SCARLET AVENGER 4
真紅の影が荒野を行く。揺らめく陽炎。果てなき道程。
彼女の旅が終わることはあるのだろうか。
焼けつくような熱砂を彼女は進む。
やがて見えてきたのは、大きな街の姿であった。幻影ではない。長い日数を、地獄のような熱砂で過ごし、食料も水も尽きかけていた。彼女が常人以上の精神と肉体を持っていたとしても、流石に休息は必要だ。
それに、と思い、彼女は城壁に囲まれた街を見上げた。
この街は、彼女を待っていたかのようにそこにあった。彼女は微かに感じていた。
自分を呼ぶ、何者かの声を。
真紅のフードと、同色のローブを羽織り、彼女は街を歩く。
街の中はテントの露店が並び、煉瓦の建物がそこらに建っている。太陽による肌やけを防ぐためか、多くの人が身体を布で覆っている。子供たちは服を脱いで、近くの噴水で遊んでいる。地下水脈を掘り、井戸として使っているらしく、それによってここは地獄のような熱砂の中のオアシスとなっているようだ。
街の中心には、煉瓦で作られた巨大な灯台があった。遠くから見た時、蜃気楼のように感じたそれは、実際に下から見るととても大きかった。
彼女は露店を物色しながら宿屋を探す。
時折、男たちの視線が彼女を捉えた。フードの下からちらりと見える美貌に、若い男も年老いた男も振り向かずにはいられない。それに、女の旅人は珍しい。行商人はたいてい男だし、女はこの町に住んでいるものくらいしかふつうはいない。珍しい客人に、住人達は興味を示していた。
彼女は男たちに目を合わせるとニコリと笑う。妖艶な美女の笑みに、男たちはまるで初恋をした少年のように顔を真っ赤にしていた。
彼女は露店の老婆に買い物のついでに宿を訪ねた。人好きな老婆は宿屋の場所を教えると、果実をサービスしてくれた。
「これは?」
「マラックの果実さ」
老婆はヒョウタンのような青い果実を彼女に渡して言う。砂漠に実る果実で、砂漠を旅する者の貴重な水分になるそうだ。この周辺の動物たちもこれを食べているらしい。
砂漠の民の知恵でより食事に適したものとして品種改良されているらしい。
彼女はそれを定価より安く買うと、歩きながらひと齧りする。思ったよりも歯ごたえはよく、瑞々しい。
若干甘すぎるが、満足できるものであった。数日間六に呑まず食わずだったため、有難かった。
宿屋についた彼女は寝台に寝そべる。さすがに宿屋の中では日差しもないので、フードをかぶっていると不快感しか感じない。
フードを脱ぐと、豊かな紅い髪が出てくる。続いて彼女は厚手の深紅のローブを脱ぐ。
ローブを脱いだ彼女は薄いネグリジェ姿になると、その魅力的な身体を寝台に倒し、寝息をつき始める。
熱砂の中ではろくに眠れなかった。近くに感じる獣や蟲たち。彼らを警戒して常に意識は覚醒していた。
眠り、というには浅すぎるそれだけで彼女は数日間過ごしていた。
思えばどうしてここにいるのだろう。
故国を離れ、他国に行こうと思ったのは、なぜだったろう。
思い出すのは、故国にいる自分の子供たちや親友のことばかり。
だが、血に塗れ、復讐を欲する彼女には、それはあまりにも眩しすぎる。
影に生き、弱者を虐げる者たちを裁く。そんな独善的な行為を、彼女は求めてやまなかった。
誰かが彼女という存在を、復讐を求める限り、闘い続けるだろう。そう思ってさえいた。
眠りに落ちていく彼女の脳裏に、あの日の出来事がありありと蘇ってくる。
自分の運命が完全に変わったあの日を、そして、それからの自身の生活を。
眠りについたはずの彼女の意識は唐突に覚醒した。
目を見開いた彼女は、暗闇の中、自身に覆いかぶさるように馬乗りになっている男を見た。
その後ろには数人いるようだ。
男は彼女の薄いネグリジェに手を駆け、それを引き千切ろうとする。
彼女は男の目を見た。男の目はうつろで、何も映ってはいない。あまりにも空虚であった。
(催眠か、そう言った薬か)
そう思った彼女は、太腿に装着されていたナイフから手を放すと、枕元に置いていた袋を掴み、それを男の顔面に吹きかける。
男はごほごほ、とせき込む。そうして力が抜けた瞬間に、男の腹部を思い切り蹴り上げ、男の意識を刈り取る。
そして残る三人の男たちに向かって、小さな針を投げつける。それは男たちの眉間に刺さったかと思うと、男たちは即座に気を失った。
彼女は男たちの様子を見る。死んではいないようだ。
男たちの様子から、どうやら彼らはただ操られただけのようだ。
彼女は色々と怨みを買っているが、こんな砂漠の町で怨みを買った覚えはない。
街の有力者が、愛人にでもしようと思った、というには手が込んでいた。
彼女は薄いローブを羽織り、部屋を出る。すると、ほかにも数人の人影があった。それは宿屋の主やその家族で、女性も交じっていた。
彼らは彼女を見るや否や、襲い掛かってくる。彼女は彼らの攻撃を華麗なステップでかわすと、手刀でその意識を奪っていく。
最後の主人を気絶させると、彼女は宿屋の窓から外を見る。
外には、やはり虚ろな目の人々がいた。
(なんなんだ、この街は?)
