THEDEON
僕はとある洞窟にいた。そこは、地上から離れた場所だというのに、妙に明るかった。
洞窟内の鉱石が、洞窟に差し込む光を反射し、洞窟内部を明るく照らしているからだ。
僕がいるこの洞窟は、僕の実母や祖母と非常に関連深いものなのだという。しかし、僕は母も祖母も知らない。養父シメオンや、母の友人であったエリスやリースが、僕の親であり、家族であった。
僕の双子の姉、リーズリットも、実の両親のことは知らなかった。
とはいえ、二人ともそのこと自体気にしたことはあまりなかった。いないものはいないものと、僕たちは受け止めていたし、何不自由なく僕たちは暮らしていたのだから。
学校が休みになり、別荘に行った僕たち。現在15歳である僕やリーズリットは、来年には成人だ。今年で学校生活も終わる。
僕は、様々な未来を選ぶことができる。幸い、文武に恵まれた僕には、多くの道が示されていた。
更に進学し、士官学校や学院に進むことができるし、元老院議員への出世の道ともいえる行政機関への就職も可能であった。父シメオンやシスノ議長といった人の後援もある僕には、選べる道は多々あった。
だが、僕には自分の将来、というものに、明確なヴィジョンを見いだせなかった。
今まで、ただただ普通に過ごしてきた。何の苦労もなく生きてきた僕。だが、そんな時ふと思った。
一体何のために、こうして生きているんだろう、と。
それが贅沢な悩みとはわかっていた。だが、僕にはその悩みは、とても大きなものであった。
僕には、リーズリットのように苦しんだことはない。
そんな僕に、人の上に立つ資格があるとも思えない。痛みのわからないものに、国を背負う覚悟があるとは思えない。父や、ほかのみんなが嘱望する行政機関への就職を、僕は無意識のうちに避けていた。
だからといって、軍学校や憲兵になる、というのも、気が引けた。
結局のところ、僕の将来への針路、というものは一向に決まってはいなかったのである。
別荘での穏やかな暮らしの中で、僕はその将来への不安を抱えながら暮らしていた。
幼なじみのミリアとクローディアの話も半分に、僕は広大な自然を見ていた。
ふと見ると、姉のリーズリットは、いなかった。彼女は何時もそうだった。
悩みがあっても、億尾には出さず、一人で抱え込む。
彼女はきっと、誰もいない場所で歌っているのだろう。
小さいころは、よく聞いた彼女の歌声。今では聞くこともなくなったが、きっと、あの美声は今なお健在だろう。
彼女が自分に自信を持てるようになったら、あるいは聞けるかもしれない。
昔聞いた、あの歌声。あれを唄っている時の姉は、本当に輝いていた。
自分も、あんなふうに輝けるのだろうか、などと思う。きっといつか、姉は自分の道を見つける。そんな気がする。
いくら成績が優秀でも、自分の思った通りに生きる、というのは難しい。生きがいを見つける、それが僕にはとても素晴らしいことだと思う。
僕にはそれが、見つけられないのだから。惰性で生きる僕に、道はあるのだろうか。
ある日、夕暮れ時に帰ってきたリーズリットは僕に、一つの指輪を渡してきた。
金色の指輪で、薔薇の紋様が刻まれていた。
「これ、どうしたの?」
そう聞いた僕は、リーズリットの頭部のある物に気づく。僕と同じ色の、紅い髪には、薔薇の髪飾りがあった。
手渡された指輪と同じ薔薇なのだろう。たしか、ヴェルベットローズ、という薔薇だったはず、と思った僕に、リーズリットは言った。
「お母様の知り合いという人が私とセデオンに、って」
そう言う彼女の手には一つの封筒があった。曰く、これは父とエリスに、ということらしい。
リーズリットは父のいる書斎の方へと歩いていく。僕は封筒のことが気になりながらも、その金の指輪を見る。
指輪の内側には、「VVに愛をこめて」と刻まれていた。おそらく、実の父が母へと送ったものなのだろう。
その時僕は、初めて実の両親のことが気になった。彼らが一体どんな人だったのか、それが無性に気になった。
僕は別荘から首都に戻ってくると、母のことについて調べ始めた。
