3月14日の花(隆弘とリリアンの話)
朝、学校に登校してきた隆弘が下駄箱をあけると上履きの上に黄色いチューリップが置いてあった。
隆弘の動きが一瞬止まり、異常を察したらしいテオが下駄箱をのぞき込んでくる。
「OH……けったいなモンおくられたな」
うっかり地の言語が出たテオが顔をしかめた。隆弘はなんとか頭脳を再起動することに成功し、テオの言葉に
「ああ」
とだけ答える。テオは炎のようにギラギラ光る目を少しだけ動かし、隆弘を捕らえた。
「心当たりは?」
「1人しかいねぇだろ」
「花ちゃんか」
「ああ」
リリアン・マクニール。
かつて後藤花子と名乗っていた名残で、生徒の大半には後藤さんやら花ちゃんやらと呼ばれている。
隆弘は今まで必死に彼女にアプローチしてきたが、ここまでハッキリとした拒絶をされたのは初めてだ。思わず目眩がしたが、この程度でへこたれているようではどのみち難攻不落の腐女子校長を攻略することなどできはしない。
「だが、花ちゃんが言い寄る人間をハッキリ拒絶するのは初めてだな。いつもはノラクラ誤魔化す方向なのに」
「言うなよ」
◇
ホワイトデー当日の3月14日、花神楽高校はバレンタイン同様浮き足だった雰囲気に包まれていた。放課後に至るもその雰囲気は未だに持続されたままである。校長であるリリアンは鼻歌交じりに仕事をしながら、ホワイトデーにかこつけ白い体液にまみれた男性同士の妄想などにいそしんでいた。
脳内の本番生中継に3人目のダークホースが乱入したところで、校長室の扉がガラリと開く。
かなり視野の狭くなっていたリリアンは驚いて思わず声をあげてしまった。
「うっわぁうっ!」
大きく肩を揺らして奇声を発したリリアンになにも言わず、物音の主が部屋に入ってくる。
「ジャマするぜ」
3年の西野隆弘だ。表情がいつもより幾分か暗い。まあ当然か、と思ったリリアンは、胸に鈍い痛みを感じながらも極力いつも通りのふざけた声を出す。
「どうしたんですかー! もう放課後だぞ、用がないなら帰りなさい」
「用ならあるぜ?」
既に成人男性以上の背丈をもつ高校生が、校長室の机に向って腕を振る。リリアンの目の前に、軽い音をたてて生花が落ちた。
赤いチューリップ。
リリアンは思わず、眉をひそめた。
「……懲りないね、お前も」
「懲りたら、そこで終るだろうが」
「時間の無駄だよ。若い子ならもっと未来見据えて生きなさい」
「あいにくだが、俺の未来は俺が決めるぜ」
リリアンが大仰にため息を吐いてみせる。隆弘は黙って机に歩み寄り、ズボンのポケットから小さな小箱を取り出した。綺麗にラッピングされている。
リリアンは眉を顰めたまま、テーブルの上の小箱を隆弘に向ってつきかえした。
「うけとれません。教師ですから」
「別に指輪やらネックレスってわけじゃねぇぜ」
「なんにしても、受け取る理由がない」
「おいおい、ホワイトデーにチョコレートくらい貰ってくれてもいいんじゃねぇのか?」
リリアンが仕事の手を止めた。彼女が目の前にいる男の顔を見ると、コバルトグリーンの目が少し寂しそうに笑っていた。
「チョコレート。なんなら値段もいってやろうか? 980円だ」
「高っ! こんなちっちゃくて980円もすんの!?」
「高くはねぇだろ。チョコなんてだいたいこんなもんじゃねぇのか」
「アンタの金銭感覚が一般と同じだと思ったら大間違いだよ、クソボンボンが」
隆弘が笑ったまま小箱を押しつけてきたので、リリアンも必死に押し返そうとする。向こうも意地があるらしく、そもそも力の差が歴然としているため結局押し負けてしまった。
「あんた誕生日9月だろ。誕生石チョコレートって知ってるか」
「ああ……朝のテレビでやってた……バレンタインの時に……」
リリアンが隙をみて小箱を押し返そうとしても、隆弘はすでに机から距離を取ってしまった上ポケットに手を突っ込んでいる。無理やりにでも渡すつもりのようだ。
綺麗にラッピングされた小箱を見つめたリリアンがもう一度ため息を吐き、言う。
「なんにしても、受け取る理由がないよ。私アンタにバレンタインデーのプレゼントなんかあげてないでしょ」
「バレンタインデーには貰ってねぇな。俺がやったから」
「バレンタインデー以外にも西野になんかあげた覚えはないよ」
「隆弘だ」
リリアンがまたため息を吐く。男は切れ長の目で真っ直ぐにリリアンを見つめていた。
「俺は、貰ったぜ。アンタから」
窓から西日が差し込んでくる。学校内は嫌に静かで、リリアンがふと顔をあげると真剣な顔の男が、いつのまにかすぐ近くまで近づいてきていた。
男が机に両手をつき、グッと身を乗り出してくる。顔と顔がぶつかりそうなくらいの至近距離でリリアンは思わず息を呑んだ。
「なにを……貰ったの」
私はアンタになにをあげたの。
震える声が虚しく部屋に反響する。
隆弘の眼光は鋭く、見ただけで焼けてしまいそうな熱を孕む。
「人生」
至近距離で囁かれて、リリアンの胸が大きく上下する。
「はっ」
彼女は笑おうとして失敗した。口元が歪な形になる。
「そういうことは母さんにでもいってやりな」
「お袋に貰ったのはこの身体だ。アンタには人生を貰った。中学2年の時に」
隆弘がリリアンの肩に手を置いた。強い力だったが、痛みはない。
「あのままだったら俺は腐って、ロクな人生歩いてなかっただろうぜ。そんな俺を、ここまで引き戻してくれたのはアンタだ。俺はあの時、生まれ変われた。アンタのお陰だ」
隆弘の顔がさらにリリアンに近づく。顔をそらそうとしても肩を掴まれていて一定以上動けない。結局彼女は首だけを仰け反らせる結果になった。
「……私がいなくたって、アンタだったら、立ち直れたはずだよ」
「いや、アンタのおかげだ」
夕陽が隆弘の目に反射している。濃い影が落ちた顔はひどく張り詰めた様子だ。
「だから俺は、絶対諦めないぜ。たとえ『実らぬ恋』でもな」
リリアンが、大きく息を呑む。
隆弘がギリッ、と奥歯を噛み締めた。
「何度だって宣言してやる。俺の愛は、永遠だ」