チョコレート大作戦(リックスさんとライドさん)
「つ……作って、しまった……」
赤毛の青年が自宅のキッチンでうちひしがれたような声を出す。目の前には可愛らしい箱に入ったチョコレートブラウニーがあった。
青年――ライドが壁にかかったカレンダーを見る。今日は2月13日の夜。明日は2月14日。
そう、バレンタインデーだ。
「っ、でも……! 男からチョコレートって……!!」
しかも、年下の、女子高生に!
けれどだからといって、そのチョコレートブラウニーを自分で食べる思いきりさえない辺りが、ライドがライドたる所以であった。
◇
バレンタインデー当日はどこも浮き足立っている。花神楽高校も例に漏れず華やかな雰囲気に包まれており、頬をそめて登校してくる女子生徒やソワソワと落ち着かない男子生徒を見てライドは自然と頬が緩んだ。
廊下で稀にチョコレートの投げ合いが行われているのもこの学校ならではである。
たとえ恋する人間の一大イベント当日であっても、社会人なら当然仕事があるわけで、ライドは今日も今日とて購買部の仕事にとりかかった。せわしなく動く彼の私物入れの中には昨日の夜作ったチョコレートブラウニーの箱が入っており、結局彼もバレンタインデーにそわそわと落ち着かない恋する人間の1人であった。
遠巻きに彼を見ていた生徒達が
「……とうとう告白するのか……?」
「あの荷物に入ってるラッピング、チョコレートだよね?」
「あの包装、俺この前100均で見たぞ」
「じゃあ手作りなんだ……」
「告白するんだ……」
などと囁きあっていたのだが、ライドは仕事に追われかつ緊張していため、気づかないままだった。
彼の意中の人は花神楽高校三年生の女子生徒、リックス・ウェグレーだ。現役ファッションモデルとして華々しくはないものの活動している彼女はスタイルもよく可愛らしい。それだけならファンやライドのように片思いする人間であふれかえりそうなものだが、購買部のお兄さんことライドがあまりにも解りやすく一途なため、花神楽生徒の大半がいわゆる『見守るモード』に入ってリックスへのアプローチはしないという無言の誓約が交わされていた。
故にバレンタインデー当日、めったに購買部に来ないリックスがライドの城へやってきたのは、まあ周囲の努力のたまものというか、『偶然バレンタインデーにお弁当を忘れてしまったので買いに来た』という、お察し下さいな理由によるものであったりする。
その日はちょっと大変だったよ、と、後にリックスの住まうアパートの管理人、白井裕樹は笑顔で語った。
「なににしようかなー」
「あっ、り、リックス、ちゃん! めずらしいね!」
「そうなんですよ。ちょっとお弁当忘れちゃって」
耳まで真っ赤にしらライドが操り人形もかくやというぎこちなさでリックスに話し掛けると同時に、昼時の購買部から人がいなくなるという超常現象が起こった。
まばらにいる人間がチラチラとライドを見ている。購買部の外には不自然なほど人が歩き回っていた。
「あっ、や、やきそばパンとか人気だけど、どうする?」
「んー、じゃあそれひとつください! それとからあげ」
「はい、わかりました」
ライドの目線がチラチラとバックにいき、周囲の人間の目線もチラチラとライドのバックに行く。笑顔でなにも気づいていないのはリックスだけである。
「お会計500円です」
「千円で大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。おつり、500円です。ありがとうございました」
真っ赤な顔のまま仕事を終えたライドは、結局始終バックをチラチラ見るだけで最後には顔を赤くしたままリックスに手を振り、イベントが終了した。
その瞬間、今まで引いていた人混みが嘘の様に購買部が混雑しはじめる。
「おい、告白しなかったぞ」
