学的な知識なぞろくにない早苗は、それ以上の詳細は知らない。早苗にとっての婚姻絵馬はそんな学術的なものではなく、ただ単に「見ていて綺麗なもの」であった。

 まだ冥婚が何たるかも知らない幼い頃、早苗は婚姻絵馬を眺めるのが好きだった。色鮮やかに様々な絵柄で描かれた和装の花嫁の絵は、早苗を魅了し、翔太が捕まらずに一人遊びを余儀なくされた時なぞ、何時間も一人で神社にいて絵馬を眺めつづけたものだった。

 ある時絵馬の由来を聞いて、婚姻絵馬を「なにか怖いもの」と認識するようになってからは、ぴたりと近寄らなくなったが、中学生くらいになって恐怖心が薄れると、時折思いついたかのように神社に絵馬を眺めに行っていた。

 幼い頃の「好き」は、それくらい強烈に早苗の胸の中に鮮やかに根付いていた。

 東京に行ってからはすっかり存在を忘れていたのだが、ふと思い出したら久しぶりに見たくなってきた。せっかくだから啓介にも見せてやりたい。きっと、啓介も綺麗だと共感してくれるだろうから。


 早苗はあまり興味がなさそうな啓介を連れ出して、すぐ近くの神社へ向かった。


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