父やエリスに聞けばすぐにわかるのだろうが、彼らがそれを避けていたのは知っていた。
それに、これほど知りたい、と思ったこともなく、僕は夢中で両親のことを調べ始めた。
だが、思った以上に情報は少なかった。
わかったことは父の名前だけ。ジキストール・ウォーデン、というらしく、僕らが生まれる前に病死していた。ヴェルベット女王即位のおよそ二週間前のことだったそうだ。
彼の結婚の記録、というものも探ってみたが、重要機密、としてブラックボックスにされており、母のことはわからずじまいだった。
しかし、僕の子の紅い髪を持つもの、というのは必然的に限られてくる。実父は紅い髪ではなかった。それにヴェストパーレともかかわりのない貴族出身。ということは母、もしくは母方の血である、ということは誰でもわかる。
VVというイニシャルから、過去の記録を見ていくと、一人の人物の名前が出てきた。
図書館や家の記録など、いたるところから存在を抹消されていたようだが、ある書物ではその名前が記されていた。消し忘れたのか、どうかはわからないが、何とか見つけた。
彼女の名前はヴェルベット・ヴェストパーレ。見事な紅い髪の女性で、一時、王都を賑わせたという。
それに関連して、紅い髪の復讐者のことも触れられていた。『VENGEANCE』と言えば、共和国内でも知られており、遠い異国の地で出版された本が人気を博していた。
彼女が実在した人物だと、僕が見つけた本では書かれており、ヴェルベット・ヴェストパーレこそが復讐者であり、最後の女王であった、ということが書かれていた。
僕は、自身の母親が失踪したヴェルベット女王だと、その日知ったのだ。
僕は、父にそのことを話す。
父シメオンも、いろいろと工作をして、僕らの目から母に関する記録を消したのだが、とため息をつき、僕を見た。
「なるほど、さすがは彼女の息子、ということか」
そう言うと、彼は部屋の外にいたクロウドとエリスを呼び出す。
そして彼らが語りだしたのは、一人の少女の物語であった。
それは、よく知られた話でもあり、また知らなかった物語でもあった。
彼らの語る話の中の母は、とても強い女性であった。復讐と理想。二つのものを背負った彼女は、やがて、自身の母親や父であるシスノ議長の意思を継ぎ、革命まで成し遂げた、という。
なぜ、彼女が姿を消したのかは、彼らでさえわからない、という。
「おそらく、あの人は、ヴェルは、自分になすべきことがこの国にはなくなった、と思ったんでしょうね」
エリスが、そう言った。彼女の目は、遠い昔の親友を思い出すかのような目であった。
「それに、彼女、悩んでいたのよ。いくら復讐という大義名分があったとはいえ、自分の手は血で汚れている。そんな手で、子供を育てられるのか、ってね」
そう言い、彼女は僕を見た。
「もしものときは、お願いと言われたけれど、それが彼女との最後の会話になるとは思っていなかったわ」
「・・・・・・・・・・・母は、どこに?」
「さあ、ね」
エリスは自分が知りたい、と言いたげな様子だった。
「生きているのは間違いないな」
そう言い、父が出したのは、あの時、リーズリットが持っていた封筒。
「ヴェルベット直筆の手紙だ。お前とリーズリット宛だ。成人の時に、と託されていたが、仕方ない」
そう言い、「セデオンへ」と書かれた手紙を、僕に渡してくる。
僕はそれを受け取ると、父の執務室を出ようとする。そんな僕に、父は言った。
「セデオン、彼女は、本当にお前たちを愛している。おそらく、お前が思う以上に」
首元にぶら下げられた金の指輪が、きらりと光った気がした。
母の手紙には、ある場所のことが書かれていた。
それは、母やそのまた母の思い出の場所らしい。
手紙のそれに従って言った場所は、大きな洞窟だった。神秘的な洞窟。
手紙自体には、あまり多くのことは書かれてはおらず、ただ洞窟の場所とそこにあるものだけが書かれていた。
それが何を意味するかはよくわからないが、僕はそこへ向かった。
洞窟の奥深く、円卓のある部屋。その部屋の壁を僕は触る。
手紙の指示だと、ここのどこかに隠し部屋へのスイッチがあるという。