「なぜだ。ここまでおあつらえ向きなシチュエーションを用意させておきながら解せぬ」
「人がいたからいけなかったのか」
「無人にしたらそれはそれで渡しづらかろうて」
「なんと、なんと解せぬ生き物なのじゃ」
おそらく違う世代の人間が何人か混じっていると思われる囁きは、自分のことで手一杯のライドにはやはり聞こえていなかった。
◇
「で、結局それ以降購買部にリックスを差し向ける方法がおもいつかなくてな」
「お前らそんなアホなことしてやがったのか。俺が屋上でサボってるあいだに」
「みんななんかヒソヒソ話してるとおもったらソレだったんだね。新手のモールス信号かと思ったよ」
「モールス信号は声出さねぇぞノハ」
メゾン・ド・リリー。ノハの部屋。今日も今日とて集まっていた暇人の西野隆弘とテオ・マクニールは酒などたしなみつつこたつでくだを巻いていた。
「これではあのヘタレ赤毛、リックスが卒業するまでに告白もなにもできないかもしれぬ」
「人の心配するまえにテメェは自分がビシッと決めろよ」
「うるさいでござる」
隆弘とテオの会話を横目に、ノハはのんびりと本を読んでいる。いつものことだった。
隆弘がタバコを灰皿に押しつけたので、テオがのろのろと窓を開ける。風が吹き込んできてとても寒かったが、換気しなければ臭いがこもってバレてしまう。ノハがこたつにはいったまま周囲にファブリーズをまき散らしていた。
換気のついでに窓の外を見下ろしたテオは、やたらと群生するタカサゴユリの茶色のなかに見覚えのある赤毛を見つける。
先程話題になっていた購買部のお兄さん、ライドだ。
「あいつこんなとこでなにやってんだ」
テオの声に反応して隆弘がこたつから抜けだしてきた。ノハも窓の外をのぞき込む。
ライドは相変わらず赤い顔をして、緊張した様子で周囲を見回していた。手には綺麗にラッピングされた箱を持っている。
テオが感心したような声をあげた。
「なんだあいつ、自力で渡そうとする気概があるのか」
ノハはわかっているのかいないのか、暢気にあ、と声をあげた。
「リックスが帰ってきたよ」
「キタコレ! 神がかったタイミングでござる!」
◇
「あれ、ライドさん。どうしたんですか?」
背後から思い人の声が聞こえて、ライドは慌てて振り返った。咄嗟に、手に持っていた箱を背中に隠す。
「いっ、いや、ちょっと用事があってね!」
「そうなんですか? 珍しいですね」
「いや、こ、この前、ここの白井さんと偶然お話して、それで、たまに話すんだよ」
なんだかちょっと日本語が崩壊している。ライドは顔から火が出る思いだった。
リックスは首を傾げる。
「そうなんですか! じゃあ、大家さん呼んできましょうか?」
「あっ、いや、いいんだ! 大した用事じゃないし!」
「そうですか? 耳真っ赤ですよ? けっこう長い間外にいたんじゃないですか?」
「い、いや! そんなことないよ! り、リックスちゃん、今帰り?」
「そうなんです。ちょっと遅くなっちゃって」
「大変だね! リックスちゃんも耳真っ赤、だから……はやく家に入ったほうがいいんじゃないかな?」
「ん、そうですね……ライドさんも、外には長い間いないほうがいいですよ!」
「そうだね、そうするよ!」
◇
窓から2人の会話を聞いていたテオが声をあげる。
「おいリックスが帰るぞ! あのバカなにやってやがる!」
興味がなさげだった隆弘もいつのまにか窓から身を乗り出していた。
「聞きしに勝るヘタレだなおい!」
リックスがライドに背を向けたので、テオが溜まらず叫んだ。
「隆弘、間に合わん!」
隆弘がテオの首根っこをひっつかみ窓枠に足をかける。
「しょうがねぇな!」
そうして2人はそのまま窓から飛び降りた。
◇
ドンッ、と重い音がしてリックスが振り返ると、ライドの真横にテオを抱きかかえた隆弘がいた。中腰になり、地面に片膝をついている。テオはいわゆるお姫様だっこの状態で抱えられていた。真横のライドが心底驚いた顔をしている。リックスは、無理もないと思った。
