エンドローグ
宰相、大公の謎の死と、女王ヴェルベットの失踪から、一年の月日が経った。
共和国は現在、元老院という組織の手によって運営されている。君主制から変わった新たな制度の下に、試行錯誤していたが、それでも国の形は整いつつあった。皇国からの支援もあり、周辺の国との交流もさほど変わってはいない。
王とも首都と名を変え、人々は穏やかな生活を送っていた。
彼らの間では今なお、当時のことを懐かしみ、女王ヴェルベットの話や『VENGEANCE』の噂が語り継がれている。女王ヴェルベットと復讐者は同一人物だった、という噂も出ていたが、大衆のほとんどはそれが誇張された話と信じていた。
それでも、紅い髪の少女の話は大衆に広く好まれ、楽曲にもなっている。
彼女の夫、ジキストールの書き残した詩は、多くの音楽家が愛し、演奏していた。
ヴェストパーレ家の屋敷。もはや貴族ではないが、民衆からの支持により、元老院議員を二期続けることとなったシメオンは、静かに机に向かっていた。
太陽の陽が差し込み、目を閉じると、二人の赤子の泣き声が聞こえてきた。
屋敷の管理を任せているクロウドやエリス、それに義妹が急いでなだめているのが聞こえた。
ふふ、と笑い、シメオンは立ち上がった。
双子の赤子の顔でも見に行くか、と立ち上がった彼はふと、彼女のことを思い出す。
果たして、今、彼女はどこにいるのだろうか、と。
エリスは双子の赤子をなだめていた。すると、それに嫉妬でもしたのか、クロウドとの赤子ミリアも泣き出して、苦笑する。クロウドがそちらに行き、リースとヴィンスが赤子のうちの男子の方をなだめる。
エリスは女児の方を抱いて、彼女の頭を撫でる。
髪も生えてきて、双子は見事な紅い髪をしていた。まるで、双子の母親のように、深紅の髪。
彼女は、双子を残していった。約束通り、彼女は子供たちをヴェストパーレ家に残していったのだ。
あなたは残らないのか、とエリスが問うと、彼女はやることがある、といった。
また会えるよね、と問うたエリスに、彼女は微笑みかけて言った。
「ここが私の帰るべき場所。いつか、必ず帰ってくる」
そう言って、彼女の親友は誰に知られるわけもなく、どこかへと消えた。一年前のことだった。
それからは忙しい日々であった。彼女の遺した屋敷や、館の経営など多くの事案があったからだ。
その間に彼女も妊娠と出産を経験し、母親となった。ちなみに二人目ももういるらしい。
お腹の中の微かな胎動を感じながら、エリスは空を見上げた。
「ねえ、ヴェル。あなたは今どこにいるの?」
シスノ元公爵、現元老院議長は静かに手紙を読んでいた。
それは一年前に女王が残していった手紙であった。そこに書かれていたのは、彼女の父親が自分である、ということであった。
彼女がシスノの名を持っていたのは、そのためだったか、と思うと同時に、彼は泣いていた。
知らぬ間に、愛しきあの人との娘が、いたとは。そして、あんなにも立派になって、と思うと、涙が出てきてしまった。
彼女は誰にも告げずに去っていった。
国を治めることを彼女は嫌った。支配することもされることも、少女は拒み、自由へ向かって旅立ったのだ。
母親にそっくりだな、と思い、シルヴァンはクスリと笑った。
孫たちはヴェストパーレの養子となった。さすがに、シルヴァンが引き取ろうにも、年が離れていたし、妻はいない。だが、それでいいと思った。母親の友人たちに囲まれ、これから幸せな日常を彼らは過ごすだろう。
誰かに敷かれたレールをたどることなく、自身の足で立ち、自身の運命を切り開いていくだろう。
シルヴァンは、手紙に書かれていたアンネローゼの墓を訪ねた。隣にはミアベルの墓があった。
ひっそりと、だが綺麗に掃除されているのを見ると、彼女は定期的にここに来ていたのだとよくわかる。
「・・・・・・・・・・・会いに来ましたよ、アンネローゼ」
そして、彼は彼女に再会した。
『ありがとう、父さん』
伝えられなかった彼女の言葉が、静かに、シルヴァンの胸に響いた。
「で、君はどうしてこの国にいるんだい?」
キースはそう言い、褐色の青年を見る。青年は笑ってキースとアルミラを見る。
青年の名はエゼキエル。元皇国第二皇子で、今は共和国のある省庁の役人だ。
あの後、女王が失踪し、共同統治者であったエゼキエルは、その任を降り、故国に帰ると思われたのだが、なぜかそのまま残り、役人などになってしまった。
もともとヴェルベットと結婚したのも、彼女の師用としていることが面白そうなだけであり、深い意味はなかったという。それに国には第一皇子がいるし、まあいいだろう、と笑って話していた。
なし崩し的に元老院議員のキースやアルミラの世話になるようになった、というわけだ。
「それよりも、彼女、どこ行ったんだろうねえ」