父シメオンなど、何人かは洞窟のことは知っているが、その隠し部屋は母以外には知られていないらしい。
母のあまりの謎っぷりに、僕は苦笑した。
そして、スイッチらしきものを見つけ、それを押すと、静かに円卓が動き、下への道が開く。
僕はそこを下りていった。
そこにあったのは、無数の薔薇園だった。
自然の、人の手の届かない場所でありながら、咲かせることの困難なヴェルベットローズが咲き誇っていた。
そしてそこには、一つの墓があった。
墓標はジキストール、と刻まれ、「永遠の愛を VV」とその下に描かれていた。
墓の前に、箱があった。その箱を開けると、母の手紙があった。
「いつか、これを読むこととなる、我が愛おしき息子セデオンへ」
その手紙を、僕は読んだ。そこには、母という人間の恐らくすべてが籠っていたと思う。
彼女の思うこと、考えることがすべて書かれていた。
これを読むとき、おそらく私はあなたのそばにいないでしょう。本当に、勝手な母親だと思います。
ですが、私の手はあなたたちを抱きしめるには血で汚れていますし、なにより、なさねばならないことがあります。おそらく、ほかの誰もができない、私にしかできない何かが。
そのために、あなたたちを捨てる、というのはあまりにも酷かもしれません。ですが、シメオンやエリス、クロウド、それにリースといった人々があなたたちを守り愛してくれるでしょう。ですから、あまり心配はしていませんでした。薄情かもしれませんが、私自身、実の両親のことは知らずに育ちました。しかし、不幸せだった、ということはありませんでした。おそらく、あなたもリーズリットもそうでしょう。なにせ、私とジキストールとの子なのですから。
さて、いろいろとあなたに言いたいこと、伝えたいこともありますが、それはいつかあった時にいましょう。
まずは、これを読むとき、あなたは成人を前にいろいろと悩んでいるでしょう。
将来やその先の未来のこと。きっと、いろいろなことを考えているでしょう。王国という体制下では一部の人々以外は生き方を定められていましたが、それも自由になりました。名門出身以外の人でも、努力さえすれば道は開ける。そういう国を私は作り上げたつもりですし、お父様やシメオンもそう尽力してくれるはずです。
ですから、あなたは自由に生きてください。迷うこともあるでしょうし、不安を抱くこともあるでしょう。しかし、あなたなら、道を見つけられるはずです。誰に決められたわけでもなく、自分自身で見つけた、自分だけの道が。
今更偉そうに、と思うことでしょう。ですが、決して忘れないでください。あなたは独りではなく、多くの人に支えられていることを。
賢いあなたならば、これ以上の言葉は必要ないでしょう。
最後になりましたが、セデオン、愛しています。あなたの行く未来に、希望の光があることを祈って。
ヴェルベット
母の辿った道筋。それを知った僕には、母の言葉は重いものであった。
言葉にできない思いは、たくさんあった。母へ言いたいことも、きっとたくさんあった。
だが、僕は薔薇園の中央で、ただただ上を見つめていた。
深い暗闇のはずの底は、どこからか入り込む光が結晶に反射せれ、中を明るくしていた。
その後、僕はこの国の歴史を研究するために、学院へと進んだ。
皆が驚いた。将来のエリートと言われた僕が、研究の道に行くというのだから。
歴史を学ぼうと思ったのは、やはり母のことを知りたかった、というのが動機かもしれない。
だが、闇に葬られたはずの真実。それを明らかにしていくというのは、存外面白いものであったし、重要なことなのだ。
前王家の負の歴史や、母のこと。そのすべてを、僕たちは後世のために記し、残す義務がある。
僕はそうやって歴史を遺す。それが歴史を紡いできた先人たちの生きてきた証であり、責任であるから。
どこからか歌声が聞こえる。姉も、自分の道を見つけたようだ。幼き日に効いた歌声よりもさらに美しい声が、僕の中に満ち溢れてくる。
僕の名前はセデオン・ヴェストパーレ。誇り高き孤高の女王、ヴェルベットの息子。
ここに、僕が知ったこの国の真実の歴史を記す。