不可解な状況に、彼女は首をかしげる。昼間の街の様子からは考えられない光景。一体、この街に何があるのだろうか。
そう思っている彼女の耳に、何かが割れた音が響く。どうやら、宿屋に侵入してきたようだ。
彼女は自身の仕事道具を手に取り、深紅のフードをかぶると、窓を破って外へと飛び出す。
人々は彼女を見た。二階から飛び降りた彼女は何かを放つと、近くの塀にしがみつく。何やら細い糸のようなものを使い、しなやかに地に降り立つと、俊敏に闇にまぎれる。
闇夜に消えた美女を探して、人々は松明を片手に歩き回る。
その中には、昼間の露店の老婆さえいた。
(集団催眠?いったい、だれがこんなことを・・・・・・・・)
そもそもこんなことをして一体どうなるというのか。
彼女は疑問に思いながらも、一刻も早くこの街を出ようと思った。
次第に彼女は追い込まれていった。
彼女は確かに女性とは思えぬ動きと、武器を持っていた。だが、彼女のその力は罪人に行使されるものであり、罪なき者に行使するべきものではないのだ。
最初は殺傷能力のない武器しか使っていなかったが、さすがにそれも底を尽きてしまった。
体術だけでこの場を乗り切るのは不可能に近かったし、街の外に出る門は、重く閉ざされており彼女の力だけでは開けられなかった。
彼女と言えども、催眠術は使えないし、それを解除することもできない。
催眠術で操られた人々は、着実に彼女に迫ってくる。
彼らは彼女を殺すための武器を持っている。
槍や剣、斧。迫りくる彼らは罪の意識もなく彼女を殺すだろう。
一方の彼女にそれはできない。
彼女は強い。彼女はそれゆえに多くの悪を裁いてきた。彼女は悪を畏れなかったし、悪を倒すために悪を受け入れた。
彼女が恐れるのは、罪人ではない。本当に恐ろしいのは、罪なき人々なのだ。
彼らを傷つけることを、彼女は恐れていた。
だから、彼女は支配者であろうとはしなかった。支配者として、人を縛ることを恐れた。
だから彼女は、故国を去り、孤独な旅を続けてきたのだ。
そんな彼女をあざ笑うかのように、人々は迫ってくる。
逃げ続ける彼女を、人々が追いかける。
状況の打破のために、彼女は考える。
きっと、この事態を引き起こしたものは、この近くで事の始終を見ているはずだ、と。
彼女は街の中心にある灯台を見る。
(観察者を気取ってあそこにいるな)
彼女はそう考えると、灯台に向かって走る。
灯台から彼女を見る、異質な視線を感じ取った。好奇の視線、それも並々ならぬ。
闇を駆け抜ける彼女を、誰も止めることはできない。彼女は獲物に向かってただただ進む。
この悪夢のような夜を終わらせるために。
長い階段を彼女は駆けあがる。
なぜかは知らないが、灯台には人の影はなかったし、彼らも近寄っては来なかった。
観察者が何を考えているかは不明だが、もはや進むしか道はなかった。
そうして彼女が灯台の頂上にたどり着いた時、夜の闇は朝日によって次第に薄れ始めていた。
朝日に照らされた灯台の頂上には、若い男が腕を組んで立っていた。近くには下の様子を見るためのものだろう。レンズのついた眼鏡のようなものが置いてあった。
「ようこそ」
男はそう言い、彼女を見る。蒼い髪で、右目は髪で完全に隠れていた。銀色の左目は、知的で鋭利な光を宿らせていた。長身で非常に整った顔であり、どこか高貴さを感じさせる。
「あなたがこの事態の黒幕かしら?」
彼女は疲れを微塵も感じさせずに行った。
「ええ」
男は静かに頷き、口元に笑みを浮かべる。
「すべては僕の実験です」
「実験?」
不審な顔で彼女が問い返すと、彼は満足げに頷く。
「ええ、実験です」
「何の?」
「『VENGEANCE』、あなたの実験です」
男はそう言うと、彼女に接近する。足音も立てずに彼女に自身の手刀を打ち込む。
彼女はそれを自身の左手で受け止める。そして、襲い掛かる痛みに、顔を顰めた。