「……2人とも、どうしたの!?」
リックスが声をあらげると、テオがヘラヘラと笑い片手をあげる。
「ようリックス。久しぶりだな」
「今日あったばっかりよ」
「そうだっけ? まあいいや」
「大丈夫? なにかあったの?」
「いや、なにもない。ちょっとアレだ、散歩に出ようとおもってな」
隆弘もテオも靴下の状態だ。音からしても、ノハの部屋あたりから飛び降りたので間違いない。それで散歩はいささか無理がある気がした。リックスが見上げると、ノハが暢気に手を振っている。
リックスが胡乱げにテオと隆弘を見ると、隆弘は素知らぬ表情で目線をそらし、テオは緊張感のないヘラヘラ笑いをさらに深めた。
「いやあ、ところでライド! その手に持っている箱はなんでござるか?」
「えっ! こ、これ!?」
「もしや我への貢ぎ物ではなかろうか。それ、近う、近う」
テオの言葉に、隆弘がため息をつく。
「いつの時代の人間だよお前」
リックスはといえば、家に戻ることもわすれて目の前の珍騒動を見守ることに必死だった。
テオに手招きされたライドが必死に首を振っている。
「いや、これは! 違うよ! あげないよ!」
「しかしそんなに綺麗にラッピングされているからには、だれかにやるつもりだったんだろう?」
ぐっ、とライドが言葉に詰まった。それからソワソワと落ち尽きなくなって、しきりに視線をさ迷わせる。
それが数十秒続いたため、隆弘が眉を顰めた。彼は上を見上げてノハに手を振ると、声を大きく張り上げる。
「おいノハ! こたつの上のみかんよこせ!」
「いいよー」
能天気な声が聞こえて、ノハがみかんを放り投げる。片手でそれを受け取った隆弘は、流れるようにそのみかんをリックスへと放った。半ば茫然としていたリックスはあわててみかんを受け取る。
「な、なに?」
彼女が首を傾げると、隆弘はテオをお姫様だっこしたままフウ、と軽いため息をついた。テオは彼の腕の中でなにを思ったかロ○ラのサイレントモノマネをしはじめている。
「いや、モデルの仕事と学校の両立は大変だろうと思ってよ。お疲れ。それでも食って元気だせや」
「う、うん、別に元気がないわけじゃないけど……ありがとう、受け取っておくわ」
ライドがバッと顔をあげた。なにかひらめいたような顔だ。
「そっ、そうだ! リックスちゃん! この前雑誌みかけたよ! 表紙だったよね! 特集ページにも載ってたし! 綺麗だったよ!」
「見てくれたんですか!? ありがとうございます!」
載っていたのはティーン向けの女性誌だが、知り合いが載っているからと買ってくれたのかも知れない。リックスは素直にお礼を言った。純粋に、自分の仕事を褒められるのは嬉しいモノだ。
ライドはそれから一瞬視線をさ迷わせると、テオの指摘したラッピングの箱とやらを、リックスの前に突き出した。
「それで、あの! いつもお仕事お疲れ様! 疲れてる時はチョコレートがいいって言うよ!」
ライドの早口に、リックスがパチクリと瞬きをする。
「くれるんですか?」
「め、迷惑じゃなければ……」
「迷惑だなんてとんでもない! 嬉しいです! ありがとうございます!」
ライドの顔が更に赤くなった。それから彼は人に懐かない野良猫もかくやという動きでリックスたちから距離をとる。
「じゃっ、じゃあ、これで! ま、また学校でね!」
ザザザザザ、と音がしそうなくらい素早く去っていたライドを見送り、リックスはあらためてもらい物の箱をみた。
「でもこれ、バレンタイン用のラッピングよね……」
テオがニヤニヤと笑い始める。隆弘が彼の頭を軽く小突いた。それから彼らは、用が済んだとばかりにアパートの階段をのぼっていく。
「本当は誰にあげるつもりだったのかしら……」
階段の途中でテオと隆弘が盛大にこけた。