「・・・・・・・・・・・・さあな」
エゼキエルの問いに、キースはそう返した。
「リーズリットやセデオンを残して行ってさあ」
キースはその言葉に何も返さなかった。
宰相殺害後、死のうとさえ思ったヴェルベットは、その後、キースのもとを訪れた。
そして、彼女が生んだ双子のことや、友人のことを託し、自身はこの国を去ることを告げた。
何故、自分に行ったのかはわからない。もしかしたら、彼女にとっての最初の共犯者が彼だったから、なのかもしれない。
とはいえ、彼女はそう言った後に静かに笑った。美しい紅い髪が、夜風に靡いていた。
「これからどうするんだ?」
キースが問うと、ヴェルベットは言った。
「どこか自由なところに行って、私を必要とする人の下に行くわ」
そう言った彼女の目は、未だその炎を消し去ってはいなかった。
彼女の中で、未だ、復讐の女神は死んではいないのかもしれない、とキースは思った。
「いずれ、この国には戻ってくるわ。いずれ、ね」
そう言って少女は、キースを振り返り、言った。
「だから、さよならは言わないわ」
そして、彼女はキースに何も言わせる暇を与えずに、颯爽と去っていった。
最後の最後まで、彼女のことを、キースは理解できなかった。
彼女の去った後には、一凜のヴェルベットローズが落ちていた。
ある民家で、夫と子供に囲まれて幸せに生きていたモイラは、ふと懐かしい何かを感じた。
それは酷く懐かしいもの。わずかな時間を共に過ごした、あの少女の気配。
今では遠くなってしまったはずの少女の何かを感じ、彼女は窓の外を見た。紅い何かが映る。
モイラは家を飛び出すと、その影を追いかけた。
だが、影はもう、人ごみの中に消えてしまった。
モイラはふと、足元を見た。そこには、一凜の薔薇と手紙があった。
「モイラへ」
そう書かれた手紙を手にした彼女は、涙を浮かべて影の去っていった方向を見つめた。
「ヴェル・・・・・・・・・・」
あの時の少女の姿はもう見えない。だが、彼女はきっと、強く強く生きていくだろう。
誇り高き一凜の薔薇のごとく。
共和国(旧王国)より遠い異国の地。
一人の少女が力なく砂漠に倒れていた。
少女の身体は華奢であったが、程よく筋肉がついていた。
空腹による衰弱や、砂漠の気候に疲弊していたが少女の瞳は強い輝きを秘めていた。
少女は黒い衣から露出した己の腕に刻まれたタトゥーを見て、ぎり、と唇を噛む。
ここで、死ぬのだろうか、復讐すらままならないまま、惨めに、孤独に。
もうすぐ夜が来る。夜の砂漠は日中と打って変わり、冷たい死の世界になる。
数日間耐え忍んできたが、流石にもう限界だ。
少女はそう思い、顔を砂にうずめた。
ああ、これが、私の最期か。
利用され続け、揚句、捨てられた。道具として使われ、何一つ人間らしいことをせぬまま、終わる。それが、無性に悔しかった。
夕日が沈みかけたころ、じゃり、と音がし、何かの影が少女を覆った。
少女は顔を上げた。およそ人が通るはずのない時間帯、にもかかわらずこうして自分に近づいてきた人間は一体だれか。
もしかしたら、組織の人間が死を見届けに来たか、と思った彼女が見たのは、およそ想像もしていなかった人であった。
痩せこけた少女を慈悲深く見下ろしていたのは、美しい女性であった。
年のころは二十代か、とも思ったが、その目に宿る色はそれ以上の年月を感じさせた。
美しい紅い髪と、美貌は、同じ女とは思えないほどであった。
深紅のフードとマントで身を包んだ女性は静かに笑いかけてきた。
「どうやら、あなたはまだ、死ぬわけにはいかないようね」
そう言って、女性はしゃがみ込み、美しい腕を少女に差し出した。
「この手を掴めば、あなたの望むものが手に入る」
「・・・・・・・・・・・命、か?」
少女は弱い声で言った。すると、女性は笑った。少女は女性の瞳に、吸い込まれるように見入った。
彼女の目の奥で、強く強く輝く炎を見た気がした。
「望むならば・・・・・・・・・・・・・・・・」
復讐の女神は厳かに告げた。
「復讐を」
少女は女性の手に自身のそれを乗せた。女性はしっかりと少女の手を掴むと、彼女に己のマントをかぶせ、抱きしめた。
母がいたとしたら、きっと、こんな感じなのか。
少女はそう思いながら静かに眠りへと落ちて行った。
一つの復讐が終わり、また新たなる復讐の物語が、幕を開ける。
しかし、ヴェルベットという少女の復讐の話は、ひとまずは終わりを迎えた。
だが、『VENGEANCE』の物語は終わりはしないであろう。
いつの世も、復讐を求める被害者や弱者の怨嗟はやむことはないのだから。
人が復讐を求めるとき、常に彼女はそこにいる。
彼女の名は『VENGEANCE』。深紅に包まれた、復讐の女神。
今日も彼女は、復讐を求めて歩いている。