「さすがですね!それでこそ、研究のし甲斐がある!」
「・・・・・・・・・っ」
彼女は太腿からナイフを抜くと、男に向かって投げつける。男はそれを予想したかのように躱した。
「あなたのことは色々と知っていますよ。数年前の革命のころからね」
そう言うと、男は知性的な顔に怪しげな笑みを浮かべる。
「僕はあなたという存在に興味を抱きました。そしてこう思ったのです。このような人物でも、恐怖するものがあるのか、と」
「私に恐れなどない」
「いいえ、ありますよ」
そう言い、にたりと彼は笑った。
「あなたは恐れている。いまだにあなたは忘れられないのですよ、あなたを犯した男たちを」
穏やかな声で彼は言う。
「あなたは恐れている、そんな男たちと同じ存在になることを。だからあなたは復讐者という理由をつけて、そうならないようにしている」
でもね、と男は笑う。
「結局、あなたも彼らと同じ殺人者でしかない。ただの偽善、自己満足」
彼女の蹴りが男を襲う。男は右手でそれを受ける。そして彼女の足首を掴み、バランスを崩そうとする。
彼女はありったけの力でそれを引き離す。
「でも、そんなあなたを僕は受け入れてあげましょう」
「気持ちの悪い男ね」
「ふふ、ひどいなあ」
男は傷ついた、と思ってもないことを言う。
「私はね、あなたを手に入れたい。強い、だがそれ以上に脆いあなたをね」
そう言い、彼女の肢体を抱きしめる。抵抗しようにも、異様に強い男の力に、彼女もなすすべはなかった。
「さあ」
そう言い、唇を重ねようとした男は、そこで一瞬止まる。しかし、それを好機と見た彼女は彼女の唇を男のそれに重ねた。
その瞬間、男は苦しみだす。
「油断したわね」
彼女はそう言い、もがく男を見る。
「薔薇には棘があるのよ。知らなかった?」
男はしばらく苦しんでいたが、次第に静かになっていく。だが、死んだわけではなかった。
彼女は呆然と男を見る。即死のはずなのに、と。
「ふふ、たまらないなあ」
そう言い、不気味に立ち上がった男は、笑っていた。
「この痛みも、苦しみも、愛おしく感じる」
「変態ね」
「そうさ、変態さ」
そう言うと、彼は静かに、灯台の下へと降りる階段へと向かっていく。
「今日のところはここらでお開きにしようか」
「逃がすと思っているの?この私が」
「『VENGEANCE』、君は本当に僕の期待通りの人だ」
そう言い、男は笑う。
「だが、君では僕には勝てない」
彼女はナイフを手に、男に迫る。だが、男はそれを避けると、彼女の手を叩き、ナイフを落とす。
「あなたがそのうちに恐怖を抱えている限り、あなたが僕を殺すことはない」
そう言い、彼女の脚を払い、彼は優雅に階段へと降りていく。
「ははは、しばしのお別れだ。ヴェルベット・ヴェストパーレ、我が愛しき人よ。また会える日のことを楽しみにしているよ」
そう言うと、彼は一枚のカードをヴェルベットに投げつけた。彼女はそれを受け止めた。
立ち上がって追いかけようとするも、男の姿はすでに見えなくなっていた。
灯台の下を見ても、彼の姿は見つからなかった。だが、下の様子を見ると、催眠は解けたらしい。
人々は自分が何をしていたのかわからず、困り果てているようだった。
ヴェルベットは男の遺したカードを見る。
カードには道化師の絵が書かれていた。
『DOCTOR TERROR』
恐らく、彼の名前なのだろう。
「恐怖、か」
たいそうな名だ、と彼女は呟くと、カードを破り捨てる。
恐らく、また来るであろう強敵に、ため息をつくと、彼女はゆっくりと灯台の階段を下り始めた。
恐怖。たしかに、彼女にも恐怖はある。
だが、恐怖が彼女を強くする。
恐怖を受け入れた時、その時、人は大きな力を手に入れる。
「来るなら来い、DOCTOR TERROR。貴様の言う恐怖も、何もかも、私は超えてみせる」
孤高の復讐者はそう呟いて、熱砂の中を歩き出す。




